藻搔き続けること
ー藻搔き続けることー
<憐れな言葉の数々>
二〇三四年、深夜二時頃。
「あなたがそんなことする人だとは、私は思ってなかった!」
女性は、男性に向かってそう言うと、隣にいた子どもの手を引っ張って家を出た。子どもと女性の体格差はあからさまである。子どもは女性に手を引かれるまま着いて行くしかない。
家の外は暗闇に包まれていた。二人は、何本もない街灯を頼りに、ひたすらどこかへ向かって歩いていく。
「お母さん。どこに行くの?」
女性の隣を歩く子どもが聞いた。しかし、女性はその問いに対して何も言わなかった。子どもはまだ幼いので、女性が黙っている理由が分からないようだ。
”松田匠海”の記憶はそこで途切れた。
二〇四四年、あれから十年以上が経った。
『父さんの言う通り、邪魔な奴は消した』
匠海は、誰もいない暗いリビングの一角で、スマホのキーボードに打ち込んだ。フリック入力のあの独特な音が響き渡る。
『よくやった。次の指示を送る』
”匠海の父”からメッセージが返ってきた。その文章を静かに見つめる。匠海が既読をつけると、匠海の父から送られてきたメッセージはすぐに消去された。二人のメッセージのやり取りの記録は、スマートフォンのどこにも残っていない。
「さあ、始めよう……」
匠海は一人でそう言って、二階にある自分の部屋に戻って行った。
”東山”警察署の捜査一課の一角にある小さな会議室に、スーツ姿の”栗原”と”藤本”の二人はいた。会議室には大きめのテーブルと、その周りに椅子がいくつも並べてある。それでも使われていない椅子がほとんどだ。
「なんで俺らが、十五年も前の事件を捜査しなきゃいけないんですか?犯人は撃たれて、とっくに死んでるんですよね?」
藤本が肩の力を抜きながら言った。椅子に深く腰掛けて、背もたれに全体重をゆだねるように座っている。
「犯人の”松田隆”の遺体が、どうしても見つからないんだよ」
栗原が、会議室の壁に沿って置かれたホワイトボードをじっと眺めて言った。そのホワイトボードには、二人が捜査を担当する連続殺人事件に関する情報が、栗原のかっちりとした字でびっしりと書き込まれていた。
「そんな本能寺の変みたいなことありますか?この時代に……」
藤本が小さく笑いながら言った。
「当時の警察も懸命に探したが、松田は完全に姿を消してしまったらしい」
栗原も呆れた様子で言った。その間もずっと、右手を自分の顎に当てて、目の前のホワイトボードとにらめっこしている。
「元捜査一課の刑事の”伊藤”さんが現場にいた警官の携帯していた銃で、女児を誘拐した犯人の松田の右足の太ももを撃った……。それなのに、現場で松田の遺体が見つからないわけないじゃないですか。松田は足に致命傷を負ってるんですよ、自分で逃げられるはずもない」
藤本が手元にある捜査資料を読み上げてから言った。
「そうだよな〜。だから今となっては捜査員も俺と藤本の二人だけ。こんな捜査状況で消えた遺体が見つかるわけがない……」
「松田隆って、子どもはいたんですか?」
藤本が、栗原にふと尋ねた。
「隠し子がいたようだ」
「隠し子ですか?」
「ああ、『匠海』という名前の息子が一人いたらしい。ただ、名前以外の情報は何もなく、こちらも詳しい素性は不明だ」
栗原は、ホワイトボードマーカーで藤本を差しながら言った。
「匠海が松田隆の失踪に関わってるとか!」
藤本が閃いたように立ち上がって言った。
「ありえない。事件当時、匠海はせいぜい小学生か中学生だ。松田の遺体を一人で運んで隠したりするのは、かなり難しいだろうな」
栗原が即答した。
「そうですよね……」
藤本ががっかりしたような声で言った。
そのまま何も言わずに、しばらく沈黙が続いた。
「ってことは、松田匠海の母親もいるってことですよね?その人を探せば、何か分かるかも!」
突然、藤本が満面の笑みを浮かべて、栗原に言う。
「松田隆は結婚していたことも徹底的に隠していたらしい。この事件の捜査本部がもっと大きかった時に、松田匠海の母親について戸籍や友人の情報も調べたらしいが、全く足取りが掴めなかったそうだ……」
「それで俺たち捜査一課のはぐれモノの二人にこの捜査を任せて、今はこのありさまっすかw」
藤本は、再び椅子に深く腰掛けながら言った。
「とりあえず、少しでも何か新しい情報を掴めるといいんだが……」
栗原が腕を組んで苦い顔をした。
二人の時間は、毎日こんな会話をして流れていった。
「今日も捜査資料を見つめて終わりですかね~」
藤本は机の上に山のように積み上げられた捜査資料を手に取って、ペラペラと何枚かめくった。
「そろそろお前も次のキャリアのことを考えた方がいいぞ。このままここにいただけじゃ、一生出世なんかできやしない」
「俺は出世なんかしなくていいんです。元々、なりたくて警察官になった訳でもないし……」
藤本はそう言って、目線を下に逸らした。あたかも何かを隠しているように。
「もしかして、親が警察官とかか?」
栗原がその様子を見ながら慎重に尋ねた。
「親がどっちも警察官で、それでなんとなく自分も警察官に……」
「そうか……。俺と似てるな」
栗原は自分の過去を思い返すような表情をした。
「栗原さんもですか?」
藤本が率直に尋ねた。
「俺の場合は、三つ下の弟が警察官でな。俺は大学まで行かせてもらったけど、その後は特になりたいものもなかったから『じゃあ、警察官になれば。弟みたいに!』って、勝手に親とか近所の人たちに話を進められて」
栗原はどこかその過去を懐かしむように話した。
「栗原さんも大変ですね」
藤本が同情するように言った。
「だから、お前はもっと将来のことを考えた方がいい。いくつになっても俺みたいに出世できないまま、警察人生終わっちまう」
「そうなんすかね~」
この日も、二人はいつも通り会議室で捜査に励んでいた。
「ああ!」
突然、藤本が自分のスマホを覗き込んで言った。
「どうした、急に?」
栗原が振り返りながら大声で尋ねた。
「事件に関する情報提供です。SNSで!」
藤本は、手に持ったスマホの画面を自分の頭の上に掲げた。
『十五年前の連続殺人事件についての情報提供募集中!!!』
画面にはそう書かれていた。
「どういうことだよ?俺には訳が分からない」
「いや、ずっとSNSで松田の連続殺人事件に関する情報を募集してたんすよ!そしたら……これ見てください!」
藤本はそう言って、スマホの画面を栗原に見せた。スマホの細長い画面には、SNS特有の活字で書かれている。
『私はこの事件の関係者の居場所を知っています。今日の十五時に、駅前の喫茶店に来てください』
「お前、警察の捜査情報を勝手に載せてんじゃねえかよ!」
栗原が、藤本のスマホに届いていたメッセージを読んでから、ため息交じりに言った。
「そんな細かいことはいいんですよ。この喫茶店なら東山警察署から近いですよね。早速、指示された喫茶店に行きましょう!」
藤本は、そう言いながら会議室のドアを開けて飛び出した。
「全然細かいことじゃな……。おい!まだ、朝の九時だぞ」
栗原が腕時計を見てから叫んだ。そんな言葉が藤本の耳に入るはずもなく、栗原の見えないところまで走っていく。栗原は、仕方なくそのあとを追った。
<身近な変化>
藤本はそのスピードを緩めることなく、駅前まで走っていった。栗原もしばらくして追いついた。
「藤本!待ってくれ!」
栗原は、終始そう叫びながら必死に藤本に食らいついた。しばらく走ると藤本が、栗原の方を向いて仁王立ちで待っている。
「栗原さん、遅いですよ」
息が切れてその場に立ち尽くしている栗原に、藤本が言った。
「急に飛び出すなよ……」
栗原は両手を膝の上に置いて、前かがみになっている。
「喫茶店までもうすぐですよ。さあ行きましょう!」
藤本は追いついた栗原の様子を気にすることなく、喫茶店に向けて歩みを進めた。
「おい、ちょっと待てよ」
栗原はもう動かない足を懸命に持ち上げて、再度歩き出した。その一歩一歩は段々と重いものになっていく。それでも、進まないと喫茶店にはたどり着かない。
