第26話
ジークフリードとの間に、奇妙な協力関係が生まれた。
その日から、彼は頻繁に私の執務室を訪れるようになったのだ。
もちろん、子供たちの世話という彼の「本業」を終えた後でだ。
彼は、自分が王位に返り咲くための壮大な計画を私に語った。
まるで、勝利を確信した将軍のように得意げな様子で聞かせてくれた。
「まず、王都にいる俺の支持者たちと連絡を取る必要がある」
彼は、私が用意したヴァイスランドの地図を広げた。
その上に、まるで駒を置くように指を滑らせる。
「特に、オルデンブルク侯爵は頼りになる。彼は俺の母親の実家であり、古くからの忠臣だ。彼に密書を送ることができれば、必ずや兵を挙げてくれるだろう」
「なるほど、オルデンブルク侯爵ですの」
私は、その名前を手元の紙に素早く書き留めた。
オルデンブルク侯爵は、王国内でも指折りの力を持つ貴族だ。
保守派貴族の、筆頭でもある。
魔力至上主義を掲げており、古くからの伝統を重んじるタイプの人間だと聞く。
彼がジークフリードを支持するのは、ある意味で当然のことだった。
「ですが、どうやって密書をお送りになるのですか?」
私が尋ねると、ジークフリードは待ってましたとばかりに胸を張った。
「それについては、すでに手を打ってある。この村に来る商人の中に、俺の息のかかった者が紛れ込んでいる。次の交易の際に、彼に密書を託す手はずになっているのだ」
「まあ、とても用意周到ですこと」
私は、心から感心したふりをした。
しかし心の中では、彼の考えの浅はかさを笑っていた。
彼は、自分の計画の全てをいとも簡単に私に明かしてしまっている。
私が、アルブレヒトを通じて全ての商人を監視していることなど夢にも思わないのだろう。
オルデンブルク侯爵、そしてその密偵商人。
これで、敵の重要な情報を二つも手に入れることができたのだ。
「リディア、貴様も早く電信網とやらを完成させろ」
ジークフリードは、命令口調で言った。
「それがあれば、もっと迅速に王都と連絡が取れるようになる。俺の計画も、より早く進むというものだ」
「ええ、分かっておりますわ。未来の、国王陛下」
私は、わざとらしく深々と頭を下げてみせた。
彼は、その呼び名にとても満足そうな表情を浮かべている。
本当に、扱いやすい男だった。
私は、彼が執務室から帰った後すぐさまアルブレヒトを呼んだ。
そして、ジークフリードから得た情報を全て彼に伝える。
「オルデンブルク侯爵、ですか。やはり、あの男が動きましたか」
アルブレヒトは、苦々しい表情で呟いた。
「彼は、私が近衛騎士団にいた頃から何かとジークフリード殿下を甘やかしていました。その、目に余る横暴を助長していた人物です。彼が権力を握れば、王国はさらに腐敗してしまうでしょう」
「そうね。だからこそ、私たちは彼らの計画を逆手に取るのよ」
私は、アルブレヒトに私の考えをはっきりと説明した。
「まず、その密偵商人をしばらく泳がせます。彼がジークフリードから密書を受け取る、その瞬間を確実に押さえるのです」
「そして、その密書をすり替えます。私たちが作った、偽の密書とね」
「偽の、密書ですか」
「ええ。その偽の密書には、こう書くのよ。『オルデンブルク侯爵の協力に感謝する。計画通り、周辺国の軍隊と手を組み王都へ進軍する準備が整った』とね」
私のそのとんでもない提案に、アルブレヒトは息を呑んだ。
「先生、それはあまりにも危険すぎます。周辺国を巻き込むなど、一歩間違えば王国全体を滅ぼす大戦争になりかねません」
「大丈夫よ、アルブレヒト。実際に、戦争を起こすわけではないわ」
「これは、情報戦なの。この偽の情報を、オルデンブルク侯爵だけでなく彼のライバルである他の貴族たちにも流すのよ。もちろん、それとなくね」
