第四章 星は何でも知っている②
それからの奈緒の生活はあわただしいものになる。
歩がこんなにもせっかちだったとは知らなかった奈緒は、どんどん進められていく二人で暮らす準備に、目まぐるしさを感じていた。
元々時間が足りていない歩。
空いている時間は、有効に使いたい気持ちはわかる。だけど焦りすぎの気がして、奈緒は暗い気持ちになってしまっていた。
「おおねぇちゃん」
「おじちゃん」
久しぶりに玄さんの顔を見た奈緒は、急に涙がこみあげてきてしまう。
「おいおい、彼氏と喧嘩でもしたか」
「違う違う」
そう言いながらも、奈緒の涙はしばらく止まらなかった。
「ちょうどいいところであった。これねえちゃんに買って来たんだ」
小さなだるまを貰った奈緒は、思わずかわいいと目を細める。
「あとこれもだ。ねえちゃんの顔に似ると思って買って来た。おいらの分も買って来たんだ。ほうら」
玄さんの屈託のない笑顔に癒されながら、奈緒はあわただしく決まってしまった引越しの話をし始める。
「そりゃあ、さびしくなんなぁ」
そういうと玄さん、タバコをプカリと吹かし、感慨深い顔をする。
キュンと寂しくなってしまった奈緒は、歩と暮らすことを一瞬、躊躇ってしまう。
「嫁に出す親の気持ちってーのは、こんなんだろうな」
ポツリと呟く玄さんを、奈緒はじっと見つめる。
「やだなぁもう。おじちゃん、そんなにしんみりしないでよ」
明るく振舞ってみせるが、奈緒の涙腺はすでに崩壊寸前だった。
「ねえちゃん、おっかーにもきちんとしぇべれや」
父親が死んでしまった時、奈緒は母親と喧嘩して家を出たことを話していた。
だいぶ前の話なのに……。
「うんそうだね」
一応返事はしたものの、奈緒はあまり気が進まなかった。
結婚するならともかく、同棲である。頭が固い母親が、それを許すわけがない。
程よく携帯が鳴り、奈緒はその場を離れた。
引っ越し先が決まり、歩があって欲しい人がいると言い出す。
残暑が厳しい9月、劇団の近くで奈緒は、初めて歩の高校時代からの親友という中島を紹介されていた。
体格が良い中島は奈緒をじっと見たうえで、顔を綻ばす。
劇団に連れて行かれた時も緊張をしたが、今日はその倍以上、緊張しているのが自分でもよく分かる。
歩の話にたびたび出てくる人物、それが中島だった。
一言目か二言目には、必ず名前が出てきていた。
歩は高校時代の頃の話を、あまりしてくれない。
奈緒の演劇部でのことは聞きたがるのにだ。
聞けば必ず、話をはぐらかされてしまい、その代わりに中島の話が出る。東京に出てきて、歩は本当に大変だったという。詳しい話はしないのだが、その話の流れで、叔父夫婦にも挨拶に行きたいと話す。
奈緒と初めて会ったのも、この厳格な叔父の機嫌を損ねてはいけないと思い、時間を潰していた時の出来事だったそうだ。
吟味するような目で見られ、奈緒はレースのハンカチをぎゅっと握りしめ、ずっと俯いていた。
「それより、少しは芝居やる気になったのか?」
その言葉に、奈緒は反応してしまう。
「ああ。稽古には参加している」
その言葉に、奈緒は歩の顔を盗み見る。
「おまえさ、何で芝居しないの?」
「なんでって……。理由は無いけど……。そんなの今は関係ないだろう」
滅多に聞かない歩の声に、奈緒は心配になってしまう。
中島が奈緒の顔をじっと見ていた。
負けじと声を荒げる中島は、今にも歩に飛び掛かりそうな勢いになっている。
何の話なのか、奈緒には心当たりがある。
初めて歩と出会った日、間宮が口にしていたことを、奈緒は忘れてはいない。
あのデートの日、歩が話してくれたこともだ。
その話になると、きまって違う話題へ歩に替えられてしまっていた。
奈緒は気が気でなかった。
「結局、おまえは俺に相談と言っては、自分に言い訳しているんだ。理由があるならきちんと説明して欲しいもんだね。俺がマーブルを紹介したのは、お前を大道具にするためじゃない。何なら彼女に事の全てを話して、ジャッジして貰っても良いぜ。どっちが悪いのかな」
心配した奈緒が、歩の腕を掴む。
奈緒の目は潤んでいた。
歩はその手の上に自分の手を重ね、大丈夫と頷く。
「なかじぃには本当に悪いと思っている。でも、オレにはオレの生き方があるんだ。今はそっと見守っておいて欲しい」
「……」
中島はゆっくりと天井を見上げ、参ったなと呟いてから、フーと息を吐き出す。
「まぁいいじゃないの。おまえの人生だから、もうガキでもないし……」
「良かった。ありがとう。きっとなかじぃなら分かってくれると思った。な、言った通りだろ」
嬉しそうに奈緒に話す歩を見て、中島は複雑な思いで見つめる。
奈緒の潤んだ瞳を見てようやく二人は、落ち着きを取り戻す。
その帰り道、奈緒はそれとなく芝居の話を歩に振ってみた。
「奈緒は、そんなこと気にしなくてもいいよ。オレは芝居をするより、支える方が性分に合っているだけ。なんで、分かってくれないんだろうね。皆」
歩はそう言って、歯を見せて笑った。