「着きましたよ!栗原さん!」
栗原の遥か前を歩いていた藤本が、レンガ調の建物の前で立ち止まった。喫茶店の風貌は昭和レトロな店といったところか。
「まだ、約束の時間までかなりあるな……」
栗原は、左手につけた腕時計を覗き込んで言った。
「藤本!出世のためには、まずは上司の話を……」
「ここで話してても何ですから、とりあえず店内で待ちましょう!」
藤本は、栗原の話を遮るようにそう言って、ステンドグラスが使われたドアを開けて中に入った。ドアの上に取り付けられた小さな鐘が音を立てる。
「いらっしゃいませ。お好きな席どうぞ」
カウンター席の奥でコーヒーカップを磨いている男性が、低い声で言った。二人はマスターに目配せをしながら、入口から一番近いテーブル席に座った。
「何か飲みますか?」
藤本が、手元にある年季の入ったメニュー表を見ながら栗原に聞いた。
「コーヒーでいいよ……」
栗原はすぐに答えた。
「すみませ~ん!」
店員と思われる女性が一人、二人のもとにやって来た。
「お待たせ致しました。ご注文お伺いします。ん?」
女性は二人の顔を見つめて、少し首を傾げた。
「どうかしましたか?」
栗原が尋ねた。
「もしかして、警察の方ですか?」
「はい。そうですが、どうして?」
栗原は前のめりになって聞いた。
「単に雰囲気です。こんな時間に、わざわざキチっとスーツでいらっしゃる方はあまり見かけないので……」
女性は少し言いにくそうな口調で言った。
「そうでしたかw」
栗原が苦笑しながら頷く。
「SNSで事件についての情報提供したいと言ったのは私なんです。”吉田”と申します」
女性は改まった様子で自己紹介をした。
「え。こちらで働かれているんですか」
栗原は、突然の出会いに目を丸くした。
「お約束した時間よりもかなり早いんですけど、もうお話ししてもいいですか?」
吉田が丁寧に尋ねた。
「はい。吉田さんがよろしければ」
栗原は快く承諾した。
「ここだとなんですから、奥の部屋へどうぞ」
吉田はそう言って、二人を奥の部屋まで案内した。二人は、そのあとをついて行く。
「どうぞ、こちらにお座りください」
喫茶店のバックヤードに案内され、促されるまま二人は吉田の正面に座った。バックヤードには中央に四角いテーブルが一つあり、その周りにはコーヒー豆が入った段ボールで埋め尽くされていた。栗原は小さなテーブルに両肘をついて、話し始めた。
「改めまして、私が東山警察署捜査一課の栗原で、こちらが同じく東山警察署捜査一課の藤本です」
藤本は軽く会釈した。そのまま二人は胸ポケットから警察手帳を出して、吉田に見せた。
「早速、本題に入りますが、『事件の関係者の居場所を知っています』ということでしたが、誰の居場所のことですか?」
栗原が切り込んだ。藤本は、ポケットから手帳とペンを取り出してメモを始めた。
「松田さんのお子さんです。今どこにいるかは、分からないんですけど。松田さんのお子さんは、あの事件後、すぐに児童養護施設に引き取られて、そこで十五歳まで過ごしていたようです」
吉田は淡々と語った。その目は何の揺るぎも感じさせない、真剣そのものだ。
「松田の子どものご両親は、事件後どうなったかご存じですか?」
栗原が、少し聞きにくそうに言った。
「分かりません。松田さんの奥さんは、お子さんが中学生の時に家出をしていて……。松田さんのお子さんは、中学校でいじめをしていたらしいんです。それに耐えかねて、ご両親は離婚されていたようです」
「いじめですか?」
藤本が食い気味に言った。
「はい。かなり酷いいじめをしていたようで、生徒が一人亡くなってるんです」
吉田も即答した。
「なるほど……」
藤本は首を下に折って、目線を下に向けた。
「松田さんご本人は、例の事件で亡くなられていたので……。お子さんのことは、町内の人から風の噂で聞きました」
「失礼ですが、吉田さんは松田隆とどういうご関係ですか?」
栗原が冷静に切り返した。
「松田さんの隣の家に住んでいたんです。確か、事件があってから松田さんのお宅には誰も住まなくなっていたと思います。私も事件を機に気味が悪くなってしまって、すぐに引っ越したんです。その反対側に住んでいた”中島”さんも引っ越されていて」
吉田は天井を見上げて考えながら言った。
「それにしても、大変なご家庭だったようです。でも、松田隆さん自身は優しい方で、あんな事件を起こすような人には見えませんでした」
「意外ですよね。隣に住まれてた方が、そんな人だったとは」
栗原は、吉田の目をよく見て頷いた。
「あ、すみません。そろそろ仕事に戻らないと」
吉田は部屋の壁に掛けられた時計を見て、慌てて言った。
「そうですね。貴重な情報提供をありがとうございました」
栗原も腕時計を確認して時間を確かめた後、ゆっくりお礼を言った。二人は椅子から立ち上がり、吉田に促されて喫茶店の入口まで案内された。
「本日はわざわざ来ていただいて、ありがとうございました」
吉田は入口のドアを開けて、深くお辞儀をした。
「こちらこそ、ありがとうございました」
二人も揃って、軽く会釈をした。吉田は急ぎ足で店内へ戻って行った。
「ここから歩いて署まで戻るのかよ……」
栗原は、藤本に向かって嫌な目をした。
「いいじゃないですか。いい運動になりますよ!」
藤本は、栗原の背中を叩いて走り出した。
「はあ~」
栗原は大きなため息をついた。
<同じような塊>
次の日の午前中、二人は吉田からの情報提供を受け、松田の自宅付近の防犯カメラを見漁っていた。
「せっかく新しい情報を得たのに、全然捜査が進みませんね~」
藤本が、署の会議室全体に響き渡る声で言った。
「口を動かさずに手を動かせ!せっかく松田の家の近くの防犯カメラ映像を借りてきたんだ」
栗原が、藤本を鼓舞するように言った。
「こっからどうすればいいんですかね?」
「まずは松田匠海の足取りを掴むことが最優先だ。彼は、父について何か知ってるかもしれない」
栗原の手は全く止まることがない。
「そんなこと言っても、誰も住んでない松田の家に匠海が出入りしてるなんて、かなり考えにくいですよ」
藤本は、椅子の背もたれにもたれかかった。
「それはそうなんだがな」
二人は嫌々パソコンの画面をじっと見つめる。
「お。これ、違うか?」
栗原は、パソコンの画面を指差して藤本に聞いた。藤本は椅子から一旦立ち上がり、栗原のパソコンを覗いた。そこに映っていたのは、松田隆をそのまま子どもの姿にしたような顔立ちをした大学生くらいの男性だった。周囲を過剰なほど警戒していて、挙動不審な動きをしている。
「確かに、松田には似てますけど。本当に松田の子どもですか?」
藤本は栗原の言葉を疑っているようだった。さらに動画を進めると、松田と思われる人影に動きがあった。
「家に入っていったぞ!」
「ええ!?」
藤本もパソコンの画面を食い入るように見た。その時、二人がいる会議室のドアが開いた。
「おい!」
ドアを開けて会議室に入ってきたスーツ姿の男が、大きめの声で言った。
「捜査一課の本部の刑事さんが、僕らに何の用ですか?」
藤本がパソコンの画面から目を離して、男に向かって言った。男は藤本には目もくれずに、栗原の方を見た。
「どうした”廣神”?」
「時間あるか?ちょっと来てもらいたい」
そう言われた栗原は何も言わずに椅子から立ち上がった。廣神に連れられ、会議室の扉の前までゆっくり歩いた。
「駅前の喫茶店で働いていた『吉田』さんを知っているか?」
廣神が率直に質問した。
「はい。昨日、松田の事件の関係者としてお話を伺いました」
栗原が丁寧に答えた。
「その吉田さんが、今日亡くなっているのが発見された」
「え⁉どういうことですか?」
栗原は動揺を隠しきれなかった。
「今朝の八時頃、喫茶店の通りで吉田さんが左肩を撃たれて死亡しているのが、通行人によって発見された。通行人の通報で駆け付けた救急車で運ばれたが、もう遅かったみたいだ。死因は左肩を何者かに拳銃で撃たれたことによる出血死。目撃者によると犯人は、黒いパーカーを着用していたらしい」
