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二度目の中学時代

作者: 灰色の猫


 ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ。

 朝五時にアラームが鳴る。久しぶりのにこの音で起きた。いつ以来だろう。あの日から僕の生活は逆転した。三ヶ月前のくそ暑いあの日。気温的にはなんてことなかった。ただ僕が勝手に熱くなっていただけだった。そう、僕はあの日、職を手放した。






 いつも通り、朝五時のアラームで目が覚め、いつも通り二度寝した。三度目のスヌーズで携帯のボタンを押し、前日に買った缶コーヒーと菓子パンを無理矢理胃に流し込み、歯を磨いた。鏡を見ながら女物のワックスで髪を整え、夜の番組を予約して家を出た。

 最寄り駅に着くと、既に人の山。二度目のスヌーズで起きたら混まなかったのに。無事に電車に乗れたが、最初のトラブルが起きた。最初であり最後のトラブルでもあった。

 会社と逆方向。

 なぜか焦らなかった。会社で散々、面倒事を押し付けられたからかもしれない。糞上司に感謝。そしてある考えが浮かんできた。

「このまま、辞めようかな」

 僕の呟きが聞こえたのか、前にいた女性が振り返り睨まれた。息が臭かったかな。少し焦った。次の駅でその女性が降りた。僕のせいかな。その次の駅で隣の男性が降りた。扉が開いたと同時に、深い溜め息をしていたのが印象的だった。その次の駅で、また一人。そしてまた一人。気づけば知らない地名だった。マナーモードにしていた携帯には、上司からの着信がたくさんあった。

「ストーカーかよ」

 湿った吊革を握りしめながら、僕は携帯の電源を切った。

 次の駅で降り、コンビニに寄った。普段は買わない高めのカツサンドとジンジャーエールを購入した。現金補給も忘れずに。

 駅前にあったベンチに座り、繊切りキャベツを落としながらカツサンドを頬張った。

 朝五時に起き、出社。昼休憩は週三回あればいい方。前に休んだのは……いつだったかな。付き合っていた彼女には少ない給料を貢ぎフラれ、取り柄は若さくらいな自分。

 朝十時に食べるカツは美味しかった。

「……帰ろう」

 僕は駅前からバスに乗り空港へ向かった。空港で航空券を買うのは手間取った。いつもは前もって買っていたから。でも時間はいくらでもあった。受付のお姉さんが元カノに似ていた気がする。どうでも良かった。





 久しぶりの帰郷は後ろめたい凱旋だった。海を越えて、まだ桜の咲いていない北の地に帰ってきた。バスを乗り継いで、財布と貴重品、仕事の資料を手土産に実家に着いたのは夜の七時過ぎだった。

「ただいま」

 懐かしい家の匂い。古い木の家の匂い。

「どしたのっ、いきなり」

「帰ってきた」

「それはわかるよっ」

「仕事、やめてきた」

「やめてきたって、なんで」

「なんでもだよ」

 無理矢理話を終わらせて、自分の部屋がある二階にあがった。

「ちょっと、まだ話」

――バタンッ――

 手探りで部屋の中央にある灯りの紐を探した。紐を引いて灯りをつけた。落書きだらけの学習机。昔読んだ漫画。ブラウン菅のテレビ。友達の名前が書かれたゲームソフト。自分の好きな曲を集めて作ったMD。


 鞄に入っていた携帯の電源を入れた。着信の数は三桁を超えていた。少し遅れて何通かのメールが届いた。社長と事務員と、風俗の会員メール。社長に謝罪と辞める旨のメールを送った。殆んど定型文。事務員の女の子には、ごめんと。部屋が会社持ちだったから残った荷物の処分を頼む旨のメールを。今日は、仕事着のスーツのまま小さなベッドで寝ることにした。


 次の日、朝一で部屋の鍵と仕事の資料を元職場に送った。


 寝ている間に社長からメールが届いていた。戻ってこないか、と。悩むことなく断った。小さな会社だから皆との距離も近かったが、今思えばそれは息苦しかった。まあ、どうでも良いか。


 母親に事情を説明したら、呆れられた。怒られるかと思いきや。怒りを通り越したのかもしれない。説明ついでに母親から車を借り、服を買いに行くことにした。コンビニくらいなら徒歩で行ける距離にあるが、服屋は遠かった。よれたスーツを着こなしながら、安いジーパンやポロシャツを買う俺に、店員も少し戸惑っていた。まあ、どうでも良かったが。


 家に帰り、テレビを眺めていた。知っている長寿番組は終わっていて、無駄に派手な情報番組は新鮮に思えた。


「ははっ」

 気がつけば笑っていた。くだらない番組と、くだらない自分に。何をやっているんだろう。何をしたかったんだろう。そんな事を考えていたら、一週間はあっという間だった。忙しくても、暇すぎても時間は変わらない。哲学的な自分に少し酔った。


 中学時代の同級生をネットで探した。何人かは地元に残っていた。誰にも会いたくなかったから、日増しに外出する機会は減った。髭が延びても気にしなくなった。体重が増えた。友達のゲームを何回かクリアした。手持ちの漫画を全部読んだ。中学時代に聴いていた音楽を聴きまくった。青臭いメッセージが歌詞のラップの曲。聴いてたらカラオケに行きたくなった。近くにはパブくらいしかなかった。忘れた頃に、少ない給料が更に減ったお金が振り込まれていた。だんだんと寝れない日々が続いた。気づけば母親は何も言わなくなった。先週、携帯が止まった。特に不便が無いことに少し驚いた。昨日、久しぶりに昼のコンビニに行った。玉子と牛乳と漫画を買いに。



「七百円以上お買い上げですので、こちらのくじをどうぞ」

 若い女の子がぎこちない笑顔でくじ箱を差し出してきた。早く帰りたかったから、一番上のを引っこ抜いた。


 くじは当たった。三本セットの剃刀だった。

「おめでとうございますっ」

 店員の女の子は小走りで商品を取りに行った。

「はいっ、また来てくださいね」




 家に帰った俺は早速髭を剃った。ジェルも無しで、かなり時間がかかったが。少しだけ、ほんの少しだけまた働きたい気持ちが出てきた。



 明日は履歴書買いに行こう。そう思いながら、久しぶりに母親に炒飯を作る事にした。焦げちゃったが。

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