第十四話. 聖弓の担い手
わたしはそっと馬車の窓から外の様子を伺った。
悠然と外に出たクリスに対し、野盗たちは喜悦に満ちた表情を浮かべている。
野盗たちからすれば、出てきたのが一人、しかも可憐な少女とあっては、クリスを侮るのも無理はない。
立派な鎧を着こんではいるが、それすらも彼らにとっては高値で売れそうだ、程度にしか映らないのだろう。
「こんな場所で金持ちの馬車が一台、とんだカモと思ったが……。こいつは予想以上の大物だったな」
野盗たちの一人が、そのように口にする。
漆黒の鎧姿の少女を前にして、野卑な笑い声が漏れていた。
一方でクリスは、この状況でも冷めた表情を崩さない。
慌てふためることもなく、平然とした様子で自分たちを取り囲む野盗たちを眺めている。
少女の形のいい唇が、小さく動いた。
「十秒――」
「あん?」
ぽつりと零したその言葉に、野盗の一人が反応する。
クリスは続けざまに言葉を紡いだ。
「十秒、あげる。十数える間に逃げ出すのなら、見逃してあげる。けれど、十秒経っても逃げないのなら、殺す。決めるのはあなたたち。それじゃ――じゅー、きゅー、はーち、なーな……」
あろうことか、少女はこの状況で呑気に数え始めたのだった。
あまりの態度に、野盗たちは困惑するばかりだ。
「…………」
野盗たちは戸惑いつつ、互いに顔を見合わせている。
多勢で取り囲んでいる以上、野盗たちが有利であることは変わらない。
それは目の前の少女だって分かっているはずである。
しかし――だというのに、この少女の落ち着き払った佇まいは一体何なのか。
ただの虚勢とは到底思えず、野盗たちは、目の前の少女に対して底知れない不安の方が上回り、動けないでいる――傍で見ているわたしには、そんな風に見受けられた。
かといって、せっかく現れた格好の獲物を前にして、怖気ついて逃げ出すという訳にもいかないのであろう。
少女が数え終わるまでの十秒の時間を――それは文字通り、彼らの運命を決定づける最後の猶予だったわけだが――逡巡のために浪費してしまったのだった。
「にぃー、いーち、ぜろ――時間切れ」
死を告げるカウントダウンが止まる。
クリスはふぅ、と一つ息を付く。
「そう、一人も逃げないの。だったら仕方ない……全員、殺してあげる」
非情なる宣告が放たれる。
愛らしくもあどけない少女の相貌――そこから表情が消えるだけで、少女の顔立ちはさながら戦闘機械めいた無機質な印象へと変貌していく。
闇を思わせる漆黒の鎧も相まって、この世のものとは思えない美しさを宿した少女は、さながら冥府の死神を思わせる気配を纏っていたのである。
野盗たちはその様子に戦慄し、少女の次なる行動に身構える。
ぱかん、と音を立て、クリスの背負っていた棺が姿を変えた。
パーツが独りでに分裂し、再び結合し、さながらルービックキューブのように回転して形を変えると、瞬く間に彼女の手の中で形成していく。
「な、なんだ、ありゃ――」
野盗たちからそのような声が漏れる。
彼らがそのように口にするのも無理なきことだった。
少女の背負っていた棺が変容を遂げると、先ほどまでの黒い立方体の表面は裏返るように、銀色の材質を露とする。
そうして――その威容が顕現する。
穢れなき輝きを持つ長弓が、彼女の手に姿を現していた。
弓の騎士――クリスが所持していた武器とは、この半機械ともいうべき弓のことであったのだ。
「聖弓アハシュカル――封印解除」
少女の一言に、豪と長弓が颶風を撒き散らした。
さながら巨大な魔物が産声を上げるような、大気を揺らす魔力の振動だった。
「――――ッ!」
表情を青ざめ、息を飲む野盗たち。
このときの彼らの心情は、突然ティラノサウルスに遭遇したかのごとく、絶大な存在を目の当たりにしたような恐怖に恐れ戦いていたのかもしれない。
クリスは弓を引き絞った。
すると、何もない空間から、紫に光り輝く矢が出現し、弓に番えられる。
弓の照準はただ一点、敵対する野盗たちの中心に向かって絞られていた。
「――おい、盾を構えて一斉にかかれ!」
野盗の一人が声を荒げて呼びかける。
仲間の野盗たちはその声に従い、雄々しく突貫していった。
――その判断は正しい。
少女の武器がどのようなものであろうと、それが弓矢の構造を取っている限り、攻撃は一本の直線にしか過ぎない。
盾で前方を防御していれば、さしたる苦もなく無効化できる攻撃だ。
そして、ひとたび攻撃を弾いてしまえば、次弾を装填するまでもなく、殺到した野盗たちが少女を組み伏せる方が早い。
戦いの正道としては、まさしく理にかなっている。
だが――
そのような正道、この少女と武器を前にして、一片も通じるものではなかった。
クリスは一度目を瞑り――そして、再び見開いた。
ギィン――!
