ボクとアイツの昔の女2
次の瞬間、破裂音が二つ連続で響いた。その音に驚き、ルムは思わず身を縮めた。
──拳銃!
モディの持っていた物体はハンドガンだった。おそらくはルムが隠し持つ銃と同じ仕組みを持つ『念導銃』であろう。
取り出してから撃つまでにわずかな時間しかなかったのに、銃口を向けられていたサンダーは先程と変わらない姿勢で倒れることはなかった。
モディはすかさず右手の銃を自分の左肩の上へ持って行き、振り向きもせず肩越しに発砲した。彼女の十メートル以上後ろにあった木の実が破裂し、汁をまき散らして地面に落ちた。
「ボスの名前、何ていうの?」
モディはにっこりと微笑み、サンダーに向かってもう一度尋ねた。
「……サンダーソニア」
彼は小さく答えた。それを聞いてモディは満足そうな笑みを見せ、銃を再び腿の辺りにしまい込んだ。
ルムは目を見開いたままその場から動けずにいた。
あの女……何ていう銃の精度なんだ! ──モディは危険人物、ルムにもそれがわかった。サンダーもおそらく彼女を警戒しているのだろうと思った。彼女の勘気に触れないようにしよう……とルムは考えた。だからこの嫌悪感を表情や態度に出してはいけないと気を引き締めた。
「さ、ルムちゃんのところに戻りましょ」
モディが言ったのが聞こえ、慌ててルムは店内に戻った。
***
再び街道を歩き出したときも先程と同じようにルムは二人の後を距離を空けてついて行った。ただ先程と異なるのは、モディがますます緊密にサンダーに腕を絡めていることと、ルムの顔が無感情であること。
ルムは色んな点でモディに勝ち目がないと察し、大人しくこの状況を受け入れることにした。心は軋んでいるけど、もはや自分にはどうすることもできない。
先を歩いているモディが立ち止まり、サンダーの腕を引っ張った。サンダーも歩みを止める。
「あそこ見て。クッキー売ってる。ねぇサンダー、ちょっと買ってきてよ」
様々な焼き菓子が入った籠を持った女の子が道の脇に立っている。
「……食べたきゃ自分で買ってこい」
「あら、いいのかしら?」
モディが不敵に笑うと、サンダーは一瞬ルムの方をちらっと見て溜息を吐いた。
「わかった。ここから動くなよ」
モディに向かって言うと、サンダーは再びルムを見た。
彼の耳たぶが擦り傷のように一部が赤くなっている。モディが放った銃弾がどうやら掠めたらしい。なおさら彼女の銃の腕に恐れ入る。
「ちょっとあそこまで行ってくるからここで待っていてくれ。絶対に動くんじゃないぞ」
「はい」
ルムは短く返事した。足早に去るサンダーの背を見送っていると、そこにモディが声を掛けてきた。
「ねぇルムちゃん。あっちにね、池があるの。結構景色がいいから見に行かない?」
モディが指さした先にはそれほど深くなさそうな雑木林があり、木々の隙間から眩い光が漏れている。それは池の水面が反射する光のようだった。
「でもサンダーがここで待ってろって言ったじゃないですか」
「ちょっとの間だし、サンダーだってすぐに見つけて来られるわよ。ルムちゃんと二人でお話ししてみたかったし、ね?」
彼女はサンダーに向けた不敵な笑みをルムにも向けた。
モディは武器を持っていて躊躇いなく人に向けられる。そんな彼女が自分と二人きりになるなんて何を企んでいるのか、ルムはとてつもない不安に駆られた。その不安のあまり身構えたが、彼女に対する警戒を彼女に悟られてはいけないと気付く。何てことない顔をして彼女に従う以外ルムには選択肢がなかった。ルムの額に浮かんだ汗は筋になって落ちる。
──まさかこの女が【魔女】ってことはないよな?