「なるほど。そうすれば、貴族たちは互いに疑心暗鬼に陥るというわけですね。ジークフリード殿下とオルデンブルク侯爵が、国を売ろうとしていると信じ込む。そして、彼らから離反していく、と」
「その通りよ。王国が内側から勝手に崩壊していくのを、私たちは高みの見物と洒落込みましょう」
私のその悪魔的な策略に、アルブレヒトはしばらく言葉を失っていた。
だがやがて、彼は決意を固めたように顔を上げる。
「……承知いたしました。全ては、先生のお考えのままに。このアルブレヒト、どのような汚れ仕事であろうとも必ずやり遂げてみせます」
彼は、もはや正義や騎士道だけではだめだと理解していた。
そんな綺麗事だけでは、この腐った世界を変えられないことを悟ったのだ。
時には、毒をもって毒を制す非情な判断も必要なのである。
こうして、私たちの壮大な情報操作計画が静かに始まった。
アルブレヒトは、最も信頼できる部下だけを選び出した。
そして、秘密裏に諜報部隊を組織する。
彼らは商人に化けて、近隣の都市へと散らっていった。
偽の情報を、それとなく酒場や市場で流すためだ。
一方、私はジークフリードを油断させるために電信網の建設をますます加速させた。
エリアーデが開発した碍子の大量生産法のおかげで、建設作業は驚くほどの速さで進んでいく。
電柱が、まるで生き物のように村から交易都市へと続く街道沿いに次々と伸びていった。
エリアーデ自身も、今や私の最も有能な助手の一人となっていた。
彼女は、碍子の生産管理を任されるだけではない。
私の研究室で、化学の基礎を猛烈な勢いで吸収していた。
かつて聖女として人々を癒した彼女の記憶力と集中力は、科学の分野でも存分に発揮された。
特に、薬学の分野では私を驚かせるほどの才能を見せ始めた。
様々な薬品の性質を覚え、それらを分類していくのだ。
「先生、この薬草から抽出した成分と、こちらの鉱物を組み合わせれば鎮痛剤が作れるかもしれません。より、強力なものがです」
彼女が、目を輝かせながら私に提案してくることも珍しくなかった。
私は、彼女の研究を全面的に支援することにした。
工房の隣には、彼女専用の小さな薬学研究室まで作ってやった。
彼女は、そこで昼も夜も研究に没頭するようになった。
その姿は、かつて私が前世でそうであったように純粋な探求心に満ちている。
まさしく、科学者の姿そのものだった。
彼女は、自分の辛い過去を完全に乗り越え新しい人生を見つけたのだ。
そんなある日、村の建設現場で一つの小さな事故が起こった。
高い電柱の上で作業をしていた若い村人が、足を滑らせて地面に転落してしまったのだ。
幸い、下に積んであった藁の山がクッションになった。
それで、命に別状はなかった。
だが、彼は足をひどく骨折してしまった。
知らせを聞いて、私とエリアーデがすぐに現場へと駆けつける。
若者は、地面にうずくまり激しい痛みに顔をゆがめていた。
彼の足は、ありえない方向にぐにゃりと曲がっている。
見ているだけで、こちらまで痛みが伝わってくるようだった。
「大丈夫ですか、しっかりなさい」
私が声をかけると、彼は涙ながらに訴えた。
「先生、俺の足はもう元には戻らないのでしょうか。もう、二度と歩けないのでしょうか」
彼のその絶望的な言葉に、周りに集まった村人たちの顔も暗く沈んだ。
この世界では、大きな怪我は死と同じ意味を持つことも少なくない。
たとえ命が助かっても、働き手としての人生はそこで終わってしまうのだ。
回復魔法の使い手も、この村にはいない。
いたとしても、複雑な骨折を完全に治すのは難しいだろう。
誰もが、諦めの空気に包まれたその時だった。
「待ってください、先生」
エリアーデが、一歩前に進み出た。
その手には、彼女がいつも持ち歩いている薬箱が握られている。
