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序章①

Wish。と重複しています。

 時計代わりに点けられているテレビから聞こえてきたコメントに、藤崎奈緒はふと動きを止める。

 夏に行われた高校野球の話題から、ドラフト会議の話への流れだった。

 複数球団から指名を受けたのにも拘らず、拒否をした話らしい。

 活躍ぶりを話すアナウンサーに、たぶん野球選手だった人だと思う男性ゲストの一人が、いかほどの実力であるかを熱弁をふるい、お笑いタレントの女性が一言。彼、顔もいいですしねというコメントに、一同が笑いを零す。そんなやり取りだった。

 残念がるゲスト陣。

 野球には興味はないが、同じ高三でも、こうも違うものかと溜息を吐く。

 億単位のお金を出してでも欲しがられるなんて、この先自分にはない話。それを意図も容易く蹴ってしまうなんて、どんな奴なんだ。はらだたしい気持ちで画面を見た時には、もう違う話題へと移り変わっている。

 やるせない思いでいっぱいになった奈緒は、ぼんやりと流れるCMを見入ってしまっていたが、ふと天井を見上げる。

 ぐずぐずしてはいられない。

 二階から聞こえてくる物音に急き立てられるように、奈緒は慌てて手にしていたものをポケットにねじ込んだ。

 こんなことをするのは初めてだった。

 飛び抜けた器量など持ち合わせていない、平凡な高校生もそれなりに夢は抱く。

 ニコニコしたアナウンサーが悪いわけじゃないが、奈緒は怒鳴りつけてやりたい気分のまま、テレビを切り、足音を忍ばせ玄関へと急ぐ。

 世の中は不公平だと思う。一億積まれても、靡かずに生きていける奴がいるのに、奈緒は、ポケットで皺くちゃになっているお札を握りしめる。

 こんな真似をしなければ、手に入れられない夢。

 同じ高校三年生なのに、同じ18歳なのに、なんて惨めなんだろう。

 しばらく行ったところで振り返り、みすぼらしい我が家を見やる。

 ちやほやされて育てられた奴に、私の気持ちなんて分かるはずがない。絶対に自分とは無縁な奴だけど、考えれば考えるほど腹が立ってくる。私だって、こんな家に生まれたくはなかった。もっと自由に生きてみたかった。

 じんわりと涙がこみ上げてきて、奈緒は袖口でそれを拭うと、思い切りペダルを踏みだす。

 ふざけんな。

 そう心の中で叫ぶ奈緒。

 自転車をこぐ力も次第に強まり、駅へ通ずる商店街を突っ切る頃には立ちこぎに変わっていた。

 

 進路が決まり、出席日数を消化する為にだけ学校には来ている。授業などほとんどなく、今日は球技大会で休みみたいなものだった。

 クラスの大半が大学へ進む中、奈緒は数えるほどしかいない就職組に身を置いている。就職先も決まり、卒業までの二か月間、受験組のように机にかじりつく必要はない。

 アルバイトへ行くまでの時間、家にいるのが嫌で、奈緒は大概をこの屋上で時間を潰していることが多い。


 「奈緒。こんな所にいたの?」

 部活仲間の浅野かなでだった。

 「今日の部活、どうする?」

 かなでは成績が良く、夏の間に推薦合格を決めていた。

 「うーん。面倒」

 「そう言わずにさ、一緒に行こうよ。バイトに行くまでの時間、どうせ暇なんでしょう」

 「そうだけどさ」

 「うふぇー。4組負けちゃったよ」

 下を見下ろしたかなでの言葉に、座って本を読んでいた奈緒は目を上げ訊く。

 「サッカー?」

 「うん。後はバスケが残っているけど、相手が1組だから、無理っしょ」

 「まだいいじゃん、3組なんか、全部一回戦負けだよ。暇で仕方ないったらありゃしない」

 「3組、やる気ないからね~」

 かなでは奈緒の隣に座り、スポーツドリンクを一口飲むと、プハッと息を吐き出す。

 「あんたはおやじか」

 その言葉に、二人はゲラゲラと笑い出す。

 「ああ気持ちいい」

 空を見上げて言うかえでを一瞥した奈緒は、少し考えてから、ポケットから紙片を取り出し、それを見せる。

 かなでは大きな目を、更に大きくして輝かせる。

 「奈緒、凄いじゃない!」

 奈緒が見せたのは劇団の一次通過知らせだった。

 お互い、演劇を頑張ってきた仲間。

 かなではどんぐり眼で可愛らしい感じの子。それに比べて奈緒は、まるで正反対。

 地味で暗い印象を与えてしまうことが多い。何処から見ても、かなでの方が主役を演じるように見られるのに、いつも舞台の中央にいるのは奈緒の方だった。

 「難しいよね。何をするのか分からないけど。かなでみたいに可愛くないし、それに、これも問題だし」

 奈緒は申し込み費用を指差した。

 「はぁ。嫌な世の中だわね。オーディションくらいタダにしろって言うの!」

 奈緒の家は父親がギャンブル好きで、母親が朝から晩まで働いたお金で何とか生活している。奈緒もアルバイトをしているが、定期代に昼食代。携帯代を払えばなくなってしまう微々たるもの。

 「厳しいね。卒業旅行も無理そう?」

 奈緒はフェンスをよじ登り始める。

 「奈緒、危ないよ」

 「大丈夫。自殺なんかしないから」

 そう言って奈緒は、後ろ向きで飛び降りるとニコッと微笑んだ。

 「こういうのを、清水の舞台から飛び降りるって言うのかな?」

 奈緒はポケットから一万円札を取り出すと、高々と持ち上げた。

 「私の青春だもの。このくらいしても罰は当たらないよね」

 それは、母親の財布から黙って拝借して来たものだった。

 「大丈夫?」

 かなでは幼馴染みでもある。

 奈緒の母親の厳しさを、少なからずも知っている。

 「ないって分かっても、疑われるのは父親の方だから、平気よ」

 強がって見せているが、あの母親にはすぐばれてしまうだろうなと思いながら、かなでは奈緒の瞳をそっと覗きこむ。

 奈緒はぎこちなく笑う。

 今朝のあんなニュースを聞いて、余計に自分の可能性を試してみたくなったのは、確かだった。


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