そんな疑念がふと頭をよぎる。そのとき自分はこの女に勝てるだろうか、と考える。
ルムは自分のポンチョの中に潜む自分の得物に震える手で触れた。顔を伝い落ちる汗は暑さのせいだけではなかった。
***
池はそれほど大きくはないが透明度が高く、水面や中を泳ぐ魚の背が陽の光を弾いてキラキラしている。
しかしそれに見とれる余裕はルムにはなかった。隣に立つモディ挙動の方が気になって仕方ない。
「ねぇルムちゃん。アタイとサンダーの関係が気になる?」
「特には気になりません」
突然のモディの問いに、内心若干の苛立ちを帯びながらルムは淡々とした口調で答えた。彼女に対する恐怖心だけがルムに理性を保たせていた。
だがルムの答えを全く意に介さず、モディは話し始めた。
「アタイはね、実はサンダーを始末するためにギャングに雇われた殺し屋みたいなものだったのよ」
思いも寄らない彼女の告白を聞きルムはバッと顔を上げモディを見る。彼女の顔には先程の不敵な笑みではなく、うっとりとした甘い笑みを浮かべている。
「でもサンダーがアタイを変えてくれた。アタイの知らないアタイを教えてくれた。仕事も何も放り出して、彼を生かして追うことにしたよ」
ルムは思わず息を呑む。自分もサンダーに対して同じことを感じていた。だけどサンダーにとってはそれは初めてじゃなかった。自分を今まで喜ばせてきた言葉は自分だけのものじゃなかった。
彼女はルムではなく、その向こうの何かを見つめているような恍惚とした表情だった。
***
初めて見たときは衝撃だった。
男と言っても大体は自分より背が低いか、目線が同じ。背が高いと自称していても自分と並べば大差ない。
自分は男と対等だった。
だけど「ボス」は違った。
顔をぐっと上げなくては見えない彼の顔。
自分の体を覆い隠せるほどの逞しい体躯。
自分に違う景色を見せてくれた。
違う自分を見せてくれた。
自分を女にしてくれたのは「ボス」なのだ。
だから一緒にいたい。
彼と一緒にいると自分は「女」だって、感じられるから。
***
彼女の視線の先には、クッキー売りの少女と何やら交渉するサンダーの背が見える。その背は遠く小さいが、彼女はしっかりと見つめている。彼女の目は迷いもなくサンダーだけを捉えている。一途にサンダーに思いを寄せ、乙女らしい一面を見せる彼女にルムは愛嬌さえ感じた。
ルムは押し黙る。
──敵うはずがない。
彼女は自分とは違う。何の躊躇いもなく、プライドも邪魔せず彼を愛することができる。可愛げのない自分と比べて、サンダーにとって彼女が不足であるはずがない。サンダーから引くのは自分の方ではないか? そんな風に思った。
せめてもう一度彼の姿を見よう、と街道を振り向いた。そこで気が付いた。
ルム達の背後の木の陰から女の子がこちらを覗き見している。十歳前後だろうか。裾の広がった膝丈のスカートが似合っている、大人しそうな女の子だった。
女の子はじっとルムとモディの姿を見つめている。ルムは彼女のことを見たことがない。モディの知り合いなのかと思って彼女の顔を窺った。
「あら、どうしたのかしら? あのコ」
モディの言葉からどうやら彼女の知り合いでもないことがわかった。
ルムとモディが少女に気付いたことが本人に伝わったのだろうか。彼女は木の陰から飛び出しチョコチョコと二人の元へ駆け寄ってくる。
深い緑のニット帽にはちょこんと尖った牙のようなものが二本付いている。まるで鬼の角を模しているようだ。帽子の下から伸びる長い黒髪は艶やかで、毛先まで傷みがないところに若さを感じる。両腕で抱えているのは彼女の身の丈の半分以上ありそうな、可愛らしくデフォルメされた鬼のぬいぐるみだ。よく見るとそのぬいぐるみの穿いているパンツと少女のスカートはお揃いの虎柄である。