男は淡々と状況を説明した。
「どうして……」
「鑑識の調べで、吉田さんが所持していたスマートフォンを解析したところ、お前たちとのコンタクトの記録があったから、ここに来たわけだ。何でそんな大事なことを、俺たちに報告しなかったんだ」
廣神は強い言葉で栗原に聞いた。
「この未解決事件を任せているのはそっちの方でしょ!報告の義務はないはずだ」
栗原も負けじと廣神に向かって言った。
「俺たちに知らせていれば、こんな事件を起こさずに済んだはずだ」
「栗原さんどうしたんですか?大きい声出して」
栗原たちの大声を聞いた藤本が、慌てて二人の様子を見に駆けつけた。
「こっちの問題だ、お前は下がってろ」
廣神は、藤本を睨みつけて言った。
「昨日話を聞いた吉田さんが殺害されたんだ。何者かに左肩を撃たれて」
栗原が藤本に言った。
「そういうことだから、悪いがお前は下がってってくれ」
そう言われて、藤本はその場を退こうとしたが、その場に立ち尽くして何かを考えていた。
「ちょっと待ってください。左肩を撃たれたって……。松田の犯行の特徴じゃないですか!」
藤本が突然、叫んだ。
「確かに、そうだな」
栗原は深く頷いた。
「よく気づいたな」
廣神も同感した。
「黒いパーカーを着用しての犯行という点も類似している。この事件は、あの松田の事件に関連がありそうだな」
「そういうことで、俺たちの班からもこの事件の捜査に何人か加わることになった」
廣神は思い出したかのように、二人に説明した。
「分かった。受け入れ準備をしよう」
栗原は、男の提案を承諾した。
「吉田さん殺害の件はこっちで引き継ぐことになる。じゃあ、後はよろしく」
廣神はそう言って、会議室を出て廊下を歩いて行った。
「なんかあの刑事、明らかに感じ悪くないですか?」
廣神の姿が見えなくなってから、藤本が小声で言った。
「あいつは『廣神』って言ってな、元は俺の部下なんだけどな」
栗原の表情にはどこか笑顔が隠れていた。
「え!あの人、栗原さんの元部下なんですか」
「でも、俺より仕事ができるから、いつの間にか出世しちまったよw」
栗原は苦笑いで誤魔化しているようだった。
次の日には、二人の部屋はより大きな会議室に移された。本部から新たな刑事が十人程入ってきた。
その後、栗原と藤本の二人は仕切り直して会話を続けた。
「とりあえず今できることは、松田の自宅に向かうことだ」
腕を組んだ栗原が言った。
「そうですね」
「覚悟はできてるか?」
栗原が、藤本の目を見てその意思を確かめるように聞いた。
「もちろんです」
藤本は、確固たる強い意志を持って深く頷いた。二人はすぐに松田の自宅に向かった。
松田の自宅は、東山警察署からそう遠くない場所にある。自宅が近くなってくると、車をゆっくりと走らせ、松田の自宅を探す。
「こんな閑静な住宅街に松田は住んでたんですね」
運転席から街並みを眺めながら、藤本が言う。
「ここ一帯には、もう誰も住んでないらしいな」
栗原も窓を開けて、周囲を見渡しながら言った。
小さくて古風な一軒家の前で車を止めた。小さいとは言えど、二階建ての一般的な住宅で、中は十分に広そうだ。しばらく誰も手入れしていないのか庭の草は生えっぱなしになっている。表札には、「松田」の二文字。
「この家のようだな。行くぞ」
栗原はそう言って、車を降りた。静かに入口の門を開けて、庭の中まで入っていく。二人は大きな窓の前で立ち止まり、腰から拳銃を取り出した。
「気合い入れていくぞ!」
栗原は、藤本とアイコンタクトを取った。それを聞いた藤本は、両手に持った銃を体の前に構え直す。
「はい!」
藤本は軽く頷いた。
栗原が、銃を窓ガラスに叩きつけて、ガラスを粉々に割った。家の中に窓ガラスが散乱する。間髪入れず、二人が家の中へ入っていく。
「お前は風呂場から確認しろ。俺は二階に行く」
栗原はそれだけ言って、二階に続く階段へと走っていった。
「了解!」
藤本も機敏に動く。風呂場、寝室、トイレ、隅々まで家の中を調べていく。
「どうだった?」
二階から降りてきた栗原が、藤本に聞いた。
「一階には誰もいませんでした」
藤本が報告する。
「二階にも、誰もいない。もぬけの殻だ」
栗原も首を横に振った。
「なんだこれ?」
栗原が、リビングの机の上に置かれた小さな紙切れの存在に気づいた。恐る恐る紙切れを取り上げた。
「クソっ!」
栗原はそう言って、手に持った紙切れを床に叩きつけた。藤本はその紙を床から拾い上げて、内容を見た。
『遅いぞ。やっぱり警察はそんなものか。by 松田』
<管理と放任>
栗原が出勤すると、新しい会議室は騒がしくなっていた。
「栗原さん、おはようございます。吉田さんを拳銃で撃って殺害した犯人が今朝、捕まったそうです。もう少しでこの警察署に搬送されてきます。犯人の取り調べをお願いします」
藤本が、出勤してきたばかりの栗原に言った。
「分かった。準備する」
栗原はそう言って、手に持った荷物をデスクの上に置いた。そのまま栗原と藤本の二人で取調室へ向かって行く。藤本が胸ポケットから手帳を取り出し、それを見ながら事件の詳細を話し始めた。
「今回の事件の犯人は、現場近くのアパートに住む五十代の男性です。現場近くを巡回中だった警察官の職務質問に対しておかしな挙動を見せたので、身体検査を行ったところ、上着のポケットから拳銃が見つかりました。松田の関係者でしょうか?」
「何とも言えないな。今や松田の犯行方法は誰もが知っている。ただの模倣犯かもな」
取調室の重い扉を開けると、真ん中に置いてある机の向かいに犯人の男が座っていた。男はやせ型で、その髪の毛は白髪交じりであまり整えられていない。パイプ椅子の上で男は動かずにじっと待っていたようだ。栗原は何も動じずに、男の向かいの椅子に深く腰掛けた。
「吉田さんを殺したことは認めるんだな。その動機についても詳しく話してもらおうか」
栗原がゆっくりとした口調で尋ねた。
「俺は何も知らねんだ。高い報酬があるってやつをネットで見つけてさ……」
犯人の男は焦った様子で言った。
「どういうことだ?」
栗原が首を傾げた。
「だから、俺はあの女のことも、拳銃の入手場所も知らねえんだよ。拳銃はバイトに応募したら、次の日に俺ん家のポストに入っててさ。そしたら、黒いパーカーを着て、その拳銃で駅前の喫茶店で働く女の左肩を撃てって内容のメールが来て。まさか、俺のせいであの女が死ぬと思ってなかったんだよ」
「きっと『闇バイト』ですよ」
取調室の端で、取り調べ内容のメモを取っていた藤本が言った。
「ということは、そのバイトを依頼してきた奴のことは何も知らないんだな?」
栗原が再度、犯人の男に問いただした。
「知らねえよ。信じてくれ……」
栗原はそのまま何も言わずに取調室を出て行った。
「ちょっと、栗原さん!」
藤本は、取調室から出て行く栗原に目線をやりながら言った。栗原はそれに気づかずに、廊下をどんどん歩いていった。
「栗原さん、そんなに急がなくても」
栗原の歩くペースがいつもより明らかに速い。
「結局、あいつも模倣犯ってことか。あの犯人の話を真面目に聞いたところで、松田にはたどり着くことはない。聞いただけ無駄だ」
栗原は大きなため息をついた。
「誰がこんなことしたんだ」
数日後、栗原がいる会議室の廊下から走る人の足音が聞こえてきた。藤本が、ドアを勢いよく開けて入ってきた。
「栗原さん!松田匠海の潜伏先が判明したそうです!」
「本当か、どこだ?」
栗原は思わず立ち上がった。
「この近くの廃ビルのようです。今朝、この廃ビルの管理会社の男性から『ビルの三階から怪しい物音がする』と通報がありました。ビルの出入り口を映した防犯カメラを確認したら、頻繁にこのビルに出入りする松田匠海の姿が映っていました」
「すぐに本部の突入班に要請して、突入準備だ!」
「はい。分かりました」
