表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
39/50

第39話

銀色に輝く巨大な船体が、青い空を滑るように進んでくる。

それは全長百二十メートルに達する、ヴァイスランド号だった。

機体の表面は、私が開発した軽量で丈夫なジュラルミン製の合金で覆われている。

太陽の光を反射して、眩しいほどの輝きを放っていた。

機体の下部には、石炭を燃料とする高出力の蒸気タービンエンジンが四基設置されている。

プロペラが回転する重低音が、都の広場にまで響き渡っていた。

私は、その光景を王宮のバルコニーから静かに見守る。


「……本当に、空を飛んでいる。夢ではないのですね」

隣に立つエリアーデが、震える声で呟いた。

彼女の目は潤み、手はバルコニーの手すりを固く握りしめている。

ジークフリードもまた、口を半開きにして空を見上げていた。

都の広場に集まった何万もの民衆は、一瞬の静寂の後、爆発的な歓声を上げた。

それは、恐怖を通り越した、純粋な驚きと歓喜の叫びだった。

人々は帽子を投げ、手を振り、新しい時代の象徴を歓迎している。


飛行船はゆっくりと高度を下げ、都の中央広場に設置された係留塔へと近づいてくる。

ギュンターさんが設計した、鋼鉄製の巨大な塔だ。

船体の先端から太いロープが投げ下ろされた。

地上で待機していたアルブレヒトの部下たちが、それを手際よく受け取る。

蒸気ウインチが音を立てて回り、巨体を地上へと引き寄せていく。

船体の側面から、浮力を調整するためのバラスト水が放出された。

細かい霧となって、虹色に輝きながら地上へと降り注ぐ。


「……着陸態勢、完了。エンジン停止」

操縦室にいる乗組員の合図とともに、プロペラの回転が止まった。

静寂が戻った広場に、プシューという蒸気の抜ける音が響き渡る。

飛行船は、寸分の狂いもなく係留塔へと固定された。

私は二人を促し、広場へと急いだ。

歴史が動く瞬間を、間近で確認しなければならない。

広場に降り立つと、そこには熱気が渦巻いていた。

人々は鉄の怪物を遠巻きに囲み、畏敬の念を持って見つめている。


船体の下部にあるゴンドラの扉が開いた。

中から出てきたのは、真っ黒に汚れながらも、誇らしげな表情をした乗組員たちだった。

その先頭に立つのは、ヴァイスランドで飛行船の開発を指揮していた若き技術者、ハンスだ。

彼は私を見つけると、深々と頭を下げた。

「リディア先生! ヴァイスランド号、ただいま到着いたしました!」

「お疲れ様、ハンス。素晴らしい飛行だったわ。機体の状況はどう?」

「はい! 高度五百メートルを維持し、速度は時速六十キロを記録しました」

ハンスは興奮を抑えきれない様子で、手元の記録簿を見せた。


「エンジンの振動も許容範囲内です。ガス袋のヘリウムの漏れもありません」

ヘリウム。

それは私がヴァイスランドの地下から採取した、燃えない軽い気体だ。

水素よりも安全性が高く、この巨大な船体を浮かせるための心臓部となっている。

私はその記録を注意深く読み取り、満足して頷いた。

「よかった。これで、空の道が完全に拓かれたわね」

ジークフリードが歩み寄り、ハンスの肩を力強く叩いた。

「よくやった、ハンス。君たちの勇気が、この国に新しい可能性をもたらしたのだ」


ハンスは顔を赤らめ、恐縮したように頭を下げた。

「ありがとうございます、大統領閣下。ですが、すべては先生の知識のおかげです」

そこへ、ギュンターさんが駆け寄ってきた。

彼は、自分が作り上げた機械が実際に空を飛んだことに、誰よりも感動していた。

「おい、ハンス! あのギヤの噛み合わせはどうだった! 異音はしなかったか!」

「ギュンターさん! 完璧でしたよ。あの高強度の鋼で作ったギヤは、一秒も止まらずに回り続けました」

二人は、専門的な機械の構造について熱心に話し始めた。

その姿は、国籍も身分も超えた、純粋な技術者同士のものだった。


エリアーデは、乗組員たちの健康状態を確認するために動いた。

「長旅でお疲れでしょう。目まいや吐き気はありませんか?」

「大丈夫です、エリアーデ先生! 空からの景色を見ていたら、疲れなんて吹き飛びましたよ」

乗組員たちは、口々に空からの素晴らしい光景を語った。

