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第30話

地獄のような炎が、ヴァルデック伯爵の軍勢を焼き尽くした。

そのひどい光景を前に、村の防衛隊の兵士たちはただ立ち尽くすしかなかった。

彼らの顔には、恐怖と安堵が浮かんでいる。

そして、私への恐れにも似た尊敬の念が複雑に混じり合っていた。

アルブレヒトでさえ、その額に冷たい汗を滲ませていた。


「……先生。これが、あなたの力なのですね」

彼は、絞り出すような声で言った。

「ええ、これが科学の力よ。正しく使えば人々を豊かにする、しかし使い方を間違えればこれほどの破壊をもたらす。諸刃の剣なのよ」

私は、冷静に答えた。

そして、燃え盛る炎の向こうで未だに這いつくばっているヴァルデック伯爵に視線を移す。

「アルブレヒト、捕虜を確保して。生き残った者は、一人残らず捕らえなさい。特に、あの伯爵は重要な情報を握っているはずよ」

「はっ、承知しました!」


アルブレヒトの号令で、兵士たちが動き出す。

彼らは、火傷を負って動けない傭兵たちを次々と縛り上げていった。

ヴァルデック伯爵は、もはや何の抵抗も見せない。

おとなしく、縄についた。

その瞳は虚ろで、完全に心を折られてしまっているようだった。

戦いは、終わった。

あまりにも、あっけなく。


私は、すぐにジークフリードの小屋へと踵を返した。

もう一つの戦いが、まだ終わっていないからだ。

小屋に駆け込むと、エリアーデがまさに解毒薬を注射しようとしているところだった。

ジークフリードの呼吸は、ほとんど止まりかけている。

その顔は、死人のように青白かった。


「エリアーデ!」

「先生……! 今、薬を投与します!」

彼女の手は、極度の緊張でわずかに震えていた。

だがその瞳は、強い決意に満ちている。

彼女は、ジークフリードの腕の血管に慎重に針を刺した。

そして、黄金色の液体をゆっくりと彼の体内に注入していく。

一滴、また一滴と希望の雫が流れていく。

それは、彼の命を繋ぎとめようとするかのようだった。


注射が終わり、私たちは固唾を飲んで彼の様子を見守った。

一分、二分、十分と時間が過ぎる。

時間は、永遠のように長く感じられた。

ジークフリードの容態に、変化はない。

彼の体は、ぐったりとしたままだ。

「……だめ、だったのでしょうか」

エリアーデの声が、絶望に震える。

彼女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

その涙が、ジークフリードの頬に落ちた、その時だった。


「……っ!」

ジークフリードの体が、大きく痙攣した。

そして、激しく咳き込み始める。

「ゴホッ、ゲホッ、ゴホッ!」

彼が吐き出した痰には、黒い血の塊が混じっていた。

それは、毒素によって破壊された肺の組織の一部だった。

体内の毒が、排出され始めているのだ。

「脈が、戻ってきています!」

エリアーデが、彼の脈を取りながら叫んだ。

「呼吸も、少しずつですが深くなっていますわ!」

彼の顔に、わずかに血の気が戻ってきた。

死の淵から、彼はこちら側へと引き戻されつつあった。

私たちが作り上げた科学の薬が、魔法でも治せなかった死の病に打ち勝った瞬間だった。


「……やったのね、エリアーデ」

私は、安堵のため息をつきながら彼女の肩を抱いた。

「ええ、ええ……先生……!」

エリアーデは、私の胸に顔をうずめて泣きじゃくった。

それは、安堵と喜び、そして科学者としての大きな達成感から来る涙だった。


ジークフリードの容態は、それから数日かけてゆっくりと回復していった。

その間、私は捕虜にしたヴァルデック伯爵の尋問を行っていた。

場所は、校舎の地下に急遽作られた独房だ。

彼は、最初こそ貴族としてのプライドから口を固く閉ざしていた。

だが、私が目の前でいくつかの「化学実験」を見せてやった。

すると、恐怖に顔を引きつらせて全てを白状した。

