第十九話 エピローグ
僕と椎名さんは山頂に来ていた。
気絶していた僕を、椎名さんが助けてくれたのだ。
そこには、大きな木の下で、一人の老婆と、その膝に横たわるガイコツさんがいた。
「ガイコツさん……もう、いっちゃったの?」
椎名さんがそう呟く。
「ええ」
おばあさんは寂しそうに呟く。
そして、僕の方を見た。
「君が、孫の言っていた後藤君ね。ありがとう。……孫をこんなに好きでいてくれて。大変だったでしょう……色々と」
おばあさんは遠くの学校の方を見つめ、ぽつりと呟いた。
「千刺桜の話、私も昔、おばあちゃんから教えてもらったことなの。昔話になぞらえて『桜の花びらを取ってきてもらう覚悟を持った人と結婚しなさい』ってね。現代では意味合いが変わって、ただの贈り物になったみたいだけど……」
「……」
「翔造さんは実際に、千刺桜の花びらを獲ってきてくれた……ちょっと遅すぎるけどね」
「ガイコツさんの名前、翔造さんって言うんですか」
僕は、おばあさんの膝にあるガイコツさんの頭を見て尋ねた。
「ええ。彼も、私の断り文句だなんて知らないで、バカ真面目に全力で桜を獲ろうとしてくれたの。そんなところがとってもカッコ良くてね……だから、ここでもう一回告白させてくれって言われたとき、とっても嬉しかったわ。あなたも同じなんでしょう、雪?」
「……うん」
フフッとおばあさんは笑った。
「そうだ、翔造さんが」
そう言っておばあさんは僕にボードを差し出した。
『ありがとう
さよなら』
そこにはあまりにも簡潔すぎるセリフが書かれていた。
「シンプルすぎて、素っ気ないように見えるでしょ?
でもね、それ書くのに相当悩んでたのよ。書いては消して、書いては消して……そうとう悩んだ末に、それっていうね」
僕はフッと息を漏らすように笑った。
「あ、そう言えば『思いついた!』って言った途端に翔造さん成仏してたわね」
「え?」
ガイコツさん……。
「そうだ、後藤くん。雪とは仲良くやるのよ。それから、今後は無茶しないこと」
そう言っておばあさんは椎名さんに目をやった。
つられて僕も、肩を貸してくれている椎名さんを見る。
涙目で頬を膨らませている。
「ただでさえボロボロなのに、急に自転車で飛び出したと思ったら今度は山道で死にかけてるんだもん……まあ半分は私のせいだけど」
「あ、はい。すみません……」
僕は唖然としていると、椎名さんが「心配したんだから……」と呟き、フン、と鼻を鳴らした。
それを聞くおばあさんの目は高潔でありながら、それでいて優しい目だった。
僕は、山頂から学校を見下ろした。
ガイコツさんの体と、僕に突き刺さった千刺桜の鮮やかなピンク色の花びらが、そよ風に乗せられて舞っている。
ひらひらと舞っていた。
「こんにちは」
「はい〜こんちゃ〜」
いつも通りの生物室。頭に包帯を巻いた僕はいつも通り動物たちの世話をするために、餌の入ったボックスを取り出し、蓋を開けてメダカに餌をやる。
僕が椎名さんと付き合うことになってから、その噂は瞬く間に広まった。
それはそうだろう。今までありとあらゆるイケメンたちが敗北してきた椎名さんと、何の変哲もない根暗な一般人である僕が結ばれたのだ。話題になってもおかしくはない。
しかし、その噂は当然、良からぬものを呼ぶ。椎名さんに恋をしていたライバルたちがまた活動を再開し始めたのだ。
「なんで後藤なんかが椎名さんと付き合えるんだ」と言い、彼らは再び椎名さんへ猛烈なアタックをしたり、僕にちょっかいをかけてきたりした。
しかしそんな妨害も、わずか数日で終焉を迎える。あの日僕をボコボコにした近藤の舎弟、土見たち四人と近藤が、僕に謝罪をしてきたからだ。
聞けばあの後、勝手なことをしたとして近藤にもシメられたらしく、更に土見たちは全身包帯だらけになっていた。
そんなボロボロの土見たち四人と近藤が頭を下げている姿が誰かに目撃されたのか、「近藤の舎弟たち四人をたった一人で倒し、近藤に頭を下げさせた人物」としてその噂もまた、瞬く間に学校中を駆け巡った。
おかげで僕は畏怖の対象となり、陰では「裏番長」と呼ばれているらしい。この間皆川たちに揶揄われた。
そんな物騒な噂が出たからには、もう誰も僕と椎名さんの交際を否定する者はいなくなるのも当然だろう。
それに、他の候補者である金園、神田、金田の動きも大きかった。椎名さんをきっぱりと諦めただけでなく、僕のことを評価してくれてるんだとか。千刺桜の花びらを実際に手に入れたというのもあるんだろうが、何よりも椎名さん自身が選んだ人だ、というのが一番の理由らしい。俺たちはあいつに負けたんだ、みたいなそんな話が廊下で聞こえてきた。椎名さんが何か彼らに話したのだろうか?
