69 別離(1)
レイムナートが女王直轄近衛騎士団に連行されている頃、アリーシアはその指輪を暖炉にくべて、約束の相手をただ待っていた。
とはいえ、あんな約束で本当に来るのだろうか。
信頼してよいかまだわからない、けれど今の状況を打破するにはこの方法しかない。
そう思いあぐねていると窓の外にコツコツと軽い音がする。
見やると屋根から逆さまにぶら下がって窓を覗く、ジェットの姿があった。
まさか本当に駆けつけてくるとは、それもこんな所から…
信じられないという表情でアリーシアは急いで窓を開けるとその表情を見て見すかしたようにジェットは快活に笑った。
「だから言っただろ?すぐに駆けつけるってさ!」
急いでアリーシアは鍵をかけられた扉を開けるようジェットに頼んだ。
難なくその扉をジェットは自身の炎とともに蹴破った。
さすがにやり口が乱暴すぎる気がしてアリーシアは目を細める。
その音で駆け付けたメイドと執事がアリーシアの姿を見て顔を真っ青にし、そしてジェットを見て素早く戦闘の態勢をとった。慌ててアリーシアは間に入り説明し、状況を執事に尋ねた。
「旦那様は連行されました…王宮の近衛騎士団です…」
沈痛な面持ちでジーンが俯く。その意味をアリーシアはまだよく理解できずにいると腕を組むジェットが軽い口調で
「あいつが覚醒したんだろ、まあつまり、春の女王が玉座に返り咲いたのさ」
女王の暴君ぶりは何となく知ってはいたがそれとレイムナートのなんの繋がりがあるのかアリーシアはわかりかねた。
「ああ、そうだなあ…以前なんかあったのかもしれんが、それはともかく、あいつは綺麗な若い男が大好きだからな、眷属にするかなんかで、連れてったんだろ?」
ジェットはこともなげに、適当な口調でそう言う。
アリーシアの顔色がさっと変わった。
それではもう二度と彼に会う事はできないのだろうか。
「ジェット、お願いです、私を王宮へ連れて行ってください」
アリーシアは決意をこめて懇願した。
「奥様!」
執事もメイドも一様に動揺して取りすがる。
アリーシアは大丈夫、と頷いて安心させた。
「いいぜ、あんたには借りがあるからな」
ジェットはにやりと笑うとそのまま外へと出て行った。
「奥様…どうか、どうか旦那様の事を…」
心配するジーンにアリーシアは微笑んだ。
(彼が眷属の地位を望むのであれば、私は彼を心から祝福しよう…)
けれど、この気持ちを、想いをありのままに彼に伝えなければならない。
彼は言ったから、
『…ただ…もし私に対する気持ちへの答えが出た時は、どうか話してください
…いつでも、どんな時でも、どんな答えであっても、私は待っています』
その約束を破る事だけはできない。
「よう、乗ってけよ、お嬢さん」
外に出たアリーシアを待っていたのは、これまで見たこともない黒く染まる金属と見慣れない円形の足のようなものが二つついた、爆音を響かせる大きな馬のごとき乗り物であった。
その乗り物にまたがるジェットが白い歯を輝かせてにやりと笑った。
爆音を響かせながらその乗り物は馬などとは比べ物にならない速さで道を突き進んでいく。
その音と振動にアリーシアはたまらずジェットの背中にしがみつくしかなかった。
道行く人々は信じられないものを見るかのように驚愕と恐れに染まっていた。
その中をジェットは笑いながらハンドルを捌き突き進んでいく。
侯爵邸から王宮までは少なくとも半日はかかる道のりである。その道のりをジェットはほんの1時間たらずでたどり着いた。
慣れない乗り物で王宮前の入り口から少し離れたところで、アリーシアはしばらく蒼白の顔色で息を整えていた。
「楽しかっただろ?俺のバイク、なんならこれで冬の国にまで連れてってやるよ」
にやにやとジェットがバイクに跨りながら腕を組む。
アリーシアは溜息を深くついた。冬の国も気になるが今はレイムナートの事だ。ここまで勢いで来たものの、まだ伝えられるほどの言葉にはなっていない。
そもそも、王宮に来たところで、彼に会わせてもらえるのだろうか…
思い悩むアリーシアを見て、ジェットは軽く笑った。
「あいつはあんたの事待ってると思うぜ?行ってやれよ、喜ぶだろうからさ」
意味深な笑みを含んだ流し目で王宮を見やる。その相手の事をアリーシアはレイムナートの事だと思った。
それで意を決して王宮へと歩き出す。
「俺はここで待ってるからさあ、終わったら一緒に行こうな!」
背後からジェットが声をかけてくるが緊張と不安でアリーシアは振り返る余裕さえなかった。
