ボクと小鬼達1
洞窟に入ってから既に二時間経ったが、一向に分かれ道もなければ起伏もない。
ルムは照明用念導器を翳しながら周囲を見渡すようにその場で一回転した。ポンチョの裾がふわっと広がる。
「これだけ歩いても分かれ道がないなんて、まるで山脈に行くために掘られたトンネルのようですね」
「真偽のほどは定かじゃないが、そうなのではないかとも言われているな。フリッツの話によるとだいたい半日くらい歩けば洞窟を抜けて『魔女の棲む山脈』に着くそうだが」
ルムの問いかけにサンダーが優しい声色で返す。
『魔女の棲む山脈』へ行くための洞窟は平坦で起伏がなく、道幅も下手な町の路地よりも広い。天井も大男のサンダーが体を曲げなくてもまっすぐ立って歩けるほどの高さがある。ルムが洞窟を「山脈に行くために掘られたトンネル」と思うような要因はそこにある。
ルムはごつごつした岩の天井や壁を見回しながら歩いていた。
だがその分足下がおろそかになり、小石に蹴躓いた。体が斜めに傾く。
「ルム!」
すぐさまサンダーが手を伸ばし、ルムの腕を掴んだ。派手に転倒することは免れた。
「ありがとうございます」
「足を挫いたりはしていないか? ……それから、体は辛くないか?」
「……大丈夫ですよ。丸一日空けてから出発したんですから」
ルムはサンダーが何を言わんとしているのかわかった。あの「初めての夜」の翌朝はルムは全く動けなかったのだ。もともとその日は出発の準備時間に充てるつもりだったから良かったものの、サンダーを死ぬほど心配させたのだった。その日は初めこそ恥ずかしさのあまりサンダーの顔をまともに見られなかったが、改めてルムは彼のことを認識したのだ。「自分にとって大事な人」だと。あんな行為を経てもお互い普段通りに話せることがそれの証明になっている、とルムは思っていた。
「それならよかった。だけど洞窟に入ってから歩き通しだ。このあたりで一回休憩を取ろう」
「サンダーが疲れてるならそうしましょう」
二人はその場に腰を下ろし、ナップザックの口を開ける。この辺りの気候が乾燥している為なのか、洞窟の中はそれほどジメジメしていない。地べたに座ったら尻が湿って困るということはないのが幸いだ。地面に置いた照明用念導器が二人の一帯をぼんやりと照らす。
グラノーラを押し固めて作った携帯食を頬張りながらルムはアジトを出たときのことを思い出し、表情が緩んだ。
「どうした?」
「いえ、アジトを出るときのユーが、まるで今生の別れみたいな顔をしていたのが可笑しくて……」
「ちんちくりんはルムと同じで『魔女の棲む山脈』に入ったら生きて戻れないと思っているんだろう? 心配しているんだ。そんな風に笑ったら可哀想だ」
そう窘めるサンダーも柔らかな表情を浮かべている。
***
アジトのリビングではサンダーがゲンと荷物の最終チェックを行っていた。その傍らでユーがメソメソ泣いている。
「何を泣いているんですか。必ず戻ってくるって言ってるじゃないですか。あとでその涙返せって言われてもできませんよ」
「でもすごく危険なんでしょ? 生きて戻ってきた人達はみんな【魔女】には会ってないんだから、生きて戻ってきたら【魔女】に会ってないことになるよ? ルムは【魔女】に会えるまで戻らないでしょ?」
ルムの負けん気の強さのようなものを、ユーも察しているようだ。
だがユー自身もルムが何度も「いつ帰るかわからないから故郷に帰った方がいい」と提案しているが固辞しているあたり頑固で負けん気が強い。
「それならボクが【魔女】に会って戻ってきた最初の人間になりますよ」
ルムは小さな胸を張って答えた。その様子を見ていたトロが不満げに口を尖らせている。
「でも危ないっていうんならもっと人数割いて行くべきじゃないのか? 何で二人っきりで行くんだよ?」
「それはサンダーの配慮です。少しはわかりなさいよ」
フリッツの話を聞いたサンダーは、【砦】には数の力では勝てないと判断し最低限の人間で行くことが最も安全だと結論づけたのだ。故に他に誰一人伴わず、ルムとサンダーの【魔女】の呪いのかかった二人だけで行くことにした。
