悩ましいこと
クテシファーに迫るものと思われていたオルビアン軍がメルシーヌに撤退したという一報は、ペルシア方面軍の統帥権をもつバトゥラの脳内にいくつもの疑問符を浮かばせた。彼は側近達に命じて、各地の抵抗勢力たるペルシア人達の動向を探らせていて、彼らの多くは、グラミア王国のオルビアン軍に合流するべくクテシファー方面への進出を企んでいたが、このオルビアン軍の動きでそれぞれの拠点へと慌てて戻ったとの報告も受けている。
このペルシア人達の勢力のひとつに、第三王子バルバロスの軍勢もあった。しかし、撤退後の彼の動きはつかめておらず、バトゥラはこの王子の懸賞金増額決定を行った。というのも、第一王子は戦傷が理由によってアグメメフィティ軍中で死亡し、第二王子は先日、バトゥラ自ら捕えて捕縛していることで、バルバロスが王位継承の先頭にいるからだ。
第四王子のサラーフも健在だが、砂漠の奥にある山岳地帯に築かれた城塞に籠城しており、その周辺はアグメメフィティ軍により封鎖されているから、食料がなくなれば自然と投降か自害の二択になるだろうとバトゥラは考えていた。
一方、アグメメフィティ軍騎兵連隊との戦闘を終えてメルシーヌに帰還したオルビアン軍――規模が連隊よりも大きく軍と記録されることになった彼らは、編制を行いつつ休息を取っているが、首脳陣はそれぞれに忙しい。
オルタビウスの室に、ケブゼから合流したエフロヴィネとギュネイ、ペルシア人で王国が健在であった時は千人の兵を指揮していた高級士官のサリウス――ダリウスが本名だが、呼称は酒の神とペルシアで崇められているサリウスを使っている三〇過ぎの男、マキシマムが集まり、サクラも同席している。しかし彼女は部屋の隅で、オルタビウス達の会話を見守るだけであった。
彼女は当然のようにそこにいるが、それでギュネイが長剣の柄から手を離さないことと無縁ではない。彼は背後のサクラを気にしつつ、一同の会話に耳を傾けている。そして、それを知っているマキシマムは複雑な内面を隠す表情を保った。
オルタビウスは地図を眺めて迷っている。それは、クテシファーを狙うべきか、敵に包囲されている第四王子を救うべきか考えがまとまらないからだ。
クテシファーを狙う理由はもちろん、ペルシア王国の都であった都市で、王国のいたるところへ軍の移動が可能な立地であり、街道の整備も進んでいる。そして多くのペルシア人が今なお暮らしており、これを早急に解放することは巨大な宣伝になると目論んでいた。一方、アグメメフィティの主力である騎兵が効果を発揮する地形であり、この都市攻略に時間を費やしていると、四方八方から騎兵に攻めたてられるだろうとも危惧した。一撃離脱の戦法を取られると厄介なのだ。
では第四王子が籠城している城塞へ軍を向けるという手は、王国南部に位置する砂漠地帯が行く手を阻むだろうと懸念した。逆に、だからこそアグメメフィティは、サラーフが籠る城塞へ至る道を封鎖し、遠巻きに部隊を配置しているだけで手を出していないといえる。また砂漠を超えると剣呑な山岳地帯となり、第四王子と合流したとしても、そこから王国中央部への進出はアグメメフィティ側が察知しやすい経路しかない。だが無視もできないという苦しい事情がある。
サラーフは王位継承ではバルバロスの次であるが、民の人気はずば抜けて高い。それはペルシアの英雄であり過去のペルシア王で師子王の異名をもつベギフ一世の血筋だからだ。またその姿が師子王の若い頃に瓜二つということもあって、一部の者はバルバロスではなく、彼を王に望むほどであった。
「……ですが――」
このあたりの事情を説明しているのはサリウスで、彼は一同を順に眺めながら話を続ける。
「――王子皆様の仲はよく、周囲が勝手に盛り上がっているだけと言えるでしょう。サラーフ殿下はできた御人で、兄君様方よりも一歩引くことを常とされておられました。王国南部の城塞にお逃げになられたのも、自分が捕まってバルバロス殿下に迷惑をかけるわけにはいかないというものと、母君を慮ってのことだと存じます。サラーフ様のお母上が、師子王の孫にあたるのですが、その本領地が王国南部の砂漠……半島を領地としておりますので……」
