後編
──勝手に見ないで。
抜けるような白磁の肌に、ミルクティー色の髪。琥珀を溶かしたような目で俺を見た、磨けば飛び抜けて輝く原石のような、平凡な身なりをした愛らしい少女が描いた世界。
己の価値を理解していない本物の”異常”は、疑いようもなく特別だった。
※ ※ ※
部屋の中は相変わらず散らかっていた。
紙束。描きかけの図面。意味不明な記号の羅列。途中で放置された何かの設計。窓側のチェストの上にはよく分からない金属片の山。気がつくと床に転がってそのまま寝てしまう彼女のために用意したクッションと毛布も、無造作に丸まって隅へ追いやられている。
その中心に蹲る少女が、この混乱と化した部屋の主だ。
「……んー…」
俺からしたらとんでもない損失になりかねないのでやめて欲しい、消すのが楽だからという理由で要求された、室内にそれなりの広さを確保して作られた砂地。そこにしゃがみ込み、木の棒で何かを書いている小柄な背中。出会った頃から変わらない、いつもの姿だ。
俺はノックもせずに扉を開けて、そのまま部屋へと入る。
「ただいまー」
「……おかえり」
振り返りもせずに返事がくるが、返されるだけでも珍しいことだと既に知っている。
完全にいつもの距離感で、どうやらきちんといつもの“俺”らしいと判断しながら、適当な箱を引き寄せて砂地の横に座った。
「今日は何を描いているんだ?」
「んー…卓上コンロ」
「結構前に作ったのを、今更か?」
彼女の手元を覗き込むと、簡単な構造図が描かれていた。
以前見たコンロの図面。それまで一般的に普及していたキッチンの備えつけのコンロを一つ、そのまま取り外したような形で、ただし点火するための経路と動力となる魔石の設置場所が追加された物だった。
見慣れた──いや、見慣れ過ぎた種類の図面。この世界で彼女だけが生み出せる、俺の魔法のランプだ。
「今のだと、ここに持ち込むのは難しいから」
「確かにこの部屋だとなぁ……」
「だから小型化する」
頬杖をついたまま視線を走らせ、物が溢れた室内を見渡した。机や棚の上も乱雑で、卓上とはいえ、食卓用として机の上に置くことを前提とした現在のサイズでは、とてもじゃないが置き場はないだろう。通常ならスペースを確保するために片づければいいだけなのに、彼女はそうはならないらしい。
けろっとした顔で言うのは、物自体の改良なのだから、いつもの如く突拍子がなくて極めて異常でもあった。
既存の商品の改良は、商会でも専用の魔道具師を雇って実施している。件のコンロは現在のサイズより小さくするのは、経路設計的に不可能といわれていたはずなのに。それをなんの気もなくやると言ってのけるのが彼女だ。
かつて、どうやってこんな物が考えつくのだと聞いた時、頭の中にある物を描いているだけだと言った時と同じように。
「どうやって?」
「この辺りの経路をこっちに置き換えるか、単純に短くする」
「へぇ……できるの?」
「できるよ。ただ、使う魔材を変えないと駄目かも。後、形もちょっと変える」
「量産性は?」
「それはそっちの仕事でしょ」
即答の応酬は、契約を結んでからずっと変わらない調子だ。
彼女は思いつきを投げるだけ。俺はそれを現実に落とし込む。役割分担は最初から決まっていた。
「……まあ、問題ないな。とりあえず地面じゃなくて紙に書いてくれ」
視線で軽く図面をなぞりながら言う。
彼女のように部屋に常設して手軽に使いたい者は多いだろうし、このサイズなら持ち運びにも適しているため、外で野営をする職業の人間がこぞって購入するだろう。味気がない硬い携帯食より、温かい料理や飲み物を簡単に作れるようになるのだ。喉から手が出るほど欲しがる様が目に浮かぶ。
市場を読み、利益も出す──いつも通りだ。
「ああ、そうだ。近々この国から撤退するかも」
「……何で?」
「王立学園の卒業記念舞踏会で、王太子が婚約破棄したから」
「ふーん」
部屋に訪れた目的を思い出し、興味がなさそうに棒をくるくると回す背に声を投げる。
それなりに重要な出来事なのだけど、帰って来るのはいつもの反応だ。興味がまったく感じられない薄い相槌に構わず続けた。
「王太子が婚約者を切って、元平民の男爵令嬢を選んだ」
「へー」
やはり薄い。だから結論だけを投げていく。
「その結果、この国はちょっと危ないかもしれない」
「んー……」
少しだけ考える素振りを見せるが、視線は図面のままだ。木の棒からペンへ持ち替えた手は、俺の要望通り引き寄せた紙に新しい図面を描き起こしていく。
「どれくらい?」
「中期で歪みが出る。長期は──よくはない。家の商会が引くなら余計にな」
「ふーん」
返ってくる適当な相槌の音に、これはこの会話自体が面倒になってきているなと苦笑した。
