序章④
Wish。と重複しています。
ちなみにこれが初めての歩との出会いのシーンです。
三月とはいってもまだまだ肌寒く、薄手の衣装に上着を羽織っただけでは寒い。
かじかんだ手に息を吹きかけながら、しばらくさ迷い歩いた。
途中、コンビニで暖を取ったが、奈緒の奇抜な格好に自ずと視線が集まり、すぐに店を出てしまった。
携帯を部屋に忘れて来てしまった奈緒は、少し迷ってから、かなでにお金を借りに向かう。
「家出って、どこまで行く気?」
かなでは自分のところに泊めると言ってくれたが、話しがややこしくなりそうでそれを断った。
今は一人になりたかった。
線路沿いをとぼとぼ歩いていると、向こう側から足をよろめかせながら近付いてくる男の人が見え、奈緒はコートの衿を立てるように身構えながらすれ違う。
すると臭い息で男の人は話しかけてきた。
「ねぇちゃんいくら?」
ギョッとした奈緒は一目散で駆け出し、パッと目に入ったマンガ喫茶へ飛び込んだ。
足がガクガクと震え、奈緒はドアの方を振り返り見る。
追って来てないことを確認した奈緒は、心臓がまだドキドキしていた。
外に出てしまうのが恐くなった奈緒は、一晩ここで過ごすことを決め、眠ることなく、少女漫画を読み漁った。
朝、始発が出る時間を見計らって奈緒は店を出ると、駅に続く道を少し躊躇しながら歩く。
しんと静まり返った街を歩くのは初めてだった。
いつも交通量の多い道も、まばらに車が行きかうだけで、信号を待たずに渡った奈緒は、ある青年に目が留まる。
きれいに刈られた頭に、大きなスポーツバッグ。
どこから見ても野球選手丸出しのその青年は、改札口前で大きく深呼吸していた。
軽井沢辺りでそれをするのなら分かる。
しかしここは、繁華街の端。昨夜の残飯が異臭を放っているここでするには、いささか躊躇われる行動だと思うが。
そんなことを思いながら、奈緒は興味をそそられ、それとなく近寄って行く。
見た目は、どこかあか抜けないではいたが、悪くはない。
評論家よろしく、奈緒はその青年をチラッと見やり、評価点をつける。
まるでその青年は、おのぼりさんだった。
辺りをキョロキョロみまわし、案内板の前、しばらくじっとしたまま、動かずにいる。
声をかけてからかってやろうかと、らしくもない考えが浮かんだ奈緒は、肩をすぼめ、青年の詮索を辞めにすることにした。
漏れ聞こえてくる発着アナウンス。
所持金はわずかの奈緒、料金表を見上げ、幻滅するように顔をしかめる。
初乗りの料金にも満たない所持金を見つめ、奈緒は諦めるように踵を返す。
情けないが、これが現実。
夕べ来た道を戻るしかなかった。
夕べとは条件が違う。
少し時間を置けば、通勤する人たちが行き交うはず。
それまで待って、帰るしか……。
母親の顔など見たくはないが、いったん家に帰るしかない。ここでのたれ死ぬほど、奈緒もバカではない。
絶対に謝るもんかと、心をかたくなにした奈緒は、まだ案内板を前にぶつくさ言っている青年に目が行く。
ちょっとした悪意が、奈緒に芽生える。
見るからに人がよさそうな彼。財布を無くしたと言って、涙の一粒も流したら、もしかしたら、お金を貸してくれるかもしれない。
そんなことを考えていると、青年が動き始めた。
慌てて、奈緒もそれに合わせて動く。
駅前のコンビニ。
青年の姿がガラス越しに見える。雑誌コーナーでしばらく立ち止まっているようだった。
奈緒は、もうと舌打ちを打つ。
袋をぶら下げて出てきた青年を見た瞬間、ニヤッとしてしまう自分が怖いと思った。
おのぼりさんかと思った青年は、迷うことなく交差点を突っ切っり、公園への道をぶらぶらと進んで行く。
急に道が狭くなり、ポツリポツリと立ち並ぶお土産店は、まだシャッターを降ろしている。
奈緒の好きなアクセサリー店もこの並びにある。
横目でチラリと見やりながら、自分の行動の怪しさに呆れてしまう。
桜の花びらが舞い散る階段を、青年の背中が下りて行く。
ひんやりとした空気が漂い、奈緒は自分がしていることのばかばかしさに、肩を竦める。
予定変更。
公園を一回りしてから帰るつもりで、奈緒も苔がついた石階段を降りて行く。
青年は、階段からそれほど遠くない場所にある、ベンチに座っていた。
おにぎりをおいしそうに食べ、サンドイッチに手を付けながら、青年は雑誌を読んでいた。
それを見た奈緒のおなかが、ひとつ鳴る。
考えてみると、昨夜から何も食べていなかった。
ランニングしている人や、散歩する人が行き交う。
バタバタと羽音を立てて、鳩たちが、青年の傍へと寄って行く。
青年は立ち上がり、自分が食べていたパンを千切り分け与えだす。
そのまま立ち去ろうとしようと思うのに、奈緒は動けずにいた。
そんな青年に見とれてしまっていた。
遠めで、顔などはっきり見えないその青年と、奈緒はどうしても話したくなってしまっていた。
話すきっかけが欲しくて、見回す奈緒の目に立て看板が見える。
従来は捨て猫に餌を上げるなというものなのだが、猫の部分が薄く剥げてしまっているのを良いことに、奈緒は思い切って声を掛けた。
「あなた、あの看板が見えないの?」
青年が驚いたような顔で振り返る。
どうしよう、その先の言葉が思いつかない。
足がガクガク震えていた。
ここまで来たら引き下がるわけには行かない奈緒。
青年は案外あっさりと自分の言葉を受け入れ、謝られてしまい、涙を流すどころか、急に恥ずかしくなって逃げるように、さっき降りてきたばかりの石階段を転びそうになりながら駆けあがり、そっと振り返った。
その青年はまだぽかんとした顔で見上げていた。
一気に寒さがすっ飛んで行く思いだった。
奈緒は全速力でその場を離れ、シャッターが上がったばかりのショウウインドウに自分の姿が映り、愕然となる。
ドレスの方ばかり気がとられていて、ボンネットを付けていたことをすっかり忘れていたのだ。
最悪だ。
アンバランスの服装に泣きそうになりながら、頭のボンネットを外し、家路を急ぐ。
その出来事は、奈緒の思い出したくもない思い出の一つになり、背を向ける母親に一言も声を掛けず、奈緒はその数か月後、家を出た。