「まだ、諦めるのは早いです。私に、彼の足を診させてください」
彼女のその真剣な眼差しに、私は静かにうなずいた。
「……ええ、お願いするわ。エリアーデ先生」
私が初めて彼女を「先生」と呼んだことに、エリアーデは一瞬驚いた顔をした。
だがすぐに、その表情をきりりと引き締める。
彼女は、怪我をした若者の前にひざまずいた。
そして、その骨折した足を慎重に診察し始める。
その手つきは、驚くほど冷静で的確だった。
彼女は、もはや私の見習いではないのだ。
一人の、独立した医療科学者としてそこにいた。
「骨は、二箇所で折れていますね。ですが、幸いにも神経や大きな血管は傷ついていないようです」
彼女は、落ち着いた声で診断結果を告げた。
「これから、私が骨を正しい位置に戻します。少し痛みますが、どうか我慢してくださいね」
彼女はそう言うと、若者の足にそっと手を添えた。
そして、一気に力を込めて骨を元の位置へと戻す。
「ぐあっ」
若者が、短い悲鳴を上げた。
だが、それも一瞬のことだった。
次にエリアーデは、薬箱から奇妙な白い粉と濡れた布を取り出す。
「先生、以前教えていただいた石膏ですね。これを、使わせていただきます」
彼女は、石膏の粉を水で練り上げた。
それを、濡れた布に手際よく塗りつけていく。
そして、その布を添え木と共に若者の足に巻きつけていった。
石膏は、空気中の水分と反応してすぐに硬化を始める。
あっという間に、彼の足は白い石のようなギプスで固く固定された。
それは、骨折した部位を動かないように固定するための治療法だ。
骨が再びくっつくのを助ける、前世ではごく当たり前の方法だった。
「これで、よし。しばらくは安静が必要ですが、骨がつけばまた元通り歩けるようになりますよ」
エリアーデは、額の汗をぬぐいながら優しく微笑んだ。
その笑顔は、かつて彼女が聖女と呼ばれていた頃のどんな時よりも神々しい。
そして、何よりも美しく見えた。
周りで見ていた村人たちから、大きな歓声と拍手が湧き起こる。
「すげえ、エリアーデ様が、大怪我を治しちまったぞ」
「まるで、本物の聖女様みてえだ」
その賞賛の声を、エリアーデは少し照れくさそうに聞いていた。
しかし、その表情は誇らしげでもある。
私もまた、その光景を満足げに眺めていた。
私のまいた科学の種が、この村で確かに芽吹いている。
そして、新しい花を咲かせようとしているのだ。
その成長は、もはや私の手を離れた。
村人たち自身の力で、未来へと続いていくのだろう。
私は、空高く伸びる電信柱を見上げた。
それは、交易都市へと続く希望の道だ。
アルブレヒトが仕掛けた情報戦の網が、今まさに王都を静かに包み込もうとしている。
全ては、順調に進んでいた。
だが、歴史とは常に予測不能な出来事によって大きく動く。
そのことを、私はこの数日後に思い知らされることになった。
交易都市から戻ってきたアルブレヒトの部下が、私の執務室に飛び込んできたのだ。
一通の、緊急電信を携えていた。
その電文に書かれていた短い一文を読んだ時、私は自分の目を疑った。
そこには、こう記されていた。
『国王陛下、崩御。王都、内戦状態に突入せり』
アルブレヒトが、ゆっくりと最後の杭を打ち込んでいた。
それは、電柱を固定するための杭である。
彼の額には、玉のような汗が光っていた。
「よし、これでよし。皆、ご苦労だったな」
彼のその声に、周りで作業をしていた元騎士たちが安堵の息を漏らした。
目の前には、まっすぐに空へと伸びる電信柱がある。
交易都市へと続く、最後の電信柱だ。
この一本が繋がれば、ついにヴァイスランドと外部世界を結ぶ情報網が完成する。
男たちは、達成感に満ちた顔で互いに顔を見合わせ、にこやかに笑い合った。




