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『無能』と追放され奴隷に落とされた最強召喚師 ~前世の心理術で伯爵令嬢を手なずけ、裏から世界を支配する~  作者: ラレイラ
第一章:甘い毒は、暗闇に蠢く――お人形執事の覚醒

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第24話 静かなる狂信と、魂の共鳴

静まり返った自室の窓辺に、セルヴィス伯爵家次女エレノアは佇んでいた。そこへ静かに現れたのは、老執事セバスであった。


「エレノア様。当主様からのご命でございます。アルヴェディア帝国・第5皇子派閥への輿入れが正式に決定いたしました。クラリス様とともに、近々帝国へ向かっていただきます」


社交辞令すら省いた冷淡な通達。だが、エレノアは窓の外の見慣れた庭園を見つめたまま、微動だにしなかった。

幼少期より「不浄で泥臭い無能」と蔑まれ、家族としての温もりなど一度も知らぬ彼女にとって、最初から存在しないのも同然であった。


「……好きにすればいいわ」


ただ世界に対する一切の興味や気力を失い、白濁した虚無と無気力の底に沈み込むような静寂。その感情の欠落した応答にも、老執事はピクリとも表情を変えず、ただ深く頭を下げて退出していった。


◇


その夜、エレノアの部屋の扉を静かにノックしたのは、侍女のマリアであった。


「エレノア様。当主様より、帝国へ発つ前の『最後のお別れ』として地下牢への立ち入りが許可されました。……ご案内いたします」


政治的都合でおとなしく輿入れに応じさせるための、当主ギルバートの冷酷な計算。


「……ありがとう、マリア」


「滅相もございません。……参りましょう」


そこには嘲笑も哀れみもなく、ただ淡々と定められた役割を果たすだけの、静かな冷たさがあった。


◇


地下牢を包む湿った冷たい暗闇。鉄格子の向こうで鎖に繋がれていたのは、ヴェルスであった。


「……ッ、ヴェルス……!」


エレノアはそれまでの冷ややかな仮面を脱ぎ捨て、涙を溢れさせながら鉄格子へ取りすがった。

ヴェルスはゆっくりと首を上げ、薄暗がりの中で彼女を見つめる。そして、密やかになにかを伝えようと薄い唇を開いた。


「っ……、……ぁ……っ」


だが、口から漏れ出たのは言葉にはならぬ、痛々しくかすれた吐息と空気の抜ける音だけであった。

当主や騎士たちから受けた凄惨な暴行により、かすかに開いた彼の口元から覗くのは、無惨に歯を失った痛々しい傷跡だった。自力で言葉を紡ぐ術(すべ)を、物理的にも、そして精神的にも奪われていたのだ。


「ああぁっ……! ヴェルス、ヴェルス……っ! なんて……なんて酷いことを……っ!」


喋ることすら叶わぬ彼の姿は、エレノアの胸を強く締め付けた。

家族から完全に無視され、誰からも価値を認められなかった自分。そんな彼女の存在に唯一気づき、理解してくれた少年。自分という人間をまっすぐに見つめてくれたのは、世界でヴェルスだけだった。

言葉を失い、冷たい牢に繋がれたその儚い姿は、エレノアの奥底に眠っていた強い庇護欲と、溢れ出す愛おしさを激しく爆発させた。


牢の鍵が開けられ、エレノアは床に膝をついてヴェルスを強く抱きしめた。

ヴェルスは逃げることなく、その甘い体温に身を委ねる。文字通り喋れぬ代わりに、かすれた吐息を漏らしながら彼女の首筋に傷ついた口元を寄せた。


ヴェルスが静かに意識を集中させると、胸元からするりと丸い影が滑り出てきた。

召喚獣『夢喰いバク』だ。


バクはヴェルスの意思に応えるように、小さな鼻先をエレノアの額へと寄せた。


(バク、彼女を眠らせて夢の領域へ繋げ。……そこでエレノアと会話をする)


