第二十六話. 激闘を終えて
――夢の中にいた。
目に浮かぶは、一人の少女。
狐の耳と、尻尾を持った、美しい女性だ。
艶やかな和服に身を包み、楚々とした雰囲気を湛えている。
(この娘は――?)
その少女は、ひたすら美しかった。
この世のものとは思えないほど、可憐にして妖艶。
それでいて――どこか懐かしい――
(知っている……これはわたしの、前世における記憶――)
わたしは、この少女と会ったことがある。
彼女の顔を見るだけで、胸が温かな気持ちとなる。
けれど、それ以上のことは思い出せない。
わたしにとって、目の前の少女とどのような間柄だったのか――
「――、――」
少女が口を開いた。
鈴の鳴るような声に、陶然とした想いに囚われる。
そうして、少女の言葉の内容を理解するよりも先に――
眠りについていた意識が次第に浮上していった。
*
ゆっくりと目が覚める。
そこは、宿屋のベッドの上だった。
「テイル――気が付いたんですね!」
「シルフィ……」
傍らには、神官服の少女の姿があった。
よほど心配していたのか、少女の目は泣き腫らしたように疲れていた。
「よかった……目覚めなかったら、どうしようかと」
心底安心したような少女の声。
シルフィにそこまで気遣われるなんて、自分はどのような状態だったのか。
「わたし、どれくらい寝ていたの……?」
「二日寝ていた」
声を駆けられて、視線をそちらに移す。
部屋にはもう一人、黒衣を纏った少女がいた。
「クリス……」
彼女もまた、わたしが目覚めた姿を見て、緊張がとけたような表情を浮かべている。
「わたし……どうして――」
そこでようやく記憶の抽斗から出てきた。
あの時のドラゴンとの戦い。
常闇の洞穴にて繰り広げた死闘のことを――
「――ねえ、あの後、どうなったの!? みんなは無事なの?」
わたしはシルフィの肩を掴んで問いただす。
「お、落ち着いてください……」
「みんな無事。あなたが守ったの」
クリスが冷静な顔色のまま、落ち着かせるように言った。
わたしはそれを聞いて、はあ、と深く息を付く。
「よかったぁ……」
脱力して肩を落とす。
そうしてクリスを見やれば、彼女の腕も元通りだった。
「クリス、腕が治ったのね。よかった……」
「うん、テイルが守り通してくれたおかげ……」
わたしはかぶりを振った。
「回復してくれたのはシルフィよ……シルフィ、ありがとう。クリスを助けてくれて」
「いえ、そんな――」
シルフィは赤面して俯いた。
もっとも――尻尾があればパタパタと振るくらい、喜びを隠せないでいる。
「――――」
しばし、沈黙が落ちる。
全員が息災であることを知って、とりあえず安堵した。
けれど、分らないことが多すぎる。
気になって仕方ないので、わたしは伺うことにした。
「ねえ……常闇の洞穴で戦ったあのドラゴン――あれは一体何なの?」
思い出すだけで、総身が震えるほどの強大無比の魔力――
まるで天災にも等しい力を秘めた古の魔竜――
あれほどの力を持った魔物が、自然に存在するなどとは思えない。
それとも次元迷宮とは、あれほどの力を持ったモンスターがホイホイ出現するような危険地帯だったのだろうか。
クリスとシルフィは、互いに顔を見合わせる。
彼女たちも、なんと言うべきか困っているようだった。
やがて、ぽつりとシルフィが語りだした。
「あれは、エンシェントドラゴン……絶滅したはずの古代のモンスターです」
「絶滅したモンスター……?」
わたしが問い返すと、シルフィがこくりと頷いた。
「王都の文献で読んだことがあります……遥かな過去、今よりも魔道文明が栄えた時代では、今とは比べ物ならないくらいの強大なモンスターが数多く生息していました。あのエンシェントドラゴンも、その一つです――けれど、今では資料の中でしか存在せず、エンシェントドラゴンはとっくの昔に絶滅したと聞いています」
「そうなんだ……」
わたしのいた世界でいえば、ティラノサウルスみたいな恐竜のごとき存在だろうか。
「そんなものが……次元迷宮に?」
「いいえ……私たちだって、あれには驚いています。だって、次元迷宮にあのようなモンスターが出た記録なんて、聞いたことがありません」
つまり、あれは普通じゃないのか。
そこにクリスが口を挟んだ。