ルムは改めてユーの顔を見て「必ず戻ります」ときっぱり言った。ユーも瞳を潤ませていたが、ルムの気持ちが伝わったのだろう、強くコクリと頷いた。頷いた途端、せっかく瞳の上に留めておいた涙がこぼれ落ちる。それを見てルムは声を出して笑った。
「でもユー、次会うときはボクはもうこの姿ではありません。ですから、今のうちにどうです? おっぱい触っておきます?」
「自分の体を安売りするんじゃない」
ルムがユーに迫ると、彼女達を見ていないはずのサンダーがすかさず声を張り上げた。ユーは顔を真っ赤にして首を横にブンブン振った。
「自分でそう言うんならいいのか。じゃあちんちくりんの代わりに俺らが触っておくか」
サンダーの仲間達は、冗談混じりではあるのだろうが、五人掛かりでルムを囲んだ。
その瞬間、リビングに咆哮と破壊音を響かせ怪物が暴れ回ったのは言うまでもない。
***
わずかな休憩を終え再び歩き出した。
サンダーは一定時間ごとに自分の懐から頑丈そうなナイフを取り出し、壁の自分の頭上よりも高い位置に十字の傷を刻みつけている。ほとんど天井に近い。
「何しているんですか?」
「自分達が通った目印をつけているんだ。何かあったときに進んでいるのか戻っているのかわからなくなってしまうからな。進んでいるつもりが戻っていたらもったいないし、その逆も然りだ」
「なるほど……。それはわかりますがどうして敢えてそんな高いところに付けるんですか?」
「みんな考えてることは同じだからな」
そう言ってサンダーはルムの目線のあたりの壁を指した。目を凝らしてみると確かに壁には人為的に付けられた傷がそこいらにある。そこでルムははっとした。
「その高さには傷がないから、サンダーが今日初めて付けた傷で間違いないってことなんですね」
「そうだ。さすがに俺くらいの身長の奴が【魔女】に挑んだことはないらしい」
「【砦】もさすがに驚くんじゃないですか? 怪物に変化する大男なんて初めてに違いないですよ」
二人で笑い合った。決戦を前にしてこんなに心穏やかにいられるのはきっとこの男のおかげだろう、とルムは思う。一人で【魔女】に挑む自分の姿を今や思い浮かべることができない。
***
休憩を挟みつつ、二人はただひたすらまっすぐに続く洞窟を歩き続けた。サンダーは懐中時計の蓋を開け、時刻を確認している。
「おそらく折り返し地点だろう。もう少し進んだら今日はそこをキャンプ地に……」
最後まで言い終わらないうちに、彼の表情が険しくなった。
「どうしたんですか?」
「静かに! 耳を澄ましてみろ」
ルムは言われるままに耳を澄ましてみる。トトトトトトという小動物が駆け抜けるような足音が聞こえる。照明が届かないところを何らかの生き物が動き回っている。その音は途切れることなく聞こえてくる。ルムの額に汗が浮かぶ。
──何だこの足音は?
思わず唾を飲み込んだ。隣に立つサンダーも眉間に皺を深く刻んでいる。サンダーはそっと手を伸ばし、ルムの肩を抱いて引き寄せた。聞こえてくる足音自体は可愛らしいものだ。
だが数が増えてきている。足音らしきものはトトトからザザザとノイズに変貌していた。そしてついには耳を澄まさなくても足音が迫り来るのがわかるようになった。さざ波のような寄せては引くが決して絶えない静かな音が。
自分達の進むべき方向に、明らかに生き物がいる。もしかしたら生きていないかもしれない。ザワザワという音が地面を伝い足から上る。不吉な音がまるで脊髄を刺激するように背筋がゾクゾクとする。サンダーはルムの肩から自分の手を離すと、素早く上着を脱いだ。そして間髪入れずあの青い怪物を呼び出す。
『グゥウォォォォォォォ!』
叫びながら怪物は照明用念導器を前方に向かって力一杯投げつけた。明かりは猛スピードで足音のする方向を照らしていく。通り過ぎていく明かりは、行く手を塞ぐ小さき者の姿を照らし出していった。
「キーッ!」
同時に今まで聞いたことのない金切り声が、そちらの方向から上がる。
「何だあれは……!」
ルムは一歩、二歩と後退し怪物の肩に触れた。明かりに映し出された足音の主は、身長がルムの膝の高さくらいであろう醜い二本足の生き物だった。そして何よりもその数に驚いた。前方の通路を塞いでいるそいつらは百匹はくだらない。
──絵本に出てくるゴブリンそっくりだ。まさか現実にいるなんて。これも【魔女】の使い魔なのか?
