第一章 謎の住人玄さん⑤
喧嘩別れのように家を飛び出してきてしまった奈緒。
気まずさだけが残り、足が向くことはなかったが、玄さん失踪事件を機に、少々、気になり始めていた。
酒飲みの父親は、最近入退院しているらしいと、かえでから聞かされていた。母親だって、父との諍いで足を悪くしている。放っておいていいわけないが、まだ素直になるには時間が足りないようで、気にしつつもどうしても足が向かないでいた。
忙しさにかまけて、新年を迎えた奈緒は、やっともらえた冬休みを利用して、少しだけ足を延ばしてみようと、出かける支度をしていた。
鳴り始めた携帯を手にした奈緒は、顔をしかめる。
家を出てから一度もかけてきたことがない相手、母親からのものだった。
それだけで、だいたい予想はつく。
言葉数少ない、父親の訃報。
大嫌いな父親の死に、奈緒は涙が出てこなかった。
散々家族に迷惑をかけ、最後の最後までそれは治らなかった。
「ようねえちゃん、今日も別嬪さんだね」
浮かない顔をして通り過ぎる奈緒を見て、玄さんがいつものように声をかけてきた。
小さく笑って通り過ぎて行こうとする奈緒に、玄さんはもう一度声をかける。
「どうかしたんか。おいらに話してみん」
振り返った奈緒の目に、涙がたくさん溜まっているのを見て、玄さんは手招きをする。
絶対、悲しくないと思っていた。
あんな奴のために、泣いてやるもんかと思った。
それなのに涙が、勝手に出て止まらない。
「父が亡くなって」
「そうか、そりゃ大変だな」
「もうどうしようもない父親で、酒を飲んでは管巻いて、ギャンブル好きで、家に一銭も入れずに、自分勝手に生きてきた人なんです」
「ほんなこと言われると、おいらも耳がちと、痛い」
「おじちゃん、家族は」
奈緒に訊かれ、玄さんは顔を曇らせる。
そう言えば玄さん、自分の話になると言葉を濁す。結局名前も住所も聞いたけど、教えてくれずにいる。
「おいらのことはいいから、急がないと」
「いいんです。あんな人、顔も見たくない」
玄さん、一度もみ消してあった煙草をくわえ、深く吸い込んだかと思うと、頬を指で突っつきながら、煙の輪っかを吐き出し始める。
そして、ニッと笑ったかと思うと、奈緒に首を振って見せた。
「後悔ってのは、先に立たないもんだ。そんなに嫌いなら会って、思いっきり悪口を言ってやればいい。そうすりゃ、言いたいことがいっぱいあったのにって、いう後悔はなくなる。相手は死んじまっているんだ。殴られる心配もあるめー。会わなきゃ良かったっていう後悔は、そんなもんはすぐに片付くさ。忘れりゃいいんだから」
玄さん……。
奈緒はぺこりと頭を下げ、駆け出していく。




