第33話
宰相からの使者が到着するまで、あと三日。
ヴァイスランドの村は、これまでにないほど張り詰めた空気に包まれていた。
広場ではアルブレヒトの部隊が、新しい戦術の最終確認を行っている。
私は工房の奥で、ギュンターさんと向き合っていた。
私たちの前には、鈍い銀色の光を放つ巨大な鉄の筒が横たわっている。
これこそが、私たちの村の運命を左右する究極の兵器、大砲の試作一号機だ。
「……できたな、嬢ちゃん。俺の人生で一番の大仕事だったぜ」
ギュンターさんが、煤で汚れた顔をほころばせた。
その手は、何度も熱い鉄を打ち続けたせいで、豆がつぶれて血がにじんでいる。
彼の職人としての意地が、この完璧な砲身を作り上げたのだ。
私は、その滑らかな金属の肌にそっと触れた。
ひんやりとした冷たさの中に、とてつもないエネルギーを秘めているのが分かる。
内部は私の指示通り、二重構造の特殊な鋼で作られていた。
「ありがとうございます、ギュンターさん。これがあれば、どんな城壁も一撃ですわ」
私は、計算機代わりの紙に書かれた数値をもう一度確認した。
砲身の厚み、火薬の量、そして弾丸の重さ。
すべてのバランスが、物理学の法則に従って導き出されている。
「リディア先生、使者団の正確な位置が分かりました」
背後から、アルブレヒトの声がした。
彼は電信機から打ち出されたばかりの紙テープを手に、こちらへ駆け寄ってくる。
その足取りは、いつになく軽やかだった。
「交易都市の拠点からの報告です。使者団は現在、村から南へ十キロの地点を移動中。予定通り、明日の午前中には到着するとのことです」
「分かったわ、アルブレヒト。迎撃の準備をさらに進めてちょうだい」
私は、電信機の便利さを改めて感じていた。
王都では、いまだに早馬を走らせて情報を伝えている。
だが私たちは、数十キロ離れた場所の出来事を、数秒で知ることができるのだ。
情報という名の光。
それこそが、科学がもたらした最大の力の一つだった。
私たちは、常に敵の数手先を行くことができる。
「ところで先生、使者団の正体についてですが……」
アルブレヒトが、少し声を潜めて続けた。
「団長を務めるのは、男爵の位を持つ『バルツァー』という男だそうです。彼は宰相の懐刀と呼ばれ、交渉という名の脅迫を得意とする狡猾な人物だとか」
「バルツァー男爵、ですか。面白い相手になりそうですわね」
私は、にやりと笑った。
狡猾な交渉人。
それは、力だけでねじ伏せるよりも、ずっと科学的なアプローチが有効な相手だ。
私たちは、使者団を迎え入れるための会場の準備を始めた。
場所は、完成したばかりの鉄筋コンクリート造りの校舎だ。
そこは、私たちの技術と豊かさが最も分かりやすく形になっている場所だった。
教室の一つを、豪華な会議室へと作り変える。
村人たちが協力して、上等な木材で大きなテーブルと椅子を作ってくれた。
窓には、私たちが生み出した透き通ったガラスがはめ込まれている。
「エリアーデ、準備はいいかしら」
私は、薬学研究室で作業をしていた彼女に声をかけた。
彼女は、戦場で負傷者が出た際にすぐ対応できるよう、救急キットの最終点検をしていた。
「はい、先生。いつでも動けますわ。包帯も、消毒液も、十分に用意してあります」
エリアーデの顔には、かつての弱々しさはもうない。
一人の科学者として、毅然とした表情で私を見つめている。
「それと、ジークフリード殿下にお願いした件は?」
「ええ、あちらの部屋で必死に原稿を推敲していらっしゃいますわ。何度も書き直して、かなり気合が入っているようです」
「そう、それは頼もしいわね」
ジークフリード王子が、自らの言葉で王位の正当性を訴える。
それは、力による支配を否定し、民衆の心をつかむための最も強力な武器になる。
私たちは、武力と、知恵と、そして正義という三つの武器をそろえていた。
翌日の午前中。
ついに、王都からの使者団が村の入り口に姿を現した。
彼らは、王家の紋章旗を高く掲げ、豪華な馬車を連ねてやってきた。
その数は、警護の兵士を合わせて五十人ほどだ。
村の入り口では、アルブレヒトの防衛部隊が彼らを待ち構えていた。
彼らは鎧も着ず、ただの作業着のような格好で、手に持っているのは鉄の棒のようなものだった。
それは、私が特別に作らせた「ライフル」の試作機だったが、使者団にはただの杖にしか見えなかっただろう。
「止まれ! ここからは先は、許可なく立ち入ることは禁じられている」
アルブレヒトが、馬上の兵士たちに向かって鋭く叫んだ。
その声には、かつての近衛騎士団長としての威厳が満ちている。
