エピローグ
「というわけなんだ……。俺は辺境伯の権限を奪われ、今は当主としての仕事は何一つさせてもらえない。俺が唯一出来ることといえば、国境守備として現場に出ることだけだ」
「へえ、そうですか。ですがそれは私がいた頃と変わりありませんよね? だったらよかったのではなくて?」
アントンの語る長い身の上話を黙って聞いていたクレアは、ここにきて初めて口を挟んだ。
あまりに長すぎて、隣にいる夫のカイルは興味を失い窓の外を眺めている。
「君は俺に当主として最後の確認はさせてくれただろう? バイオレットはそれすらもさせてくれないんだ。これでは俺は何のためにいるのか……」
「はあ、それは仕方ないのでは? 当主としての権限が譲渡されたのであれば、バイオレット様お一人の署名で事足りるでしょうし」
「そうだが……これでは俺の当主としての尊厳は踏みにじられたも同然だ。まるで、お前はお飾りにすぎないと突きつけられているようで辛い……」
「あらあら……どの口がそんなことをおっしゃるの? あなたにとっての私だって『お飾り』の妻だったではありませんか? 結婚初日に『お前を愛することはない』とおっしゃったことをお忘れで? まさか、私の尊厳を踏みにじった自覚がないのですか?」
皮肉を交えて問い詰められたアントンは「え……」と困惑の声を漏らした。
「あ……その、あれはそんなつもりでは……」
「では、どういうおつもりで? それに、煩わしい仕事から解放され、戦場に出ることに専念できてよかったのではありませんか。そう言っておりましたものね? 『おれは戦場に出るのに忙しいから、妻になど構っていられない』と。まあ……実際はマリーネさんと愛を育むことに勤しんでいただけのようですけど……」
クレアが自分に向ける目が氷点下まで下がっていることに気づいたアントンは、俯いて消え入りそうな声で「すまない……」と零した。そんな情けない元夫の姿に、クレアは深くため息をつく。
「現状が辛いからと言って、元妻に縋るような真似は止してくださる? そのようなお暇がおありでしたら、奥様のご機嫌でもお取りになってはいかがです?」
「それは無理だ……。バイオレットは俺を視界に入れる度に嫌そうな顔をしてくるし、触れようとすれば金切声を上げて拒絶してくる。気に入らないことがあるとすぐに癇癪を起して暴力を振るうし……。そのせいで屋敷に居ずらくなった……」
項垂れるアントンに、クレアの隣にいたカイルは窓から視線をこちらに戻して「そこまで自分を嫌っている女をよく触ろうとするな」とぼそりと呟いた。
「だったら、マリーネさんにでも慰めてもらったらいかが? といいますか、マリーネさんという最愛がいながら、よく妻とはいえ他の女性に触れようとなさいますね」
「それは仕方ないんだ……。マリーネは……よほどバイオレットに暴力を振るわれたことが恐ろしかったのか、俺と会おうとしない。俺と関わるとバイオレットが危害を加えてくるのではと、怯えてしまってな……」
「あらまあ、よほど怖かったのですね。ですが、妻を捨ててまで選んだお相手なのですから、支えてあげなくてはね」
そう言っても「いや、でも……」と煮え切らない態度のアントンを見る限り、マリーネにもうそこまでの愛情を抱いていないことが分かる。そんな元夫にクレアは激しい嫌悪感を抱いた。
「ご事情はよく分かりましたが、自業自得だとしか思えません。今の状況は身勝手にも王命に背いた代償なのでは?」
「そんな……助けてはくれないのか? 勝手な理由で君を追い出したことは反省している。頼む、戻ってきてくれ……」
「お断りします。王命よりも、私という妻よりも、マリーネさんとの愛を選んだのは貴方でしょう? なら、その代償も受け入れてください。見苦しい……」
蔑んだ視線を向けると、アントンは傷ついた顔を見せた。しかし、そんな顔を見せられても何とも思わない。この人がどうなろうと、どうでもいいとしか思えない。
「お願いだクレア! 今度こそ、必ず君を幸せにすると誓う! 大切にする。だから、もう一度俺の妻になってくれ!」
「お断りだと何度も申し上げているでしょう? それに、私は今幸せなのです。貴族の身分は失いましたが、そのおかげで好ましいと思える殿方の妻になれたのですから」
そう言ってクレアが隣にいるカイルへと視線を向ける。熱を帯びたその瞳は恋する乙女そのもの。
アントンが決して見ることが叶わなかった元妻の表情は、驚くほど可憐で艶やかで、それが向けられていることが自分ではなかったことが悔やまれた。
「俺は……どこで間違ってしまったのだろうか。あの時、マリーネではなく……君を選んでいたら……」
後悔の言葉を口にするアントンをカイルが「用件はお済みでしょう。お帰りを」と無理やり追い出した。
項垂れたアントンは抵抗する気力もなく、とぼとぼとその場を後にする。すっかり小さくなった後ろ姿をクレアは何の感慨も無く眺めていた。
「聞いていたよりも、どうしようもない男だったな。あれで辺境伯が務まるのか?」
アントンが去った後、カイルが呆れたように問いかけた。
「武人としては優秀みたいよ。……それ以外はお粗末だけど」
今回会ってみて、クレアは改めて思った。かつての夫はあまりにも幼稚で身勝手で、己だけが可愛いというどうしようもない男だったと。
(本当に……あの時、離縁に同意しておいてよかった)
あのまま結婚生活を続けていたとしても、幸せになど決してなれなかっただろう。それは断言してもいい。
アントンから離縁を言い渡されたあの時、抗うことなく受け入れて本当によかったと思う。
「だって……今はこんなに幸せだもの」
誰にも届かぬほど小さな声でそう呟くと、クレアは最愛の夫の温かな手にそっと自分の手を重ねた。
これにて完結です!
最後までお読みいただきありがとうございました。




