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ボクと小鬼達2

 あのゴブリン達が追いかけてくる気配は一時間経った今でも感じない。ついてきているのはフリッツの友人のゴブリンだけだ。

 しかしその彼らもついに足を止めた。


「キー」


 ゴブリン達は力なく鳴いた。そしてその場から一歩も先に進むことはなく立ち尽くしている。


「どうしたんですか?」


 ゴブリン達はモジモジしているように見えた。何だかユーを思い出した。


「他のゴブリン達が追ってこないのも含めて考えると、彼らはこれよりも先には行きたくないのかもしれないな」


 そうかもしれない、とルムはサンダーの意見に同調した。彼らはこの先にいるであろう【砦】に無惨に命を絶たれたからこそこんな姿になってしまった。【砦】に恐怖心を抱き、近付きたくなくなっても無理はない。ということは出口も近いはずだ。


「ここまで来てくれてありがとうございます」


 ルムがゴブリン達に謝辞を述べると、ゴブリン達もその場でキーキー鳴いた。


***


 ゴブリンと別れてからさらに一時間ほど進むと、前方にふんわりと白く光る穴が見えた。


「あれは出口でしょうか?」


「そうかもしれない」


 サンダーはまた怪物に変化した。その傍らでルムも『念導銃』を引き金に指を添え構える。二人は岩肌の壁伝いに前進し、光へと近付く。この先に【砦】が待ち構えると思うと、否応なしに緊張が高まる。

 しかし光に近付けば近付くほど、そこがまだ洞窟の延長であることに気が付く。


 異様な空間だった。


 一つの間のように、ぽっかりとドーム上に空間が広がっている。天井に穴など無く光が射し込んでくる訳がないのに空間全体が薄明るく、照明が無くても何があるのかわかるくらいだ。

 「間」に踏み込んだルムは間近に視線を感じた。視線の方向は左から。その視線は敵意に満ちて、自分の首筋にナイフを当てられているような緊張と恐怖を感じる。『念導銃』を構え視線の方向に思い切り振り向いた。


 そこには自分と同じように銃を構える女がいた。距離にして二メートル弱。これだけ敵意剥き出しの人間が近くにいたら自分はおろか怪物のサンダーが気付かないはずがない。


──いつの間にこんな近付かれたんだ!


 背筋が凍った。『念導銃』の引き金に添えた指が震える。

 だが目の前の銃を構えた女もその表情が恐怖に歪んでいた。何かに恐れ、動揺を隠せない顔……つまり、自分だった。


「何……、これ? 鏡ですか?」


 近付いてみると何の変哲もない鏡だ。今まで通ってきた通路の岩肌の壁と違い、この「間」の壁全体が鏡面になっている。壁だけでなかった。床もだ。上を見てみると、垂れ下がる鍾乳石さえもその表面は鏡であるように見えた。


「ふふっ……」


 背後から抑えた笑い声が聞こえた。振り返ると人の姿に戻ったサンダーが口と腹を手で押さえて肩を震わせている。ルムの頭に血が上る。


「仕方ないじゃないですか! こんなふうになっているなんて知らなかったんですから!」


「そうだな、ルムは最大級の警戒をしていた。何の疑いもなく飛び込むような向こう見ずじゃなくて良かった」


「馬鹿にしてます?」


 ルムは顔を真っ赤にしながらも怒りを抑えて言った。サンダーはここに敵がいないことに気付いていたはずだ。それをわかっていて自分の滑稽な行動を見ていた。それを教えてくれればこんな恥ずかしいことはしなかったのに、と腹が立った。


「してないしてない。ここはちょうどよく明るいし、床も真っ平らな鏡だ。寝そべるにはちょうどいい。ここをキャンプ地としよう」


 サンダーがナップザックから必要なものを取り出していく。(あの騒動の中手放さなかったのが不思議だ)

 ルムはその姿を横目に壁伝いに歩き、「間」の中を散策した。変わったものもなく敵らしきものもいない。


「誰がこんなふうに作ったのか知らないけど趣味が悪い……。【魔女】に会う前に身だしなみを整えろとでも言うんですかね?」


 ルムは鏡に映る目の前の女を無言で睨みつけた。


***


「ルム?」


 自分のすぐ側にいるものだと思ったが、ルムの姿が見えない。手を止め慌てて周りを見渡すと、少し離れた場所で壁に手をついて微動だにしない彼女の姿が見えた。ナップザックを床に置き、サンダーはルムの背後から近付く。


「どうした?」


「いえ」


 声をかけても振り向かず、一言返しただけでルムは黙った。彼女の視線は目の前の可憐な少女……鏡に映る自分の姿に固定されている。憎しみの籠もった冷ややかな目をしている。


