01.婚約解消
今日は月に一度行われている婚約者とのお茶会の日。
前回は彼の家で開催されたため、今回のお茶会は我がムーア侯爵邸で行われる運びとなった。
婚約者とのお茶会といえど幼少期からの付き合いで恒例とも言えるような慣れたもの。私が好きな物語の恋する乙女のように胸が高鳴るものではないけれど、それでも彼と過ごす和やかな時間が私は好きだった。
「……やぁ、アデラ」
「リチャード様、お越しいただきありがとうございます」
毎回言葉にしていることでも今日は噛まなかったと安堵しながら、優雅に見えるよう細心の注意を払い席に着く。
目の前のテーブルには使用人達が用意してくれていた、選りすぐりの紅茶や茶菓子たちが美しくセッティングされている。私が音を立てないように紅茶に口をつければリチャード様も優雅な姿で紅茶を口にした。彼の好きな茶葉を用意したからお気に召してくれていたらいいのだけれど。
そうしていつも通り穏やかな話が始まると思っていたのだが、今日は何だか婚約者のリチャード様の様子がおかしいことに気がついた。
いつも優しい微笑みを浮かべている彼の口元は固く閉ざされていた。サファイアのように美しい青い瞳も長い睫毛で伏せられていて、その表情は何処か憂いを帯びているように感じた。
何かあったのだろうかと心配になるが、触れられたくないことだったらどうしようと考えてしまう。私が迷いながらそっと見つめていれば、意を決したように彼は口を開いた。
「……アデラ。僕と婚約解消してくれないだろうか」
カチャン、と耳に刺さるような音が静かなこの部屋に響いた。それは間違いなく私の手からティーカップを落としてしまった音だったが、私の世界が崩れさり壊れてしまった音のようにも思えた。
マナー講師の先生が今の私を見れば雷が落ちてくるだろうと想像して指先が震える。音を立てるどころか高価なティーカップを落として割ってしまうなんてありえない事だ。
しかし即座に反応出来なかったのは私だけでは無かったようで、周りに控えていた侍女達も驚いて固まっていた。しかしすぐにハッとして床に落としてしまったカップの欠片を片付けてくれた。
どうやら派手に割れてはいないようで良かったと、現実逃避のようにそんなことを思う。ぐるぐると別のことを考え込んで目の前の婚約者から発せられた言葉を飲み込むのに時間がかかってしまう。
こんな緊急事態でも貴族として生まれ育ったのであれば、完璧な笑みを貼り付けたまま素早く返事をしなければいけない。しかし私は動揺が全部顔に現れてしまう。自分の意見を出したり流暢な言葉を話すのが苦手なため、こういった時に咄嗟に言葉を発せなかった。
そんな不甲斐ない私を知っている婚約者……否、もう元婚約者になってしまうリチャード様は鋭い視線を向ける訳でもなく、いつものように私と目線を合わせて私の言葉を待ってくれている。
婚約解消だなんて突然のことに泣いてしまいそうになったが、彼の優しい瞳を見て少しだけ心が落ち着いた。彼の優しい視線を正面から受け止められることは今後無くなっていくのだろうと思うと胸が締め付けられた。
私は大きく深呼吸をしてから口を開いた。私に出せる答えは一つしかなかった。
「…………わ、分かりました」
この返事をするだけでかなり時間を使ってしまった。受け入れたくない、そんな返事をしたくはないという私のうるさい心の声は蓋をする。
「うん。ありがとう」
「えっとその、お父様とお母様には……」
「アデラのご両親にも我が家にも既に話は通しているよ。君に相談せずに進めてしまって本当にごめんね」
そう言って本当に申し訳なさそうな顔をするリチャードに、胸が苦しくなって言葉を返せない私はぶんぶんと首を横に振った。
確かに婚約解消は突然で驚いたが、いつかこんな日が来るかもしれないと思っていた私もいる。栄えあるブラウン公爵家嫡男であるリチャード様に、貴族らしからぬ内向的な私は相応しくなかったのだから。
私はムーア侯爵家の長女として生まれ、赤子の時から親同士の政略的な取り決めでブラウン公爵家のリチャード様と婚約関係を結んでいた。
皆から祝福されて期待される婚約。周りの重圧を感じながらも、リチャード様の優しい人柄故に私はこの婚約を喜ばしく思っていた。
しかし私がお茶会デビューをするようになった頃、綻びが現れる。
