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空間が、軋んだ。
視界の端で、リングを囲う結界が歪み、青白い火花を散らす。
衝撃波と衝撃波が重なり合い、空気が振動しすぎて音を拒んでいる。
リーメイが息を吸う。
両腕に蒼い紋様が走り、足元の床に蜘蛛の巣状の亀裂が広がった。
「――《震極掌・崩界》」
瞬間、地面が波打った。
大地が生き物のようにうねり、音もなく衝撃が世界を駆け抜ける。
観客席の防壁に無数の光が走り、教師たちが立ち上がる。
《最大出力か!?》《やばい、結界が――!》
リーメイが踏み込み、拳を突き出した。
空気が割れ、層になった振動波が悠真を飲み込む。
センサーが同時に赤点滅し、観測値が跳ね上がった。
速度、出力、密度――どれを取ってもSランクを遥かに超えている。
それでも悠真は、一歩も退かない。
「これは……効くな。」
静かな声。
次の瞬間、彼の拳が閃いた。
――空気が、消えた。
音が、止まり、世界の輪郭が消失する。
振動も、波動も、存在できない。
まるで衝撃という概念そのものが、拒絶された。
リーメイの拳が止まった。
彼女の瞳が見開かれる。
衝撃波が逆流し、身体中を駆け上がる。
「……なっ、何……これ……!?」
拳を伝っていたはずの震動が、反転していた。
悠真の一撃は、力そのもの。
それは、振動の媒質そのものを無視する存在の通過だった。
拳と拳がぶつかる。
一瞬の静寂。
次の瞬間――リングが吹き飛んだ。
爆風が走り、砂塵が舞い上がり、観客席に衝撃が届く。
結界の中で光が暴れ、映像が白飛びする。
《視界が!》《何が起きた!?》《結界が沈んでる!?》
白光の中、二人の姿がゆっくりと浮かび上がる。
リーメイが膝をついている。
悠真はその前で、拳を下ろしたまま、無言で立っていた。
リング中央に、淡い風が吹く。
砂が渦を描き、崩壊した床の跡だけが残る。
風が止んだ。
砂塵がゆっくりと沈み、観客席のざわめきも遠ざかっていく。
照明の残光の中で、悠真とリーメイの姿がはっきりと見えた。
リーメイは膝をつき、拳を握ったまま動かない。
足が震え、口元から薄く笑みが漏れる。
「……負けたアル。けど、悔いはないネ。」
悠真はゆっくりと拳を下ろし、わずかに首を傾けた。
「……強かった。久しぶりに手応えがあった。」
リーメイが顔を上げる。
その瞳には、恐怖ではなく、純粋な敬意が宿っていた。
「これが、世界を壊す拳アルか。」
「…ははっ…壊してるつもりはない、んだよな。ただ、世界が止められないだけだ。」
短い沈黙。
審判が震える声でマイクを持ち上げる。
「――勝者、相原悠真!!!」
爆発のような歓声が起きた。
結界越しに観客が立ち上がり、ドローンカメラが一斉に彼を映す。
《無傷継続!》《物理頂上戦、クラッシャーの勝利!》《世界最強の男!》
SNSのトレンドが瞬時に更新される。
悠真はリングの中心で立ち止まり、静かに息を整えた。
拍手も歓声も、遠く聞こえる。
ただ一つ、目の前の戦友に視線を向けた。
リーメイは肩をすくめるように笑った。
「……また戦うアルよ。今度は、勝つ。」
「楽しみにしてる。」
その短い言葉だけを交わし、二人はそれぞれの方向へ歩き出した。
――試合終了後。
学園の研究棟。
篠原と研究員たちが、モニター前でデータを確認していた。
複数のグラフが波形のまま途切れ、エラー表示が赤く点滅している。
「……また、結界反応ゼロです。」
「出力波形も追えません。計測装置が上限を超えてます。」
「――馬鹿な。Sランク戦用のセンサーだぞ……?」
篠原は腕を組み、静かに画面を見つめた。
「……違う。上限を超えたんじゃない。
想定範囲の中にいないだけだ。」
研究員たちが顔を見合わせる。
「つまり、何者なんです?」
「単純な話だ。」
篠原はゆっくりと息を吐いた。
「――数値で説明できない力そのもの。
理屈じゃなく、存在が暴力的に上回ってる。
あれは……規格外の、そうだな。ステータスの塊だ。」
誰も言葉を返せなかった。
モニターの中で、悠真が照明の光を背にして歩いていく。
焦げ跡ひとつ残さず、ただ静かに。
その背中を見つめながら、篠原はぽつりと呟く。
「……ああいうのを、最上位個体って言うんだろうな。」