雲の上を飛んだこと。

地平線が丸く見えたこと。

街が、まるでおもちゃのように小さく見えたこと。

それは、魔法を使える選ばれた者だけが見ることのできた、神の視点だった。

それが今、科学の力によって、普通の人間にも共有されたのである。


私は、飛行船の巨大な側面に手を触れた。

金属の冷たさと、微かなエンジンの余熱が伝わってくる。

これは、ただの乗り物ではない。

物理学、化学、工学。

人間が積み重ねてきた英知の結晶なのだ。

私は集まった民衆の方を向き、声を張り上げた。

「皆さん! これが、私たちの科学の力です! 魔法を待つのではなく、自らの手で理を掴み取った結果です!」

「空は、もう遠い場所ではありません! 私たちの知識が、あそこへ届く道を繋いだのです!」


民衆から、再び地鳴りのような歓声が上がった。

彼らの瞳には、かつての絶望の影は微塵もない。

あるのは、次は何が起こるのだろうという、純粋な期待だけだった。

科学は、人々の心を前向きに変える力を持っていた。

不可能なことを可能にする過程を見せることで、自分たちの可能性を信じさせるのだ。

私は、ジークフリードとアルブレヒトを呼び寄せた。

「これからは、この飛行船を使って定期便を走らせましょう」

「王都とヴァイスランド、そして交易都市を結ぶ空の定期航路よ」


「それは素晴らしい。物の流通が、さらに加速するな」

ジークフリードが、計画の規模に目を細めた。

「警備体制も強化しなければなりませんね。空からの攻撃や、悪天候への対策も必要です」

アルブレヒトは、実務的な視点から課題を指摘した。

「ええ。気象観測の技術も発展させる必要があるわ。空を飛ぶには、空気の流れを正確に知らなければならないから」

私は、次々と浮かんでくる新しい課題に、心地よい高揚感を感じていた。

解決すべき問題があるということは、それだけ進化の余地があるということだ。


その日の夜、王宮ではささやかな、しかし熱気に満ちた祝宴が開かれた。

乗組員たちを主賓とし、科学者や技術者が一堂に会した。

彼らは、自分たちの研究がどのようにつながり、形になったのかを語り合った。

「先生。実は、ハンスたちが空から面白いものを見つけたと言っているんです」

エリアーデが、私の元へ一人の乗組員を連れてきた。

彼は、飛行船から望遠鏡で撮影したという、何枚かの写真を差し出した。

銀塩写真。

これも私が開発した、光を記録する技術だ。

「リディア先生、これを見てください。王都からさらに北西に進んだ未開の森の中に、奇妙な構造物が見えたのです」


私は写真を受け取り、明るい電気スタンドの下で詳しく観察した。

ざらついた白黒の画像の中に、木々に埋もれるようにして立つ、幾何学的な影が見える。

それは、自然にできた山や岩ではない。

明らかに、知性を持った存在が作り上げた、巨大な人工物だった。

「……これは、何かしら」

私は、写真の影に指を触れた。

直線と曲線が組み合わさった、この世界のどんな建築様式とも違う、異質な形。

「魔法の残滓は感じられませんでした。ただ、そこに建っている。それだけなのです」

乗組員の言葉に、私の科学者としての好奇心が激しく揺さぶられた。


「もしかしたら、私たちが知らない文明の跡かもしれないわね」

「あるいは、もっと別の何かか……」

ジークフリードも写真を覗き込み、険しい表情になった。

「調査が必要だな。この飛行船を使えば、あの場所まで数日でたどり着けるはずだ」

「ええ。準備を始めましょう。新しい発見は、常に科学を前進させるわ」

私たちは、祝宴の喧騒を離れ、別室で具体的な調査計画を練り始めた。

地図を広げ、写真の場所を特定していく。

座標の計算。

燃料の消費予測。

必要な観測機器の選定。

やるべきことは山積みだが、私たちの心は一点の曇りもなく、新しい未知へと向かっていた。


翌朝、私は早速ギュンターさんの工房へと向かった。

未開の地への遠征には、さらに頑丈な装備が必要になる。

「ギュンターさん、飛行船に搭載する探検用の機材を作りたいの」

「よう、嬢ちゃん! 今度は何を企んでるんだ。あの写真の場所に、乗り込むつもりか!」

ギュンターさんは、私の顔を見ただけで意図を察して笑った。

