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 投げ飛ばしたゴブリンの呻きが闇に溶け、静けさが戻る。

 壁に滑り落ちた小さな体を一瞥して、俺は握っていた拳をゆっくりほどいた。

(……倒した。ただ力任せにせず、だ)

 骨を砕く感触が掌に残っていないことが、こんなにも軽い。胸の奥に小さな熱が灯る。

 視界の端、配信オーバーレイの数字がじわじわ増えていく。

《視聴者数:41,231》

《今の投げだったよな?》

《クラッシャーが“クラッシャー(壊さない)”してるぞw》

《動きが前より滑らか。マジで制御覚えた?》

 苦笑しつつ、俺は息を整えて奥へ踏み出した。呼気に混じる鉄の匂い。足音と岩肌が擦れる音。新宿ダンジョンの空気は、あの“転移事故”の夜から何ひとつ変わっていないはずなのに――俺は、変わった。変われてるだろうか。


 角を曲がる。湿った通路の先、緑色の眼が四つ、五つ。

 ゴブリンの群れが気づき、甲高い声とともにばらけて突っ込んでくる。

「……よし。力を抜いて、流す」

 一体目。伸びてきた腕を取って、半歩ずらし――

 ドガァン!

 背中から壁。石粉が舞い、ゴブリンがめり込む。

「……やっちまった」

《結局ぶっ壊してて草》

《安心のクラッシャー品質》

《投げ=投げつけ、の意?》

 肩で笑い、呼吸を深くひとつ。篠原先生の声が脳裏で響く――力を込めるな、抜け。相手の勢いだけを借りろ。

 くる──二体目。今度は肩口を払って、腰を回さず、足幅そのまま。力は載せない。ほんの指で方向を変えるだけ。

 ゴブリンは自分の勢いに躓き、半回転して床に落ち、頭を打って動かなくなった。

「……よし」

《いまの見た?》

《音が軽い。衝撃殺してる》

《“受け流し”だな。これなら近くに仲間いても危なくない》

 三体目は警戒して左右に揺さぶってくる。掴みに行くのはやめ、足を引っかけるように軸を払う。

 倒れ際に腕を伸ばしてきたので、そこだけ外へ弾いて体勢を崩す。息を吸って、吐く。狙うは顎、軽く一撃――

 コツ、と小さな音。ゴブリンは悲鳴もなく脱力した。

(……いける)

 掌の中、暴れ馬みたいだった力が、糸で操れる程度の重みへと変わっていく。

 コメントは相変わらずうるさいが、流れのノイズがどこか遠い。

《前より怖くない》

《いや十分怖いんだよな。軽くやって倒してるのが余計怖い》

《制御しながらこの反応速度はやばい。素材が違う》


 通路が緩やかに下り、湿り気が増す。岩壁の苔が青白く光り、広間の手前で冷気が一段濃くなった。

 鼻先に、獣の匂い。

 広間に踏み入れると、灰色の影が低く唸った。狼型モンスター――四体。こちらの出鼻を挫くように、最も近い一体が床を蹴る。

「速い」

 手は出さない。体のみで避け、肩を掠める牙を紙一重でやり過ごす。

 背後に回り込もうとする二体目の足音。通路側へ退かず、あえて中央へ一歩。包囲を崩す。

 噛みつきが交錯する瞬間、先頭の狼の脇腹――柔らかい肋の間を狙って、一点だけを叩く。

 打撃は深追いせず、潰さず、沈ませる。

 シュッ――

 空気の抜ける音。狼が崩れ、床を滑る。

 残りは威嚇の声を数度上げたが、後退の合図で散った。追わない。

《今の一撃なに?音が違った》

《脇腹に軽く刺すみたいに入れてた。殺してない。落としてる》

《クラッシャーの“使い分け”が見えた回》

 自分の胸が少しだけ高く上下している。汗は額に出た程度。

 手の甲を振って、残った痺れを散らす。

(力を抜く。壊さずに制す。いける。……でも)

 広間の奥、暗がりに、黒ずんだ影が幾つも横たわっていた。

 近づくにつれ、匂いが濃くなる。鉄と焦げの混じった、嫌な残り香。

「……なんだ、これ」

 モンスターの死体。ゴブリンに混じって、狼も。どれも斬られたように裂け、焼け焦げた痕もある。

 喉元だけを鋭く断たれ、返り血は最小。手際が良すぎる。だが――

「魔石、抜いてない……?」

 モンスターの体内に淡い光。見慣れた楕円の輝きが、そのまま残っている。

 誰かが狩ったなら、まず間違いなく回収する。お金になるからだ。

 なのに、これは放置。数も多い。

《え、魔石そのままはおかしい》

《人間の仕業なら持ってくでしょ》

《異常個体? でも焼け跡ってことは火系?》

《いや斬り口が綺麗すぎる。人の剣術ぽい》

《ダンジョン管理の討伐じゃないの?》

《公式の掲示出てない。非常時アラートも来てない》

 コメント欄がざわめき、流速が上がる。

 視聴者数も、また一段跳ねた。

《視聴者数:68,790》

(……嫌な匂いだ...ただただ轢き殺されている。)

 ――久しぶりの新宿ダンジョン。その再会は、決して穏やかなものではなかった。


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