藤本はそう言って、廊下を走っていった。栗原も立ち上がり、会議室から勢いよく飛び出した。
その後すぐに、松田匠海の潜伏場所だと思われる廃ビルの周囲に、警察の特殊部隊の包囲網が敷かれた。廃ビルの壁の塗装はほとんど剥がれ落ち、コンクリートの灰色が剥き出しになっている。外から見ると、内部はゴミの山がいくつも点在しているゴミ屋敷状態だ。
「すごい数の特殊部隊ですね」
藤本が辺りを見回して言った。
「当たり前だ。警察が何年もかけて探してきたやつだ」
栗原が力のこもった声で言った。
「何としても松田匠海を捕まえたいですね」
「今回でこの戦いを終わりにする……」
栗原の言葉には決意と憎しみが入り混じっていた。
「栗原さん、全班準備整いました」
特殊部第の一味が栗原に声をかけた。その瞬間、栗原の顔つきが変わった。
「A班B班は突入準備。マル被は廃ビルの三階の部屋に潜伏していると思われる。A班は部屋の前で、B班はビル裏の非常口の扉の前で待機。準備でき次第、そのまま合図を待て……」
栗原は右手に持ったトランシーバーで慣れた様子で、大勢の特殊部隊員に指示を出した。
「A班、了解。準備整いました」
「B班も準備整いました」
トランシーバーから微かに隊員たちの声が聞こえる。
藤本は、じっとその姿を見て作戦の成功を祈っている。周囲は今まで感じたことのない緊張感で溢れていた。
「A班突入!」
次の瞬間、栗原がトランシーバーに向かって叫んだ。ビルの外からは中の様子が見えない。
トランシーバーからは、隊員たちの足音と、武器が体と擦れる音が聞こえる。
「こちらA班、マル被の姿確認できません」
隊員の一人が言った。
「部屋の隅々まで捜索しろ!」
栗原が力を込めて言う。隊員たちは部屋を捜索しているようだった。その間も栗原たちは廃ビルの外から様子を伺うしかない。
「爆弾です!」
突然、隊員が叫んだ。
「全員、今すぐその場から退避しろ!」
栗原はすぐさま、トランシーバーに向かって叫ぶ。
ドー〜ーーン!!!
その時、廃ビルの三階が大きな音を立てて、燃え始めた。トランシーバーの先からも爆発音とガラスが飛び散る音が響いていた。ビルの下で待機していた隊員や栗原たちも、頭上から落下してくるガラス片と熱波で思わず顔を覆った。
「栗原さん……」
藤本が、栗原の顔を見て言った。栗原はしばらく唖然としていた。何も言えずにただビルを見つめている。
「栗原さん!中の隊員たちに指示を!」
栗原は、藤本のその言葉で正気を取り戻した。自分の口元にゆっくりとトランシーバーを近づけて言う。
「A班B班ともに安全を確保しろ。全員無事か?」
「こちらA班、先頭にいた隊員が二名負傷しました。今から下へ運びます」
隊員が冷静に話した。
「マル被が、まだビルのどこかに潜んでいるかもしれない。気をつけて退避しろ」
「了解」
栗原はそれ以上は何も言わなかった。
その後、隊員たちが廃ビルの階段を降りてきた。外にいた隊員たちは、すぐさま駆け寄って手当をしていた。
「栗原さん!」
ビルの中にいた隊員の一人が、栗原のところまで走ってきた。
「どうした?」
栗原が聞いた。
「爆弾の近くにこれが置かれていました」
隊員はそう言って、手に持ったしわだらけの一切れの紙を差し出した。
「ずっと自分が握っていたので、少しくしゃくしゃですが……」
『俺はここにはいない。遅かったな。by松田』
その言葉だけが紙に印刷されていた。
「藤本!ちょっと来てくれ!」
栗原は藤本を呼びつけた。
「この紙を急いで鑑識に回してくれ」
「分かりました」
藤本はポケットから取り出した白い手袋をはめて、栗原から紙を慎重に受け取った。
「騙された。俺らは完全に松田たちにハメられたんだ」
栗原は唐突にしゃべり始めた。その言葉はどこからか怒りが伺えた。
「え?」
藤本は聞き返した。
「この爆弾も警察への復讐の一環だ。わざと警察をこの廃ビルにおびき寄せて……」
「どういうことですか?」
藤本は、栗原が突然おかしなことを言い始めたと思い、もう一度聞き返した。
「その紙を見てみろ」
そう言われた藤本は、くしゃくしゃの紙を広げて印刷されている文字を読んだ。
「これって……」
藤本は栗原の顔を見つめて、しばらく考えた。
「でも、本当に松田たちの犯行でしょうか?これも吉田さんの事件みたいに模倣犯の可能性だって……」
「それはない」
栗原が食い気味に言った。
「あの防犯カメラに映っていた男の顔は、確実に松田匠海だった。この廃ビルに出入りしていたのは確かだ。確実にやつらは俺たちの近くまで来ている。復讐の機会を伺っているんだ」
「あれだけ巧妙な殺人をいくつも仕掛けてきた松田ですよ。こんな単純な手口で警察を誘い出すでしょうか?」
藤本は焦って聞いた。この一連の事件が松田の仕業だとは信じたくなかった。栗原は、その問いに至って冷静な口調で答えた。
「あの事件からもう十年以上経ってる。やつはどんな手口でも復讐してくるだろう」
次の日の朝早くから、二人は警察署で朝から捜査をしていた。
「藤本!捜査資料を保管庫に取りに行くんだが、手伝ってくれるか?」
栗原が、コーヒー片手にぼーっとしていた藤本に声をかけた。
「もちろんです」
藤本は慌てて目を覚まし、コーヒーを机に置いて立ち上がった。二人で警察署の地下一階にある資料室に向かった。藤本は寝ぼけていて、若干足元がおぼつかない。
「松田の資料ですか?」
藤本が尋ねた。
「いや、爆破関連の事件の資料を集めようと思ってな」
「流石ですね」
藤本は満面の笑みを浮かべて言った。
「何か松田の事件にも関連があるかもしれないな。過去三十年分の爆破事件の資料を振り返ってみよう」
栗原も笑顔で答えた。
「分かりました」
そんなことを言いながら階段を降りていくと、資料室にたどり着いた。ドアを開けると、そこにはいくつもの棚と資料が入った段ボールが大量に積まれていた。金属で組み上げられた棚は、資料室に冷たさと剛健さをもたらしていた。
「手分けして資料を集めよう。藤本はこっちの棚から回ってくれ」
栗原は自分の左側の棚を指差した。
「了解です!」
二人は、左右二手に分かれて資料を両手いっぱいに集めていく。
「これとこれと……。これもか」
藤本が独り言のように口づさむ。
しばらくすると、資料室の隅の方から栗原の叫ぶ声が聞こえてきた。
「おい!廣神!廣神!」
資料室に何度も何度も響き渡る。
「どうしたんだろう?」
藤本は違和感を覚えながら、声のする方へ向かった。
「栗原さん、どうかしましたか?」
棚の角から顔を出して、栗原に尋ねた。
「廣神が……」
床にしゃがんでいた栗原が振り返ると、その目は涙が溢れ出るのを持ちこたえるので精一杯だった。栗原の足元に誰か倒れている。胸の辺りから流血しているのが見えた。栗原の両手も真っ赤な血で染まっている。
「すぐに救急車を呼んできます!」
藤本は慌てて、資料室を飛び出して階段を駆け上がった。栗原の声は休まることなく、廣神の名前を叫び続けた。
「廣神!おい、廣神!しっかりしろ!」
十分後、救急車で複数人の救急隊が駆け付けた。既に署内の警察官が資料室に集まり、自由に身動きが取れないほどごった返していた。
「おい、廣神が撃たれてるって、どういうことだ?」
資料室内では、そんな声ばかりが聞こえた。
「救急隊が到着しました!」
階段の上の方から、若い刑事が叫んだ。
「栗原、もう無理だ。廣神から離れろ!あとは救急隊に任せよう」
周りにいた刑事たちが引き剥がすために言った。
「廣神!廣神!」
栗原はそんな言葉には耳を傾けることなく、必死に名前を叫んでいた。廣神の肩を掴んで離さない。
「廣神さん、離れてください!」
一人の刑事が栗原を完全に引き剥がした。
二人は第一発見者として事情聴取を受けた後、廣神が搬送された病院にいた。病室前の長椅子に座っている。栗原は落ち着きを取り戻した様子だった。
「廣神さんの死亡が確認されました。死因は、何者かに左肩を撃たれたことによる出血死でした」
藤本が冷静に話した。
「……」
