1話 最初の人間との出会い
死というものは、もっと苦しいものだと思っていた。
だが実際にその時を迎えてみれば、不思議なほど穏やかだった。
病室の窓から、夕日が差し込んでいる。
赤く染まった空を眺めながら、橘景継は静かに息を吐いた。
百年。
長い人生だった。
戦争を経験した。
人を斬った。
守れなかった命もあった。
それでも剣を捨てず、生き抜き、老い、そして今、終わろうとしている。
「先生……」
傍らで、老人が涙を流していた。 景継の弟子である、 もう八十を越えた男だった。
皺だらけの顔を歪め、子供のように泣いている。 景継は、そんな弟子を見て小さく笑った。
「泣くな」
「……ですが」
「人は死ぬ。それでいい」
それが自然だ。 生き物である以上、終わりは必ず訪れる。
景継は百年という長い時間を生きた。
ならば十分だろう。 弟子は唇を噛み締め、深く頭を下げる。
景継はゆっくりと目を閉じた。 思い返すのは、剣ばかりの人生だった。
血の臭い。 鉄の音。 雪の日も、雨の日も、剣を振った。
守るために。 生きるために。 あるいは、誰かを斬るために。
「……悪くない人生だった」
呟きは、誰にも届かぬほど小さかった。
そのまま、意識は静かに沈んでいく。
次に目を開けた時、そこは白い空間だった。 空も、大地もない。 ただ果てなく白が続いている。
「起きたか」
声が響く。
景継はゆっくりと顔を上げた。 そこには、一人の人物が立っていた。
男にも女にも見える、美しい存在だった。
白い髪。 透き通るような瞳。
だが何より、その存在そのものが人ではないと理解できた。
「……ここは?」
「死後とでも呼ぶべき場所だ」
景継は驚かなかった。 百年も生きれば、死そのものへの恐怖は薄れる。 むしろ妙に納得していた。
「橘景継」
その存在は静かに名を呼ぶ。
「お前は、よく生きた」
景継は目を細めた。
「そうか」
「戦争を越え、多くを見て、多くを斬った。それでも最後まで剣を捨てなかった」
責める声音ではない。 ただ事実を語るような声だった。
「次は、どう生きたい」
その問いに、景継は少しだけ考える。 若い頃なら違う願いもあっただろう。
強さを求めた時代もある。 名誉に執着した時代もあった。 だが今は違う。
「……ゆっくり、生きてみたい」
静かな答えだった。 その存在は、僅かに笑う。
「ならば――自由に生きよ」
「多様な種族がいる世界、剣、魔法がある世界だ」
瞬間。白い世界が崩れた。風の音が耳を撫でた。草木の匂い。湿った土の感触。
景継――いや、“カゲツ”はゆっくりと目を開ける。
視界に広がっていたのは、青い空だった。
「…………」
体を起こす。違和感があった。体が軽い。あまりにも軽い。白い手を見下ろす。若い。いや、若すぎる。
二十にも満たぬような身体だった。
肩から流れ落ちる銀髪を見て、カゲツは静かに息を吐く。
「これが……転生か」
不思議と理解できた。この身体が“精霊族”という存在であることを。
希少な長寿種。自然と共に生きる者。
そして、膨大な魔力を宿す種族。
風が吹く。その瞬間、森がざわめいた。木々が揺れ、草花が震える。
まるで世界そのものが歓迎しているようだった。
カゲツは静かに周囲を見渡す。風の流れが分かる。
木々の息遣いが分かる。大地の奥に流れる魔力すら感じ取れた。
「……なるほど」
百年生きた。
戦争も、老いも、死も知った。ならば次は。
この長い時間を、静かに歩いてみるのも悪くない。
人は醜い。欲に塗れ、争い、奪い合う。
だが、それもまた人だった。だからこそ面白い。カゲツは小さく笑う。
「さて……自由に生きるとするか」
そう呟き、彼は森の奥へと歩き出した。