王宮の入り口まで来た時、間違いなく両脇に立ちふさがる衛兵に拒否されるだろうと覚悟をしていたはずが、思いのほかあっさりとアリーシアは中へと促される。そうして色鮮やかな薄紅色の絨毯が敷き詰められた廊下の先の部屋へと促され入ってみると、
「お姉さま!!」
抱き着かんばかりに妹、リナーチェの姿がそこにあった。
その頭上には輝ける王冠。社交界も世事にも疎いアリーシアにでさえわかる。
「リナーチェが春の女王だったのか…」
さほど驚く気持ちもなかった。
これほど美しく春を体現する少女は他にいないのだから。
「うふふっ、お姉さまったらそれでも変わらないのね!でもいいの、そんなことよりも祝福しにきてくれたんでしょ?」
リナーチェは薄く笑い、そうしてアリーシアの腕に以前と変わらず親し気に取りすがる。
女王の覚醒についての祝いかとアリーシアは思い、口を開きかけた。
「あたしとレイムナートの結婚式よ!」
瞬間、心がしんと冷たくなった。
「ああ、お姉さまと彼との婚約はもちろん破棄になったから安心して?これで彼はあたしの眷属になるの!ねえ!もちろんお祝いしてくれるでしょう!?」
輝くような愛らしい笑顔でリナーチェは顔を寄せてくる。
アリーシアの胸も頭の中も混乱して何一つ言葉が出てこない。ただ、心のどこかで覚悟はしていたことだ。絞り出すような声がようやく口からこぼれた。
「……ああ…おめでとう、リナーチェ…」
それでにっこりとリナーチェは微笑んでアリーシアへ抱き着く。
「それじゃあ最後に彼にお別れを言ってあげて?」
思いもよらずレイムナートにまた出会えることにアリーシアは胸の鼓動が高鳴った。
もしかしたら…もしかしたら彼が考え直すかもしれない、心変わりするかもしれない
そんなささいな期待が心の隅にちらちらとくすぶり始める。
「…あ、ああ…私も…レ…侯爵様には…お礼を申し上げたい…」
当然よ、と満面の笑みでリナーチェはアリーシアの手を優しくにぎり隣に繋がる扉へと誘い、ごゆっくり、と囁いてその扉を閉めた。
目の前には背を向ける男の姿がある。その髪は長く薄く金色に輝き肩幅のあるすらりとした長身はそのままである。アリーシアの鼓動は早さを増した。何を言えばいいのかわからない。けれど、気持ちを、今のこの気持ちをありのままに伝えなければ
「…レ、レイムナート…その…おめでとう…女王の…眷属になるなんて…思わなくて…
ああ、伝えたいのはこんな事じゃない
「私が…この国を出たいと言ったのは…そうじゃなくて…あなたが嫌いだとかそういうんじゃなくて…
服を掴む拳に力が入る。声はかすれ、震えてかぼそくなっていく。これでは彼に伝わらない。目の前のレイムナートの姿は微動だにせず、振り返る事もなく背をむけたままだ。
「私は…!私は、あなたと一緒に…色んな所に行きたい…!あなたと一緒にいたいから、あなたと…あなたの傍で………
瞳にうつる景色が滲んでいく。全身が震えるが言葉は力強い。
「私は、あなたが!好きだから…!あなたのことが……好き…だから…」
だからどうか振り向いて、私の事を見てほしい。
その優しい瞳が銀色に輝く瞬間をもう一度だけ見せてほしい。
あなたの声を、あなたの体温を、もういちど感じさせてほしい。
どうか…どうか…もう一度だけでも…
「…レイムナート…私の声が聞こえるのなら、どうか…もう一度…私の事を…見て…」
眼前の男の姿は身じろぎもせず、静かに立ちすくんでいた。
一度も振り返る事もなく。
「…………………」
呼吸音が耳元で静かに消え去っていく。
拒まれた。
拒絶されたのだ。
アリーシアは暗く冷たく深い水の底へと落ちて行った。
私の心は、彼には届かなかったのだ。
彼は私に裏切られたと断じたのだろう。
もう何を言ってもそれはただの言い訳にすぎず、何一つ真実として受け入れられることはない。
私の気持ちも、何一つ。
振り返る事のない男を前にして、アリーシアは静かに目を閉じた。
そうすると扉が開き、輝くような笑顔でリナーチェが顔出して話は終わった?とばかりに軽く踊るように部屋へと入ってくる。
そうしてそのままレイムナートに抱きついて、顔を寄せた。その仲睦まじいさまを見てもアリーシアの心にはもはやなんの感慨も起きる事がなかった。
そのまま一礼し、静かに部屋を退いた。
王宮の廊下は誰一人として姿もなく、ただしんと静まり返っている。
外に歩みを進めていくアリーシアの胸の内には何の感情もわかなかった。
これまで彼と過ごした甘やかな日々はここで終わりを迎えたのだ。
そうしてようやく静かに微笑んだ。
(ああ、そうだ…これでようやく、私は心置きなくあの国へ帰ることができる)




