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ボクと山脈の【魔女】1

 そこは確かに洞窟と変わりない、岩と土でできた壁に囲まれていた。

 しかし外に向かう出口は草原に繋がっておらず、途切れた足場の先には眼下に大自然のパノラマがあるばかりだ。

 すぐにそこが山肌にできた窪みだと理解した。洞窟のようだが、洞窟といえるほどの奥行きはない。窪みという方がしっくりくる。先ほどの『最果ての町と山脈を結ぶ洞窟』とは全く別の場所に一瞬で移動したということになる。

 ではそんなことを誰がやったのか。答えは明白だった。


 ルムは大パノラマから目を離し、窪みの奥へと目を遣る。彼女の目に入るのは、足下に転がる使い魔二匹を見下ろしている柿渋色のローブを身に纏う中年男だ。


──この男が指を鳴らしたと同時に移動した……魔法ってことか?


 だがルムには(おそらくサンダーもだと思うが)信じられなかった。【魔女】と言うからには『女』だと信じていた【魔女】が、『男』だったことに。

 他に【魔女】と言えそうな女がいるのではないかと思い探したが、それほど深くないこの窪みにはルム以外の女の姿はなかった。


 この窪みのちょうど中央辺りに小さな円卓が置いてあり、それを囲うように椅子が三つ並んでいる。奥には木製だが仰々しい重厚なドアが三つ、土の壁に直接埋め込まれている。そしてこれら以外、置いてあるものがない。彼らがどうやって暮らしているのか想像がつかないほど全く生活感が感じられない。


 中年男は再びローブから右手だけを出し、再び指を鳴らす。パチンという音が窪みにこだまする。さっきは気付かなかったが、その男はローブの下の着衣は濃紺の作務衣だった。

 男の鳴らした音と同時に、横たわっていた使い魔達がゆっくりと体を起こす。彼らはその場で座り込んで自分の体を見たり、腕を回すなどしている。負った傷を癒したということはすぐにわかった。ボコボコに殴られて腫れていた【獣脚】の顔がすっかり元通りの甘いマスクに戻っていたからだ。【獣脚】は傍に立つ中年男の顔を見上げて、悪戯がばれたときの子供のような顔をした。


「負けちゃった。ゴメンね、テラ」


 ルムとサンダーはすぐに身構えた。再び一戦交えるかもしれない。そうなったら勝ち目はない。向こうは傷が癒えたのに対し、こちらは満身創痍なのだ。

 【獣脚】はルムと目が合った。彼はひどく驚いた顔をしたが、一瞬何かを考えたような顔に変わり、そして立ち上がると円卓の椅子に着いた。【有翼】も同様だった。

 サンダーがルムの前に庇う様に立つと、それを見た【獣脚】が溜息を吐いた。


「別にもう襲わないよ。テラが自分から住処に招き入れたんだもん。君達に何か用か興味かがあるんでしょ」


 ティーポットからカップへ紅茶を注ぎながら【獣脚】が言った。何もなかったはずの円卓の上はいつの間にかティータイムの準備が整っていた。使い魔達からは敵意が失せ、すっかりリラックスしている。

 使い魔達が襲いかかってくる、という憂いはひとまずなくなった。先ほどから【獣脚】が「テラ」と呼んでいる不機嫌そうな中年男を見た。


「貴方が【魔女】ですか?」


 ルムは単刀直入に訊いた。疑問形だが、目の前でいくつも「超常」を見せつけられたルムは彼が【魔女】だと確信を持っていた。

 しかしテラという【魔女】は黙って肯定も否定もしない。ある意味ではそれ自体が答えなような気がした。彼を【魔女】とすると、抑え切れない思いが口を衝いて出る。


「ボクの『女の姿になる』呪いを、彼の『故郷を消された』呪いを、今すぐ解いてください!」


 気が付けば声を張り上げていた。相手は世界中を恐怖させる【魔女】だ。人の性別もいじれる能力もある。国ひとつを消失させる力もある。粗相があれば人間の一人くらい消し飛ばすなんて余裕だ。だからこそ慎重に接しなければいけないと十分にわかっていたはずなのに。

