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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第五章、応用編その2
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その84・顔面装備に感謝すること







 その後の職員室は酷い有様だった。

 音を切り抜いたかのような静寂はほんの一瞬で、あとは正に蜘蛛の子を散らすといった風情。

 逃げ出した民間人達は、合流地点などを決めているのだろうか。

 身内にゾンビ予備軍が存在したのだと言う事実は確かに衝撃的だが、それにしたって一斉に逃げ出す事はないんじゃないかと奏は思う。

 しかし、だからこそ身内が信用出来なくなったのかもしれない。“他にも感染を隠している者がいるかも”という疑心暗鬼の結果かもしれない。

 単純なゾンビより、まだ人間の意識が残っている感染者の方が遥かに面倒であるという部分には、奏も同意する事が出来る。

 しかし何にしろ去って行った者らにかけられる言葉など既に無く、誰もいなくなった学校に、部隊が留まる理由も無い。


 研究所へ帰還するだけとなった2人を見送るため、奏は自らも廊下へと出た。

 己が今後行う事を思えば、きちんと2人の後ろ姿を見送った方が無難であると考えたからである。

 しかし。

 「ちょっと野暮用」と言い残し、補給部隊の生き残りが廊下の奥の方へ駆けて行ったため、奏はしばしその場で待機する羽目になった。

 恐らく彼は、用でも足しに行ったのだろう。

 荷物を一旦足下に降ろし、壁に背を預けた奏は、扉を背に座り込んでいる河井のつむじへとその視線を落とした。

 耳を澄ませば相変わらずの雨の音。

 勢いは、少々弱まって来ているようだった。


「俺……酷い?」


 やがてポツリと落とされた拗ねたような声。

 ゆっくりと瞬きをした奏は、静かにそのかぶりを振る。


「……河井さんは、間違ってませんよ」


 感染が発覚した長袖男を始末したのは、河井だった。恐らく反射的に発砲してしまったのだろう。

 直後民間人らは一斉に逃げ出し、しかしあの女だけはしばらく、放心したようにその場に留まっていた。

 男の後頭部から流れ出す赤が、黒く染まりきる頃。

 ぽつりと女が落とした「ひどい」という囁き声に、やはり河井は少しばかりショックを受けていたようだ。


「河井さんが撃たなくても、どうせ私が殺してました」

「そうだよな。ま、お前に任せりゃ良かったとは思う」


 首の後ろをぼりぼり掻き始めた河井は、そもそも自分の行いが間違っているとは思っていなかったのだろう。

 弾を無駄にしたとか、なんとか。

 ぶつぶつ言い始めた河井のあまりにも早い立ち直りに、なら聞くなよと若干呆れる奏だが。

 一応その言葉は飲み込む事にして、代わりに、前々から感じていた疑問を口にしてみる事にする。


「……でもまぁ、酷いって言われる意味は分かりますよ」

「え」

「別に、完全に感染してから殺したって良いじゃないですか」


 あの女にとって、あの長袖男はまだ“知人”だったのだろう。

 目の前で知人が殺されるショックは中々に大きいだろうし、その辺りに関して河井が無頓着であるのは奏にとって意外だった。

 けれど顔を上げて来た彼の眉間には、何故かくっきりと皺が刻まれている。


「そりゃ、その方が後味が良いって話だろ?」

「? そうですけど」

「そんな余裕ぶっこいてて、何かあったら笑いもんだぞ。いや、笑えねぇけど」

「……河井さんって、意外と余裕無いんですか?」

「……お前ほどの余裕はねぇかもな」


 吐き捨てるような言葉に奏が目を眇めれば、河井の視線が逸れていく。

 表面上平気そうにはしていた彼だが、どうやらまだ立ち直っていなかったらしい。

 手の内で拳銃をくるくると弄んでいる河井は、苛立っているという自覚があるようだった。


「あの人から“酷い”って言われたの、そんなにショックだったんですか?」

「いや、お前も」

「は?」

「……なんでもねぇよ。ああ、あとあれだな。“命乞いされる前に殺せ”、って昔言われた事がある。あと、俺だったら人間のまま死にてぇと思う……ってか」


 首を振り、誤摩化すように続けた河井の上げられた視線を受け、奏は瞬きで先を促す。


「お前、なんであいつが感染してるって分かった?」


 口から心臓が飛び出る。

