37 エンド侯爵(3)
ほどなくしてわらわらと侯爵の前には人が寄り始めた。
我先に名を名乗り挨拶しようと周囲を取り囲み始める。
数人の美しい女性がいそいそと近づこうとしていた。
咄嗟にアリーシアは侯爵の傍から離れようと身を引く。
その肩を素早く引き寄せられ、そのままアリーシアの手をひき侯爵は無言でその場を立ち去っていく。
全く相手にされず取り残された貴族と見向きもされなかった女性たちの憤りにまじった侮蔑がひしひしと背中に感じられたが、当の侯爵の表情は微塵も変わることなく涼やかで、鋭い視線はまっすぐにアリーシアの肩を抱いたまま、広間を通りぬけ宮殿の外、そのまま馬車の前にまで連れてこられたのだった。
ぼんやりとアリーシアは侯爵と馬車を静かに眺める。
そのまま手をひかれ、アリーシアは馬車の中へとエスコートされた。
「え…っ?」
ようやく我に返った時、すでに馬車は走り始め目の前にはにっこりと満面の笑みで前かがみに座るレイムナートの姿がある。
背後で誰かが呼ぶような声がしたが、それは馬車の駆ける音でかき消された。
「あの…閣下、この馬車はフルール家に?」
明らかに道が違うがアリーシアは努めて冷静に尋ねた。
「いいえ、私の邸宅です」
涼しい顔で至極当然のようにレイムナートが答える。
聞き間違いではないようだ。
アリーシアは静かに目を閉じてまず心の中を整理する。
「…それは…あまりに突然ではありませんか?家族にも何も…」
と言ってはみたもののあの叔父と妹が心配することだけはないだろう、という確信はあった。
「ご安心ください、ここに来る前に既に子爵には
了承を得ているのです。だから何も心配はいりません」
見越したようにすらすらと淀みなく答えてくる。
大体の状況を察したアリーシアは心の中で溜め息をつき再び静かに目を閉じた。
ただ、せっかく知り合えたレイトとあのまま何も挨拶できず別れてしまった事が気になった。
(もっと話を聞きたかったのに…)
瞳をゆっくりと開くと目の前には侯爵が見たこともないような満面の笑みをたたえてアリーシアを見つめ続けている。
馬車の中は爵位にふさわしく、普段子爵家が使っているそれとはまるで比べ物にならないほど豪奢で快適であった。
しかし広さはあっても馬車は馬車で、おまけに目の前の男の体躯は平均的な男性と比べれば頑健で精悍な肉体で、その長いすらりとした手足は揺れた拍子にアリーシアの膝に掠れそうなほどの距離である。加えてその立派な体躯を前のめりにしているせいで余計にその距離感が狭まっていた。
それでも背筋を伸ばし、前を見据えるアリーシアの表情は変わらない。むしろ変えてはダメなような気がした。
あきらかに相手が反応を見ているようであったから。
ついに到着するまで侯爵はその微笑みをたたえたままアリーシアを見つめ続けた。
それでもう、無言をひたすら貫くよりほかはなかった。