栗原はどこか遠くを見つめているような目つきで、何も言わなかった。
「また松田の関連かと……」
冷静に藤本なりの見解を言った。
「そんなのは分かってる!俺のせいで廣神まで死んだ……。俺が松田を捕まえられなかったから……」
栗原が強い口調で言った。
「栗原さんは何も悪くない。こんなこと言わせないでください」
藤本は自然と涙を流していた。藤本が続ける。
「僕たちができるのは、いち早く松田たちを捕まえて、廣神さんたちの無念を晴らすだけです」
それを聞いて栗原も自然と涙を流していた。
「ごめんな廣神、元上司がこんなやつで……」
藤本は、廣神の代わりに深く頷いた。
「確実にやつが近づいている。警察内部にまで、協力者がいるのかもしれない」
栗原の表情は悔しさが滲んでいた。
<汗をかく焦燥感>
それから半年間、栗原と藤本たちは松田について捜査していたが、一向に新しい情報を掴めずにいた。
普段見かけない男が、何も言わずに会議室に入って来た。その目は真っすぐに栗原の方だけを向いている。
「刑事課長!今日はどうされましたか?」
藤本が即座に反応して男に言ったが、男はその呼びかけには応じなかった。その男は、東山警察署捜査一課の刑事課長のようだ。
「栗原くん。残念だが……」
刑事課長は栗原の前で立ち止まった。そして、胸ポケットから一枚の紙を取り出して机の上に広げた。栗原は、その紙と刑事課長の顔を交互に見た。
「松田の事件を捜査するのは、今日で一旦中止だ」
しばらくしてから刑事課長が言った。
「え、どうして?」
藤本が聞いたが、刑事課長はまた応じなかった。
「栗原なら分かるだろ。あの爆破事件の一件から、全く捜査状況が変わってない。本部も流石に、もう待てないんだよ……」
刑事課長は、少し悲しげな表情をしていた。
「栗原さん!何か言ってください!」
「藤本、少し落ち着け。俺らはあれから半年間、何も新たな情報を掴めてない。これは正しい決定だ。受け入れよう」
栗原が強い口調で訴えた。いつもの栗原とは少し様子が違った。
「でも……」
「『でも』じゃない!お前は、少しくらい自分の今後のキャリアのことを考えた方がいい……」
藤本は、次に言う言葉が思い浮かばなかった。
「俺もすぐそこに定年が迫ってる。刑事として担当する事件は、これが最後だと思ってたが、こんな終わり方とはな……」
栗原は窓の外を眺めながらそう言った。この窓から見える景色を見るのもこれが最後だった。
次の日から会議室の荷物はすべて取り払われて、その場所からは完全に人気がなくなった。栗原と藤本の二人は、東山警察署の交通安全課に配属され、パトロールの日々を送った。
今日も二人は街中をパトカーで巡回している。二人は周囲の車の様子に気を配る。街には日々、多種多様な経歴を持った人、多種多様な車で溢れかえっている。
「捜査一課から離れても、またこうやって栗原さんと仕事ができて嬉しいです」
「そうか?w。一台一台のスピードに注意してよく見てくれ!」
パトカーの助手席に乗っている栗原が、運転している藤本に向かって言った。
「分かりました。そういえば栗原さんは、捜査一課に配属される前は、交通安全課にいたって聞きました。腕利きだったって……」
藤本が、思い出したかのように言った。
「そんな話、誰から聞いたんだよw。俺は、お前が知ってるほど優秀な人間じゃない」
「栗原さんはもっと自信持ってくださいよ!」
藤本は、栗原を励ました。
「あのトラックを追ってくれ!」
栗原が、右斜め前にいた一台のトラックから目を離さずに言った。
「え?信号無視もしてないし、スピードも通常でしたよ……」
藤本は状況が掴めなかったので、栗原に尋ねた。
「いいから、早くあのトラックを追え!」
「は、はい……」
藤本はアクセルを踏んで、目の前を通ったトラックを追った。
「そこのトラック、今すぐ路肩に停車しなさい!」
トラックは栗原の指示通りすぐに路肩に停車し、運転手が降りてきた。栗原もパトカーを降りて、運転手の元に向かった。二人がしばらく話した後、栗原がパトカーに戻って来て、そのまま乗り込んだ。
「東山警察署に向かってくれ。トラックがその後をついてくる」
「警察署に戻るんですか?分かりました……」
藤本は、栗原に言われた通り東山警察署までパトカーを走らせた。二十分ほどパトカーを走らせると、警察署の駐車場に到着した。
「降りろ。トラックの重量を量るぞ」
「分かりました。準備します」
そう言って藤本は、署内にある簡易トラック重量計を取りに行った。駐車場にトラック重量計が用意されると、栗原はトラックの運転手に声を掛ける。
「こちらの重量計の上にトラックを載せてください」
トラックはゆっくりと前進して、重量計の上に載った。
「やっぱりな……」
栗原が重量計のメーターを見て、確信に満ちた声で言った。
「どういうことですか?」
藤本が尋ねた。
「過積載だよ。このトラックは規定重量よりも多くの荷物を載せている」
栗原は、藤本の目を真っすぐ見て言った。
「そういうことですか」
藤本は納得した表情を見せた。
「運転手さん、そのまま署の中でお話伺います」
栗原は運転手にそう声を掛けて、二人は一緒に署内へと入って行った。
しばらくすると、交通違反の処理を終えた栗原が、署内から戻ってきた。午後三時頃になっていた。署の外で待っていた藤本と目が合った。
「今のトラックの違反、よく気づきましたね!」
藤本は、明るい表情で栗原に言った。
「過積載のトラックはな、トラックの加減速のタイミングでわずかに荷台が沈むんだよ。それを見極めたまでだ」
栗原はいつもの穏やかな雰囲気で答えた。内心はとても得意げだった。
「栗原さん、流石です」
二人はそう言って、パトカーに戻ろうとした。
「今のって……」
藤本は、警察署の前の道を通り過ぎた一台の車に目が止まった。
「どうした?」
栗原も、藤本が見ていた車を目で追った。
「栗原さん!あの黒い車、追いましょう!」
藤本はそう言って、パトカーの運転席に乗り込んだ。
「何が見えた?」
「とりあえず乗ってください!」
藤本が運転席の窓から身を乗り出して、栗原に言った。栗原は一瞬戸惑った後、ドアを開けてパトカーの助手席に乗り込んだ。藤本は、栗原が乗り込むや否や間髪入れずにパトカーを発進させた。
「多分ですけど、あの黒い車の運転席に松田匠海の姿が見えました」
藤本は黒い車をまっすぐ見ながら、真剣な表情で話した。
「本当か?お前は運転に集中しろ!俺は本部に応援を要請する」
栗原はそのまま、無線で本部に連絡をしていた。
「相手に気づかれないように、車から適度に離れて追うんだ」
無線で連絡を取る傍ら、栗原は藤本にアドバイスをした。
「分かってます」
藤本は車を追うのに夢中だった。
「空港に入っていきました」
しばらく黒い車を追っていると、車は空港の立体駐車場に入って行った。
「その辺にパトカー止めろ。ここからは降りて追うぞ!」
栗原はそう言って、路肩にパトカーを止めさせた。二人はパトカーを降りて、松田匠海と思われる人物を追った。
「荷物が多めですね。もしかしたら海外逃亡かも」
その人物は、スーツケースと両手いっぱいの荷物を抱えて空港内へ入っていく。二人もその後に続いて空港に入っていった。
「顔がよく見えないな。松田匠海と背丈の情報は一致しているが……」
栗原がその人物の様子を伺いながら言った。その人物はフードを深く被っていて、顔がしっかり見えない。
「僕は顔を見ました。間違いない、あれは防犯カメラでも見た、あの松田匠海でした」
藤本は小声ながらも、自信がある口調で言った。
「分かった。お前を信じよう」
その間にも、その人物は手荷物検査と出国審査を終えて、飛行機とターミナルを繋ぐ連絡橋に入った。
「イギリスのロンドン行きの飛行機に乗ったようです」
藤本がその人物に指を差して言った。
その人物が機内に入ると、何の躊躇も無く藤本も機内へ入っていった。入口に立っていたCAは、いきなりチケットも持たない藤本が乗ってきたので何が起きているか分からず戸惑っていたが、その後に入ってきた栗原の警察手帳を見て、状況を察したようだった。
