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ボクとアイツの昔の女1

 西日が空を赤く塗っている。


「ルム、今日はここで休んでいこう」


 ルムの右隣を歩いていたサンダーは周囲を見渡してから、柔らかな笑みを浮かべた顔を彼女に向けた。ルムも彼と同じように周囲を見渡す。小さな宿が街道を挟むように建ち並んでいる。ここを通過したら日が落ちるまでに次の宿場町には辿り着きそうにない。サンダーの提案は当然のものだった。


「そうですね。空きがあるといいんですけど」


「それから壁が薄くないところがいいな。筒抜けは困るからな」


 そう言ってサンダーはルムの肩を抱き、顔を寄せ彼女の額にキスした。ルムの顔は一瞬で真っ赤に染まる。


「あ……貴方はそればっかり! 少しは自重して下さい!」


 彼が今晩『も』ベッドの中で自分を求めるのだろうと気付き、ルムはそれを制するようにサンダーの腕から逃れようともがいた。

 サンダーは微笑みながら彼女の肩に回した左腕で強く抱き寄せる。


「無理強いはしない。ダメならダメと言ってくれ」


 サンダーはルムの肩から腕を離し、今度は右手で彼女の右手を取りその手の甲に唇を当てた。


「このっ……気障! 変態! だいたいボク『元』男ですけど、それでも構わないんですか?」


「全く構わない」


 ルムは掴まれた手をぶんぶん振ったが、サンダーの大きな手を振り解けなかった。

 いや、振り解くつもりなどなかった。彼のジョークも気障な行動もスキンシップも自然に受け入れるようになっていた。サンダーはルムの頭にあった常識をぶち壊すほど彼女に愛情を注ぎ続け、ルムもまたそんな彼をいつの間にか愛するようになっていた。

 今この状態が実は幸せだったりすることを、意地っ張りで『元』男のルムはサンダーに伝わって欲しくないと思っている。


***


 宿から外へ踏み出すと、すでに昇った日により空気が熱を帯びている。

 ルムは手で目元に陰を作りながら照りつける太陽を見上げた。熱く眩しい日差しを遮ってくれる雲は今のところなく青々とした空が広がっている。


「今日も暑くなりそうですね。こまめに休憩を取りましょう」


「そうだな。夕べはゆっくりと寝たことだし、だいぶ進めるんじゃないか?」


 サンダーがやや皮肉っぽく、しかし残念そうに返事をした。結局夕べは「壁が薄い」という理由でサンダーの望みはお預けとなった。こんな小さな集落の宿場だ、簡素な造りであっても仕方ない──ルムはそう思った。

 同時にルムは少し安心していた。サンダーとの営みの間、ルムは自分の知らない自分をいつも発見する。サンダーはそれを喜んでいるが、彼女は溜まらなく気恥ずかしくて逃げたくなる。そしてそれが嫌じゃないと思っている淫らな自分が一番恥ずかしいのだ。嫌じゃないのに避けたい、避けたいのに嫌じゃない。夜が来る度彼女はいつもその矛盾と戦っている。

 ルムは頭の中の雑念を振り払い、サンダーの言葉に返す。


「進めるといっても、目的地が決まっているわけじゃないんですけどね……どこを目指しますか?」


 そこまで言ったとき、駆ける足音が自分達のいる場所に向かってくることに気が付いた。

 顔をそちらに向けたときには既に人影が眼前にあった。


「ボス!」


 女の声が響いた。同時に猛スピードでルムの目の前を何者かが通過した。それの向かった先を見ると、サンダーの胸元に女が飛び込み首に腕を回しきつく抱きついている。


「なっ……!」


 そう言ったきりルムは口をぱくぱくさせ、言葉を発することができなかった。

 「ボス」というのはサンダーがサンダーを名乗る前に使っていた呼称であり、今この場でボスと呼ばれるような人間はおそらくサンダーしかいないだろう。そして二メートル近い大男を人違いすることなどまずないはずだ。つまりこの女はサンダーを「あの荒くれ者の集団のボス」と認識して呼びかけ、抱きついたのだ。

 何より当のサンダーが驚いた顔をしたまま固まっている。人違いでも何でもなく彼はこの女を知っている、そんな顔をしていた。


「ああ、ボス! 会いたかったわ!」


 女は甘えた声を出しながらサンダーの胸に頬擦りしている。ルムは呆気にとられて一言も発せず女を見つめていた。

 彼女の目線はサンダーの鎖骨のあたりにあるのではなかろうか。ちなみに小柄なルムの場合、サンダーと立って並ぶと目線は彼の鳩尾の辺りだ。つまりその女性は女としては背が高いと言えるのではないか。


──もしかして、男?


