第11話「中枢の深淵」
ひしゃげた鉄扉の向こう側は、先ほどまでの熱気が嘘のように冷え切っていた。
中枢管理棟の地下へと続く螺旋階段は、どこまでも深く、暗い口を開けている。
一歩足を踏み出すたびに、石の表面に薄く張った氷が、パキリと微かな音を立てて割れた。
レオンは静かに階段を降りていく。
背後からは、セリアとガイルの抑えられた呼吸の音が規則正しく聞こえていた。
「空気が……重いです」
セリアが自身の腕を抱きしめるようにして、震える声で呟いた。
彼女の吐く息は白く染まり、暗闇の中でふわりと消えていく。
地下深くへ進むにつれて、肌を刺すような魔力の密度が異常なほど高まっていた。
王都全体の防衛機能を支える巨大な『魔力晶石』が放つ波動に、別の、ひどく攻撃的で冷たい気配が混ざり合っている。
「気を引き締めろ。下にいるのは、先ほどの鎧男とは比べ物にならない代物だ」
レオンの言葉に、ガイルは角材を握る手にぐっと力を込めた。
数百段にも及ぶ階段を降りきった先、視界が開けた瞬間、彼らの目に飛び込んできたのは幻想的で残酷な光景だった。
体育館ほどもある広大な地下空間の中央に、高さ10メートルを超える巨大な青い結晶体が浮遊している。
それが『魔力晶石』だった。
結晶体は脈打つように青い光を明滅させているが、その表面には無数の黒い術式がヒルようにへばりつき、晶石のエネルギーを貪り食っていた。
そして、晶石の真下。
複雑な幾何学模様が描かれた黒い陣の中心に、一人の男が立っていた。
闇を編み込んだような漆黒のローブをまとい、顔の半分を銀色の仮面で覆っている。
男の周囲には、濃密すぎて肉眼でも視認できるほどの紫色の魔力が、生き物のように蠢いていた。
「遅かったな。王都の防衛機構を掌握するまで、あと数分というところだったのだが」
仮面の男が振り返り、レオンたちをねめつけた。
声は不思議なほど穏やかで、しかしその裏には氷のような冷酷さが張り付いている。
彼こそが、この大規模な学園襲撃を指揮した武装集団の首領に違いなかった。
「お前らが、あの中庭に結界の穴を開けたのか」
ガイルが一歩前へ踏み出し、怒りを滲ませた声で問い詰める。
「いかにも。王国の象徴であるこの学園を落とせば、王都の心臓を握ったも同然だからな。外で騒いでいる私の部下や可愛い魔獣たちは、教師陣の目を引くためのただの囮だ」
男が指先を軽く動かすと、周囲の空気が急速に圧縮され、目に見えない巨大な圧力がレオンたちにのしかかった。
セリアが「くっ」と短い悲鳴を上げて膝をつき、ガイルも角材を杖代わりにして必死に持ち堪える。
ただ立っているだけで内臓が押し潰されそうになるほどの、暴力的なまでの重圧。
男の持つ魔力量は、学園の最高峰であるセリアや、歴戦の特務部隊出身であるリリスすらも遥かに凌駕していた。
「素晴らしい魔力だ。だが、少しばかり制御が雑だな」
沈黙を破ったのは、レオンの底抜けに平坦な声だった。
彼は男の放つ魔力の重圧を、柳の枝が風を受け流すように、筋肉の微細な弛緩と骨格の配置だけで完全に逃がしていた。
腰の木刀に右手を添えたまま、足音一つ立てずにゆっくりと歩みを進める。
「……何者だ、貴様」
仮面の男の瞳に、初めて明確な動揺が走った。
自分が放っているのは、並の魔法使いなら呼吸すらできなくなるほどの威圧だ。
それを、魔力の欠片も持たないただの青年が、散歩でもするような足取りで平然と歩いてくる。
未知の事象に直面した男は、苛立ちを隠すようにローブを翻した。
「ええい、目障りだ! 塵となれ」
男が両腕を振り上げると、空中の紫色の魔力が無数の巨大な槍へと形を変え、レオンに向かって一斉に降り注いだ。
一本一本が先ほどの重装甲の男の突進を上回る破壊力を持っている。
セリアが目を閉じ、ガイルが絶望に顔を歪めたその瞬間。
レオンは立ち止まり、右手の木刀を鞘から抜くようにして斜め上に振り抜いた。
ただの、素振り。
だが、その刃が描いた軌道に沿って、空間そのものが軋み、目に見えない巨大な壁が生まれた。
レオンの振るった純粋な物理的剣圧が、大気を圧縮し、絶対的な防壁となって魔力の槍を迎え撃つ。
バァァァァンッ。
空気が爆発する凄まじい轟音が地下空間に鳴り響いた。
降り注いだ紫色の槍は、レオンから数メートル離れた空中で目に見えない壁に激突し、次々と硝子細工のように粉々に砕け散っていく。
爆風が吹き荒れ、レオンの髪が激しく乱れるが、彼の立つ場所には傷一つついていない。
「馬鹿な……! 私の魔法が、ただの木の棒に防がれただと……」
仮面の男は一歩後ずさり、信じられないものを見るように叫んだ。
レオンは木刀をゆっくりと下ろし、首を左右に振って軽く筋を伸ばす。
「無駄に魔力を注ぎ込みすぎだ。力が分散して、芯が通っていない。だから簡単に折れる」
淡々としたダメ出しに、男のプライドは完全に粉砕された。
彼は顔を朱に染め、頭上の魔力晶石へ向けて両手を突き出した。
「ふざけるな! ならば、この晶石の力を全て引き出し、貴様ごとこの地下空間を消し去ってくれる」
男の叫びとともに、魔力晶石を覆っていた黒い術式が狂ったように明滅を始め、地下空間の空気が一気に沸騰したように熱を持ち始めた。
最大の破壊魔法が、今まさに放たれようとしていた。