「自分の愛らしさに見惚れていたのか?」


「まさか。その逆ですよ」


 サンダーのジョークをルムは切って捨てた。


「この姿が不要なトラブルを引き起こすんですから、好きになれる訳ありません」


「トラブル?」


「男に襲われたり、女に嫉妬されたり。この姿になってから碌なことが起きてません」


 ルムは目を閉じて鏡の壁に額を一度ぶつけた。サンダーはルムの隣に立つと、彼女がしていたように鏡に右手で触れた。

 そして念じた。


***


 ルムの頬を柔らかい風が撫でた。横を見ると、隣に青い肌を持つ怪物が立っていた。大きく鋭い爪を持つ手で鏡に触れている。鏡の表面は滑らかで怪物の鋭い爪さえも受け付けない。何度も爪が滑り手の位置が定まらない。


「サンダー?」


『グワゥ……』


 怪物は鏡を覗き込んでまじまじと自分の姿を見ては首を捻っていた。そして怪物は人の姿に戻った。


「醜いな」


 人の姿に戻ったサンダーの開口一番はそれだった。


「呪いをかけられてから、化け物の姿をしっかり見たことはなかった」


「なかったんですか?」


「あいつらが気を遣ってアジトから鏡という鏡を外したからな。全体を見ることは今までなかった」


 サンダーは小さく溜息を吐いた。


「今改めて呪われた自分の姿を見て、ルムの気持ちが分かった。悪いものではないなんて軽々しく言えないな」


「え……」


「すまない」


 サンダーは少し辛そうに呟いた。ルムは首を振った。


「貴方は『お前のその体は苦痛だけじゃなく喜びも感じられる』って言ってくれたじゃないですか……。それを今更……否定するようなことを……っ」


 ルムはサンダーにそう言われたとき、嬉しかった。救われた気がした。だからこそ彼の愛撫をはねのけなかった。


「貴方言いましたよね? 化け物の姿でもボクのことを感じられるって。それならそれでいいじゃないですか」


 サンダーは申し訳なさそうな表情のままだ。


「ボクは貴方を醜いなんて思っていません! そんな顔をしないで下さい! 呪われた自分を、嫌悪しないで下さいっ!」


 気が付くと自分のことを棚に上げて叫んでいた。

 今自分が女になった自分の姿を憎んでいるのは確かだ。それでもそれだけに囚われず心穏やかに過ごす時間が増えていたのは、間違いなくサンダーの「呪いに対する前向きな態度」のおかげだった。

 しかしそれが今、根幹から崩れそうになっている。サンダーの自信が揺らいでいるように感じた。自分を救ってくれたものが、消えてなくなりそうになっている。

 ルムはサンダーの胸に飛びつき、首に腕を回した。そのまま彼を引き寄せ唇を重ねる。


「呪われた貴方が救ったボクのことをちゃんと見て下さい……」


 精一杯の言葉だった。ルムは俯き、サンダーの胸に顔を押しつけた。


「……ルムは優しいな」


 そう言ってサンダーはルムの細い肩を抱き締めた。


──優しい? ううん、ボクは狡い。


 この行動は、言葉は、消えてしまいそうな自分の救いを何とか留めるためのものだ。

 サンダーが自分の姿を見て「醜い」と落胆していることを受け入れて慰めるよりも、自分が望む彼の姿を押しつけて自分を安心させようとしている。本音を受け入れてくれた方が嬉しいと、わかっているのに。


「ルムは……怪物の俺の姿を拒否しないのか?」


「しないことくらいわかっているでしょう」


「そうか、俺もだ。俺も今のルムを拒否する理由はない。呪いを受けた姿だって愛してる」


 サンダーはますます強くルムを抱き締めた。


「ありがとう」


 本当に嬉しそうに呟いた。

 ルムの目に涙が浮かぶ。自分勝手な理由を並び立てて彼を無理矢理納得させただけなのに、お礼を言われるなんて。


「ごめんなさい」


「……謝る理由なんかないだろう?」


「ボクは貴方に優しくない。自分勝手です」


「俺だって。お前の気持ちも知らずに弱音を吐いて……。失望したか?」


 ルムは首を横に激しく振った。サンダーはルムの頭を優しく撫でた。何が自分勝手かは問わなかった。そして満面の笑みをルムに向けた。


「ルムが俺のどこを好いているのか、俺がどれだけルムのことを救えたのか、今初めて知ることができた。それがすごく嬉しいんだ。それだけで俺はルムに救われる……。俺に気を遣って気に病むことはない。今のままでいてくれ」


 サンダーはルムの頭や肩を撫でて、さらに言葉を続けた。


「思い返せば、ルムが危険な目に遭っているときにお前を助けてきたのはあの『怪物』だ。お前が構わないと言ってくれるなら、お前を助けられるなら俺は『怪物』でも構わない」


