ウルリの思惑
「ウルリ、さっきはありがとうね」
「何のことだ?」
宿屋二階の渡り廊下の先。あてがわれた部屋まで案内する少年の背に、桜は感謝の言葉を述べる。
革防具と共に黒色のコートを脱いだウルリは、振り向かずにとぼけてみせた。
今は袖のない薄手のタンクトップのような上着を着ているのみの軽装だ。長い白髪も後ろで乱雑に束ねている。
晒された上体は、細身だが、無駄なく引き締まった肉体をしていた。
しかし、生まれながら属性が欠損していると言われているガルガノ種特有の、白のペンキで塗り潰した様な肌が、言いようのない痛々しさを感じさせている。
「ほんとは僕が言わなくちゃいけないことだった。……こぼれたミルクは、もう戻らないから。僕は誰よりも、必死になるべきなのに……」
「……そうだな」
ウルリとピンカーは、優しかった。だからこそあわよくば頼み込んでみようとは思ってたのだ。
けれど今の身体は女性というだけでなく、何より幼い。
桜が異世界に必死に順応しようとしているように、大人だった精神か弱い体躯に慣れようとしているのか。
今の桜は、女々しい男性だった頃以上に普通の女の子になりきっていた。
ようするに、見ず知らずの外国人達に億劫になってしまったのだ。
「ああ見えて、うちの連中は堅物じゃない。俺が言い出さなくてもこうなっていたさ」
「……うん。みんな優しいもんね」
桜の脳裏に、彼らの笑顔が過る。
「でも、ホームまで連れて来てくれたのはウルリだったよ?」
「それも、俺がいなくてもピンカーの奴がやってた……っと、ここだな」
桜の言葉をいなしながら、ウルリは扉の前で立ち止まった。
持っていた鍵でドアを開けると、元宿屋らしい広々としたワンルームが露になる。
綺麗に並ぶベットはなんと三つ。部屋奥には襖のようなものを隔てて、座敷のようなものまである。
一人で使うには勿体ないとさえ感じてしまうほど豪華な部屋だ。
「ちょっと埃かぶってるけど、好きに使ってくれ。女性陣の部屋は全部ニ階にある。俺とドニは一階の広間を使ってるから気兼ねもいらないだろ」
「あ、ありがとう。……ね、ウルリの部屋、たまに遊びに行ってもいいかな」
「あぁ、構わないぜ。……ただし、ピンカーを連れてくるのはやめてくれ」
「ピンカーちゃん? どうして?」
「……あいつが来ると俺の部屋が、嵐が過ぎ去った後のような惨状になる」
「あはは……ピンカーちゃん、元気いっぱいだもんね」
「あんな奴が希代の精霊契約者をやっているんだ。馬鹿と天才は紙一重ってのは本当だな。……あぁ、そのピンカーで思い出したけど、後で一階裏の露天風呂に行くといい。一緒に入ろうだとさ」
「……ウルリも一緒に入る?」
「入るか! なんだお前までッ」
「あ……待って、ウルリ!」
男だった頃の感覚でウルリを誘った桜に部屋の鍵を手渡し、そのままさっさと立ち去ろうとするウルリを桜が呼び止める。
「ウルリはどうしてそんなに、僕に優しくしてくれるの?」
「……お前は随分と聞きたがりだな」
「ご、ごめんなさい」
思わず謝ってしまう桜に苦笑を浮かべ、少年は考え込むように瞳を閉じ、ゆっくりと天を仰ぐ。
……やがて開かれた銀鉛色の瞳は、どこか遠い眼差しをしていた。
「お前は訳も解らず異国の地に投げ出され、ただ困惑していた。歩み出そうにも道が解らず、帰る場所も見つからず。導いてくれる存在さえいなかった。ただ唯一持っているのは、その身に宿した“力”だけだ。そんな姿が────」
──俺に似ていたから。
ガルガノ種の少年は、最後に小さくそう呟き、薄暗い廊下の先へと消えていってしまった。
■
ギルド円月輪のホーム2階階段裏の木造バルコニー。
外の壁面から張り出したその小さなスペースは、昼ならば射し込む日光や頬を撫でる爽やかなそよ風がとても心地良い場所となる。