「バルバロス殿下と連絡を取ることはできぬかな? 我々よりも、同国人のほうが信用されると思う。こんな状況だ……いきなり異国人が拝謁を願っても無理だろう」
オルタビウスの問いに、サリウスは首を傾げた。
「バルバロス殿下は内海、淡海の沿岸に領地をお持ちでしたので、王国北部を中心に転戦されておられると予想しますが……クテシファーを抜かねば敵の目があります。王国中央部からアグメメフィティの支配が強い場所ゆえ」
ギュネイが口を開く。
「オルタビウス殿が雇っている者達を使うのは駄目なのです?」
「儂は今回の仕事ぶりには満足しているが、裏社会の者達だ。王家の方への使者は相応しくない……やはり軍事行動によってこちらの意図を伝えて、先方が理解してくれることを期待するしかないか……ペルシア中央部への侵入時に合流が現実的か」
オルタビウスはそう口にはしたが、これだという確信を得ずの判断は気持ちがよいものではなかった。
だが、王国中央部へ向かうという決定は、別の問題を生じさせる。
「フン族の主力……こちらの戦力を見くびらずに当たってくるようになりました。中央部への侵入を防ぎたいという向こうの意図でしょうね」
ギュネイの発言に、オルタビウスは頷く。
先日の戦闘は、運よく勝てたものだと老指揮官は理解していた。
ギュネイは赤い髪を指で弄りながら喋る。髪が伸びてきたことを気にしての仕草であった。
「フン族を中心に、いくつもの部族、民族……馬に慣れ親しんだ者達による部隊でした。騎兵にも種類がありました。我々でいう軽装騎兵は、彼らでいう重装騎兵と言えるでしょう。戦場で戦うことを目的とした騎兵……接近戦を目的とした装備です。これと、弓による掩護射撃、場合によっては接近戦にも対応できる弓騎兵、彼らの後方には、替えの馬を世話する騎兵がいました……戦場に近づかず、必要とあれば味方の馬を交換する支援を行う……おそらくもっと細かいのでしょうが、俺の目でわかる違いはこれくらいです」
ギュネイの言を継ぎ、サリウスが言う。
「歩兵は奴隷や傭兵を使っています。大宋とペルシアの間、印国の傭兵でしょう。奴隷はこれまでの戦闘で捕らえた少数民族と考えます。数は多くはありませんが、無視もできず……印国の傭兵は歩兵主体ですが、像を操る部隊も出張ってくることがありますので注意が必要です」
「像? 像を戦に使うのか?」
オルタビウスの問いに、サリウスが頷く。
ギュネイ、マキシマムは、像とは何だ? という顔で二人を見た。
意外にも、説明したのはエフロヴィネである。
「大きな身体は、そうだな……二階建ての家ほどはあるだろう。鼻が長く、手のように使うことができる動物だ。頭がよく、人との交流も飼いならせば可能と聞くが……戦で使う像というのは、麻薬を与えて言う事をきかせているから、本来の獰猛さのみが強調されていると見たほうが無難だろう」
「見たことがあるので?」
マキシマムの問いに、エフロヴィネは微笑み答える。
「ある。あれは……一〇〇〇年前くらい……まだ私が少女だった頃だ」
「はは……」
ヒッタイト人の長寿さに、マキシマムが困ったように笑い、ギュネイも同じく苦笑したが、彼はエフロヴィネが予想していたよりも若いと感じて質問をしていた。
「長老格とお見受けするが、まだ一〇〇〇歳ほどなのか?」
「これでも、リュゼに入る前は三人の長の一人を務めていたよ……年齢はわからない。必要ないからな」
「……なるほど」
「話を戻すが、像は強い。この像の身体に鞍を載せ、操縦者と弓兵、槍兵、魔導士と載って戦うのが一般的だ……一〇〇〇年前はそうだったと記憶しているが、今はどうだ?」
問われたサリウスは、一〇〇〇年前から何ひとつ変化していないと答え、進歩のない奴らだと笑うが、変わる必要がないほど完成されたものかもしれないとも思う。