『くぅ……』


バクの鳴き声とともに淡い光が広がり、エレノアの意識は現実から切り離され、深く甘い微睡みへと落ちていった。


◇


――夢の領域。

現実の薄暗い地下牢の光景は反転し、眼前に広がっていたのは、天を突くほど巨大な書架がどこまでもどこまでも並び立つ、幻想的で圧倒的な書庫空間だった。

足元には星屑のような光が蠢(うご)き、棚には幾千、幾万もの輝く書物が整然と収められている。

前世の不夜城の世界でも決して見たことのない異次元の光景。


それは、誰にも認められず、自分の力で這い上がるためにエレノアが必死に孤独を耐え、知識を貪るように勉強し続けた記憶の残滓。そして、その心の奥底で密かに夢見ていた「いつか華やかな場所で成功して見返してやる」という強い憧れと野望が歪に混ざり合った、彼女の精神世界の具現であった。


その広大な書庫の中央で、傷一つない本来の姿をしたヴェルスが彼女を待っていた。

ヴェルスは棚の間に佇むエレノアを見据え、彼女がどれほど必死に、孤独にこの世界で生き抜こうとしていたのかをその瞳の奥で深く看破する。


「エレノア……」


「ヴェルス……ああ、ヴェルス……! ここは……?」


「ここは、お前の意識が生み出した夢の領域だ」


夢の中で彼の声を聞き、エレノアは感極まってすがりついた。ヴェルスは逃げ場を与えるように静かにその身を受け止め、背にそっと手を添えると、深く静かな声で告げる。


「エレノアには、これから俺の記憶の中に入ってもらう」


「……あなたの、記憶に……?」


「俺が何者で、何を背負いているのか……言葉ではなくお前の目で確かめてほしい」


ヴェルスは静かだが揺るぎない眼差しでエレノアを見つめる。


「……ええ。分かったわ、ヴェルス」


エレノアが意を決して深く頷くと、ヴェルスがその手にそっと触れた。

瞬間、書庫の光景が波打ち、圧倒的な光と音、そして他者の情念の奔流がエレノアの意識をまるごと呑み込んでいく。


――視界が眩まされ、気づけば彼女は、見知らぬ豪華絢爛な館の中に立っていた。


白亜の尖塔が夜空(よぞら)穿ち、濃紺の薔薇が甘く香る――アルヴェディア帝国屈指の魔法の名門、グラディス公爵邸。

長卓を囲む豪奢な大食堂。炭火で香ばしく焼き上げられた極上の肉塊から立ち上るハーブの香り、濃厚な生クリームとバターの甘いスープの匂い。

目の前で幼いヴェルスに慈愛の笑みを向ける母セレス、からかうように肩を叩く次男ジーク、頼もしく頷く長男レオン、愛おしそうに頬を撫でる長女エリス、そして誇らしげにワイングラスを掲げる父ヴァルター。


(これが……ヴェルスの家族……? なんて温かくて、愛に満ちた世界……)


エレノアはその光景に息を飲んだ。だが、幸せな記憶は一瞬で崩れ去る。


場面は切り替わり、厳かなセリオン大聖堂へ。

貴族たちの期待の視線の中、十四歳のヴェルスが魔導水晶に手をかざす。眩い光の後に浮かび上がった文字は――『召喚魔法』。


次の瞬間、エレノアの背筋に凍りつくような悪寒が走った。

家族たちの顔から、一瞬にして温度が奪われる。


「見損なったぞ」「我がグラディスの血を汚す無能め!」「虫唾が走るわ」「面汚しが」――


昨日まであんなにも温かかった唇から吐き出される、凍りつくような暴言と殺意。

激怒した次男ジークがヴェルスの胸ぐらを掴み上げ、激しい打撃音とともに大理石の床へと容赦なく叩きつける。硬い石床に背中を強打された鋭い痛みが、記憶を追体験するエレノアの身体にもリアルに伝わり、息が詰まる。


