第九話. もう一人の異世界転生者
フラッカとジェシカが盗賊団に攫われた――
その知らせは瞬く間に村に知れ渡った。
「村長、どうすれば……?」
「………………」
村人の一人が尋ねるが、フランゼル村長は黙して応えないでいる。
その皺だらけの顔に、さらなる苦悩の皺が刻まれて見えるのは、決して錯覚ではなかっただろう。
場所は村長の家――
広めの応接室では、村の大人たちが大所帯となって押し掛けていた。
室内は重苦しく、暗然たる空気に覆われている。
村の子供二人が攫われてしまったという事態に対し、未だ解決策を得られないでいた。
「私が不甲斐ないばかりに……すみません」
ニコラス神父が悄然とした態度で申し上げた。
彼は怪我を負っていた。子供たちを守っていた彼ではあるが、突然現れた盗賊団の一派に暴行を受け、二人を連れ去られてしまったのである。
なお、マリアさんは隣の部屋で休んでいる。
娘たちが攫われて泣き疲れた様子だったが、時折思い出したようにすすり泣く声が聞こえてくる。
それがまた、この場を陰々滅々とした空間へと変える一因にもなっていた。
「村長!」
「落ち着け! ……この状況で、我々にできることは一つだけだ」
そうして村長は、皆に聞こえるよう、ハッキリと述べた。
「領主さまに嘆願して、救出隊を出していただくのだ」
「そんな――!」
当然、これには村民たちから非難の声が上がった。
「村長、あなただって分かっているでしょう! 領主さまが――貴族が、たかだか村の子供が攫われた程度で軍を出してくれるわけがないって! いや、仮に出してくれたところで、救助隊が編成されて派兵されるまで、どれほど時間がかかるか……。その間にフラッカとジェシカが無事でいられる保証なんてどこにもないんですよ!」
「分かっておる! だからこそ、来年度の税をその分多く納めると約束して、交渉をするのだ!」
今度こそ、部屋は静粛となった。
村長の言葉が意味するのは、つまり――
「賄賂ってやつですかい……」
「非常の策だが、この際仕方あるまい……。幸いというべきか、儂にもそういう伝手はなくもない。今は、二人の命が最優先なのだ」
しんと静まり返る。
誰も反対票を出すまではしなかった。
けれど――
「それだって、一体いつまで時間がかかるか……」
誰かが苦々しく言い捨てた。
「領主の兵なんて待っていられるか! 俺たちだけで助けにいこう!」
村の男の一人が、勇ましく声を上げた。
「駄目だ! それだけはならん!」
雷が落ちたと錯覚するような、村長の怒号が響いた。
「しかし、村長――!」
「ならぬ! お前たちは武装した盗賊団というものを甘く見てはいないか!? 救助に失敗すれば、かえって犠牲者を多く出すだけではないか! そもそも、奴らのアジトがどこにあるのかすら定かではないのだぞ!」
村長の意見は消極的ではあったものの、同時に極めて冷静な意見でもあった。
――村長だって、攫われた二人がどうでもいいと思ってそんなことを言っているのではないのだ。
なにせ、攫われたのが他ならない村長の孫娘だからだ。心配でないはずがない。
村長はあくまで村の責任者として、これ以上の二次被害が出ることを避けるためにそういうことを言っている。
それはこの場にいる誰もが痛感していた。
それでも――
「――わたしに行かせてください」
わたしは決意に満ちた目で進言した。
「お姉ちゃん……」
「テイル……」
シルフィや他の大人たちの視線がわたしへと集中する。
対するわたしは、毅然と彼らに向かって言った。
「わたしなら、盗賊団が相手でも戦えます。それに、二人が攫われたのはわたしが油断したからです。いえ、そもそも、盗賊団がこの村にやってきたのは、わたしにも原因の一端はあります。だから行かせてください」
それに――行く理由としてはもう一つあった。
あの盗賊団の男が言っていた、わたし以外の異世界転生者に関することだ。