「撤退の判断は、明日一日様子を見て最終的に判断する」
余計な説明は全部取り払った、ただ事実だけを伝えれば「そっか」と頷いて、そして──。
「別にいいんじゃない?」
軽く、あくまで平坦に彼女が言った。
「何がだ?」
「この国がどうなっても」
顔も上げないまま続く言葉は酷薄で、だけどそこには何の感情も見えない。
「商会が何をしても、結局は同じ場所に落ち着く──ここはそういう世界だから」
その言葉は俺には少し理解できないが、彼女の中では納得できる根拠があるのだろう。
いつもそうだ。時間潰しに選んだだけの何の価値もない場所で、地面に描かれた物を見つけた時から、彼女には彼女の世界のルールが存在する。だから俺はそれを聞き逃さない。
「困る?」
「いや──困らないな」
「でしょ?」
即答だった。それで終わり。本当にそれだけの話だといわんばかりに、また図面に戻る小さな背中に、一度だけ瞬きをして笑ってしまった。
「それよりさ」
「ん?」
「これ、使う魔材なんだけど」
簡単に話題を切り替えるのは、いかにも彼女らしかった。
彼女にとっては国家の話よりこちらの方が余程重要で──実際に正しいのだ。
台から降りて、砂地に足を踏み入れ、彼女の横に同じようにしゃがみ込む。手元を覗き、彼女が平坦な声で続ける説明や要望をつぶさに聞き取り、それを叶えるための道筋を脳裏に描き出す。その望みを叶えればもっと益を生み出すと知っていた。
「いいな──まだ伸びるか」
「それは、まあ」
当然のように言うのだ。
誰も到達できない技術の世界。誰も知り得ない未知の知識。彼女の頭の中にしか存在しない魔法だった。それでも、その無自覚こそが一番の価値だ。
「なあ」
「んー?」
「覚えてるか。最初に会った時のこと」
「……?」
漸く上がった顔。大きな琥珀の目に俺を映した彼女は、記憶を遡るように小さく首を傾げて見せた。
ミルクティー色の髪を適当に結んだだけでも損なわれない愛らしい容姿なのに、表情だけはやる気を失っているのは、出会った時と同じだ。
「いきなり『それ全部売って』って言ってきたやつ?」
「そう、それだ」
今思わなくても、我ながら完全に正しい判断だった。人生で最も価値がある理解だったとも言える。一介の平民の、幼い少女でしかなかった彼女に詰め寄って、少年だった俺が発した心からの言葉。
「間違ってなかっただろ」
「まあね」
あっさりと肯定される。
「おかげさまで楽できてるし」
「楽──、か」
確かに楽なのかもしれない。少なくとも本人は本当にそう思っているし、間違いではないのだろう──だが、その楽の裏で、どれだけ莫大な金が動いているのか。どれだけの市場が塗り替わったのか。そこに生きる人間の生活自体を変えてしまったことを、彼女は理解していない。それでもそれでいい。
「じゃあ、これも同じだ」
「ん?」
「この小型魔道コンロ」
唇の端を上げて笑った。
「商品化する」
「いつものだ」
軽い返事だ。もう慣れているその調子に頷いて、彼女の言ういつものやり取りを繰り返す。
「知識は全部俺が買い取る。利益は契約通り分配」
「いいよ」
たった一言。たった三文字だけで成立する。記録に残すために後から書面にはするが、今のこの場ではただこれだけのやり取りでよかった。それは数年にわたって積み重ねた信頼であり、俺の傍を離れていかないようにと囲い込んだ今でもあった。
この部屋で交わす契約は、今なお一度として俺を落胆させたことはない。
だから俺は彼女という魔法のランプを手放すつもりはないし、そのための手間を惜しまないのだ。
「──で、本当に撤退するの?」
ふと、思い出したように俺を見て言われた言葉に「場合による」と返せば、彼女は少し考えて。
「じゃあ、するなら早めがいいよ──こういうの、崩れる時って一気に来るから」
なんてことないように言われた音に、一瞬言葉を失う。それは俺が先程まで考えていたことと同じだったからであり、こうして珍しく彼女が口を挟んで来る時、それが外れたことが一度もないからだ。
「……そっか」
小さく頷きながら、俺の判断は間違っていないと確信めいた感情を抱いた。
俺の反応に対して既に興味をなくしたように、いや、本当にどうでもいいのだ。図面を見る彼女にとって国家の未来も、経済の動きも、その切っ掛けになった茶番劇すらも、すべてついで以下の話なのだろう──それでも。
「十分だ」
囁くように口内に音を落とす。
守る価値のあるものは、もう手の中にある。ならば他はどうでもいい。沈むなら勝手に沈めばいい。その上で──。
「こっちは伸びる」
確信と共に俺は笑って、彼女の髪を丁寧に撫でた。