ルムは前方の生き物を凝視したまま、答えの出ない疑問に囚われた。
『ガゥッ!』
怪物の声が、固まっていた頭と体を動かした。我に返ったルムはポンチョから『念導銃』を取り出し構えた。
「キ、キー」
「キー」
おそらくゴブリンであろう生き物達は、ルムの『念導銃』にもサンダーの怪物の姿にも怯んだ様子を見せず近付いてくる。彼らは飛び跳ね、ルムとサンダーに飛びついた。小さくも鋭い爪が剥き出しのルムの膝や腿を引っかいた。
「痛いなぁ! 離れろ!」
小さな集団に向け銃口を向け引き金を引いた。ガァンという音に一瞬遅れて金切り声が聞こえ、小さな生き物が三、四体吹き飛んだ。地面に倒れたそいつらは起き上がることはなかった。
──不死ではない……。倒せるには倒せるんだ。だけど数が多い
隣ではサンダーも吼えながら腕を振り、小さな彼らを殴り飛ばし引き裂いている。
だが彼らは同胞がやられようと怒りを見せることも、あるいは死を恐れて逃げ出すこともしない。ひたすらに甲高い鳴き声を上げ、ルムとサンダーに先を争うように飛びつく。
蹴散らして進もうかと考えたが、まずは目の前の膨大なゴブリンをどうにかしなければならない。どこから湧いてくるのか、視界の限りゴブリンの群で地面が覆われている。これがこの先どこまで続いているのか、ルムには見当がつかなかった。
このままでは体力が持たない。そう感じたときに、体を怪物の大きな手で体を鷲掴みにされた。そのままひょいと怪物の頭の高さまで持ち上げられると、怪物の肩に座る形となった。
『ガゥッ!』
怪物は一つ吼えて大きく三歩飛び退いた。ゴブリン達の群を飛び越え、来た道を少し戻った。これならゴブリンに背後を取られることはない。ルムを地面に降ろすと、怪物はいったん変化を解いた。そのサンダーの顔はルムが感じている焦りや動揺よりはるかに憔悴しているように見えた。
「……彼らは、どうやらこの山脈で散った者の魂を持っているようだ。怪物の耳には彼らの声が『聴こえた』」
「どういうことですか!」
ルムはもう一度ゴブリンの群をみた。
──人間がゴブリンに? サンダーと同じなのか? でも「散った者」ということは亡者のはずだ
サンダーは小さく首を振った。
「彼らに悪意はない。己が死んだことも理解している。だけど辛くて悲しくて、生きている俺達に何とかしてもらいたい……、言葉になっているわけじゃないがそういう気持ちが伝わってきた」
彼らがどうしてあんな姿になってしまったのか。理屈はわからない。わかることは悲しい気持ちを抱えて、誰かにどうにかしてほしくて訴えていることだけだった。
だが自分達に何ができるのか。できたとしても数が多すぎて彼らの訴えをすべて聞き入れることなんて不可能だ。ルムは構えていた『念導銃』の銃口を下ろした。
「もう一度あの怪物になる。そうしたら俺の背にしっかりつかまれ。一気に駆け抜けるぞ」
あのゴブリンの群がどこまで続いているのかわからない中、怪物とはいえサンダーを走らせ続ければ体力を大きく削るだろう。【砦】との遭遇の前に、いや、洞窟内で起きるかもしれない別のトラブルの前にサンダーを疲れさせるのは嫌だった。
しかし事態はそうも言ってられない。飛び退き遠ざけたはずのゴブリンの群がまた自分達に近付いてきていた。
ルムの返答を待たず、サンダーは再び風を纏い青い怪物に変わった。ルムは自身を落ち着けるように大きく息を吐き、怪物の背に上る。
「この中にもしかしたらフリッツさんの仲間もいるのかもしれませんね」
それは当然行き着く考えを何気なく口にしただけだった。そのときだった。
「キー」
群れの中に、十匹ほど高く跳ね上がるゴブリンがいた。そいつらは他のゴブリンを出し抜くようにルム達の方へ駆け寄ってくる。
「ひっ!」