馬車の中から、一人の男が顔を出した。
それが、バルツァー男爵だった。
彼は贅沢な絹の服を着て、宝石を散りばめた指輪をいくつもはめている。
その目は細く、常に相手を品定めしているような不気味な光を放っていた。
「ほう、これはこれは。近衛騎士団の誇りを捨てて、田舎の用心棒に成り下がったか、アルブレヒト殿」
バルツァーは、わざとらしくため息をついて見せた。
「私は国王陛下の名代として、和平の使いに来たのだ。通してもらおうか」
「和平の使い、ですか。それは奇特なことですな」
アルブレヒトは、冷たく笑った。
「だが、あいにくこの村の主はリディア先生だ。先生の許可なく、何人たりとも通すわけにはいかない」
「リディアだと? あの追放された令嬢がか」
バルツァーは、馬鹿にしたように鼻で笑った。
「魔女の妖術にでも、かかったのか。情けないことだ」
その時、私の声がスピーカーを通じて村中に響き渡った。
私は校舎の放送室から、彼らの様子をモニターで観察していたのだ。
「バルツァー男爵、遠路はるばるご苦労様です。歓迎いたしますわ」
突然、虚空から降ってきたような声に、使者団の間に動揺が走った。
馬たちは驚いて嘶き、兵士たちは周囲を警戒して剣を抜こうとする。
「な、何だ、この声は! どこにいる、リディア!」
「落ち着いてください。私は、皆様のすぐ近くにいますわ」
私は、あらかじめ設置しておいた大型の電光掲示板のスイッチを入れた。
それは、数千個の小さな電球を組み合わせた、この世界で初の巨大なスクリーンだった。
そこに、私の顔が大きく映し出される。
「ひ、ひいっ! 巨大な魔女が!」
兵士たちの中から、悲鳴が上がった。
バルツァーも、その圧倒的な光の映像を前にして、言葉を失って固まっている。
彼らの知る魔法の常識を、私たちは最初の一手で完結に打ち砕いたのだ。
「さあ、案内しますわ。私たちの新しい学び舎へ。そこで、ゆっくりとお話を伺いましょう」
私は、スクリーンの中から彼らに向かって優雅にほほえんだ。
アルブレヒトが、門を開く。
使者団は、まるで魔法にかけられたかのように、ふらふらと村の中へと進んでいった。
彼らが目にする村の景色は、まさに驚愕の連続だった。
まっすぐに伸びた、ゴミ一つない石畳の道。
そこに並ぶ、明るいガラス窓の家々。
村人たちは、清潔な服を着て、楽しそうに笑いながら働いている。
王都の、にごった空気と悪臭に満ちた裏通りとは、あまりにも違う。
そこには、新しい時代の豊かさが満ち溢れていた。
使者団は、やがて校舎の前に到着した。
コンクリートの巨大な壁と、きらきらと輝く窓。
その威厳のある姿を前に、彼らはただ圧倒されるしかなかった。
馬車から降りたバルツァー男爵は、膝が震えているのを必死に隠そうとしていた。
彼は、自分がとんでもない場所に来てしまったことを、本能的に悟っていたのだ。
「ようこそ、リディア記念学術院へ」
校舎の入り口で、私は彼らを迎えた。
私の隣には、エリアーデが静かに控えている。
さらにその後ろには、威厳のある服に着替えたジークフリード王子が立っていた。
「……ジ、ジークフリード殿下!」
バルツァーが、驚きのあまり叫んだ。
死んだと聞かされていた王子が、目の前で生きている。
それも、以前よりもずっとたくましく、王としての風格を漂わせて。
「久しぶりだな、バルツァー」
ジークフリードが、低く落ち着いた声で言った。
「宰相の犬として、わざわざこんなところまで来たのか」
「そ、それは……。殿下が生きておられたとは、望外の喜びでございます」
バルツァーは、慌ててひざまずいた。
しかし、その目は忙しく周囲を動いている。
どうやってこの危機を乗り越え、自分に有利な状況を作るか。
そのことだけを、必死に考えているのが丸分かりだった。
「挨拶はそれくらいにしましょう」
私は、彼らを会議室へと促した。
「さあ、中へどうぞ。素晴らしいおもてなしを、用意しておりますから」
会議室に入ると、そこには豪華な食事が用意されていた。
といっても、王都のような無駄なぜいたく品ではない。
この村で採れた新鮮な野菜と、私たちが開発した加工食品のフルコースだ。
「これは、氷ですか?」
バルツァーが、コップの中の透明な塊を見て目を見開いた。
真夏というのに、コップの中には冷たい氷が浮かんでいる。
この世界では、氷は冬に採取して魔法の冷蔵庫で保存する、金よりも高価なものだ。
「ええ、私たちの村では、いつでも氷を作ることができるのですわ」
私は、さりげなく自慢してみせた。
冷媒の気化熱を利用した、単純な製氷機。
その科学の結晶が、彼らの常識を再び塗り替えていく。