「テイル。覚えている? 私たちがこの街に来た理由――」
そう問われて再考する。
そもそもダルカナに来たのは、次元迷宮にある謎を調べるためだ。
グラヴァシャル帝国の異世界転生者が、世界中にある次元迷宮を優先して占拠している。
――その理由を調査するためにも、わたしたち自身が次元迷宮に挑みに来たのである。
「えっと、次元迷宮の調査、だよね……」
「そう。次元迷宮には未だに謎が多い。セフィラの盾では、異世界転生者に大きく関わりがあるとすら噂されている。もしかしたら、同じ異世界転生者であるテイルが次元迷宮に入ったことで、なにかしらの異変が起こったのかもしれない……」
黒衣の少女は、そこで一旦言葉を切る。
「もっとも、どうしてあのようなモンスターがでたのか、その原因はわからない。エンシェントドラゴンが出たのが、異世界転生者であるテイルが迷宮に入ったからなのか、それともただの偶然なのか……」
「クリスは、前に別の次元迷宮に入ったことがあるんだよね。今回のようなことはなかったの?」
そう尋ねると、クリスはふるふると首を振った。
「ううん、あんなモンスターが出ることは今までになかった。けど――わからないのは、寧ろテイルの方」
「え……?」
突然言われ、わたしは素っ頓狂な声を返す。
「そうですよ。テイル、あの炎は一体何なんですか?」
「あ―――」
そう言われて思い返す。
常闇の洞穴で、わたしの命に従い、竜を焼いた炎――突然自身の内に生まれた声に従うまま、わたしが生み出した紅蓮のことを。
「ええっと……あれは――」
わたしは言葉に詰まり、俯く。
「――――」
ふと、好奇心に駆られるまま、手を掲げた。
脳裏に燃えるようなイメージを描き、軽く念じる。
そうして――パチン、と指を鳴らした。
ぼうっ、と何もない中空に紅蓮の炎が巻き起こる。
当然、その場にいた全員がビックリ仰天する。
「わあああっ、消えて!」
そのままでは火事になりかねないと思い至ったわたしは、慌てて炎に命じた。
シュン――と、煌めく火炎が手品みたいに消え失せる。
「――――」
そうか、と悟った。
未だに記憶はないけれど、これがそういうものだと理解できる
「テ、テイル……今の……」
すっかり腰が抜けた様子でシルフィが怖々と訊ねる。
「魔法を詠唱している様子もなかった……テイル、今のは何?」
クリスもまた、目をパチクリさせて質疑する。
わたしは、自分でも驚くほど落ち着いた声音で語った。
「――これは、『狐火』……わたしのいた世界で、妖狐という存在が生み出せる、この世ならざる炎」
「ヨウコ?」
「えっと……ようするに、そういう種族なの。こっちの世界でいうところのエルフとか、そういう人間以外の存在――狐の妖怪なんだけど」
もっとも、現実に妖怪が実在したこと自体、仰天ものである。
けれど、不思議と妖狐という存在を受け入れている自分がいたのだった。
「じゃあ……テイルも、その妖狐なんですか?」
「分からない……わたしだって、どうしてこんな力が扱えるのか。あの時は……無我夢中で使えるようになっただけだから――」
ぎゅっ、と自分の身体を抱きしめる。
冷静に考えれば考えるほど、自己の不可解さに対し、得体の知れない恐怖で胸が一杯となる。
普段はできるだけ考えないように努めているが――記憶のない自分は何者なのか、底知れない不安となって、自身を押しつぶそうとしてくる。
「無理に思い出そうとしなくていいから……今は、ゆっくりしていて」
クリスが、優しい手つきでわたしの身体を横たえた。
「私、水淹れてくるね。テイルはそのまま休んでて」
「あ、じゃあ、私は何か食べ物を貰ってきます。テイル、何か食べたいものとかありますか?」
「ん……じゃあ、軽めのものをお願い。二人とも、ありがとう」
そうして、クリスとシルフィはそれぞれ部屋から出ていった。
しんと静寂に包まれた部屋に一人残される。
しばらくじっとしていたけれど、色んな考えが頭の中をグルグルと駆け巡っていた。わたしはいてもたってもいられず、ゆっくりとベッドから立ち上がる。
部屋にあった姿見の前に移動する。
鏡に映った自分自身の姿を見ながら、先ほどの夢の内容を追想していた。
夢に出てきた少女――
(あれは……誰なんだろう?)