ちなみに、僕の友人たちは交際が決まったことを聞くと相当に驚かれた。茶化してきたらぶん殴ってやろうかと思ったが、意外も意外。素直に賞賛された。
でもその直後には「リア充爆発しろ!!」と中指を立てられた。……なんで僕は彼らと仲良くしているんだろうか?
まあそれはともかくとして。もっと大事な用がある。
僕はとあることを確かめたかったのだ。
「早乙女先生」
「……スン」
「スンって効果音、自分で言うもんじゃなくないですか? はるか先生」
「いいだろ、別に」
早乙女先生は週刊少年誌を読みながら声を返した。
「それで、なんだ?」
「……本当にはるか先生って、千刺桜の噂を知らなかったんですか?」
早乙女先生がマンガを読む手つきが止まる。
「……どうしてそう思う?」
「後で椎名さんに聞きました。僕のライバルたちは、それぞれが各々の出せる最適解を出していたと。正直、付き合いたくない人はいない、と言えるほどに。
多分、僕が同じ場で告白していたら、彼らに負けて、僕は振られていたんじゃないかって、思うんです。
なんで僕が椎名さんと付き合えたのか……それはやっぱり、僕が最初に残した印象が強烈だった、というのもあるけど、やっぱり椎名さんがずっと僕の努力を見てくれていたから、それで好きになってくれたから、というのも大きいと思うんです」
「……なるほど?」
「あと何よりも、恋愛は一種のレース。最初に好きになった人から、気持ちを動かすのは容易ではない。だから椎名さんが最初に僕に気づいてくれていなかったら、厳しかったんじゃないかなって。他の人たちの頑張っている姿を見たら、きっと椎名さんはそっちに最初に惚れていたでしょうし。
だからわざと、この生物室から見える千刺桜の木の下で、僕に筋トレをすることを勧めたんじゃないですか?
なんなら、椎名さんがここで僕の頑張りを見るきっかけを与えたのも……」
「……与えられた好意に理由をつけるもんじゃない。シンデレラストーリーを語る時に、なぜ魔女が来たのかを語る人は誰もいないだろ? それは野暮ってもんだよ」
と、早乙女先生は笑った。
「まぁ、強いて言うんだったら……いつも君が手伝ってくれてるからかな。そういうのへの恩返しってやつさ。
……それに私は所詮、雪ちゃんが君の魅力に気づくため、ほんのちょっぴりだけ君をアシストしてやったってだけさ。それ以上でもそれ以下でもないよ」
「ほんのちょっとですかねぇ……例の千刺桜の件だって、一般的には不正解だったとは言え、今回はそれで正解だったわけですし」
「……偶然だよ」
「そうですか」
「いいか、今回の一件で一番大事なのは……私のアシストがあろうが、君自身が努力して、それによって得た結果なのは間違いないってことだ。君は君の力で雪ちゃんを射止めたんだ」
早乙女先生は、メダカが餌を食べる様子を見る。
「ま、せいぜい振られないよう頑張れよ」
「はい」
僕と早乙女先生は、水槽のメダカをいつも通りに見つめる。
「……あ、てかそうじゃなくて!
聞きましたよ、千刺桜の花びら取る特訓、アレ嘘なんですって!?」
「……雪ちゃん、バラしやがったな〜アイツ」
「どうなんですか!?」
「うっせ! 自分で調べないのが悪いだろうが! それにヨォ、努力っていうのは、ぶっちゃけ何でもよかったんだよ。あの場面ではやることが大事だったの!」
「なに開き直ってんですか? それと騙したことは別でしょ!?」
「結果良かったんだからいいだろうが!! うっせバーカ!!」
「あっ、馬鹿って言いましたね?」
「んだこのヤロー!!」
「ちょっとはーちゃん、後藤くん、しょうもない喧嘩しないで!!」
椎名さんが飛び込んできた。
今日もまた、桜は僕の胸を千度揺らす。