彼女はぬいぐるみを抱えたまま、少し眠そうな顔をしてルムをモディを見上げている。モディは膝に手を当て前傾になり少女に目線を合わせる。
「どうしたのお嬢ちゃん?」
彼女は優しく少女に声を掛ける。ルムの前でいい格好をしようとかではなく、母性みたいなものが存在するのだろう。
少女はルムとモディの顔を何度も交互に見ている。
「楽しい『オモチャ』があるってアマテラスに言われたから来てみたけど、どっちが『それ』かわからないじゃない」
少女は顔色一つ変えず、だけど面白くなさそうに言い切った。
胸がざわついた。少女から得体の知れない違和感をルムは感じた。だらりと下げた手の指先が小刻みに震えていた。言い尽くせない不安はルムの神経を刺激し、体の震えとなって顕れる。
モディは首を傾げ、少女の顔を覗き込んだ。
「ま、いいや。どっちかはアタリなはずだから」
少女は両手で抱えていたぬいぐるみを左腕一本に持ち替え、空いた右手をゆっくりと前に突き出した。その右手に光が集まり、球状に溜まっていく。微かにパチパチと火花が散るような音が聞こえた。
「……逃げろ!」
咄嗟に出た言葉はそれだった。モディがきょとんとした顔でルムの方を向いたときには、既にルムは『念導銃』を構えていた。
「ルムちゃ……」
モディの声を遮って銃声が響く。少女はひょいとスカートの裾を靡かせ軽やかに飛び退き、ルムの奇襲を躱した。彼女の右手から光が失せる。
この不安、恐怖。あのときに似ているんだ、とルムは思っていた。
それは「テラと初めて会ったとき」だった。テラの方が比にならないくらいの恐ろしさだったが、彼女からもそれと近いものを感じ取った。
それは即ち。
「そいつは【魔女】だ!」
ルムは断言した。その叫びに少女は俄に顔を引き攣らせた。
「やだ……『山脈の魔女』以外に【魔女】がいるってこと、知ってる人間がいるなんて」
少女が小さく呟いた言葉も、緊張し神経を尖らせている今のルムの耳には届いた。再び少女は右手をかざし、青白い光を溜め始める。そして呆気にとられているモディにちらりと目を向けた。
胸の中に手を入れられ心臓を手絞りされるような息苦しさをルムは感じた。咄嗟にルムは隣に立っているモディに飛びついた。彼女を巻き込んで地面に転がる。同時に青白い閃光が頭上を通過していく。状況が飲み込めず倒れたまま呆然としたモディをよそに、ルムは即座に体を起こし銃を構える。
「あなた邪魔ね」
【魔女】は忌々しそうにルムを一睨みした。
「何が邪魔だか。お前か? ボクに呪いをかけたのは?」
「呪い?」
【魔女】はあどけない顔にぽかんとした感情を浮かべている。
しかしすぐに楽しい遊具を見つけた子どものような無邪気な笑顔へと変わっていった。
「アマテラスのオモチャはあなたの方だったのね?」
その嬉々とした表情に無垢という名の狂気を孕んでいるように感じ、ルムは喉の渇きを覚える。一体何に彼女がそこまで喜んでいるのか、全く理解できなかった。
「わたしも自分のオモチャが欲しい!」
バチバチと大きな火花が弾けるような音がする。光こそ見えないが、大きなエネルギーが【魔女】の周囲に集まっていることは確かだった。
ルムは立て膝で銃を構え直した。構えながら未だに横で呆然としているモディに向かって叫ぶ。
「早く立て! 立ってサンダーのところに逃げろ!」
「オモチャは黙ってて!」
バチィッと弾ける音と共に、巨大なエネルギーを体に受けた。息が止まる。ルムの体は巨大な鞭に薙ぎ払われるように宙を舞った。
「ルムちゃん!」