 彼女ではなく彼ではないかと疑ってみた。何せ身長が『元の姿』のときのルムと同じくらいありそうだ。

 しかしサンダーの体に押しつけられている風船のような二つの塊は彼女が女だということを示している。


「……お前、何でここに?」


 サンダーが絞り出すような小さな声で女に問いかけた。女は下がり気味の目尻をさらに下げ、彼に笑いかける。


「野暮だね。アンタに会いたいからずっと探してたのさ」


 そう言うと女はもう一度サンダーの胸に顔を埋めた。サンダーは女にされるままに抱きつかれ、もたれかかられている。ルムのこめかみの辺りが一瞬痙攣した。


「誰なんですか……彼女は?」


 サンダーが顔を上げルムの顔を見た。彼は今まで見せたことのない困惑の表情を浮かべている。ルムの眉間に力が入る。

 しかしサンダーが答えるよりも先に、女がふふんと笑った。まるで「その質問を待っていました」と言わんばかりにだ。


「アタイは彼と寝たことがあるのさ」


「……は?」


 いくら色恋に疎いルムでも、それがどういう意味なのかはわからないわけではない。この女はつまり「サンダーの昔の女」ということだ。ルムはサンダーの顔をちらっと見た。彼はどこかバツの悪そうな顔をして黙り込んでいる。

 彼は三十年近く生きてるわけだし、この色男のことだ、浮いた話の一つや二つや三つ四つくらいあるに決まっている……ルムは自分に言い聞かせようとした。

 しかしこの男、今はボクに惚れているんじゃないのか? どうして「昔のことだ」と言って女を突き放さないのか? それがルムには不思議でならなく、次第に腹が立ってきた。何しろサンダーは女に抱きつかれるままになり、拒否している様子はない。

 ルムはできるだけ感情を抑え、疑いを込めて冷ややかにサンダーを見た。サンダーは非常に複雑な表情をしている。


 次にルムはその女の姿を見た。相変わらず身長の高さばかりに目が行く。

 そして胸。この陽気に関わらず女はパイロットが着るようなジャケットを羽織っている。ただし胸元を大きく空けて、その下の二つの熟れた大きな果実を見せびらかしている。

 顔立ちはルムのような美形ではないが、小綺麗に化粧を施しているように見えた。下がった目尻がルムとは真逆で色気すら感じる。頭のてっぺんで髪をお団子に括っているが、うなじの後れ毛にも色気が出ている。即物的な色気という点ではルムを圧倒する。

 ルムは確かに美少女だが、背は小さく胸も尻も小さい。すぐさま男の情欲を掻き立てるようなセックスシンボルではない。──それでもルムが異性を惹き付け襲われそうになるのは並外れた顔立ちの良さであろう。


「それにしてもボス、このコ誰?」


 女が今さらのような質問をサンダーに投げかけた。ルムにはサンダーがどんな顔をしているか、どんな答えを出すか気掛かりだった。彼は一呼吸置いてから口を開く。


「ただの旅の連れだ。妹みたいなものだ」


 彼の答えは耳を疑うものだった。「は?」という言葉も出てこない。


「ふーん。恋人、って訳じゃなくて?」


 女がやや声を低くしてサンダーにゆっくりとした口調で尋ねた。


「そんな関係じゃない」


 サンダーはその問いには即座に答え、首を横に振った。彼の答えにルムは愕然とした。


──昨日までボクに言ってきた言葉は何だったのか。あれをなかったことにするのか。ボクとの関係を誤魔化すのは何で?


