第十八話 黒竜
俺よりも倍以上は大きな竜が、こちらをじっと見据えていた。
尾がスラリと長く伸びている。
後ろ足二本が大地を力強く踏みしめ、それに比べて前足はかなり小さい。
胴体は細身だが引き締まっており、力強さを感じさせる。
背中には全身よりも大きな翼を生やし、その体が何倍にも大きく見える。
頭には二本の角。
閉じた口からは二本の大きな牙が見える。
全身は隙間なく鱗に覆われ、まるで堅牢な要塞のようだ。
その鱗は黒く艶がない。
どこまでも深く暗い黒。
もはや輪郭すらハッキリしない身体の中で、琥珀のような黄金の瞳だけが、吸い込まれそうな輝きを放っていた。
────美しい生き物だ。
素直にそう感じる。
竜はそのまま無造作にこちらに近づき、そのまま俺を食おうと口を開く。
そんな何気ない動作さえも、どこか神々しく─────
────って、おいおいおいおい!
ちょっと待て!!!
慌てて後ろに飛び退く。
焦りとは裏腹に、竜の動きはゆっくりした物で、余裕を持って避けることが出来た。
────前言撤回である。
物騒な生き物だ。
この世界………あまりにトカゲに厳しくないか?!
≪そのような事実はありません。≫
情報開示さんの冷静な指摘が聞こえる気がするが、気にする余裕はない。
(ん?俺を見てまだ動けるのか。)
(そりゃ食われようとしたら逃げるだろ!)
竜の不思議そうな問いかけに、思わず突っ込んでしまった。
(しかも喋れるトカゲとは。珍しいこともあるものだな。)
(………そりゃどうも。)
一応話は通じるようだ。
ここは何とか話し合いをして─────
(喋れるなら話が早い。さぁ、大人しく俺に食われるがいい。)
─────問答無用である。
交渉の余地はない。
竜は先程よりも素早い動きで噛みついてくる。
予想以上に速い。
すでに全く余裕はなく、体を掠めながら巨大な牙が通り抜けていく。
(会話の途中で食おうとするやつがあるか?!!頭おかしいだろ!)
(お前こそおかしなことを言う。お前は獲物が鳴けば食うのをやめるのか?そんなわけがあるまい。)
竜の感覚ではそういうものらしい。
───いや。
野生の動物達にとって、それは当たり前のことかもしれない。
(中々すばしっこいトカゲだな。だが…もういいだろう。)
竜は興味を無くしたように呟き、翼を大きく広げる。
そしておもむろに、後ろを振り向きなが体を捻った。
何だ─────?
意味が分からず一瞬悩み。
直後。
その一瞬を後悔した。
大きな翼の陰から長い尾が迫る。
それに気付いた頃には尾は鞭のようにしなり。
すでに加速を終えていた。
速すぎる─────────
“感覚加速”の効果だろうか。
迫り来る尾を視認する事はできる。
それでも。
体は反応出来ない。
これは。
終わったかな。
ギリギリ見える程度。
凄まじい速さ。
直撃すれば俺は死ぬだろう。
そして俺にあの尾は躱せない。
まるで時間が止まったように感じる世界の中で。
俺は理解してしまった。
あの尾が直撃し。
俺は死ぬのだ──────
あぁ。
短い人生だった。
“悪くない人生だった”と言うには余りに短い。
だが考えてみれば野生のトカゲの一生など、大半はこんなものかもしれないな。
ユウトと出会ってまだ一日。
もっと色々と見て回りたかったなぁ。
────いいや。
諦めを孕んだ笑いが込み上げる。
どうせ別れが来るならば。
きっと早い方が良かったのだ──────
◆
「─────死なないで。」
不意に。
声が聞こえた。
震える声に。
涙に濡れたその声に視線を上げる。
そこに竜の姿はない。
変わりに誰かが。
泣きながら俺を見下ろしている。
これは走馬灯というものか?
その誰かはいつまでも。
いつまでも俺の手を握っていた────
これは…………
以前の記憶。
誰だったのか思い出せない。
だが。
とても。
とても大切な人。
そして。
大切な人の。
大切なその願いを。
俺は叶えられなかった──────
(俺は──────)
◇
急速に思考が戻る。
まだ死んではいない。
考えろ─────
考え、そして動け。
尾の速さに思考だけは追い付いている。
あとは体が動かないだけだ。
そう。
体が動けば良いだけだ。
さっき聞こえた声が誰のものであったのか。
今はまだ思い出せない。
しかし、あれは俺の大切な人だ。
俺はあの時死に。
この世界に生まれ変わったのだ。
あの人の事を思い出せるのかは分からない。
普通に考えて、再び会うことはきっともう無いだろう。
それでも──────
俺には大切な人がいた。
叶えたかった願いがあったのだ。
今度こそ。
いつか再び死ぬその瞬間まで。
もう何も諦めはしない!!!
速く。
速く───!
より速く──────!!!!
本能的な確信がある。
この純粋な願いこそが鍵。
力を込めた脚が焼けるように熱い。
まるで神経を直接握られているような痛みが走る。
それと同時に。
脚の組織が別の物へと入れ替わっていく感覚。
感覚に置き去りにされたはずの体の動きが徐々に追いついてくる。
ゴッ───────
迫り来る鞭のような尾。
それを跳躍して躱し、そのまま竜の側面へと回り込む。
(─────ん?どこへ行った?)
竜は俺の姿を完全に見失っていた。
この竜には死角がある。
それは、大きな翼の陰。
竜が自分の攻撃を隠すために使った翼は、同時に自分自身の死角にもなるのだ。
周りを見回す竜の翼に合わせるように、俺は陰の中を移動していく。
先程までとは比べ物にならないほど体が軽い。
しかし、こうしている間にも焼けるような熱さが全身に広がっていく。
油断すれば気を失ってしまいそうだ。
ここで気を抜いてはいけない。
今倒れては、全てが無駄になるのだから。
全神経を集中して竜の死角を移動し続ける。
そして、竜の翼に窓が隠れた瞬間。
俺はユウトの部屋へと飛び込んでいった。