それを確かめなければならなかった。
もちろん、二人を取り戻すことが何よりも優先事項だ。それは分かっていた。
すると、フランゼル村長を始めとして、他の大人たちの諫めるような言葉がわたしへと向けられる。
「テイル、お主が責任を感じることではない。お主がいてもいなくても、盗賊団はいずれこの村にやってきただろう」
「それに、聞いていた通り、盗賊団の居場所がどこにあるかだって――」
わたしはなおも食い下がって、質問をぶつけた。
「まったく心当たりがないのですか? 今日攻め込んできた人数から、少なくとも盗賊団は二十人以上います。それだけの人数が隠れて生活できるような場所について、みなさんは知りませんか?」
誰も答えられないとばかりに沈黙に落ちる。
しかし、やがて程無くして、村人の一人がおずおずと、
「多分……『黒碑の森』だと思う」
全員がハッとして振り返る。
「それはどこにあるのですか!?」
わたしは彼に問い詰めた。
村人の男は、地図を持ってきて広げ、一角を指した。
「ここだよ。今までの盗賊団の目撃情報と、馬で移動できる範囲から場所を絞って、さらに隠れ家とできそうな地形となると、ここしかないと思う。けれど――」
男が難しい顔をしたのも分かる。
なにせ、地図上からでも確認できるほど、森は広大だったのだ。
森に辿り着いたところで、盗賊団を探し回ることが困難極まりないことであるくらい、容易く想像できたのである。
けれど、それでも――
「わかりました、わたし行きます!」
「お、おい、待つのじゃ!」
わたしの決意に、なおも村長が引き留めようとする。
しかし、そこで他の村人たちが口々に割って入った。
「よく言った! オレも行くぜ」
「俺も!」
「俺もだ!」
その場にいた村人のうち、血気盛んそうな男たち数名が名乗り上げたのだった。
「村長、あんただって見ただろう。テイルは盗賊団のモンスターすら一撃で倒せたんだぜ。彼女がいるなら、盗賊団に遭遇しても、むざむざやられたりはしない」
「女の子一人がやるって言っているのに、男が指をくわえて待っているなんてできるかよ! 俺たちはそこまで腰抜けじゃねぇ!」
「お主ら……」
村人たちの意見に、今度は村長が沈黙した。
しばし村長は、何か深く考えるように押し黙っていたが、やがて、苦渋の決断をするかのように面を上げると、
「わかった……。だが、決して無理はするな。危なくなったら、すぐにでも逃げるのじゃ。特に――」
そうして村長は、わたしに向き直り、
「テイル、お主もじゃ。フラッカとジェシカが大切なのは勿論じゃが、お主だって、もはやこの村の一員も同然なのじゃ。間違っても無茶だけはしてくれるなよ」
「……はい。ありがとうございます」
そのとき、隣の部屋からマリアさんが非常に疲れた様子で現れた。
泣き腫らして真っ赤になった顔で、心から懇願するように、
「テイル……。お願い、フラッカとジェシカを助けて……。あの子たちに何かあったら、アタシはもう生きていけない……」
「マリアさん……。はい、必ず助け出します!」
母親の切実な願いを受け取り、わたしは彼方へと仰ぎ見た。
(フラッカ、ジェシカ……二人とも無事でいて……)
*
◆インタールード:血に飢えし狼団副団長、ルード・トリスティ◆
這う這うの体を引きずって、やっと俺たちはアジトへと帰還した。
――森の中に佇む、古びた遺跡である。
鬱蒼とした森の中にある急造の隠れ家であるが、雨露をしのぐ程度には役立っている。
俺はさっそくお頭の元へと報告に向かった。
ろくな成果も得られないままの帰還とあっては気が重くはあったが、せめて手ぶらではないことが救いだった。
「――お頭、今戻ったぜ」
遺跡の奥で、寛いだ様子で本を読んでいた男――といっても、二十歳にも満たない若造は、不愉快そうに顔を曇らせて反応した。