 今まで彼に寄せてきた信頼にわずかな亀裂が生じる。

 だが改めてサンダーと彼女の並ぶ姿を見ると、年齢的にも容姿としてもよくお似合いだった。

 ルムは足先から胸まで順に自分の嫌いな自分の姿を見ていく。身長も小さくサンダーと並んだら年の離れたきょうだいくらいにしか見えない。ポンチョの中で自分の胸を触ってみる。控えめなものがそこにあるだけだった。ルムにはない色気を持った彼女をキープしておきたいという気持ちは理解できる、納得はできないものとしてもだ。


──やっぱり本物の女の方がいいのか。お前がそのつもりなら、ボクだって乗ってやるよ。


 ルムは唇を噛んだ。それでもサンダーが言った「妹みたいなもの」という設定にとことん付き合ってやる、そう決意した。

 サンダーの「そんな関係じゃない」という答えに女は明るい声を取り戻した。


「そうよね、いくら何でもこんな幼いコに手を出すようなロリコンにボスが堕ちる訳ないものね」


 彼女は豪快に笑い飛ばした。

 いや、そういうことならそいつはすでにロリコンに堕ちてるぞ──ルムは心の中で彼女に答える。

 彼女から見ても自分は子供にしか見えないのか、とルムは落胆し何も言えなくなる。

 だが楽しそうに笑う彼女とは対照的にルムがすっかり黙り込んでしまっているのに、サンダーは彼女を窘める素振りも見せない。

 ボクのことをかばうつもりもないのか。そう考えると子供じゃないと訂正するのも馬鹿らしく思えてきた。


──もういい……なるようになれ。


 ルムが諦めた瞬間、女が話しかけてきた。


「お嬢ちゃん、名前は何て言うの?」


 女はいかにもルムの機嫌を取るような甘えた声で尋ねた。ルムは一度小さく舌打ちし、女から目を逸らす。


「……シュトゥルムフート」


「ふーん、変わった名前だね。何て呼べばいい?」


「ルムでいいです」


「あら、それだと可愛いわね。アタイはデスモディウム。モディって呼んで。宜しくね、ルムちゃん」


 女はルムを真っ直ぐに見て微笑んだ。


***


 ルムは前を歩く二人の背を睨みつけながら歩いていた。


──何であいつも一緒に行動しているんだ……?


 ルムの視線は空の灼熱の太陽が放つ光線よりも熱い。その視線には憎らしさや苛立ちが含まれている。

 この汗ばむ陽気の中、モディはサンダーと腕を組み寄り添って歩いている。見てるだけで暑苦しく苛立ちが募る。その苛立ちをさらに掻き立てるのが、それを拒まないサンダーの態度だ。


──何だよ、何だよ何だよ何だよ! ボクは男だからあいつみたいな色気なんかあるはずはないし、あったら気持ち悪い。だけど色っぽくて過去にしっぽりとした相手かも知んないけどこんな手のひら返しあっていいのかよ!


「離れろ」


 サンダーは時折腕を振り払うような仕草をするが、それを受けてモディは組んだ腕にますます力を入れ彼の腕に体を押しつけている。そしてそれ以上サンダーは何も言わないし、振り解こうともしない。


「何あのバカップル」


「暑いのによくベタベタしてられるな」


 反対側から歩いてくる人々から通り過ぎる度にクスクス笑う声や舌打ちが聞こえてくる。彼らが陰口を叩くのはちょうどルムと擦れ違うところで、その度にルムはいたたまれなくなる。


──気付けよ、自分達が見苦しいことして陰口を言われてることに!


 前を歩く二人の背中をますます強く睨みつけた。その視線に気付いた訳ではなかろうが、ようやくサンダーが振り返った。


「ルム、ちゃんとついてきているか?」


 気を遣うように彼女に声を掛けた。

 だがその顔はいつもの愛する人を見る目ではなく、初めて見る「保護者のような顔」をしていた。不意にルムは胸が苦しくなる。


「ルムちゃん、はぐれないようにね」


 それに便乗してモディもルムを気遣う素振りを見せた。明らかにお姉さん気取りだ。彼氏の妹を可愛がっているつもりなのだろう。それがたまらなく屈辱的だった。理由なんかわからない。ただただ悔しくて、でもそれを悟られたくなくて歯を食いしばる。


