本当は今だって夢見ている
シンディは自分を友人扱いしてくれた美しき貴族の娘、シャンタルの元へ向かって必死に駆けていた。
自分が彼女に会って何を言えるのかがわからないが、直観ともいえる焦燥感に突き上げられて彼女はとにかく行動していた。
シャンタルがパーティで不在だったとしても、パーティが終わったこの時間ならばアデール伯爵家に戻っているに違いない。
自分は生きているシャンタルの顔が見たいだけなのだと、彼女は必死にアデール伯爵家への道筋を走っていた。
ばしゃん。
なぜ転んだのかもわからないぐらい、どこにも躓いた覚えもないのに彼女は地面に伏していた。
鼻の頭も額も、そして、胴体だって、打ち付けた痛みがジーンと響いている。
のそのそと痛みをこらえながら身を起こしてみると、彼女が転んだのは彼女が履いていた靴の靴底が割れていたからであった。
立ち上がろうとしたが、靴底が割れてしまった右足の足首がズキンと痛み、足首もしっかり捩じっていたらしいと知り、彼女は自嘲の笑い声をあげた。
「ははは、何をやっているのかしら。私は。馬車で行ったところに、徒歩でどれだけかかるか分かっているの?本当に私って馬鹿だわ。朝までに帰らなかったら、フィッツ達に心配かけるだけでしょうに。本当に考え無し。だから騙され続けてきたのね。」
「そこまで自分を理解したなら、次は失敗をする事は無いのじゃないかな。」
シンディは首の骨が折れるところだった。
そのぐらい物凄い勢いでフィッツの声のする方へと振り返ったのだ。
フィッツは散歩の途中の紳士のようにして立っていた。
気軽そうなジャケットに少し緩めのツウィ―ドのズボン。
脇の下には紳士らしき杖を挟んでいるという立ち姿だ。
「自分で立ち上がろうか?」
この人は自分が立ち上がれない状態だと知った上で言ったのだとシンディは気が付き、これは勝手に家を出た事への叱責も込めているのだと考えた。
彼は自分の謝罪を引き出そうとしている、と。
彼女はこんな場面で自分がニーナかクラウディアだったらどうしたのだろうかと考え、そして、自分はシンディでしかないと認めるしかなかった。
「私が立てないのを知っているでしょう!」
彼女はいつものように相手に対して感情をぶつけていた。
助けてと声を出して拒絶されるのが嫌だから、彼女は最初から人を責めるのだ。
フィッツは揶揄うような表情をした後に、彼女に対して手を差しだした。
「助けてって、君から聞きたいからかな?」
シンディはフィッツの手を叩くようにして振り払った。
「助けなんて求めていないわ。それなのにどうして意地悪ばかりするの!助けてもくれないくせに!どうして私に優しくしたの!」
後半はフィッツに向けてではなく、エミールへ言いたかった言葉だ。
母親の死で彼との関係は完全に切れたと当時のシンディは子供ながら受け入れていたが、去っていく彼の後ろ姿にしがみ付きたいと願っていたのだ。
「私なんて誰にも愛されない人間だって、そんなの解っているわよ!」
「そうかな?」
シンディの目線にあうようになのか、フィッツはゆっくりとしゃがみ込んだ。
金色に光る彼はエミールに似ていたが、エミールとはまるきり違っていた。
そっくり同じ顔なのに、髪の色や目の色が違うだけで完全に別人であった。
そうではない。
シンディは初めてフィッツという男性に目を向けたのだと、今まで彼を見ていなかったのだとようやく気が付いたのだ。
彼女を裏切った男達を彼に重ね、大好きだったエミールの幻影を重ねた。
フィッツはフィッツで、自分よりも誰かの事を優先する優しい男であったというのに、彼女は自分の意固地さで常に彼を悪者にしていたのだ。
それはなぜか。
裏切られるよりも辛い思いを彼にさせられるだろうという、確信に近い恐れからである。
恋をしても無関心しか与えられないのは、受け入れられた後に裏切られる事よりも残酷では無いだろうか。
「君はね、自分に自信が無さすぎる。」
「え?」
「僕が君をスパイだと決めつけたいくらいに、君は魅力的なんだよ。」
「私は歌う事だけしか出来ない、大きいだけの不格好な女よ。」
「そうだね。不格好だ。せっかくの美しい体を猫背にして台無しにしている。」
「え?」
「君は背筋を伸ばすんだ。いいかな?君が歌う時に人々が君に注目をするのは、君の歌声が素晴らしいからだけではないよ。君が背筋を伸ばして君本来の美しさで輝くからなんだ。」
「え?」
シンディは完全に混乱していた。
自分が誰で、何をしようとしていたのか、どうして泥まみれで、そしてどこに行こうとしていたのかさえ忘れていた。
忘れていたけれども、彼女は立ち上がっていた。
フィッツが彼女の目を見つめたまま、彼女に足首の痛みに気が付かせないまま彼女を立たせたのだ。
いいや、気が付かなかったわけではない。
彼女の足が痛まないように彼は彼女を立たせたのだ。
王子様がお姫様を助けるようにして。
シンディは自分を見下ろして微笑む王子に、自分がお姫様になれたと感じているこの魔法が解けないでいて欲しいと願いながら、生まれてはじめてに近い心からの言葉を口にしていた。
「お願い。私を助けて。」
「もちろん。続きは明日の昼間にしても良ければ。」
「え?」
「一度帰ろう。君は泥まみれで怪我まみれだ。君が今しようとしていたことは明日でも替えが利くから今すぐ帰ろう。」
「ええ!助けてよ!私は今すぐシャンタルの無事を確かめたいのに!」
「彼女は無事だし、彼女に会いたいのなら、別の場所で会った方が君は安心できると思う。明日、必ず、生きているシャンタルに会わせるから、帰ろう。」
シンディがここで簡単にフィッツの言いなりになったのは、フィッツが彼女に背を向けたからだ。
背を向けて、乗ってと彼女に言ったのだ。
彼女は愛しているエミールと同じに見える背中を拒む事など出来なかった。
幼い頃からずっと望んでいた背中なのだから。