ここで、部屋の隅にしたサクラが立ちあがり、書記を務めていたマキシマムへと近づくと、羽根ペンと羊皮紙を借りたいと言う。
「どうかした?」
マキシマムは手渡しながら問うも、答えはすぐにわかった。
サクラが、羊皮紙に絵を描き始めたのだ。
エフロヴィネが、その絵の正体を口にする。
「これが、像、という生き物だ……サクラどの、その像の隣に、比較する為に私を書いてもらえるか?」
「はい」
サクラは、エフロヴィネをちらちらと眺めながら羽根ペンを走らせる。素早く描かれた彼女の姿に、像の大きさを知ることができたギュネイとマキシマムは唸った。
「これと……戦うことがあるのか?」
ギュネイの問いに、サリウスは頷く。
「戦った……騎兵がこれに蹴散らされて、後はアグメメフィティ騎兵に歩兵が蹂躙されて……厄介だ。だがこれまで出て来てないということは、もしかしたら印国に還っているのかもしれないな」
「ただの推測だろ?」
「そうだが……俺が敵なら、さっさと出して俺達を蹴散らしている」
サリウスの言いように、一同が表情を歪めた。
-Maximum in the Ragnarok-
メルシーヌの旧代官館、宿、兵舎などを借り上げているオルビアン軍。
士官達は一人に一室が与えられている。
ギュネイの部屋をマキシマムが訪ねたのは、話し合いを終えてしばらく経ってのことだ。
ギュネイは、若者が緊張していると見て、おそらくサクラに対して自分が取っている態度に関してのことだろうと予感し、それは当たった。
「ギュネイが信用できないのは無理からぬことだとはわかりますが……」
「いや、君の気持ちもわかる。だが、どうしても無理だ。俺はあれを信用するということは無理なんだよ」
「あれ、というのはやめてほしいんですが?」
「……彼女、と呼ぶべきか? だが、姿はたしかに女性だが、それは女性の身体を借りているからだ。女性の身体に入っているから、人格を女性に調整しているんだ、あれ……彼女は、そういう化け物なのさ……」
「それでも、俺は彼女に助けられていますし……俺の前で、記憶を失う前の自分に戻りたくないと言った彼女を見ています……彼女はそう言ったんですよ」
「それは今、だからだろうさ。本来の彼女は、そういう感傷的なものを持ち合わせているような存在ではない。あえて言うが……」
ギュネイは、サクラが初めてこの世界に現れた時のことをマキシマムに話そうと決めた。
「彼女の身体は、ゴーダ人の女性だ」
「ギュネイの国ですね? ゴーダ騎士団領……」
「そうだ。俺は当時、騎士だった。ゴーダ騎士団領国の首都警備連隊犯罪捜査課にいた。そこで、ある連続殺人の捜査を担当していたが、その解決に友人のレニンを頼ったことが失敗だった。というのも……」
その殺人事件は、ゴーダ騎士団領国の首都であるクレルモンフェランの市街地そのものを利用した召喚陣で、バアルを呼び出そうと企むものだったのだが、それは召喚を目的としたものではなく、クレルモンフェランでそういう事件を起こせば、レニン・シェスターを釣り出せるから起こしたというものだった。
事件の裏には、レニンと接触したい勢力がいたのだが、それは当時のゴーダ騎士団領にとって宿敵ともいえるアルメニア王国のベルーズド公フェリエスである。正確には、レニンを招きたいというフェリエスの希望を叶える為に、彼の側近であったアレクシ・デュプレが草と呼ばれる諜報機関を使い、クレルモンフェランで事件を起こしたのだ。
「レニンは去り、アルメニア人と行動を共にするようになったが、あいつは去る前、アルメニア人から受け取った書物を参考に、召喚魔法の実験をクレルモンフェランで行っている。それで現れたのが、あいつだ」
「サクラ……ですか?」