藤本は、狭い機内で他の乗客を避けながら松田匠海と思われる人物の背後まで向かった。栗原が気づいたとき、藤本の目の前にはその人物がいた。
「すみません。ちょっとお時間よろしいですか?」
藤本がその人物に声をかけた。
「おい、藤本!他の警察の応援が来るまで待て!」
後を追ってきた栗原が藤本を止めたが、既に声をかけた後だった。
「お前……」
その人物は、振り返って藤本の顔を凝視した。かなり驚いていたが、その顔は間違いなく松田匠海のようだった。
「松田匠海だな。逮捕する」
藤本が落ち着いた口調で言った。周囲の乗客も二人の異変に気づき、ざわつき始めた。
「おっと、待て!俺を今、ここで逮捕する気か?」
匠海はニヤリと微笑んで見せた。
「それなら止めておいた方がいい……」
「どういうことだ?」
藤本は、匠海が言う意味が分からなかった。
<運命と枯れた花>
次の瞬間、藤本の背中に冷たい金属のようなものが当たった。その物体は硬さがあり、背中にかなりの力で押し付けられている。さらに、その背後からは男の気配を感じた。匠海は目の前に立っている。では、藤本の後ろにいるのは誰なのか。
「そのまま振り返らずに両手を挙げて、その場に膝をつけ」
藤本の耳元で男の声が囁いた。
「俺一人だと思っただろ」
匠海が、膠着した状態で動けずにいた藤本に向かって言い放った。
「お前は誰だ?」
藤本は顔を動かすことなく口だけ動かして、背後の男に言った。
「いいから早く、しゃがんで膝をつけ!」
男は、藤本の質問には答えない。藤本の背中に当てているものを、さらに強く押し付けた。藤本は男の言う通りに両手を挙げて、その場に跪いた。
「お前一人でここに来たわけじゃないな。もう一人はどこにいる?」
「俺一人だ」
藤本はボソッと言った。匠海とは目を合わせようとしない。
「もう一人の警察官は、どこにいるかと聞いているんだ!」
男は強い口調で言い放った。男が大きな声を出したので、周囲の人は異変に気がついた。その場から立ち上がり散り散りに逃げ始めた。
「あの男、拳銃を持ってる!」
「ヤバい!逃げないと!」
「おい!早く飛行機から出ろ!」
乗客たちが逃げ回る声がそこら中に飛び交った。機内はパニック状態だ。その言葉で藤本も、自分の置かれた状況を察した。
「早く言わないと、お前殺されるぞ」
正面に立っている匠海が、藤本を見下すようにして言う。
「あそこにいる……」
藤本は、飛行機の搭乗口付近に立つ栗原に指を差した。栗原も男と目が合ったからには、逃げる訳にはいかなかった。
「そこに立ってるお前!こっちに来い!」
匠海は、栗原に目を合わせて自分の近くに来るように促した。そう言われた栗原は、匠海の指示に従い、ゆっくりと歩みを進めた。
「栗原さん、すみません」
藤本が申し訳なさそうに言った。
「お前は黙ってろ!」
背後に立つ男が、藤本に言う。
「お前も、手を挙げてその場に膝をつけ」
男は銃を栗原に向けて言った。
「分かった。言う通りにするから、まずお前の銃をおろしてくれ」
栗原は男に向かって懇願した。
「お前、誰に口きいてんだよ!」
匠海が、栗原に向かって怒鳴った。
「匠海は黙っていろ!」
その時、男は匠海の前に手を差し出して動きを静止させた。匠海も素直に引き下がった。
「やっぱり、お前松田匠海の父の”松田隆”だったんだな」
栗原が隆を下から見上げながら言った。
「その通りだよ。刑事さん」
隆は栗原に拳銃を向けたまま、ニヤけて見せた。藤本は思わぬ人物の登場に驚きを隠せないでいた。隆は話し続ける。
「刑事さんなら俺たちの目的が分かるだろ。まずはこの飛行機の全てのドアを閉鎖しろ。交渉はそれからだ」
「分かった。全てのドアを閉めさせる」
「正気ですか?栗原さん!」
藤本は、あり得ないという顔で小声で栗原に言った。
「今はやつらの指示に従うしかない」
栗原が苦い表情で答えた。
「分かりました……」
「他に要求は?」
栗原が再度、隆に尋ねた。
「ここに伊藤を呼べ!」
「伊藤?」
栗原は首を傾げた。
「あの元刑事の伊藤だよ。あいつをこの飛行機に連れて来いって言ってんだよ」
匠海は話に首をツッコむように、栗原に向かって叫んだ。
「伊藤は亡くなったよ……」
少し間を開けてから、栗原が口を開いた。
「伊藤が死んだ……?」
隆はカタコトになりながらも、変えられない現実を受け止めているような口ぶりだった。
「伊藤さんは、彼の息子が亡くなる少し前に亡くなったよ」
間髪入れず、栗原が説明した。
「俺はあいつに復讐するために、今の今まで準備してきたんだよ……」
匠海は憎しみを込めた声で、悔しそうに言った。
「……」
栗原は、その言葉をその胸に真摯に受け止めているようだった。
「分かった。じゃあ、メディアを呼べ!メディアの奴らをここに呼べ!テレビ、新聞、ラジオ何でもいい。とにかくここに呼べ!」
隆は、両目に薄っすら涙を浮かべながら栗原に訴えた。
「どうしてお前は、そんなにメディアにこだわるんだ?」
藤本が、隆に負けじと聞いた。
「俺はあいつらに人生めちゃくちゃにされたんだよ。伊藤に復讐できないのなら、メディアに復讐してやる。ただ、それだけだ」
「分かった。すぐに手配する。でも、その前に警察関係者以外の人たちを解放してくれないか?彼らは、お前の言う復讐には関係ないだろ?」
栗原はそんな中でも冷静に、一人の警察官として対処していた。機内には、栗原が見渡す限り、飛行機関係者を含めた大人七名ほどが取り残されていた。その中には、若い女性やお年寄りもいる。
「いや、こいつらも立派な人質だ。俺らの要求が通るまで、こいつらを解放するつもりはない」
隆が冷淡な口調で言う。
「いいかお前ら。少しでも変な動きをしたら、無事では帰れないと思え!」
匠海もカバンから拳銃を取り出し、乗客たちに突きつけ脅していた。機内には、信じられないほどの緊張感が走っていた。
「まずは、全てのドアと窓を閉めろ!」
隆が機内に聞こえるように大きな声で言った。
「おい!お前らもだ。ほら早く動け!」
匠海は、動けずにいた乗客に拳銃を向けて、窓を閉めるように促した。
「は、はい……」
拳銃を向けられた男性は、命令に素直に従い、自分の近くにある窓から閉め始めた。足にはまともに力が入っていなく、突然のこの状況に取り乱している様子だった。
「お前、俺の言うことが聞けないのか?早く窓を閉めろ!」
匠海は、機内の端の方で震えていた女性に銃口を向けた。
「おい!一般の乗客に手を出すな!」
藤本は女性の前に立ち、匠海に強い口調で言った。匠海は、藤本の額に銃口を押し当てた。
「お前、次、口ごたえしたら、どうなるか分かってんだろうな。俺は人間の一人や二人なら、平気で殺すぞ」
「俺は、どんな正義でもお前らのやり方を認めない」
藤本は、匠海の目を真っすぐ見て逸らさなかった。
「そういう警察官ほど、最初にダメになっていくんだよw」
藤本を小馬鹿にするように言った。
「そんなやり方は世間も許さないぞ」
「しぶといな。まあ、いい」
匠海は投げありにそう言った。
「うっ……」
突然、匠海の後方で、高齢の女性が両手で胸を押さえて倒れた。
「おい、どうした!?」
匠海は後ろを振り返って、高齢の女性の方を見て言った。その表情は唖然としていた。藤本は、そんな匠海を横目に、女性の方に近づいて呼びかけた。
「大丈夫ですか?大丈夫ですか?呼吸が乱れています」
「すぐにあの人を解放して、応急措置をしないと手遅れになるな」
栗原は、松田に冷静に提案した。
「そ、そんなことできるわけないだろ!」
匠海が慌てて言った。
「民間人が一人でも死んだら、警察はお前らの要求に従わなくなるぞ。重要な判断だ。どうする?」
栗原は、冷静な口調と感情を悟らせない表情を変えなかった。
「解放するのはあの女だけだ。他の奴らは大人しくしてろよ」
隆が不満そうな表情で言った。
ドン!!!