食事の間、バルツァーは終始無言だった。
一口食べるごとに、そのあまりのおいしさに驚き、そして恐れを感じているようだった。
魔法に頼らず、自分たちの力でこれほどの豊かさを築き上げた村。
その背後にある、底知れない技術力。
「さて、食事も終わったようですし、本題に入りましょうか」
私がそう切り出すと、バルツァーは背筋を伸ばした。
彼は、ようやく交渉人としての顔を取り戻したようだ。
「……リディア殿。そして、ジークフリード殿下」
彼は、慎重に言葉を選びながら話し始めた。
「宰相閣下は、これまでの不手際を深く反省しておられます。あなた方を追放したのは、あくまで王国の安泰を願っての、断腸の思いだったと」
「……ほう、それは初耳ですわね」
私は、鼻で笑った。
「ですが今は、状況が変わりました。王国内に、不穏な動きがあるのはご存知でしょう。そこで閣下は、あなた方と手を取り合い、新しい王国を築きたいと願っておられるのです」
「手を取り合う、ですか」
ジークフリードが、冷たい声で聞き返した。
「具体的には、どのような形で?」
「ジークフリード殿下を、正式な王位継承者として王都へ迎え入れます」
バルツァーは、一気に勝負に出た。
「そしてリディア殿には、王国の科学顧問として、絶大な権限を与えましょう。この村の技術を、王国全体の発展のために使っていただきたいのです」
「……素晴らしい提案ですわね」
私は、わざとらしく目を輝かせてみせた。
「ですが、一つだけ気になることがありますの。現在、王位を狙っている革新派の貴族たちや、あの中央の混乱をどう収めるおつもりかしら」
「それについては、ご安心ください」
バルツァーは、自信満々に笑った。
「宰相閣下には、秘策がございます。あなた方が王都に到着する頃には、すべての障害は取り除かれているでしょう」
秘策、という言葉に私はぴんときた。
それはおそらく、軍事力による強権的な弾圧のことだろう。
あるいは、私たちが王都へ向かう途中で、一網打尽にするという罠かもしれない。
「なるほど、それは心強いですわ」
私は、立ち上がって窓の外を指さした。
「ところで男爵、本題に入る前に、私たちの村の『新しい技術』を一つだけご覧いただきたいのです。平和のための、抑止力とでも言いましょうか」
「新しい技術、ですか」
バルツァーは、不思議そうな顔で私の後に続いた。
他の使者たちも、興味津々で窓際に集まる。
校舎の裏には、広い平原が広がっていた。
そこには、先ほどの大砲がどっしりと据え置かれている。
ギュンターさんが、砲弾を詰め、導火線に火を近づけて待機していた。
「あそこにある、あの古い岩山が見えますか」
私が指さしたのは、一キロ以上先にある、巨大な岩の塊だった。
それは、何百年もの間、風雪に耐えてきた頑丈な岩山だ。
「ええ、見えますが……。それが何か?」
「これから、あそこを狙って、私たちの科学の一撃を放ちます」
私が合図を出すと、ギュンターさんが力強くうなずいた。
「よし、撃てッ!」
彼の怒鳴り声と一緒に、導火線に火が走った。
次の瞬間、世界が爆発した。
ドゴォォォォォォォォォン!!
耳が潰れるような轟音と一緒に、砲口から目も眩むような閃光が走った。
すさまじい風圧が、校舎の窓ガラスを震わせる。
一キロ先の岩山に、一筋の光が吸い込まれていくのが見えた。
ドォォォォォォン!!
さらに大きな音がして、岩山が真っ赤な火柱とともに粉々に砕け散った。
数秒前までそこにあったはずの岩の塊が、ただの砂煙となって空に舞い上がる。
その圧倒的な破壊の力。
「……な、な……っ」
バルツァーは、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
彼の隣にいた兵士たちは、恐怖のあまり剣を落とし、ガタガタと震えている。
彼らが信じてきた「攻撃魔法」の威力を、遥かに超える、異次元の力。
それは、人の手が生み出した、神の裁きのようだった。
「これこそが、私たちの科学の力ですわ、バルツァー男爵」
私は、煙を上げる砲身を見つめながら静かに告げた。
「私たちは、和平を望んでいます。ですがそれは、あなた方の言いなりになるという意味ではありません」
「……この一撃が、もし王都に向けられたらどうなるか。宰相閣下によろしくお伝えくださいな」
私の言葉に、バルツァーは返事もできなかった。
ただ、大きくえぐられた岩山の跡を、信じられないものを見るような目で見つめ続けていた。
*
もし次の話が気になるなら、
⬇︎の(☆☆☆☆☆)を(★★★★★)に変更して、
次話をお待ちいただけますと幸いです。