私が作り出したのは、ごく弱い発煙性の酸だ。

人体に害はないが、煙と刺激臭で拷問のような雰囲気を出すことができる。


彼の自白によれば、やはり今回の襲撃はオルデンブルク侯爵の失脚に焦った保守派貴族たちが仕組んだものだった。

彼らは、ジークフリード王子を毒殺する。

その罪を私に着せることで、王都の革新派と辺境の私たちの両方を同時に潰そうと企んでいたのだ。

なんと、欲深く愚かな計画だろうか。

そして、その計画の中心には意外な人物の名前が挙がった。


「……宰相閣下、ですと?」

「そうだ。宰相閣下こそが、我々保守派の真の指導者なのだ」

ヴァルデック伯爵は、観念したように語った。

「宰相閣下は、革新派のふりをしながら裏では我々と通じていた。全ては、王国から不純な分子を排除する、古き良き秩序を取り戻すための壮大な芝居だったのだ」

信じられない、事実だった。

革新派のリーダーであるはずの宰相が、実は保守派の黒幕だったとは。

オルデンブルク侯爵の失脚さえも、全ては彼の筋書き通りだったのかもしれない。

彼は、邪魔な貴族たちを互いに争わせることで、漁夫の利を得ようとしていたのだ。

そして、最後に残った最大の邪魔者である私を、確実に潰すために。

私は、とんでもない怪物と戦っていたことを今更ながらに理解した。


その報告を、私は回復したジークフリードに伝えた。

彼は、全ての事実を知ると言葉を失い、ただ静かに天を仰いだ。

自分が、いかに多くの人間に操られ踊らされていたのか。

その愚かさを、彼は骨の髄まで思い知ったことだろう。

「……俺は、どうすればいい」

彼は、力なく呟いた。

「俺は、もはや王子ではない。国を追われ、味方に裏切られた、そして敵であるはずのお前に命を救われた。俺には、もう何も残っていない」


「いいえ、あなたにはまだ残っているものがありますわ」

私は、きっぱりと言った。

「アークライト王家の、正当な血筋というものがね」

「何、だと?」

「宰相は、おそらく国王陛下をもその手にかけ、自らが王位につくつもりでしょう。それを阻止できるのは、あなたしかいない。民が、そして王国が真に求める王は暴君でもなく、操り人形でもない。自らの過ちを認め、民のために尽くすことのできる指導者です」

「だが、俺にそんな資格が」

「資格は、これから作るのです。私たちが、あなたを真の王にしてみせますわ」

私のその言葉に、ジークフリードの瞳に再び光が宿った。

それは、復讐の炎ではない。

自らの運命に立ち向かい、王国を救うという新しい希望の光だった。


「リディア殿、俺は……」

「返事は、結構です。今は、体力を回復させることだけを考えてくださいな」

私はそう言うと、彼の部屋を後にした。

廊下では、エリアーデが心配そうな顔で待っていた。

「先生、ジークフリード様は」

「ええ、大丈夫よ。彼は、きっと立ち直るわ。そして、私たちの最も強力な仲間になる」


私たちは、顔を見合わせて微笑み合った。

王都では、邪悪な宰相がその牙を剥こうとしている。

だが、ここヴァイスランドには新しい時代の夜明けを告げる三つの太陽が昇ろうとしていた。

追放された令嬢、元聖女、そして再生の王子。

私たちの、王国を懸けた反撃は今、まさに始まろうとしていた。

私は執務室に戻ると、すぐに電信機に向かった。

交易都市の商人ギルド長へ、緊急の電文を送るためだ。

内容は、こうだ。


『王都の全貴族へ伝えよ。正当なる王位継承者ジークフリード王子は、聖女リディアの保護の下にあり。近々、王国の簒奪者を討つため、科学の軍団を率いて王都へ進軍する、と』

これは、壮大な宣戦布告だった。

私の打つ電鍵の音が、新しい時代の始まりを告げるファンファーレのように執務室に響き渡っていた。




もし次の話が気になるなら、


⬇︎の(☆☆☆☆☆)を(★★★★★)に変更して、


次話をお待ちいただけますと幸いです。

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