「痛ってえな!」
誰かが松田隆の背中に強く体当たりして、そのまま転倒させた。隆はうつ伏せに倒れている。
「何をしてる。その場に膝をつけ!」
隆は倒れてもひるむことなく、自分を倒した相手に銃を向けた。
「”太田”さん……」
栗原が目を丸くして言った。
<最後の交錯>
「申し訳ない。私まで正体がバレてしまった……」
その場に跪いている太田が、栗原と藤本の二人に向かって言った。
「太田さんって、あの”北川”警察署の捜査一課のエリートの……」
藤本は動揺を隠せなかった。
「なんだ、こいつも警察か。まあいい、警察官の人質が一人増えたわけだ」
匠海が呆れた表情で言う。
「匠海、手を貸してくれ」
床に倒れたままの隆が、匠海に頼んだ。匠海はすぐさま隆の傍に駆け寄り、肩を持って起き上がらせた。三人は同時に隆に目をやった。その注目は隆の右足に集まっている。長ズボンの裾からは金属で作られた隆の右足。
「伊藤に撃たれた右足が義足になっちまったよ。あいつも同じ体にしてやりたかった……」
隆は不器用な足を立たせながら言った。五人の間に一瞬、不穏な空気が流れた。
「太田さん、どうしてここに?」
栗原が、隣にいた太田に小声で聞いた。
「たまたま乗ってただけよ。とは言え、この男はあの連続殺人犯の松田隆で間違いないのか?」
太田も小声で早口で話した。
「はい。間違いないかと……」
栗原は大きく頷きながら答えた。
「だとしたら、彼は本気ね。早く取り押さえないとマズい」
太田は淡々としていた。
「栗原さん!まずは、高齢の女性を解放しないと!」
少し離れたところにいた藤本が、栗原を現実に引き戻した。藤本は背中に高齢の女性を背負い、搬送する準備が整っている。
「ドアを開けてくれ」
栗原が隆に言う。
「匠海、頼んだ」
松田は匠海に目配せをした。
「ついて来い」
匠海はそう言って、藤本を引き連れてドアへ向かった。その間も藤本たちはずっと銃を向けられている。
「もしお前まで逃げたら、中に残ってる人質たちがどうなるか分かってんだろうな?ドアを開けたら、そいつを降ろしてすぐに戻って来い」
「ああ、分かってる」
藤本は真剣なまなざしで返した。匠海はすぐにドアを開けて、女性を下ろした。女性は、空港のスタッフに車椅子に乗せられ、空港の中へ運ばれていった。
「ちゃんと戻ってきてやったぞ」
藤本が念を押すように、ドアの前に立つ匠海に言った。
「流石の正義感だな。さっさと戻れ」
匠海が藤本の腰に銃を突きつけ、機内に引き戻した。藤本は抵抗せずに機内に戻り、元いたところに座り込んだ。
それから、何時間か経過した。飛行機の外ではとっくに日が暮れている。誰も何もしゃべらずに、ただ刻々と時間だけが過ぎていった。
「おい!俺の要求はまだか!!」
隆が突然、大声で叫んだ。三人も、その声で隆の方に向き直る。
「父さん。飛行機の周りを機動隊が囲んでる。早くしないと時間の問題だ」
窓を少し開けて飛行機の周囲の様子を確認していた匠海が言った。
「もう時間がない……」
<そして終わりへ>
隆は、ズボンの右のポケットから銀色の装置を取り出した。中心に赤色のボタンが付いている。
「お前らなら、これが何か分かるよな」
その装置を見た三人はその場から一歩下がった。その顔には、より一層緊張感が走った。お互いの喉ごとけに刃物を当てがっている、そんな雰囲気だった
「爆弾だ。匠海が持ってきたスーツケースいっぱいに仕込んである。ここで爆発したらひとたまりもないな」
隆は、乗客の足元に置かれたスーツケースを見ながら言った。
「早まらないで。まずは落ち着いて」
太田が、隆から目を離さないようにじっと見ながら言った。
「黙れ。お前が早く俺の要求に応じいれば、こうはならなかった」
「メディアの手配が遅れているだけ。もう少し待って」
太田もそろそろ焦ってきた。
「早くしろ!」
隆は、左手に持った拳銃の先を太田に向けた。
「おい!この飛行機がテレビで中継されてるぞ!」
座席の背もたれについたモニターにニュース番組が映し出された。それを見た男性が言った。
「話が違うじゃないか!もうテレビ局は、空港に着いてるんだろ。早く中に入れろ!」
隆がさらに勢いづいた。
「落ち着け!もう少しで手配できる」
藤本も慎重に話して、隆を落ち着かせようとした。
「もう耐えるのは無理か……」
栗原はそう言って、その場からゆっくり立ち上がり、隆の方へ歩き出した。
「ちょっと栗原さん!何してるんですか!」
「栗原!止めて!」
藤本と太田は、慌てて止めようとした。
栗原はいきなり隆との距離を詰めて、正面に立っていた隆から拳銃を奪い取った。一瞬の月を突かれ、簡単に銃は奪われた。銃を奪われた隆はさらに興奮状態に陥った。
「殺してやる……」
栗原が震えた声で言った。その手には、拳銃が握られている。
「お!お前の元部下を殺された復讐か?さぞかし悔しかったろ、自分の元部下を殺されて」
匠海は、拳銃を奪われたことに驚きながらも、挑発するような口調で言った。
「吉田も廣神も、俺たちが殺した。あの廃ビルに爆弾を仕掛けたのもお前たちの予想通り、俺たちだ。吉田さんは、俺らのことを話した口止めのために、最近流行りの『闇バイト』で応募してきたやつにやらせたよ。便利な時代になったな〜。俺たちが手を下さなくても、誰かがやってくれる。爆弾は、お前たちを警察をおびき出すための罠。もっと殺せるはずだったんだけどな、ちょっと残念だ。廣神は俺たちの邪魔をしたから殺させてもらった。俺らが警察署の資料室で、必要な資料を見てただけなのに、あんなに騒ぎ立てるから……」
隆が淡々と言う。
「そんな理由で……」
栗原は銃を強く握り直した。額と手は汗で光っていた。
「お前まだ分かってないのか?世の中のほとんどの殺人に、そんな深い理由はないんだよw」
匠海が嘲笑うように言った。栗原は悔しかったが、何も言い返さなかった。言い返す資格はないと思った。
「元はお前たちが悪いんだ。警察がもっとしっかりしていれば、”芽依”は……俺の家族は救われてた……」
隆の表情と話し方からは、警察を恨んでいることが明確に伝わった。隆は話し続ける。
「匠海が伊藤に撃たれた俺を助け出してくれた。世間では俺が死んだと思わせて、今日の復讐の準備をしてた、すべては今日のためにあった。なのに、またお前たちが、警察が俺たちの邪魔をしてくる」
「それが俺たちの仕事だ。お前が許されることは一生ない」
栗原は、一言一言はっきり話していた。
「さあ、その俺を殺す気か?殺せるなら殺せ。俺はこの世に生きてても無駄な存在だ」
隆が冷淡な面持ちで言った。栗原の方に体を向けて、両手を広げている。
「栗原さん、ダメです!」
「お前は黙ってろ!」
栗原が怒鳴った。
「手が震えてるぞ」