「嫌……やめて……! ヴェルスにそんなことをしないで……っ!」


エレノアが手を伸ばす間もなく、光景は暗澹たる地獄へと転落していった。


冷たく濡れた地下牢。頭から被せられた黒い布、足首を締め付ける冷たい鉄枷。

「事故による失踪」として闇の奴隷市場に売り払われたヴェルスを乗せ、嫌な振動を立てて走る馬車。


家畜すら嫌がる腐った干し肉と、カビの生えた石のように固いパンの端切れ。泣き出した隣の子供に容赦なく叩きつけられる鞭の激しい打撃音。

夜になれば吹きさらしの荷台を容赦なく蝕む猛烈な冷気。寒さと飢えで白目を剥き、冷たくなっていく周囲の子供たちの死体。


(痛い……寒い……苦しい……っ! ヴェルス……あなたはずっと、こんな地獄を耐えてきたの……!?)


背中を焼き切るような鞭の痛み、膿んだ膝のうずき、泥と血の匂い。ヴェルスの記憶を通じて叩きつけられる極限の苦痛に、エレノアは魂を絞り出すように慟哭した。

誰も信じられず、愛してくれたすべてに裏切られ、それでも血が滲むほど爪を立てて死を拒み続けた少年の、底知れぬ孤独と執念。


光景が弾け飛び、エレノアの意識は再び静寂に包まれた書庫空間へと引き戻された。


「そんな……っ、ヴェルス……! こんな……こんな酷いことが……っ!」


溢れ出す涙を止められず、エレノアは激しく肩を揺らしながらヴェルスにすがりついた。

己以上に凄惨な理不尽に晒され、愛したすべてから裏切られながらも爪を立てて耐え抜いてきたヴェルスの過去。エレノアは彼の胸に顔を埋め、彼の背負う底知れぬ闇と帝国への苛烈な復讐心を、己の魂の深奥で理解した。


ヴェルスはしがみつく彼女の背中に静かに手を回し、一切の迷いなく告げる。


「俺の『召喚物(サモン)』になってほしい。強力な召喚物と融合したうえで、俺の手助けをしてくれないか? 俺の記憶を見たから分かるはずだ。……最終的には、※※※※を※※※※する予定だ」


「……あなたの、『召喚物』に……?」


あまりに唐突で現実離れした提案に、エレノアは涙を拭いながら思わず問い返していた。


「見た目や顔はどうなるの? 今の私のまま……? それに、食事や日々の生活は普通にできるのかしら」


「本来の姿は――となるが、変化の能力で今の姿を保てる。もちろん他の姿に化けることも可能だ。だから見た目も記憶も、お前のままだ。身近な者でも、そう簡単には異変に気づけないだろう。人としての感覚も残るから、食事や普段の生活も概ね問題なく送れるはずだ。他にもいくつか能力があるが……それは追々教えてやろう」


「……じゃあ、私は……」


「お前自身が『召喚物』となることで、種族名は――になり、個体名は――へと代わる。魂の繋がりにおいて個体名で呼ぶ方が結びつきが強くなるからな。……魂が完全に融合を果たすまでは、お前を呼ぶ時は――とする」 


納得のいく説明に、エレノアの瞳から迷いが消えていく。

見知らぬ男の玩具として売られるだけの惨めな人生を捨て、自分を唯一認めてくれた彼の手助けができる存在になれるのだと。


「……分かったわ、ヴェルス。私を、あなたの『召喚物』にして」


エレノアの言葉を受け、ヴェルスは傷一つない静寂な顔で、静かに頷いた。


「……ああ。よろしく頼む」


そして虚無の空間が揺らぎ、果てのない静寂が遠のいていく。

深閑とした夢の終わりとともに、二人の意識は静かに、そしてゆっくりと——あの冷たく湿った現実の地下牢へと浮上していった。


冷たい暗闇の底で、エレノアという人間が終わりを告げる。

宵闇を統べ、むせ返るような真紅の色香を纏う原初の『――』がその産声をあげ、絶対の服従を捧げる瞬間は、もう目前にまで迫っていた。

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