第1話「平穏の終わりと木刀」
登場人物紹介
◇レオン・バルディア
辺境を治めるバルディア家の三男。
18歳。
前世は冴えない中年サラリーマンだったが、過労で倒れて転生した。
魔法至上主義の社会において魔法適性ゼロと診断されるが、前世の記憶から引き継いだ剣術の鍛錬を日々繰り返し、規格外の物理戦闘能力を手に入れた。
本人は面倒事を嫌い、学園では目立たず平穏に過ごしたいと願っている。
前世の経験からくる大人の余裕と的確な判断力があり、周囲の悩める若者たちを無自覚に導いてしまうため、本人の意思に反して人望を集めていく。
手には常に使い込まれた木刀を握っている。
◇セリア・ローゼンバーグ
王都でも有数の権力を誇るローゼンバーグ公爵家の令嬢。
18歳。
類まれな魔法の才能を持ち、新入生の中でもトップクラスの成績を誇る。
常に姿勢を正し、完璧であることを自分に課しているため、周囲からは冷たい印象を持たれがちだが、根は真面目で不器用。
自身の魔法技術が頭打ちになっていることに密かに悩んでいたが、実技訓練でレオンの無駄のない身体操作を目の当たりにし、その強さの秘密を知ろうと彼に接近する。
次第に彼の飾らない人柄と包容力に惹かれていく。
◇ガイル・バーストン
平民の出身ながら、卓越した身体能力を認められて特待生として入学した青年。
18歳。
粗野な言葉遣いと好戦的な態度で周囲から浮いている。
実力主義を掲げ、魔法が使えないレオンを当初は見下して勝負を挑むが、木刀の一撃で完全に敗北する。
その圧倒的な実力差を体感してからは態様を急変させ、レオンを兄貴と呼んで付きまとうようになる。
義理堅く、一度認めた相手には絶対の忠誠を誓う熱い性格。
◇リリス・メイフィールド
特務高等学園で実践魔法と戦術を担当する女性教師。
24歳。
常に気怠げな態度で授業を行うが、かつては王国の特務部隊に所属していた実力者。
生徒たちの能力を正確に見抜く観察眼を持ち、入学早々にレオンが只者ではないことに気づく。
退屈しのぎも兼ねて、レオンに様々な厄介事や実技の手本役を押し付け、彼の本力を引き出そうと企む。
レオンの正体を面白がりながらも、いざという時は生徒を守る頼れる教師。
春の陽射しが、王都特務高等学園の石畳に白く照り返している。
新入生たちのまとう真新しい制服の擦れる音が、あちこちから聞こえてくる。
誰もが魔法という不可視の力に胸を躍らせ、未来への希望を声に出していた。
レオン・バルディアは、その喧騒から少し離れた中庭のベンチに腰を下ろしていた。
手には、使い込まれて黒光りする木刀が握られている。
粗い布でその表面をゆっくりと拭き上げる動作は、彼にとって呼吸と同じくらい自然なものだった。
指先に伝わる木の硬い感触が、自分が今この世界に生きていることを実感させる。
前世の記憶にある、終電の蛍光灯の下で感じた吐き気や、キーボードを叩く指の痺れはもうない。
あるのは、18年間鍛え抜いてきた筋肉の確かな熱と、思い通りに動く身体だけだった。
「おや、こんなところで油を売っているのかい」
頭上から降ってきた気怠げな声に、レオンはゆっくりと視線を上げる。
太陽を背にして立っていたのは、実践魔法を担当する教師のリリス・メイフィールドだった。
彼女は白衣のポケットに両手を突っ込み、口元に薄い笑みを浮かべている。
レオンは布をポケットにしまい、木刀を腰の帯に差した。
「次の実技訓練を待っているだけです」
「魔法適性ゼロの君が、実践訓練で何をするつもりか見物だね」
リリスの言葉には明らかな挑発が混じっていた。
この世界は魔法がすべてだ。
どれほど家柄が良くても、魔力を持たなければ平民以下に見られることも珍しくない。
辺境貴族の三男であるレオンに向けられる視線は、入学式の時点ですでに冷ややかなものだった。
だが、彼にとって他人の評価などどうでもいいことだった。
面倒な派閥争いや出世競争に巻き込まれず、目立たずにのんびりと過ごせればそれでいい。
レオンは小さく肩をすくめ、ベンチから立ち上がった。
◆ ◆ ◆
広大な土のグラウンドには、すでに新入生たちが集まっていた。
風が吹き抜けるたびに、乾いた砂埃が舞い上がる。
リリスがグラウンドの中央に進み出ると、生徒たちのざわめきが波が引くように収まった。
「さて、お前たちの実力を見せてもらおうか」
彼女が指を鳴らすと、地面に赤い光の陣が浮かび上がる。
土が盛り上がり、体長2メートルほどの巨大な獣の姿が形作られた。
四つ足で立つその魔獣は、硬い甲殻に覆われ、鋭い牙を覗かせている。
低く唸る声が、空気を震わせて生徒たちの肌を直接叩いた。
「低級の土魔獣だ」
リリスの言葉に、何人かの生徒が一歩後ずさる。
「まずは誰から行く? 得意な魔法で的を撃ち抜いてみせろ」
最初に前に出たのは、燃えるような赤い髪をした少年だった。
彼は自信満々に右手を前に突き出す。
「炎よ」
少年の手から放たれた火球が、真っ直ぐに魔獣へと飛んでいく。
だが、火球は魔獣の硬い甲殻に弾かれ、空中で虚しく散った。
焦げ臭い匂いだけが周囲に漂う。
魔獣は苛立ちを露わにし、前足を大きく振り上げた。
その瞬間、陣の光が不規則に明滅し始めた。
「ちっ、魔力溜まりの乱れか」
リリスが舌打ちをしたときには、すでに魔獣の目が赤く濁っていた。
制御を離れた獣が、咆哮とともに生徒たちの群れに向かって跳躍する。
巨大な影が、悲鳴を上げる生徒たちを覆い隠した。
誰もが恐怖にすくみ上がり、動けなくなる。
ただ一人、レオンを除いて。
彼は静かに息を吸い込み、重心を落とした。
右手が腰の木刀の柄を捉える。
足元の土がわずかに沈み込んだ。
次の瞬間、レオンの身体は弾かれたように前方へ滑り出ていた。
風を切る音すらない、極限まで無駄を削ぎ落とした歩法。
魔獣の鋭い爪が女子生徒の肩に触れる直前、レオンは獣の側面に到達していた。
抜刀の軌道を描きながら、木刀が振り上げられる。
木が空気を叩き割る低い音が響いた。
木刀の先端が、魔獣の甲殻の隙間、首の付け根の急所を正確に捉えていた。
衝撃の波紋が相手の巨体を貫き、その巨体は空中で完全に硬直する。
重い地響きを立てて、魔獣はグラウンドに墜落し、そのまま二度と動かなかった。
砂埃が舞い散る中、レオンは木刀をゆっくりと下ろす。
呼吸一つ乱れていない。
周囲は水を打ったような静寂に包まれていた。
生徒たちの視線が、信じられないものを見るようにレオンに突き刺さる。
魔法適性ゼロの落ちこぼれが、ただの木切れで暴走した魔獣を一撃で沈めたのだ。
「……やりすぎたか」
レオンは小さくつぶやき、木刀を帯に戻した。
目立たず平穏に過ごすという彼の計画は、入学初日にして早くもひび割れ始めていた。
リリスだけが、砂埃の向こうで目を細め、レオンの動きを思い返すように静かに笑っていた。