 サンダーはルムに顔を近付け、彼女の口を自らの口で塞いだ。深く重ねたそれは熱を帯びていく。息継ぎをすることなく、ただただ時間が過ぎていく。


「ふぅ……んっ……!」


 流石にその長さに戸惑いを感じ、ルムはサンダーを押しのけようと彼の厚い胸板を両手で目一杯押した。

 だが離れない。離してくれない。全身から力が抜け、ルムは膝から崩れ落ちた。サンダーに背を支えられながらゆっくりと床に座り込む。


「その姿でしなくてもいい苦労をしたようだが、そうならないよう俺が盾になる。もう嫌悪しなくていい。何より……俺に抱かれているときのお前は美しかった」


「へ?」


「それを知ってほしい」


 そう言うや否や、サンダーはルムを床にうつ伏せに寝かせた。目の前には鏡の壁があり自分の姿が映っている。彼はルムの腹に腕を回し、彼女の腰を持ち上げた。


「ちょっ……こんなときにこんな所で何を始めるんですか!」


「俺と繋がっているときの顔を見てほしい」


 彼は実にきっぱりと言い切った。同時に着衣に手を掛ける。


「こ……この万年発情期が!」


***


 鏡の床の上にぐったりと寝そべるルムの足にサンダーは左手を添えた。右手には消毒液をしみこませた綿がある。それを彼女の膝や腿にある小さな傷に当てる。


「ひん……っ」


「痛いのか喘いでるのかどっちなんだ?」


 サンダーは小さく笑った。先ほどのゴブリン達との小競り合いの際に付いた傷をずいぶん放置していたな、とサンダーは申し訳なく思った。


「悪かったな、欲情の方が先に来て」


「まったくですよ」


 ルムは紅潮した頬を膨らませてそっぽを向いた。そっぽを向いたままルムはぽそっと呟いた。


「手加減は、したんですね」


「俺だって馬鹿じゃない。こんなことをしている場合かといったら、いや、本能としてはこんなことをしている場合なんだが。知っているか? 戦争に行く前の男は性欲が高まるってこと。体が子孫を残そうとするらしい」


「今その話要ります?」


 ルムは大袈裟なほど呆れた口調で言った。まだ寝そべったままのルムの額にサンダーは自分の額を当てた。


「あとは【魔女】に会うまでお預けだ。続きは全て終わってからだ」


「続きって……。ボク男に戻ってますから!」


「俺は構わないぞ」


「このバカ! 変態! ホモ王子!」


 ルムの罵声を浴びながらサンダーは起き上がり簡単な食事の準備を始めた。


***


 硬い床に置いただけの寝袋の中でもぐっすり寝てしまったのはアレのせいだろうか。目を覚ましたルムはぼんやりと高い天井を見上げた。外へ繋がるものはないので朝か夜かはわからない。幸い、あの行為はそれほど尾を引いていないようだ。


「七時だ」


 隣の寝袋で上半身を起こしたサンダーが懐中時計を見ている。


「夕べ寝袋に入ったときに時間を確認したのが八時だったから、少なくとも十一時間は経過しているはずだ。……朝か夜か確信は持てないが」


 記憶の限りこの「間」の明るさは夕べ寝る前と変わっていないような気がする。単純にこの「間」は時間に関係なく一定の明るさを保っているのか、時間により明るさが変わるもの……つまり昨晩寝た時刻と現在の時刻が同じくらいか、それは勿論わからない。


「一晩寝ていても何も起きないのは助かりましたね。夜中の間に目は覚めましたか?」


「数えるほどしか目は覚めていない。ただその間にも何も起きなかった」


 寝袋を小さく畳んで収納し、携帯食で手早く食事を取った。全ての荷物をナップザックにしまい肩に担ぐ。


「朝か夜かで取るべき行動が変わるからな……。慎重に進もう」


 再び歩き出した。


***


 前方に強い光が見えた。

 あの「間」に辿り着いたときとは比べものにならない鋭く突き刺すような光だった。その光の中に緑が確認できる。


「出口ですよ……!」


「朝で正解みたいだな」


 はやる気持ちと、【砦】に対する恐れが入り交じる不思議な気持ちだった。息を潜めて壁を背にゆっくりと出口まで進む。出口の手前で一度立ち止まる。周囲への警戒と、明かりに目を慣らすためだ。そっと顔だけ洞窟から出し、ゆっくりと辺りを見渡した。


 眼前に広がる、手つかずの大自然。フリッツから聞いていたが、自分がしてきたイメージを目の前のそれは簡単に超えてしまった。

 さほど高くはないなだらかな稜線は鮮やかな緑で彩られている。その緑は真上の蒼穹をより一層際立たせる。優しく顔を撫でる風が、草の匂いを運んでくる。洞窟の出口から山の入り口まで、小さな草原がある。そこには小さな愛らしい花が顔を出している。


──ユーの言っていた通りだ。綺麗な花が咲いてる……


 耳を澄ませば鳥の声、草の擦れる音、生命の息遣いが聞こえてくる。

 ルムはこの光景を前に惚けていた。この山は誰にも媚びず、誰の色にも染まらず、誰をも受け入れ、誰をも突き放す。誰に気を遣うでもなく好きに生きているものにこれほどの包容力があることに感動し、畏怖した。

 思わず一歩、草原へと踏み出した。


「ルム!」


「あー、まぁた性懲りもなく物騒なお客さんが来たよ」


 サンダーの呼びかける声に、別の男の声が重なった。洞窟と山の入り口の間、ちょうど草原のど真ん中に二人分の人影があった。まるで二人の来訪を予め知っていたかのように。

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