「ついていってますよ……っ」


 胸が締め付けられ、この一言を返すのが精一杯だった。


***


 食事休憩と言って、街道からやや外れた集落の小さな飲食店に入った。

 ルムは皿の上の鶏肉のソテーをフォークでぶっ刺し、乱暴に口に運んだ。俯いたまま咀嚼する。テーブルを挟んだ正面にいるのは困り顔のサンダーだけ。モディはお花摘みなどと言って席を外している。せっかくの二人きり。だけど彼の顔は見るつもりはない。


「あのな、ルム……」


「何ですか」


 ルムは顔を上げずにつっけんどんに返す。サンダーは手を伸ばし、ルムのナイフを持っている右手に手を添えようとした。


「今食べてるんで邪魔しないで下さい」


 不機嫌そうに言い放ってやると、彼はそっと手を引っ込めた。


「モディのことなんだが……」


 ぴくっ、と思わず手の動きが止まる。

 だが慌ててナイフで皿の上の肉を切り刻んだ。彼女のことと彼の話に興味を持ったなんて思われたらとんでもない。扇情的な女に鼻の下を伸ばす男の話に耳を貸すつもりなんてなかった。

 視界の端に映った彼はとても悲しそうな表情をしていた。自分の不誠実な態度が彼を悲しませたと思ったら不意に胸が痛んだ。

 しかし先程まで見せつけられていた大きな二つの背中が目に浮かんできた。ここまで屈辱的で惨めな思いをしてきたのは自分の方だ、と苛々がぶり返す。何で彼がそんな顔をするのか、困る理由があるのかルムには理解ができなかった。


「サンダーも結局ただの男、いやオスでしたね。ああいうお色気たっぷりのフェロモン垂れ流しの方が好みなんですよね? おっぱいが大きい女をキープしておきたいんでしょう! 別にいいですよ、お前があの女と何しようと【魔女】退治には影響ありませんから。単にお互いの利害が一致したから一緒にいるだけの関係ですからね、ボクらは!」


「ルム!」


 サンダーは焦ったようにルムの言葉を遮った。


「ちょっといいかしら?」


 その声が聞こえた途端、サンダーの肩がびくんと震えた。

 テーブルの傍らに当事者のモディが立っていた。立ったままの彼女をサンダーは見開いた目で見上げている。モディは口元に笑みを浮かべている。

 だが目が一切笑っていない。それはルムにもわかった。

 モディはサンダーの方を向き、人差し指を立てちょいちょいと自分の方へと動かした。「こっちに来い」の合図だ。サンダーは気が進まないといった風に渋々立ち上がる。彼女はルムに顔を向け、笑みを見せた。


「ルムちゃん、ちょっと待っててね」


 彼女はにこやかに笑ったつもりだっただろう。

 しかし不機嫌さというか、不愉快さが笑みで隠し切れていないことくらいルムにでもわかった。

 モディはサンダーを伴い店の外へと出て行った。

 見送ったその二つの大きな背は街道を歩いていたときに見ていたものと変わらないはずなのに、苛立ちよりも何か別の気持ちが芽生える。ルムは立ち上がった。


***


 店の裏手に二人はいた。

 ルムは建物の陰に隠れて、そっと顔だけ出してその様子を窺った。周囲に人の背丈くらいの木があちこちに立っていて目隠しになってくれそうだ。木には旬なのか大きめの柑橘類の実が生っている。

 モディは腕を組みやや背を反らしながら、身じろぎ一つせずサンダーを見据えている。愉快そうに口角を上げているが、瞬きもせずサンダーを見ている目がポジティブとは逆の感情を顕している。

 サンダーは直立不動のままだ。ルムからは彼の背しか見えないので、彼がどんな顔をしているかはわからない。


「ねーえボス? あのコに『サンダー』って呼ばれてたみたいだけど、どういうこと? アタイには名前を呼ばせてくれなかったわよね? あのとき何度も聞いたのに。ボスの名前、教えてくんない?」


 モディは立てた右手の人差し指を自分の唇に当て、甘えた声色でサンダーに言う。サンダーが小さく溜息を吐いたように見えた。


「聞き違いじゃないのか?」


 その瞬間、モディは素早く左右の手を同時に下ろし自分の腿の辺りに触れた。その勢いのまま振り上げた両手には何かL字状のものが握られていた。

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