気掛かりなのは、今のわたしと同じく、狐の耳と尻尾があったこと。
前世のわたしと深いかかわりがあったのだろうか――
「…………あ!」
今、気が付いた。
夢に出てきたあの少女は、わたしと顔立ちが似ているのだ。
もちろん、夢に出てきた少女の方が、大人びているというか、神秘的というか――とにかく、わたしなんかよりもよっぽど綺麗だとは思うけれど……。
鏡に映った自分自身に、どことなく面影がある。
一体どういうことなんだろう――
(わたしの……姉妹とか?)
けれど――なんか違う気がする。
上手くは言えないけれど、そんな単純なものじゃないというか――
「うー、訳の分からないことが多すぎ……」
頭を抱えつつ、わたしは煩悶し続けたのだった。
*
翌日、わたしは午前中も早くに、一人でドーリア武具店へと訪れていた。
「おや、この間のキツネさん。今日はどうしました?」
店の店主――ソニアさんが出迎える。
改めて彼女をよく見れば、歳は二十歳に届かないくらい。かなりの美人ではあるけれど、仕事にすべてをかけてそれ以外の事は杜撰なのか、化粧気は皆無だった。
「あの、先日購入したこちらの装備なんですけれど……」
そうして、わたしは袋から布鎧を取り出した。
和服っぽい装備は、エンシェントドラゴンとの戦いでボロボロとなっていた。
「わ、すごいですね。見事なまでに穴だらけ」
「はい……そういう訳で、装備の修理をお願いしたいんですけれど」
そういうと、ソニアさんはうーんと腕を組んだ。
「難しいですね……この装備は特殊な製法で作られているので、直せる人が少ないんですよ。ここまでシッチャカメッチャカだと、簡単に修復は無理ですね」
「そうですか……修理が無理なら同じものが欲しいんですけど……」
「んー、申し訳ないですけど、同じものは在庫切れです。この装備自体、流れに流れてきた売れ残りですし……それにしても、こうまでボロボロになるなんて、一体どんなモンスターと戦ったんですか?」
そう問われ、わたしは常闇の洞穴でのことを語った。
話を聞いたソニアさんは、興味深げに目を見開いている。
「絶滅した古代竜……ですか?」
「はい、こんな話、信じられないかもしれないですが……」
するとソニアさんは即座に首を横に振った。
「いえ、あなたはそんな嘘を付く人には見えませんし……けれど、どうやってそんなモンスターを倒せたのですか?」
「それは――わたしのこの尻尾、あらゆる攻撃を防ぐことができるんです」
わたしは自身の尻尾の事についてソニアさんに教えた。
「へえ……」
すい、とソニアさんが目を細める。
しばし、無言でわたしの尻尾をジロジロと眺めていた。
「その、ちょっといいでしょうか。キツネさんに、是非とも着ていただきたい装備があるのですが……」
そう言って、店の奥へとすっ飛んで行った。
しばらくして、パタパタと戻ってくる。
「これです」
そう言って差し出したのは、これまた服系の防具だった。
広げてみると、またしても和服っぽい装束である。
ただし、以前の布鎧が清純な白色だったのに対し、今回のそれは趣が違った。
――まるで血のように鮮やかな紅の羽織だったのである。
「なんだ。同じような装備、あるじゃないですか。試着してもいいですか?」
「はい、どうぞ……」
なぜだかソニアさんは、危険物を目の当たりにしたような強張った表情をしている。
その様子に解せないものを感じつつも、わたしは試着室でその装備を身に着けた。
「ふーん、これはまた……」
姿見に映った自身の恰好を検める。
時代劇に登場する素浪人のような出で立ちとなる。