ルムは思わず怪物の肩越しに『念導銃』を構えた。
しかし駆け寄ってきた十匹余りのゴブリン達は怪物の足下でピョンピョン跳ねながらキーキー鳴いている。そしてゴブリン達は怪物の腕、肩、背によじ登り始めた。
「何なんだお前達は!」
ルムが鬣にしがみつくゴブリンを払い落とそうとしたときだった。
『ガァァァァァッ!』
怪物が咆哮を上げ、駆け出した。体がぐらりと揺れ、ルムはゴブリンを払おうとした手を怪物の首に掛け直した。
「サンダー! ゴブリンにくっつかれてること、気付いていないんですか?」
それでも怪物はゴブリンの群に突入する。ゴブリンの群を撥ね飛ばし怪物は奥へと突進する。
「キー!」
ゴブリンがジャンプして怪物の体にしがみつくと伝って登り、ルムの目の前に辿り着いた。ルムは猛スピードで走る怪物にしがみつくのが精一杯で、そいつを払い落とすことが出来ない。
「キーッ!」
別のゴブリンが、ルムの目の前に現れたゴブリンを叩き落とした。
「え?」
ルムは目を疑った。先にしがみついてきたゴブリン達が、後から飛びついてくるゴブリン達を振り落としている。
「キー」
ゴブリンが怪物の右肩に掛かっているナップザックに手をかけ、中を漁ろうとしている。中には洞窟を抜けるために必要な道具が入っている。何か一つでも奪われたらこの先苦しくなる。
「荷物に触るな!」
「キキーッ!」
ルムの怒声と同時に別のゴブリンがナップザックを漁ろうとしたゴブリンを引き離し、放り投げた。
──え、何なんだこいつらは? まるでボク達のことを助けてるみたいじゃないか
ルムは怪物の体につかまるゴブリン達の様子を観察した。ゴブリン達は怪物の手足にまとわりついてくる別のゴブリン達を引き剥がし、怪物の突破を援護しているように見えた。
***
いったいどれくらい走ったのかわからないが、やがてゴブリン達の鳴き声は聞こえなくなった。怪物は足を止めた。ルムは背を滑り落ちるように地面へと降りた。
しかし尻餅をついてその場にへたり込む。足に力が入らず立ち上がれなかった。
「さすがに疲れたか? 俺もだ」
いつの間にか人の姿に戻っていたサンダーはルムの横にしゃがみ込んだ。彼の言う通りだ。疲れて脱力していた。振り落とされないように必死だったし、緊張もあった。
「キー」「キー」
その場にいるゴブリンは、突破を援護してくれた一団だった。座り込む彼女達に襲いかかる素振りは見せない。その正体には薄々感づいていた。
「貴方達と一緒に山脈に来た人の名前、『フリッツ』と言いませんか?」
「キ・キ・キュー」
「キ・キッ・キュ」
ゴブリン達はその場で高くピョンピョンと弾んでいる。彼らが何と言っているのかは全くわからない。
「貴方達は恨んでいないのですか? 彼一人だけ生き延びていることを」
するとゴブリン達はジャンプを止め、やや首を動かした。首を横に振り、力なくキーキー鳴く声は「それは違う」と訴えているように思えた。ルムは彼らがフリッツの友人だと確信した。
「サンダーは気付いていたんですよね。この人達がフリッツさんの友人だって」
「ああ、俺達を向こう側まで連れて行きたいという意志を感じた。……彼らは今もフリッツの野望を応援したいのかもしれない」
ルムは一番近くにいたゴブリンの手を優しく握った。
「ボク達のことを助けてくれてありがとうございます」
ゴブリン達はどことなく照れているように見えた。
「それにしたっていったいどのくらい進んだのか、わからなくなってしまったな」
サンダーは壁の高い位置を見ている。自分の付けた印がないことを確認したようだ。戻ったわけではなく進んだと確信した。
「もう少し進んだらそこで休もう。そこまで頑張れ」
「はい」
サンダーの手を借りてルムは立ち上がり、再び歩き始めた。