匠海の挑発を聞いて、栗原の手がさらに震える。
「結局、お前は最初から、姉の芽依の復讐がしたいだけなんだろ?」
栗原が冷静な口調で切り出した。
「急にどうした?何が言いたい?」
隆が、問いただした。
「こんな復讐なんかしてないで、お前にはもっとするべきことがあったはずだろ」
栗原は必死に松田に訴えかけた。
「黙れ!黙れ!黙れ!黙れ……」
隆は頭を抱えて、しゃがみ込んだ。
「お前は、妹の復讐をするために、自分で簡単な道を選んでしまった。他にもっとできることはあったはずなのに」
「お前に俺の何が分かる?これが最善の道だった。これしかなかった!」
隆のその態度は冷静とは言えなかった。
「じゃあお前は、家族のために何をした?」
栗原は厳しい口調で尋ねた。
「は?」
「お前は家族という存在を犠牲にしてまで、姉の復讐のためだけに時間を使った。妻には捨てられて、息子を共犯者にして。お前はこの数十年、何をしてきた?」
栗原が再度、問いただした。
「そんなのは、誰かが喜ぶための偽善なんだよ!そんなことじゃ誰も助からないし、救われない。俺は、日本国民のために戦ってるんだ」
隆は、さらに目から涙を流した。
「父さんは、姉が亡くなってから変わってしまった。まるで別人のように……」
匠海が口を開いて慎重に話し始めた。
「急に何言ってる。父さんはずっと……」
「そんなことない!」
匠海は、隆の話を遮って話し続けた。
「ずっと復讐のことだけ考えて、僕と母さんのことなんて眼中になかった。僕が母さんに『父さんに会いたい』って言ったら、僕まで母さんに捨てられたよ。それからしばらく一人で生きてきた。やっとの思いで父さんのことを助けても、まだ復讐のことを考えてた。少しでも父さんの笑顔が見たくて、俺は復讐に加担するようになった。父さんの復讐が終われば、母さんも戻って来ると思った」
「今更、後悔してるのか?」
隆の声はあり得ない程震え、表情はこわばっていた。
「最近、母さんに会いに行った。もう父さんのことなんて忘れてたよ。綺麗さっぱり。この復讐で得たものは何もない。父さん、もうやめよう」
匠海が、優しく真っすぐな口調と表情で語りかけるように言った。
バン!!!!!
銃を撃った音が機内に響き渡った。
「匠海!」
太田が叫んだ。そのまま匠海のすぐ隣まで駆け寄った。 匠海はその場に倒れ込み、右足からは血がにじみ出ている。機内のカーペットにまで匠海の足から流れ出た血が染み込んでいる。一方で隆の手に握られた拳銃からは煙が出ていた。
「どうして息子を撃った?」
栗原が、隆に聞いた。隆は服の中に隠し持っていたもう一丁の銃で、匠海を撃ったようだ。その状況を見れば隆が撃ったことは一目瞭然。
「こんな弱い息子はもういらない」
松田隆の目はもう死んでいた。何のためらいもなく息子を撃った隆は、今までどこかに闇を潜めていたのか。一方で、栗原の目には涙が伺える。
「それが親の言うことか?」
「黙れ!ここまで来たら、やりきるしか無いんだ……」
隆はそう言って、爆弾の起爆装置のボタンに親指をかけた。一歩間違えればボタンを押してしまいそうだ。
「父さん、やめて!」
匠海が必死の思いで叫んだ。
「やめろ。その装置から手を離せ!」
栗原も一歩前に出て、止めに入った。
「芽依、伊藤……。もうすぐそっちにいくからね……」
その目は、抑えきれないほどの涙で溢れていた。そして、その目は天を仰ぎ見ていた。
隆の親指がボタンを強く押した。機内にいた人は一斉に顔を伏せた。
「あれ……どうして……?なんで爆発しない?」
隆は何度も繰り返し赤いボタンを押した。
「爆発しない……」
藤本は、顔をゆっくり上げながら言った。
「確保!!!」
栗原がありったけの力を振り絞った声で叫んだ。その声を皮切りに、飛行機を取り囲んでいた機動隊員たちが、ドアを蹴破って一気に機内へ流れ込んだ。
機動隊員は何の迷いもなく隆の方に向かい、そのまま制圧した。必死に手足を動かして抵抗していたが、何人もの機動隊員の前では歯が立たなかった。
「どうして俺が捕まらなくちゃいけない。俺は正しいことをしたまでだ!」
その時の顔は警察とメディアへの憎しみで満ちていた。栗原たちは、その様子をただ見ているしかなかった。
隆は、両脇を警官に抱えられて、飛行機のドアから伸びる階段を降りてきた。その表情は、どこか晴れ晴れとしているような感じがした。
「匠海!おい!匠海はどこだ?」
隆は確保されてからも、必死に息子の名前を叫んでいた。
「どこかに逃げたきり、まだ見つからないようだ。逃げられたか」
隣を歩いていた栗原が答えた。
「裏切られたのか、俺は……」
隆はそれまで必死に機動隊の静止に抵抗していたが、全身の力を抜いて肩をなでおろした。
「警察は必ずあいつを見つける。お前と同じように」
栗原はそう言って、パトカーに乗せられる松田隆を見送った。その姿は、どうしても連続殺人犯の姿とは思えなかった。隆を乗せたパトカーはゆっくりと発進していった。パトカーが見えなくなるところまで行くと、反対側から藤本が走って来た。
「栗原さん!機内にこれが……」
右手に小さな紙切れを持っている。
「これは?」
栗原が小さな紙切れを受け取りながら聞いた。
「機内の座席の上に置かれていました」
紙と藤本の顔を交互に見つめる。
『父さん、ごめんなさい。
爆弾は、事前に爆発しないものとすり替えさせてもらった。俺は父さんよりも強い存在になる。さようなら。
by 松田匠海』
これを読んだ栗原は、わずかに口角を上げて微笑んだ。
<晴れ晴れとした僕らの時間>
その日は、燦燦と太陽が照りつける暑い日だった。
「”栗原”さんここは?」
”藤本”は、石の階段をゆっくり上がりながら尋ねた。藤本の右手には、花屋さんで買ってきた花束が握られている。
「”伊藤”さんのお墓だ。彼はここに眠ってる」
『伊藤家』と書かれた墓石の前で二人は立ち止まった。伊藤は、しばらく墓石を見つめてから話し始めた。
「伊藤さんは、警察を辞めた後も松田の逮捕に尽力してくれた。警察関係者の鏡だよ」
「そうですね」
藤本はそう言って、手に持っていた花束を墓石に備え付けてある花立に入れた。今まで見てきたどの花よりも、美しく華麗に咲いているように見える。二人は墓石の前でしゃがんで手を合わせた。
「伊藤さん。やっと松田を逮捕しました……。俺たちは無念を晴らしました」
藤本は小さな声で囁いた。その声が伊藤に届いているかは、誰にも分からない。伊藤は立ち上がり、そのあとに続いて藤本も立ち上がった。
「よし。交通安全課の仕事に戻るか……」
栗原はすがすがしい表情で言った。
「そうですね」
藤本も頷いて、来た道を戻って行った。石段を一歩ずつ慎重に降りてゆく。