 そんな有り得ない現象が今、確実に起こりかけた気がしてならない奏は、引き攣ってしまった己の表情に冷や汗を流す。

 けれど、それは頭部装備によって隠された事だろう。

 しかし、開いた間の不自然さは隠しようがない。


「いや、なんとなく挙動不審な気がしたので」

「俺にとっちゃお前の方が挙動不審に見えたぞ。あの男にどっか、気にかかる部分でもあったか?」


 それでもなんとか平常を装って答える奏に、河井の追求は容赦がない。

 気にかかるっていうか粗探ししてました、なんて。

 言える筈も無い彼女は、緊張のあまり痺れる指先を手の平の中にそっと隠す。


「ほら、なんとなくあの男、顔色も悪かったですし。寒そうにもしてましたし」

「食うもん節約すれば顔色も悪くなるだろ。学校ここから出れない状態が続いてたみたいだしな」

「そ、それはそうですけど……まぁ勘違いじゃなくて良かったって事ですね。結果オーライでしょう」


 出来る事なら笑って誤摩化してしまいたい奏だが、この状況で漏れる笑みなど不審でしかない。

 あの長袖男は間違いなく昔の研究所の研究員で、露見しては不味過ぎる情報を握っていて、おまけにお喋りときたので早急に退場して欲しかったなんて。

 言える筈も無い奏の、それとなく明後日の方角へと流される事になった視界の端には、けれど身を乗り出さん勢いで追ってくる河井のじと目がしっかりと映っている。


「……やっぱお前、なんか隠してない?」


 ちくちくと身を刺してくる視線に居た堪れなくなり、その場から逃げ出したくなる精神に反し、奏の顔の向きは酷く滑らかに河井の方へと戻される。


「何がですか?」

「粗ってのは探さねぇと出てこないもんだろ。しかもお前、基本的に他人に興味ないくせにあの男には注意向けてたよな。なんで?」

「そ、そんな事は――」

「ってかさっき、“完全に感染してから殺せば良い”って言ったよな」


 頼むからもうやめてくれという奏の心の叫びは、残念ながら河井には届かない。

 そもそも心の叫びというのは他人に届くものでは無く、届いてはまずいからこそ心の中で叫ぶのだなんて、当たり前の事に現実逃避しかけていた奏は次の河井の言葉に白目を剥きたくなった。


「じゃあなんであの男に限っては“完全に感染してから殺そう”と思わなかったわけ?」

「か、感染者は始末出来たんだから良いじゃないですか。そりゃ一歩間違えたら白目で見られてたとは思いますけど」

「……白目? じゃなくていや、そういう話じゃなく」

「ほ、ほら。補給部隊の人帰って来ましたよ。さっさと帰って報告書かいて下さい、私はちょっと行くところがあるんで」


 極限状態でこそ、人の感覚は鋭くなるものなのか。

 それとも単に救いの手を探していたからなのか、いち早くその足音に気付いた奏は、なんとも呑気な様子で戻って来た男に意味なく深く頷いてみせた。


「えー。奏ちゃん、どっか行くの?」


 呑気そうに見えた補給部隊の男は、やはり呑気だった。

 何故自分の名前を知っているのかと思わなくもない奏だったが、今はそんな些末より、場を離れる事が先決である。


「ええ。ちょっと別件の任務があるので」

「別件? それくらい手伝うけど?」


 呑気な男は、加えて友好的だった。

 目尻を下げて笑う様子に温和な印象を受ける奏だったが、しかしやはり今はそれどころではない。


「いえ。大丈夫です。それに早く帰らないと、河井さんの記憶が劣化してしまうので」

「劣化!?」

「河井さん、しょっちゅう報告書の書き直しさせられてるじゃないですか」

「えー……河井、お前そうなの? 若いのにヤバいよ?」

「……っ、奏てめぇ余計なことを……っ! ってか、あれはそういう問題じゃ」

「と、言う事なので。気をつけてお帰りください、では」


 速やかに場を去るべく足下に置いていた荷物を背負い直した奏は、これまた早急に河井の引き継ぎをとっとと済ませ、ぴっと2人に向け手の平を翳してみせる。

 そのままくるりと踵を返せば幸い、引き止められる様子も無く。

 耳に届いてくる何とも和やかな言い合いの声を後にした奏は、廊下に反響する己の足音を聞きながら、小刻みに震え続けている指先を強く手の内に包みなおした。

 けれど、あのまま場に残り続けても、己が墓穴を掘り続けることは明白であると。

 自分に言い聞かせてみても、問題を残してきた事には変わりなく、去り際に見た河井の細められた瞳に、奏は気管が収縮するような息苦しさを覚えた。









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