 やはり自分の全てを狂わせた張本人を前に、冷静でなんていられなかった。張り上げた声の語尾なんかほとんど裏返っていた。サンダーがルムの後ろから彼女を柔らかく抱き締める。いつだって盾になる準備はできている、と言わんばかりに。

 テラはこれみよがしに大きく溜息を吐いた。明らかに見下された。それは理解できた。

 だがここで下手な行動を起こして【魔女】の勘気に触れて死んでしまったら意味がない。ルムもサンダーもそれをわかっているように黙ってその視線を受け入れる。


「お前達にとって【魔女】とは何だ?」


 【魔女】が初めてルム達に向けて言葉を発した。その低くてハスキーな声を聞き、ルムは首を傾げた。


──あれ? この声、どこかで……


 テラの質問はルムの言葉とは全く関係がない。どうしてその質問に繋がったのかも、彼の言うことの意味も全く理解できない。ルムとサンダーはテラの顔を見た。


──『【魔女】とは何だ』って……。【魔女】は自分のことだろう? こいつはボク達に何と答えてほしいんだ?


 ルムもサンダーもテラの問いに答えられずにいた。二人をまっすぐに見据えながら、テラは口を開いた。


「【魔女】とは魔力を使い超常を起こす『人間ではない存在』を指す。【魔女】など符号にすぎない」


 答えられない二人を見かねたのか、テラはさっさと答えを告げた。

 しかし告げられた答えはますますルムを混乱させた。


「それが何なんですか? それがボク達にかけられた『呪い』と何か関係があるんですか?」


「【魔女】は儂のみを指すわけではない。『魔力を使い超常を起こす人間ではない存在』全般を指す。ここまで言わないとわからないか?」


「まさかと思うが」


 ようやくサンダーが口を開いた。ただその声は事の深刻さに驚愕するようにやや震えていた。


「【魔女】は貴方ひとりではないと?」


「そうだ。そして『呪い』はかけた本人のみに解ける。儂ではどうすることもできん」


 テラは不機嫌そうだが、言い切った様はいっそ清々しい。彼の答えは『絶望』そのものだった。


「何……だって……? 呪いをかけたのは貴方じゃない? じゃあこの三ヶ月以上の間ボクがやってきたことは何だったんだ! 呪いを解くために『山脈の魔女』に会うことだけを目指してきたのに!」


「ルム……!」


 戦いの傷も忘れて暴れた。サンダーが後ろから抱き止めるのも構わず腕を振り回し体を捩る。


「うわあぁぁ……あぁ……」


 ルムは耐え切れずその場で泣き崩れた。

 ここに来れば全てが元通りになると信じてきた。

 しかし自分が信じてやってきたことが実は何の意味もなかった。

 こんな酷い話があるか? そう思うと悔しくて切なくて、振り切れた感情が制御できない。


 サンダーは何も言わずルムを抱き締める。絶望に打ちひしがれて震える体を優しく包み込んだ。

 だけどその逞しい腕も小刻みに震えている。彼だって悔しくない訳ではない。今、思いを分かち合えるのは彼だけなんだとルムは絶望の中で一層彼を愛しく感じた。


***


 少し冷静になると、「山脈に来れば呪いが解ける」ということ以外に信じていたことがもう一つ否定されたことに気が付いた。

 それは「人々が恐れおののいているのはたった一人の【魔女】」という現実だ。

 【魔女】はこの世にたった一人しか存在しない、そう信じて暮らしてきた。ルムやサンダーだけではない。この世界に住む人々は皆そう信じて生きている。自分達も含めたこの世界の住人は「山脈に棲まう【魔女】」を恐れ、決して会うことのない【魔女】の機嫌を損ねぬようにと暮らしている。

 しかし実際には、もしかしたらこの山脈のような【魔女】の領域に踏み込んだことがあるかもしれないし、それどころか町で【魔女】とすれ違ったことさえあるかもしれない。目の前の【魔女】は、つまりそう言うことをいっているのだ。


「言い逃れするための嘘でしょう?」


 やはりテラの告げたことが信じられず、ルムはテラが言い逃れしているように思えた。いや、そう思わずには自分を保っていられる自信がなかった。テラは彼女を一瞥した。

 だがテラではなく【獣脚】が代わりに答える。


「テラがさー、人間ごときに言い逃れする訳ないじゃん。自分の方が明らかに強いんだし、ビビって嘘吐いたり隠したりなんてしないよ」


 その口調に若干の苛立ちが含まれている。サンダーはルムの肩を抱き自分の体に引き寄せた。【魔女】や使い魔の反感を買っても仕方ないだろう、と無言の圧をかけられたように感じる。