「俺達はバアルだと思っていたが、違った。だが、邪悪さでいえば親戚みたいなものだと思うほど凶悪で残酷だった。人を、虫けら扱いする化け物だった。あいつは最初、ある商家の娘に憑りついたが、頭を失ってな……首無しでも生きていたが、本来の力を発揮する前に頭部を失ったことで、新しい身体を探し始めた。それで、今の娘に入り込んだのさ……あれは自分の意思でクレルモンフェランを去ったが、それまでに、ゴーダ騎士団の騎士が幾人も殺されているし、被害にあった民間人は多い」
「戦ったのですか?」
「戦った。最初、あいつの頭を切り落としたのは俺だ」
「……」
「これは……お前だから話した。サクラはそういう存在であったこと、レニン・シェスターが異民族の裏にいるのではないかと俺が思うのは、あいつの中にはバアルがいるからだということだ……レニンは、実験をして召喚魔法で化け物を呼び出した。それで修正した召喚魔法を使い、バアルを呼び出し、取り込んだ」
「取り込んだ?」
「入られたという表現が正しいかもしれない……ベルが言うには、召喚魔法はふたつに大別できる。古代文明の兵器を呼び出すもの、高次元の存在である思念体を呼び出すもの……サクラが前者で、バアルが後者だ」
「では、ベル先生のお母上は、やはりバアルに……? ベル先生はそれをご存知なんですか?」
「いや、俺がそう推測しているだけだ。レニンとバアルが同一であるというのは、俺がそう信じているだけだが……岳飛虎崇とは別の意味で化け物になったらしいレニンを始末しないと、レニンに申し訳ない。殺してやらないと、おちおち死ねやしないからな……」
ギュネイが寂しそうな表情を作る。
マキシマムは何も言えない。
彼は、目の前の男がずっと戦ってきたのだと想像した。過去、化け物が現れる場面に遭遇したことで、戦いの中で生きることを選ぶしかなかったのだと推測する。その中で生きたギュネイにとって、マキシマムが言うことは、とても理解できるものではないのだろうと気が沈んだ。
マキシマムは、相手の抱える問題の大きさを考えようともせず、自分の気持ちだけをぶつけようとした己を恥じる。
ギュネイの声が、落ち込む若者に届いた。
「ま、気にするな。お前はお前の思うようにすればいいだけのことだ。ただ……俺はどうしても無理だ。それだけは知っておいてくれ。理解しろなんて言わないし、納得なんて無理だろうとも思うが、我慢してくれ」
「はい……でも、それでも俺は言います……サクラがもし、ギュネイが言う化け物に戻ってしまった時……俺も知っている敵だった頃に戻ってしまった時は……俺が、終わらせます」
「……サクラに、似たようなことを言われたな」
「彼女に?」
ギュネイは迷ったが、伝えることにした。
「サクラは、自分が元に戻ったら俺に殺してくれと言っていた。お前にその役目をさせると、お前がずっと苦しむだろうと……」
「……失礼します」
マキシマムはギュネイの部屋を去る。
彼は、サクラを探す。
オルタビウスのところだろうと思ったが、老人は「ここにゃおらんぞ」と言い、一緒に探そうともせず、サリウスと酒を飲み始めた。
マキシマムは、もしやと思い自室に入る。
いた。
サクラが、椅子に腰掛けていた。
「あ、お帰りなさい」
彼女は微笑んだ。
サクラは、彼やオルタビウスを迎える時、微笑むようになっている。
マキシマムは、サクラに近づき、彼女を抱きしめる。
「マキ?」
「ごめん……俺が君を……悩ませているんだ……あの時、君にご主人様なんて呼ばれることになったせいで、苦しめているんだ」
「……いえ、サクラは大丈夫です。わたしは、マキのおかげで幸せです。わたしは、マキと一緒にいられて、嬉しいですよ」
「……」
「マキ?」
「サクラ……君がもし、元に戻った時、俺が君を終わらせる……約束する」
「……」
「君を……今の君にしてしまった俺は、そうする責任があるんだ」
「……はい、わかりました」
彼女は、抱きしめられたまま、両手を彼の背に回した。
二人は抱き合う。恋人同士、友人同士の抱擁とは違うものだが、お互いの存在を確かめあうような時間は短くなかった。