「ええ。空中から吊り下げて降下できる、丈夫なゴンドラが必要よ。それと、夜間でも周囲を照らせる強力な探照灯も」

「任せとけ。最高の材料を使って、びくともしねえやつを仕上げてやる」


ギュンターさんは、すぐに設計図を書き始めた。

彼の書く図面は、実用的で無駄がない。

私は彼の横で、材料の強度計算を行った。

鋼の引張強度。

重量バランス。

風圧に対する抵抗。

数式が、紙の上を埋め尽くしていく。

その作業は、まるでパズルを解くような、静かな興奮に満ちていた。

一時間後、私たちは完璧な装備の設計図を完成させた。


「これで、準備の半分は整ったわ」

「あとは、現地で何が起きても対応できるだけの薬品と食料ね」

私は、次にエリアーデの研究所へと向かった。

彼女はすでに、遠征用の医薬品リストを作成していた。

「先生、未知の病原体や毒素に備えて、広域スペクトルの解毒剤を増産しています」

「助かるわ。それと、高栄養の保存食も必要ね。現地で自給自足ができるとは限らないから」

「はい。ギュンターさんが開発した、真空包装の技術を使って、鮮度を保ったまま持ち運べるようにしています」


真空包装。

空気を抜くことで、微生物の繁殖を抑える技術だ。

これにより、長期間の保存が可能になった。

科学は、こうして一歩ずつ、人間の活動範囲を広げていく。

王宮の広場では、アルブレヒトが遠征部隊の訓練を行っていた。

「いいか! 空からの降下は、地上での戦いとは全く違う! ロープの扱いを体に叩き込め!」

彼の厳しい声が、響き渡る。

兵士たちは、真剣な表情で訓練に取り組んでいた。

彼らもまた、自分たちが歴史の最前線にいることを自覚しているのだ。


数日後、すべての準備が整った。

ヴァイスランド号のゴンドラには、最新の観測機器と食料、そして武装が積み込まれた。

ギュンターさんが作り上げた、真鍮製の巨大な探照灯が船体の先端に取り付けられている。

「リディア、俺も行く。国の代表として、そして一人の男として、この世界の真の姿を見届けたい」

ジークフリードが、探検用の活動服に身を包んで現れた。

大統領という激務を一時的にアルブレヒトに預け、彼は現場に出ることを選んだのだ。

「いいわ。その目は、これからの国を導くために必要なものを見るはずよ」


私たちは、再び空へと舞い上がった。

都の民衆が、米粒のように小さくなっていく。

風の音が、船体を包み込んだ。

「……目的地まで、あと三時間」

ハンスの報告を受け、私は望遠鏡を覗いた。

眼下に広がるのは、見渡す限りの深い緑。

そのどこかに、あの謎の構造物が眠っている。

雲の間から、鋭い陽光が森を照らしていた。

私は、未知への期待で胸が高鳴るのを感じていた。


やがて、森の様子が変わり始めた。

巨大な樹木が立ち並ぶ中に、不自然なほどまっすぐな石の道が見え始めたのだ。

道は苔に覆われ、所々で崩れている。

だが、その幾何学的な配置は、間違いなく高度な測量技術に基づいたものだった。

「……見えてきたわ」

森の中央に、写真で見たあの構造物が、その全容を現した。

それは高さ五十メートルはあろうかという、銀色の金属で作られた円錐形の建物だった。

周囲の樹木を寄せ付けないように、建物の周りだけは完全な更地になっている。

表面には、文字のような模様が刻まれていた。


「……あれは、魔導装置ではない」

ジークフリードが、絶句して呟いた。

「ええ。魔力の反応は皆無。でも、あの質感……。あれは、チタン合金だわ」

チタン合金。

この世界では、まだ精製すら不可能な、極めて高度な金属だ。

私の知識の中にはあるが、今の私たちの技術では作り出すことができない。

それが、なぜこの未開の森に建っているのか。

「……降下しましょう。あの中には、私たちが知るべき真実が眠っているはずよ」

私はハンスに合図を送った。

ヴァイスランド号は、円錐形の建物の真上に停滞した。

私たちはロープを使い、静かに未知の領域へと降り立っていった。




もし次の話が気になるなら、


⬇︎の(☆☆☆☆☆)を(★★★★★)に変更して、


次話をお待ちいただけますと幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