「わかった。それはそうとして、では『誰が』俺達に呪いをかけたのか、という話になるな」


「貴方以外の他の【魔女】なんですか?」


「奴らは儂を隠れ蓑に好き勝手やっている。全く目障りだ」


 テラは実に忌々しそうに吐き捨てた。


「隠れ蓑って……」


「実際そうでしょ?」


 再び【獣脚】が口を挟んだ。


「現に君達がそうだったでしょ。『【魔女】に呪いをかけられた』って、単純にテラのせいだと思ってここに来た。人間は何か理解のできない現象を目の当たりにすると、全て『山脈の魔女』のせいにする。他の【魔女】が何をやったって全部テラのせいになるんだもん。そりゃ奴らは好き放題できるさ」


「つまりだ……俺達の呪いは他の【魔女】が『好き勝手』や『好き放題』にやった結果なのか?」


「その通りだ」


 サンダーは俄に信じられないといった表情で溜息を吐いた。


「貴方の指図で他の【魔女】がやった、なんてことはないんですか?」


 ルムの言い掛かりにも近い質問にもテラはまるで堪えない。不機嫌そうではあるが、ある一定以上の不機嫌さを見せることは今のところない。


「【魔女】は群れない。それに儂が人間に呪いをかけたところで儂には何の得もない」


 ルムは口を噤んだ。こうも何の情けもなくきっぱり言い切られるとさほどいい気はしない。


「さて、お前達はその『呪い』の解き方を知りたいのだろう? 方法は別段何の捻りもない」


 いきなりテラが核心部分を話し始めるので、ルムは慌てて彼の声に耳をそばだてた。


「呪いの解き方は二つ。呪いをかけた張本人の【魔女】に解かせるか、そいつを殺すかのどちらかだ」


「は……?」


 テラの言う方法の、一つ目は理解できた。自分達はそのつもりで(結果としては人違いであったが)この山脈に来たのだ。

 しかし二つ目は思いもよらなかった。


──人の手で、【魔女】を殺す?


 いくら【魔女】に対する最前線の軍勢『騎士団』出身のルムでも、そこまで考えるには至らなかった。口では【魔女】を討ち果たすと言っているが、【魔女】とは手の届くはずのない存在で、退けることはあっても討ち取るなど現実にすることは想定されない。(だがここで【魔女】を討ち取るわけでもない『騎士団』の存在意義を問う声は上がらない。『騎士団』とはいるだけで【魔女】の脅威から逃れられるという人々の御守りであり、有事の際に【魔女】に対抗できるのは『騎士団』だけだと自他共に認めているのだ)


「待って下さい。【魔女】を殺すなんて、人間にできると思っているんですか?」


「人間は何か勘違いしている」


 テラはしれっと言い放った。


「【魔女】など強い魔力を持っただけの生物だ。生物は果てる命を持つ。【魔女】とてそのことわりからは逃れられない。特別な術や法具はいらん。人が獣を屠るように【魔女】を屠ればよい」


 理屈はわかった。「人の武器は通じる」とテラは言いたいのだろう。つまり【魔女】は不死身ではなく、人間と同じように凶刃や凶弾に倒れる。 

 だが人の身で【魔女】に襲撃ができるのか? 魔法を自在に操る【魔女】に、人の作った武器が届くのか?