モディは体を起こし手を伸ばしたが、落ちていくルムに届かなかった。ドポンという音と水柱を立て、ルムの姿は池の中に消えた。
「ルムちゃん!」
「待って、あなたはわたしのオモチャになるの」
立ち上がりかけたモディの周囲を青白い光が囲う。立ち上がっても彼女の背丈ほど高さはあり、どんなに動こうとついてきてその光の中から抜けられない。
「い……いや……」
「アマテラスもこうやって自分のオモチャを作ってたんだもん。わたしだって欲しい。これくらいいいでしょ?」
【魔女】は心から嬉しそうに顔を綻ばせている。
その瞬間。
真っ黒な弾丸が【魔女】の頭を掠めた。帽子についていた角のモチーフが砕ける。同時にモディを囲っている青白い光のボールが弾け消えた。
「小賢しいんだよくそガキが!」
池から上半身だけが出ているルムが髪から水を滴らせ銃を構えている。肩で荒い息をしながら睨みつけ、怒鳴りつけた。
「モディ、大丈夫ですか? 貴方はサンダーのところに逃げて下さい!」
「でもルムちゃん……」
「【魔女】を討つのが騎士の役目だ! 何があったって……人間は守る!」
モディはルムの怒声に圧倒されたのか、体を固くして立ち尽くしている。
「ずいぶん強気なことを言うのね、オモチャなのに」
ルムは池から出ず、深呼吸しながらも静かに銃を構え【魔女】に照準を合わせる。対する【魔女】はまた右手にエネルギーを溜め始めた。
何て楽しそうな顔をしているんだ──ルムは【魔女】を見ながら、その身勝手さに怒りが湧く。ヒトが持ち得ない力を振るい、ヒトを翻弄する。それが、どうしても許せない!
あの電撃を池の水に当てられたら最後……自分は感電死する。全身が濡れているのに喉は渇く。唾を飲み込む。
でももう大丈夫。
『グルゥァァァアアアアアアアッ!』
木々の間から獣の咆哮が轟く。
【魔女】がその声の発生源を向く。向いて。そして。
小さな体が吹き飛んだ。
青き怪物が丸太の如き腕を振るい、【魔女】の体をまともに捉えた。
【魔女】は吹き飛んだだけじゃ飽き足らず、地面を抉りながら何メートルも滑っていく。木の根に背を強か打ち付けようやく止まった。彼女はよろよろと上体を起こす。ルムは銃を構え、怪物は地面に手をつき突進の体勢に入る。
しかし【魔女】は木の根本でしゃがみ込んだままプルプルと震えていた。
「な……何で何で何で! あんな化け物がいるなんて言ってなかったじゃない! やだもう! 帰るぅ!」
涙声で叫んだ次の瞬間、【魔女】の姿は蛍光グリーンの靄となって消えた。
「去った……のか?」
ルムの肩から自然に力が抜けていった。もうあの不安や恐怖はない。【魔女】の気配はこの池の周辺から消えていた。
***
ルムは水を掻いて岸まで戻ってきた。怪物はルムが自力で陸に上がるのを待ち切れず、彼女の体を鷲掴みにして水から掬い出した。そして怪物の姿でルムを抱き締める。怪物の硬く冷たい肌の感触の下の激しい鼓動を感じた。彼に心配かけたんだ、と思った。
怪物の肩越しからモディを見てみると、数ヶ月前に見たフリッツのように地面にへたり込み怯えた目を怪物に向けている。
「あ、モディさん。これは……」
ルムは何とか言い訳を考えた。
しかしその努力とか労力とかそういったものは打ち砕かれた。
「ルム!」
ルムの目の前で、背後に何も知らないモディがいるにも拘わらず怪物は人間の姿に戻った。そしてびしょ濡れのルムの体を、筋肉質の体で抱き締める。
「さ……サンダー?」
モディの呆けた声が微かに聞こえた。
怪物とサンダーが同一の存在ということをモディに知られないように誤魔化そうとしたのに、サンダー自らが台無しにしてくれた。ルムはサンダーの腕の中から逃れようともがく。