まあ、問題があるとすれば――もともと男物としてデザインされたのか、かなりブカブカだった。袖は余るし、胸元が広い。そのおかげで、下に着たビキニアーマーがチラ見していたりするのだけど……。
(まあ、これはこれで、和洋折衷って感じがして可愛いし――)
見ようによっては、はだけた着物の下に巻いたサラシのようで、より侍っぽい感じが増している。
紅葉を思わせる赤は、黒いスカートと非常にマッチしていた。
試着室を出ると、ソニアさんは何故だか緊張の面持ちで見ていた。
「どうですか……何かヘンなところはありますか?」
「いいえ、特には」
「本当ですか!?」
ソニアさんは尚も念を押すように訊いてくる。
その勢いに若干押されつつも、わたしは正直に答えた。
「問題ありませんが――むしろ、ものすごく身体が軽く感じられます。この装備は一体何ですか?」
するとソニアさんは、ほっとした表情を浮かべて告白する。
「よかったです……実はそれ、呪いの装備なんですよ」
「――――はい?」
さらっとトンデモナイこと言われたのだが。
「の、呪い!?」
その瞬間、デンドロデンドロ、と、おどろおどろしいサウンドが流れた気がした。
ソニアさんは、はい、と告白した。
「性能と引き換えに、強力な呪いが掛かってしまいます。装備者の体力が徐々に奪われ、しかも常時錯乱状態になるという邪神の呪いです。その代わり、全能力がワンランク強化、物理・魔法ともに高い耐性の加護が付与されるとか――」
「うわ……メリットとデメリットが凄まじいですね……というか、そんな物騒なシロモノを知らん顔して客に渡さないでくださいよっ!」
があーっ、とソニアさんに向かって怒鳴る。
前から思っていたけれど――この人、けっこうマッドっぽいところがあるのではないか。
彼女は手を上げてなんとか落ち着かせようとしていた。
「ごめんなさい。けれど、キツネさんなら大丈夫って判っていたんです。キツネさんのその尻尾ですけれど、防ぐのは物理的なダメージだけじゃありません。毒や眠りとか、当人に悪い影響をおよぼす効果を、一切シャットアウトできる力を秘めているんですよ」
「この尻尾が……ですか?」
「はい。しかも、驚くべきは自傷であっても効果を及ぼすということ。つまり、呪いの装備を装着しても、バッドステータスを無視して装備の性能を引き出せます。キツネさん、あなたのその尻尾、あなたが考えている以上にチートですよ」
(チート……?)
その言葉に違和感を覚えつつも、わたしは自身の尻尾と、そして新たに装備した衣服を検める。
力が漲るというか――自分の身体がまるで鬼神のようになった錯覚すら覚えていた。
今のわたしなら、『狐火』なしで再度エンシェントドラゴンと戦ったところで、負けはしないと確信できた。
「その『紅夜叉の装束』――キツネさんに差し上げますよ。どうかこれからも頑張ってください」
*
そうして、わたしは店を後にした。
店の装備をタダで譲り受けることに対し、わたしは当然遠慮したのだけれど、ソニアさんは頑なにわたしに譲ると言って聞かなかった。
「どうせ呪われた装備で他の人には扱えないですし、それならキツネさんに使ってほしいんですよ」
というのはソニアさんの言だ。
いつまでたっても話が終わらないので、それでは今後もこの店を贔屓にするということで、わたしはソニアさんの厚意を受け入れたのである。
――そのドサクサで、わたしは訊き逃していた。
わたしの尻尾――呪いすら防ぐという能力を、どうして一目見ただけで看破できたのか、それをソニアさんに質問できなかったのだ。




