エピローグ「日だまりの喧騒」
初夏の風が、真新しい白木の香りを運んでくる。
特務高等学園の中庭では、あの日破壊された石畳や花壇の修復作業が急ピッチで進められていた。
職人たちが槌を振るう小気味よい音が、青空の下で軽やかに響き渡っている。
レオンは修復が終わったばかりのベンチに深く腰掛け、目を閉じてその喧騒を微かな背景音として聞いていた。
手には、あの夜の激闘で先端がわずかに黒く焦げた木刀が握られている。
親指の腹で焦げた部分のざらつきをなぞりながら、彼はゆっくりと肺の空気を入れ替えた。
襲撃事件から一週間が経過し、学園は驚くほどの早さで日常を取り戻しつつあった。
首謀者だった仮面の男は王国の近衛騎士団に引き渡され、厳重な尋問を受けているという噂だった。
王都全体を巻き込むはずだった未曾有の危機は、ひとりの生徒の木刀によって水際で防がれたのだ。
その事実が公になることはなかった。
学園長とリリスの計らいにより、表向きは教師陣の迅速な連携によって鎮圧されたという記録が残されている。
レオン自身が強く望んだ隠蔽工作だったが、その場にいた数十人の生徒たちの口まで完全に塞ぐことはできない。
結果として、彼の周囲の環境は以前にも増して騒がしいものに変わってしまった。
「兄貴、ここにいたのか」
重い足音が土を蹴る音とともに、ガイルの大きな声が降ってくる。
レオンが薄く目を開けると、両手に大量のサンドイッチを抱えた大柄な青年が太陽を背にして立っていた。
彼の顔には、以前のような刺々しい闘争心は欠片もなく、ただ純粋な忠犬のような懐きっぷりだけが浮かんでいる。
「……声が大きい。少しは足音を殺す努力をしろ」
「へへっ、これでもだいぶ気をつけて歩いてるつもりなんだけどな」
ガイルはベンチの隣にどっかりと腰を下ろし、紙に包まれたサンドイッチを一つ差し出してきた。
レオンは無言でそれを受け取り、包みを開いて分厚いベーコンをかじる。
肉の脂の甘みとマスタードの辛味が、舌の上で心地よく混ざり合った。
「バルディアくん、ガイルくん。食事の前には手を洗うべきです」
澄んだ冷たい声が響き、セリアが記録用のバインダーを胸に抱えて歩み寄ってきた。
彼女の銀糸のような髪が初夏の風に揺れ、石鹸の清潔な香りが鼻先をかすめる。
以前の彼女なら、平民であるガイルと同じ空間で食事をとることなど絶対にあり得なかっただろう。
だが今の彼女は、ごく自然な動作でベンチの反対側に腰を下ろし、自身の清潔な布をレオンの膝の上にそっと置いた。
「……ありがとう」
「どういたしまして。それよりも、今日の放課後は予定通り付き合っていただきますよ」
セリアの言葉に、レオンはかじりかけのサンドイッチを持ったまま小さくため息をついた。
「また身体操作の特訓か。俺の教えられることは、もうほとんど伝えたはずだが」
「いいえ、まだまだ足りません。あなたのあの無駄のない歩法を、私も完全に身につけたいのです」
セリアの瞳には、かつてのような焦燥感や自己否定の色は微塵もなかった。
あるのは、純粋に高みを目指す者特有の、真っ直ぐで力強い光だけだ。
彼女は自身にかけられていた魔法の天才という重圧から解放され、より自由で柔軟な強さを手に入れようとしている。
ガイルも口の周りにパン屑をつけながら、大きく何度も頷いた。
「俺も頼むぜ兄貴。あの関節の力を抜いて打撃を流す動き、もう一度見せてくれよ」
左右から迫る若者たちの熱意に、レオンは完全に逃げ場を失っていた。
空を見上げると、渡り廊下の二階の窓から、リリスが煙草の煙を吐き出しながらこちらを見下ろしているのが見えた。
彼女は意地悪く口角を上げ、声に出さずに頑張れよと唇を動かした。
レオンは誰にも聞こえないほどの小さな舌打ちをして、残りのサンドイッチを口に放り込む。
『前世で思い描いていた、目立たず平穏な生活はどこへ消えたのやら』
内心でそうぼやきながらも、彼の胸の奥には不思議と嫌な感情は湧いてこなかった。
前世の冷たく無機質な部屋で感じていた孤独感は、今はこの温かく騒がしい日だまりの中に溶けて消え去っている。
レオンは膝の上の布で指先を拭い、腰の木刀をゆっくりと引き抜いた。
「……わかった。昼休みが終わるまでだ。徹底的に基礎を叩き直してやる」
その言葉を聞いた瞬間、2人の顔に明るい花が咲いたような笑顔が広がった。
木々を揺らす風の音と、若者たちの弾むような声が青空に吸い込まれていく。
レオン・バルディアの新しい人生は、彼の計画とは全く違う形ではあるが、間違いなく豊かな色彩に満ちて始まっていた。




