第十六篇 ただならぬ出来事
黄泉がえりはなかなか動かない。というよりは、動けないの方が正しいだろうか。額から滲み出た汗が地面に落ちて染み込む。
しかし、依然として眼光は鋭く、竜也らを倒すという意思は変わっていないのだろう。
「何がお前をそこまで突き動かすんだ」
風津美比古が問いかける。黄泉がえりは何度か息を吸って吐いたのち、ゆっくりと口を開く。
「アイツが……アイツが悪いんだ! 俺以外の奴を好きになんてなりやがって!」
それは想像もしていなかった答えだった。
黄泉がえりはそれ以上話すことはなく、ユラユラと動いたと思ったら、瞬間的に暁歌の目の前まで迫っている。
短剣で切りつけられようとした瞬間、彼女はすぐさまそれに反応し、大幣を介して竜巻のような風を黄泉がえりにぶつけた。
風に押され、彼は地面に身体を打ち付けながら飛んでいき、暁歌も術の反動でよろける。それを風津美比古が受け止めた。
黄泉がえりは地面に打ち付けられ、転がったまま動かない。このまま還せるかと様子を見ていた時、ふと彼の指が動く。
人差し指が伸ばされ、その左腕ごとわずかに持ち上げられた。すると、上に咲いている藤の花びらがヒラヒラと舞い落ちる。黄泉がえりの傍まで落ちてきたと思うと同時に、花びらは瞬時に鋭い棘へと変貌した。
それらは見えている全ての者に向かって飛びかかってくる。
皆それぞれがそれぞれの対応をする。竜也は驚きつつもその棘を斬った。が、数個は斬り損ね、姿をくらましているはずの水月へと向かっていく。
––––しまっ……
彼がそう思うと同時に、水月は札で半透明の防壁のようなものを作り出した。藤の棘はそこにぶつかり、彼女自身に大事はなかった。
竜也はホッとするも、鍛錬の時のことを思い出した。
––––その攻撃で水月様が怪我をしたらどうするの!?
これでは、詩織が言っていた通りではないか。そう思うも、わずかに姿を見せた水月は、軽く微笑む。
どういう意図の笑みかはわからないが、少なくとも悪い意味ではなさそうだ。
黄泉がえりはその場から動くことなく、ただただ藤の花を棘に変え、攻撃をしてくる。完全に攻撃パターンを変えてきた。
無数の棘が彼らを襲う。斬って壊して凍らせて、繰り返し繰り返し攻撃を防いでいくが、だんだんと間に合わなくなった。
竜也の眼前に、いくつもの花びらが舞散り、視界が遮られる。奥から黄泉がえりが短刀を構え、迫ってきた。
咄嗟に刀を盾にするが、今度は力で押し負けそうだ。弱っているはずなのに、力は全く弱ってなどいない。
「しぶといっ……」
「藤は生命力が強いんだよ」
このままでは押し負ける。他の者が助けに行こうにも、藤で邪魔されて思うように進めない。
刃が眼前に迫り来る。
何か押し返すすべはないか。竜也には風の術を使う事はできないから、黄泉がえりを飛ばすことはできない。
氷を使って動きを止めることもできない。一人で冷静に考えることもできない。
––––何か、何か思い浮かんでくれよ……!
焦り思考を巡らせていると、ふと頭の中が静かになる感覚がした。何かを思い出した、そんな感じが。
––––お前なら、わかるだろう。
昔、何かの文献で読んだものを口に紡ぐ。
「懸けまくも畏き瀧祭大神よ、五十鈴に宿りし川の神よ。我が願いに応え、ここに現れ給え!」
唱える終わると、その場にいる全員が驚いた。本人ですら何が起こったのかわかっていない。
程なくして、虚空に大きな水の玉のようなものが現れる。そして、それは渦を巻いてリボンのように伸びていき、天に昇る頃には一人––––いや、一柱の男性が立っていた。
「……え、どこやここ」
困惑しながら呟いたのは、髪の長い男性。水色の髪が川のようにうねり、澄んだ水色の瞳を持っている。彼はキョロキョロとしながら、辺りの様子を伺っていた。
すると、固まっていた風津美比古がハッとしたように口を開く。
「た、瀧祭様……!」
「ん? ああ風津美比古か。これどういう状況?」
「え、あ……いや、俺にも何が何だか……」
煮え切らない返答に対し、瀧祭大神は困ったように後頭部をかいた。
それまで頭の理解が追いつかず、硬直していた黄泉がえりも我に返り、突如現れた男神に迫る。短刀を握りしめ、腹部を刺そうとするも、避けられ虚空を刺した。
「なんかよくわからんけど」
続けて、
「瀧祭の名において、神域今ここに」
彼が言うと、先程まであった藤の黄泉がえりの神域は、いつのまにか彼の神域へと変わっていた。
辺りには何も無い。いや、地面は水だ。彼らは今水の上に立っている。辺り一面に広がる水は、彼の神聖さそのものを表していた。空気は清らかで、とても心地が良い。
ほうと息を吐くのもつかの間、気づけば先程まで身体中にあった疲れが、どこかへ飛んでいた。
「……すごい」
水月は人知れず呟く。
竜也たちも、今までにない出来事に感嘆していた。
「––––んだ、なんだこれは!」
黄泉がえりは、困惑しながら叫ぶ。霊力量が自分より多いのか低いのか、それすら理解する間もなく神域が変えられた。本当に何もわからなかった。
ただ、普段は確実に葦原中国に降り立たない神が、なぜか今目の前にいる。それだけはわかったのだ。
黄泉がえりは悔しげに口を噛み締め、最も近くにいる詩織に狙いを定める。
もう藤は使えない。彼の藤を使う能力は、神域有りきと言っても過言ではなかった。彼は詩織に向かって短刀で刺しにかかる。
しかし、動きは突如止まった。何が起きたのかはわからない。違和感を持ち、自身の足元を見ると、鞭のように伸びた水が、彼の脚に巻きついていた。
「くそっ」
脚を動かしそれを取ろうとするが、全く取れない。短刀で切ってしまおう、そう思った矢先に殺気を感じた。
横から詩織が迫っていたのだ。彼女は大きく薙刀を振り、黄泉がえりの横腹を斬った。
黄泉がえりはその場に蹲る。もう勝ち目はないと悟ったのか、何もやり返しては来なかった。
あとは黄泉へ還せば終わり––––なのだが、なぜか水月はすぐには彼を還そうとはしない。ただ、迷ったように立っているだけ。
「どうしたんだよ、水月」
彼女は少しばかり間を開けたあと、ゆっくりと口を開いた。
「のう、お主が言っていたことが気になるんじゃ。少し話してみてはくれんか」