しかし夜間は、交代制の露天風呂を待つ二人の男性陣の憩いの場所となっていた。
輝きに満ちた長い白髪を夜風に揺らす少年は、手摺に腕を置き、背中を預けるようにして寄り掛かっている、
その隣り、同じ様に柵を背もたれ代わりにして巨躯を二つに折っていたドニは、低く、静かな声色で少年に問う。
「まさかお前が、幼気な少女をギルドに連れてくるとは思わなかった」
「……俺ももう十五だ。女を誘うのは別に変じゃないだろ」
「その台詞をエマやピンカーの目の前言ってみてほしい。彼女らがどのような反応をするのか、目に浮かぶようだ」
小さく忍び笑いをするドニに対し、ウルリは憮然とした面持ちとなる。
「“見捨てることはできない”……か。お前がそんな風に思える様になったことは、私にとっても誇らしいが、それだけではあるまい」
「あぁ」
囁くように短く言い終わり、ウルリはこもった息を吐いて厳しく宙を見据えた。
「──サクラは…………彼女の能力は精霊術とは性質が異なる。お前に行使したアレは、全く別の力だ」
その言葉に、ドニの視線も自ずと鋭くなる。
「あいつが森で癒したのは動物なんかじゃない。この俺だ」
「…………ガルガノ種を……。袖を捲っていたのは、そういうことだったわけか」
誰しもが持つ五大属性を、一切持たない異質の存在、ガルガノ種。
彼らは持たぬが故、精霊術が全く使えず、また自身に向けられた場合それらを無意識下で緩和してしまう。
その特性は、騎士やエマ達のような精霊術師との戦いでは非常に心強いメリットとなるが、同時に、味方のサポートも受けつけないという諸刃の剣となり得るのだ。
特に治癒精霊術や補助精霊術といった身体に直接作用する能力に至っては、術式を無理矢理に弾き、術者に害を与えてしまうことさえある。
──その傷を一瞬にして治してしまったということ。
それは、彼女の力もまた、異質のカテゴリーに属するということを示している。
「あいつはただの治癒精霊術師なんかじゃない。もっと別の……もしかしたら俺と同じなのかもしれない」
「精霊術でも魔術でもない、何にも染まらない力か。加えて彼女はガルガノ種ではない。……なるほど。それはお前にとっても手元におく価値がある」
「だろ? お前の物わかりのいい所、俺は好きだぜ」
「ふむ。……エマとピンカーにはもう知らせたのか?」
「いや」
その質問にウルリは渋い表情で左右に首をふった。
「エマには、これ以上重荷を押し付けたくはない」
「ならばピンカーはどうだ」
「アイツは……お前ほど信用はできない。いずれバレることだとは思うが」
「……なるほど。理にかなっている」
ウルリは手摺から身体を起こし、側に掛けていた黒いコートを上から羽織る。
開けたその胸元には、月光の光りを反射し、きらりと光るものがある。
チェーンが錆び付いている、古ぼけたネックレスのようだ。
ドニはその光りに眩しそうに眼を細め、親子ほど歳の離れた戦友に合わせる様に、己も腰を上げた。
「俺はな。あいつと一緒にいたい。そうすると、自分自身の真実にも近づける気がするんだよ。────日の目を見ないガルガノ種、ウルリカ・アイノイドの中身を知る時が来たんだ」
「──……」
この世に、意味の無いモノなどない。
そう断言したのは、何処の偉人だっただろうか。
少年はいまだ解らぬ己自身の“意味”を探している。
──自分は何者なのか。──なぜ、色の無い身体に生まれ落ちたのか。なぜ。なぜ。なぜ。
少年は、その真実を知った時、どうなってしまうのだろう。
それはドニにも、そしてウルリにも解らないことだ。だが、決してそう遠くはない未来に知るだろう。
──ならばその時まで、この小さな戦友と共にあろう。彼が自分にそうしてくれたように。
ドニは少年と肩を並べ、バルコニーを後にした。