「未知数過ぎます……」


 素直な気持ちが思わず口を衝いて出た。


「話し合って呪いを解かせるならば倒す必要はない。問題は俺達に呪いをかけた【魔女】が誰なのか、だ。貴方ではわからないか?」


 今度はサンダーがテラに尋ねた。テラは憮然とした表情のままだ。


「儂が知るか。呪いを解きたいなら自分で探せ」


 結局は自力で探すしかない、という結論だった。


***


「あっ!」


 突然ルムが声を張り上げた。


「どうした?」


「今、思い出しました」


 ルムはサンダーの腕を振り解き、テラの元へ小走りで駆け寄りローブを摘んだ。


「貴方、前ボクに『石を壊せ』って指図しませんでした?」


 テラはルムのことを見下ろしながらふんと鼻を鳴らした。


「あの時のことか」


「あの時とは何だ? 会ったことがあるのか?」


 ルムの言ったことが自分にはわからないのにテラには通じているのが面白くないのか、サンダーの声に不愉快さが滲み出ている。あの時のことをサンダーには言っていなかったと思い出した。


「サンダーが人の姿に戻れなかったときにボクが石を撃って壊したじゃないですか。あれ、実は『石を壊せ』って声が頭の中に聞こえたからなんです。それが誰の声か全くわからなかったし、そんなことも忘れてたんですが……」


 そこまで言うとルムは再びテラの顔を見た。


「あれを言ったのって、貴方だったんですか?」


 ここに来て、テラの声を聞いてからずっと引っかかっているものがあった。会ったはずなんてある訳ないのに、どこかで聞いたようなと思い出せそうで思い出せなかった。そこで思い出したのがあの「石を壊せ」という声だった。


「どうしてあのとき、ボク達のことを助けてくれたんですか?」


「儂の目の届く範囲に他の【魔女】の気配と『魔法を使った痕跡』があった。それが気に食わん」


 テラは苦虫を噛み潰したような顔をしている。


──気に食わないって……助けてくれたんじゃないのか。自分勝手だな!


 【魔女】とはいかに勝手かとよくよく思い知らされた。


「わかりました。結果的には助かったんでありがとうございました。ところであの石は何だったんでしょうか? 呪いとは結局何なんでしょう」


「あの『石』は【魔女】がかけた呪いをコントロールする為に対象に残しておくものだ」


「石そのものが呪いの正体ではないんですよね」


 テラはサンダーを一瞥した。


「あの男の呪いで例えると、『自分の意志で怪物の姿に変化すること』という呪いを体にかけられた。だが石のある間は変化を解くことが不可能だった。それは呪いをかけた【魔女】が『元の姿に戻れない』という呪縛を籠めた石をあの男に添えていたからだ」


「あぁ……」


 おおかたルムが想定していたことではあった。サンダーとおさげの少女に呪いをかけた【魔女】は同一なのだろうか? などとも考えた。


***


 自分のローブを摘んだまま思案顔のルムをテラは眉を顰めて凝視している。その視線があまりにも強烈で、サンダーは一抹の不安に駆られた。


「ルム」


「娘、お前だけついて来い」


 サンダーの呼びかけを打ち消すようにテラがルムに話しかけた。テラは言うなり踵を返し、窪みの奥の方へと歩いていく。ルムもまたテラの後を追って奥へと歩き始めた。

 彼女の足取りはフラフラとしていて、まるで自分の意志ではなく誘われるように歩いているように見える。


「ルム!」


 サンダーは追いかけようと一歩踏み出した。テラは顔だけ振り返り、横目でサンダーを見ると指を鳴らした。すると緊張が走ったように全身が強張り、足が動かなくなる。一歩も進めない。

 そしてルムはテラの後を追って、奥の三つ並んだ扉の右端のそれの中へと入っていった。バタンと扉の閉まる重い音がし、それっきり静かになった。

 同時に金縛りの解けたサンダーがその扉まで駆けつけノブを捻ったが、施錠されているのかびくともしない。拳で扉を叩いてみても反発が重く、音も低い。扉は厚く頑丈であることは理解できた。怪物になれば壊せるんじゃないかと、瞼を閉じて念じる。


「テラは自分の手で人間に危害は加えないよ」


 直後に聞こえた【獣脚】の声で集中が途切れた。睨みつけるように振り返ると、円卓で【獣脚】が手招きをしていた。


「テラにとってどうでもいい人間は俺らが排除するし、排除されないってことは少なくともテラは君達に興味を示している。興味を示した人間に危害は加えないって」


 そう言いながら【獣脚】はもう一つ空いているティーカップに紅茶を注ぎ、円卓の空いているスペースに置いた。その傍らで【有翼】は右肩から生えている獣の尾を器用にカップの取っ手に巻き付けて紅茶を口に運んでいる。


「落ち着いて。お茶でも飲みなよ」

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