この人見知りな性格で人との会話が苦手なため、同年代の女の子同士の社交もまともに出来なかったのだ。つまり私は友人作りや派閥もろくに所属出来ず、家のために人脈を築くこともないという令嬢として出来損ないの存在だった。
娘としての義務を果たせず、親には当然怒られてしまったが私は萎縮して震えることしか出来なかった。
幼少期からそんなレッテルを貼られていれば、噂好きで足の引っ張り合いが当たり前の貴族社会で私はいつも嘲笑の的だった。これではいずれ嫁入りするブラウン公爵家にも泥を塗ってしまうも同然だ。
これではいけないと私は親に頼みこみ講師を呼んでもらって、マナーや教養を学び続けた。しかしいくら学んで体に叩き込んでも、本番では緊張して頭が真っ白になってしまう。
その中で勉強をすることが楽しくなりもっと学びたいと願うようになっていたが、その願いは両親に却下された。
「勉強や本に夢中になる前に、人前に出ても恥ずかしく無いようにもっと社交的になりなさい」
と当たり前のことを言われたからである。私は諦めて足りない分は書庫にある本でこっそり学ぶようになった。
そうして学び続けても淑女らしさを身につけられたかは自信が無い。どれだけ努力しても私の性格の根本的な部分は変えられないようだ。
『公爵家であるリチャード様に相応しくない』『すぐに婚約破棄される』といった陰口はもちろん、美しいご令嬢方に囲まれて直接そう言われることも数え切れないほどあった。
そんなことを言われても私はいつまで経っても言い返すことが出来ず、泣かないよう俯いてしまうことしか出来なかった。そんな私に周りはまた笑うばかりだった。
そして数年前、私の婚約破棄されてしまうのではないかという恐怖と心配はさらに膨れ上がった。
とある国の王族が長年の婚約者である公爵令嬢に夜会で婚約破棄を叩きつけて、真実の愛という名目で男爵令嬢と結ばれるといった前代未聞の事件があったからだ。
その尊き身分故に誰も苦言を言うことが出来ず、貴族の模範であるべき王族がそのような前例を作ってしまったのだ。
それまで貴族同士の婚約の解消・破棄にはしっかりとした理由や順序、手続きが必要だったのだが、その出来事を機に愛を貫くための婚約破棄が流行するという前代未聞のことになった。
そのため私も周りもいつ婚約破棄されてもおかしくないだろうとずっと思っていたのだ。その頃はリチャード様に大勢の前で婚約破棄を突きつけられる悪夢を毎日のように見ていて、眠ることが怖いぐらいだったものである。
それでも実際は夜会などではなく人の目のない私の自宅というプライベートな場所。そして婚約破棄を叩きつけるのではなく婚約解消なのだからまだ平和な方なのだろう。自分のこれからの事を考えると素直に喜ぶ事は出来ないけれど。
どうして今更婚約解消に至ったのだろう。自らの足りないところは理解しているが、今はその婚約破棄騒動もある程度落ち着いて結婚も視野に入るぐらいの期間のことである。
……やっぱり、リチャード様にも好きな方ができたのかな。
きっとそうだろう。私よりももっと素敵で可愛らしい方が居るのかもしれない。好きな人が出来たなら、せめて事前に相談してくれたら良かったのにな、なんて思ってしまう。
私は怒りや嫉妬からその相手をいじめてしまうなんてことはないのに。というか到底出来ない性格だとリチャード様だって知ってくれていると思っていたのに、と少し悲しくなる。
きっと私はリチャード様の信頼を得ることが出来ていなかったのだろう。
「あの、その……リチャード様の次の、婚約者って……」
「それは……」
彼にしては珍しく口篭り、少し困った顔をしていた。
違う、ただ知りたかっただけで害をなそうとかそんな酷いことを考えた訳ではなかった。でもこの流れで聞くとそう疑われてしまうだろう。
確かにもう私は婚約解消して他人になってしまうのに、踏み込んだことを聞いてしまったかもしれないと後悔した。私はこういった所が駄目なんだ。先程の言葉を取り消そうと口を開いた瞬間だった。
「私ですわ」
その言葉と共にノックもせずに入ってきたのは、
…………私の妹であるエイミーであった。
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