ちなみに――俺は今年で三十四歳になる。
ならず者の人生とはいえ、それなりに修羅場は潜ってきたし、腕っぷしだってそこんじょそこらの傭兵崩れなんかには負けはしねえ。
加えて、若い頃にはそっち方面も齧っていたことがあって、魔道に対する造詣だってあった。
そうした実力や経験もあって、今では盗賊団を纏め上げる立場にもなっている。
もっとも、俺が名実ともにリーダーをやっていたのは半年ほど前までの事だ。
半年前――俺たち血に飢えし狼団は、道すがらのコイツに襲い掛かり、そして見事なまでに返り討ちにあった。
俺たちは命乞いの条件として、コイツにリーダーをやってもらうこととなったのだ。
この若造がそれを承諾したことには驚いたが――どうもコイツ自身、それまでも脛に傷を持った生き方をしてきたらしく、外道商売にも抵抗がない様子だった。
そうしてそれ以来、俺たちはコイツをお頭として仰ぎ、今でも盗賊家業を続けている。
だが、何よりも驚いたのは、コイツが自分の事を『異世界転生者』と名乗ったことだった。
最初はただの大ボラだと思ったが――実際話をしてみると、妙な知識を色々知っていやがるし、ただのハッタリとは思えない説得力を持っていやがる。
『異世界転生者』というのは俺も聞いたことがあった。
かつての時代では、とある国が世界を救済するために異世界の存在を呼び寄せたり、転生の術を使って赤子に異世界の人間の魂を宿らせたりとしたこともあったという。
それらに共通しているのが――『異世界転生者』というのは、常人には及びもつかないような絶大な力を有していたということだった。
たった一人でドラゴンを殺すほどの魔力を有していたり、原理不明の特殊能力を有していたりと、英雄と呼べるほどの実力者揃いだったのは確かだ。
そして――実際に、目の前の自称異世界転生者は、俺なんて足元にも及ばないほどの魔力を持っていた。
あのレッサーデーモン召喚の術ですら、こいつの魔力と技術があってこそできた芸当である。
正直に言えば、俺だって――自分よりも一回り以上の若造に向かって頭を垂れることに、何も思わない訳じゃない。
けれど、それも仕方がないことだ。
この男の命令には従うしかない。
逆らうなんて馬鹿馬鹿しすぎる。
蟻が巨人に歯向かうようなものだ。
そう――俺たちは、例外なく――この男が怖ろしいのである。
俺は背筋に冷や汗が流れるのを耐えつつ、お頭に向かって報告した。
攫ってきたガキ二人を見せつつ、
「とりあえず……戦利品はコイツらだ。まあ、こんなのでも人買いに売れば幾分金に――」
「で――?」
お頭の冷厳なひと声が遮った。
「女はいたのか? 俺たちに歯向かったという狐耳の女は」
俺は若干焦りつつ答えた。
「あ、ああ、それな……。いるにはいたんだが、妙に強くてよ……。とりあえずこいつらだけ連れ去ってくるので精一杯で――」
俺が言葉を発せられたのはそこまでであった。
直後、空前絶後の衝撃が俺を吹き飛ばした。
背後の壁に叩きつけられ、呼吸すらできなくなる。
「がはっ――」
魔法なんてものじゃない。
ただの魔力の衝撃波をぶつけられただけだ。
物理的に実体化するほどの濃密な魔力が、お頭から発せられたのである。
「げほっ、げほ、――けはっ」
俺は跪いで咳き込みつつ、正面を見据える。
お頭は、まるで地獄の釜のように煮え滾る憎悪を瞳に宿し、
「いつも言っているだろ。恐怖だよ――圧倒的な恐怖が必要なんだよッ! 一度でも舐められたらお終いなんだ! 敗北者になりたくなけりゃ、他人を怖れさせろっ! 俺たちを馬鹿にした奴らは皆殺しだ! 馬鹿にされてたまるかよっ! 殺せ! 殺せっ!」
まるで狂人のように喚きだした。
「――――」
怖ろしい――
どんな人生を歩めばこんな屈折した人格が出来上がるというのだろうか。
俺は従順に頷きつつも、内心では恐怖を抱かずにはいられなかった。
◆インタールード:END◆