その瞬間、クリスの瞳が変質する。
黒から別の色へ――月を思わせるような、不可解な輝きを持つ金色の瞳が姿を現す。
「そ、そんな――」
馬車の中にいるシルフィが、信じがたいものを見るような目でクリスを凝視する。
シルフィの声は、畏怖のあまり震えていた。
「あれは……『聖眼』!? 神に選ばれた者しか持ちえないという、『運命視』の魔眼です!」
シルフィの説明に、わたしは再度クリスを見た。
そして――限界まで引き絞られた矢が放たれる。
本来であれば、直線に進むしかない矢は、真正面にいた野盗の構えた盾によって防がれるはずだった。
だが、それはあくまで普通の矢であった場合の話である。
神速で放たれた紫の一条は、先頭にいた男を手にした盾ごと貫き、その心臓を破壊していた。
「が――――」
先頭にいた男がぐらりと倒れる。
「このっ――」
その光景を目の当たりにした他の野盗たちは激高し、足を止めることなく少女に向かって襲い掛かる。
確かに矢の威力には驚いたが、所詮は一発限りの攻撃だ。
次弾の矢が放たれるよりも先に、取り押さえてしまえばそれで済む話である。
そんな彼らに対し、さらなる不条理が襲い掛かったのは、その直後だった。
あろうことか、最初の男を貫いた矢は反転すると、さながら意志を持った稲妻のごとく不可解な軌道を描いて、次々と男たちに向かって襲い掛かったのである。
ズバッ、ドンッ、ザシュッ!
矢が肉を突き破る音が、文字通り矢継ぎ早に木霊する。
紫の雷光もかくやという攻撃。
狙いすましたかのように、否――そう運命づけられたかのように、寸分違わず、野盗たちの心臓を串刺しにしていく。
「ひ、ひぃ――」
最後に残った一人の男――上空から飛来する紫の矢を見て、人生の最後で脳裏に何が浮かんだだろうか。
おそらく、彼には最後まで何が起こったのかすら理解不能のままであっただろう。
ズン――!
誅戮の一条が、最後に残った男の心臓を穿った。
その後、矢は大地に突き刺さり、そこでようやく動きを止める。
ただの一射――
矢が放たれてから、ほんの瞬きするほどの合間のことである。
たったそれだけの間で、十数人いた野盗たちは全員息の根を止めていた。
しぃん、と場が静まり返る。
馬車の中で一部始終を見ていたわたしの耳に、シルフィの声が静かに届いていた。
「以前、聞いたことがあります……騎士の国キシュワードには、伝説の聖弓を携えた、『紫電』の異名を持つ姫騎士がいると――」
おそらく、それこそが彼女のもう一つの名前なのだろう。
『紫電のクリスティーヌ』――『金剛のマルスバーグ』などと並ぶ、西方大陸でも名うての騎士が、目の前の少女の正体だったのだ。
戦い――いや、戦いにすらならない殺戮の終わりを告げるように、一陣の風が吹き抜ける。
クリスは何事もなかったかのように、楚々とした仕草で、風にたなびく黒髪をかき上げた。
「終わった……もう出てきても大丈夫」
呼びかけられ、わたしはゆっくりと馬車を出る。
見渡せば、周囲には死屍累々とばかりに野盗たちの亡骸が転がっていた。
その形相が、さしたる苦悶に満ちたものでなかったのは、命を奪われたのがあまりに一瞬の事だったからだろう。
わたしは視線をクリスへと移す。
少女が携えていた長弓は、再度形を変え、再び黒塗りの棺となって彼女の背に収まる。
その表情は――今しがた人を殺した事なんて気にも留めていない様子だった。
「…………」
思うところはあった。
彼らは野盗だ。
わたしたちが抵抗をしなければ、確実にわたしたちに危害を加えていた。
いや――わたしたちの前にも、すでに何人か誰かを殺していたのかもしれない。
ある意味でいえば、殺されても仕方のない人たちだ。
けれど――
(こんな風に無残に死ぬことなんて、あったのかな……)
それは、記憶がなくとも、平和な日本で育ったであろう価値観が、わたしにそう思わせているのかもしれない。
わたしはじっと彼らの死に顔を眺めつつ、立ち尽くしていた。
この人たちに――大切な人はいたのだろうか。
妻や、子供や、親兄弟や、愛する人々はいたのだろうか。
答えなんて出るはずもない。それでも、彼らの死から目を放すことはできなかった。
「テイル――」
気が付けば、背後にシルフィがやってきていた。
わたしが浮かない表情をしているのを見て、おそらくは、その理由を察したのだろう。
「クリスさんがこの人たちを倒さなければ、この人たちは今後も多くの人を手にかけたかもしれません。だから、テイルがそんな風に気に病まなくても――」
「うん、わかっている。それに、クリスはわたしたちを守ろうとしてくれたんだから。それは、感謝しないと……」
彼らの命を奪ったクリスを非難するつもりなんてない。
非情かもしれないけれど、クリスは正しいことをしたのだと思う。
けれど、どうしても心が痛んだ。
改めて観察すれば――盗賊たちの装備はどれもボロボロだった。
彼らが野盗を行うのにも、事情があったのかもしれない。
いや――たとえどんな事情があったとしても、犯罪は許されることじゃない。
それでも――だけど、それでも――
誰も傷つかずにいられることを願うのは、悪いことなのだろうか。たとえ、現実離れした理想論だとしても――
(余分な感情――なのかな……)
地面に転がる野盗たちの亡骸――その姿を前にして、わたしはどうしても晃くんたちのことを思い出していた。




