82-I 弟達の学院生活
翌日の朝。身支度をするとアイリスを軽く抱きしめて、行ってきますと言う。
『行ってらっしゃい』
『寮の近くにはいてね。あと、部屋の前の花壇は踏まないで。ソーア様に怒られてしまうわ』
『……分かったわ』
少し戸惑ったようなアイリスの返事を聞き、部屋を出た。
寮を出た所でフローラとシャルロッテと会った。
「おはようございます」
「おはようフローラ、シャルロッテ」
「お忙しいのですか?」
「たぶん貴女達のお兄様よりは普通よ」
生徒会長ライアックス様と、次期生徒会長の有力候補ローレンス様は、それぞれシャルロッテとフローラのお兄様。わたし達は雑用しかしていないけれど、彼らは生徒会を纏め上げる立場。きっと仕事量もかなり違うはずだわ。
それを聞いてシャルロッテが心配そうな顔になった。
「ですが、アイリーナ様には王妃教育も……」
「ええ、それに……」
「姉様!」
フローラが視線を向けた直後、その方向から駆け寄ってくる足音がした。
「おはようっ」
「おはようございます、クラウス殿下」
「あ、あの……?」
突然のクラウスの登場に目を瞬かせるシャルロッテとフローラ。そして、二人がいるために敬語を使ったわたしに、クラウスがふくれっ面をした。
「だからそれは嫌だって…」
「リナ姉様、おはようございます。あれ、この方々は…?」
そこにレオンハルトがやって来た。漸くクラウスもシャルロッテ達に気がついて、すぐさまわたしの後ろに隠れてしまった。しかし、この場で一番身分が高いのは確実にクラウス。彼が何か言わないと、シャルロッテ達は何も言えないわ。
「彼女達はわたしの友達ですわ」
だから隠れないで挨拶して欲しいと暗に言うと、クラウスはそっとわたしの横に出た。
「……アイルクス王国第二王子、クラウス·サン·アイルクスです」
「セイレンベルク公爵家長男のレオンハルト·フォン·セイレンベルクです」
やって来た二人が自己紹介して、それにシャルロッテ達も返す。完全に安心したわけではなさそうだけれど、もうクラウスは隠れはしなかった。
それを見たレオンハルトが小さくなるほどと呟いた。どうしたのかしら。
「レオン、昨日何かあったのかしら?」
「リナ姉様……実は昨日僕と殿下がクラスメイト達に囲まれたのですが、その時の様子と違いましたので」
「だってあの人達、怖かったんだよ」
クラウスが話に入って来る。どうやらクラウスは王宮で、それが呪いのせいと分かっていても、嘗て逃げられていた人達に優しくされていた。それで彼らが本当に自分を見てくれているのか分からなくなってしまったらしい。
昨日も地位目当てで集まって来た人達が信じられずに怖かった、そうクラウスが言った。
「でもこの二人は、必要以上にアピールして来ないから」
「そうですね、昨日のは僕も嫌になりましたよ」
レオンハルトまでうんざりしたようにしている。それにシャルロッテがそうねと呟いた。
「御二方とも身分が高い上にかなり見目麗しいですから、令嬢達は放っておかないでしょうね」
「ああ……憂鬱だ」
「そうだ姉様、一緒に教室まで来てくれない?」
大きくため息をついたレオンハルトの横で、クラウスが期待に満ちた目で見つめてくる。その頼みを断れるはずもなく、わたしはシャルロッテとフローラに断ってクラウスとレオンハルトの教室に寄る事にした。
「アイリーナ様、わたし達は先に教室に向かいますわ」
「ええ、また後で」
そこで二人と別れて、レオンハルト達と歩き出した。
教室に近づくにつれて二人の表情が曇っていく。たった一日でそこまで嫌になるなんて、一体どんな事をされたのかしら。
「うう、リナ姉様……帰りたい……」
「僕も……」
その理由は、教室に入ればすぐに分かった。まず火属性の教室に入ると、待ち構えていたように令嬢達がレオンハルトを取り囲んだ。
「レオンハルト様!」
「おはようございますわ、お待ちしておりましたのよ!」
「私のマイトールを、是非受け取ってください!」
「わたくしのも!」
取り囲んだ令嬢達はわあわあと騒ぎながらレオンハルトに詰め寄っていく。その勢いに、見ているだけのわたしですら少し恐怖を覚えた。案の定怯えきったレオンハルトが逃げ出してきてわたしに抱きついた。
「リナ姉様っ、助けて」
「……そうね、これは想像以上だわ」
ここまで怯えたレオンハルトなんて珍しいわ。頭を撫でて落ち着かせていると、レオンハルトを追って令嬢達もわたしの方にやって来た。
「何よ貴女、レオンハルト様から離れなさい」
「レオンハルト様に相応しいのはこの私よ!」
「いいえ、わたくしですわ!」
わたしに明確な敵意を向けてくる。そんな事を言われても、どう見ても離れたくなさそうなのはレオンハルトだと言うのに、わたしは弟を慰めているだけだわ。
「わたしの弟に何か用かしら?」
「……えっ?」
「弟……?」
うんざりしたわたしが少し強めに言うと、令嬢達は戸惑ったように顔を見合わせた。そして先程の敵意はどこへやら、わたしに笑顔を向けてきた。
「では、将来のお義姉様ですのね!」
「いいえ、わたしのよ!」
「……何でも宜しいですけど、そのようなくだらないアピールで弟を怯えさせるようでは、到底わたしの義妹には出来そうにもありませんわね」
あくまでも社交的に微笑みつつ令嬢達を一瞥する。わたしの少し冷たくなった声に、令嬢達は一気に大人しくなった。
「レオン、これでも駄目ならわたしの所にいらっしゃい。お昼は一緒に食べましょう」
「……ありがとうっ」
わたしにしがみついていたレオンハルトを見れば、彼は安心したように笑った。もうここは大丈夫そうだわ。頑張ってと声をかけて教室を出た。
これに比べればクラウスの方は少しはましに思えた。囲まれてマイトールを差し出されているものの、レオンハルトの時ほどの勢いはない。ただ、他人に耐性がないクラウスには相当のものだろう。
「そこを通して」
「いいえ、逃がしませんわ」
「受け取ってくださいな」
「だから要らないって言ってる」
言い合いながら辺りを見回すクラウスは、わたしを見つけると視線で助けを求めてきた。そっと人ごみをかき分けてクラウスの元に向かう。やっとの事で一番前に出ると、クラウスが駆け寄ってきた。
「姉様からも何か言ってよ」
「ええと……何かとは何でしょうか?」
「とりあえず何とかして……?」
レオンハルトのように怯えているクラウス。アピール自体が常識の範囲内だとしても、相手の様子、気持ちを考えないのは非常識だわ。
こちらの令嬢達はじっとわたしを見つめてくる。ただ、何も言わないとはいえ、目には戸惑いと怒りが浮かんでいる。
「アピールするのは自由だと思いますけれど、相手を怖がらせては意味ないのではないかしら?」
「いいえ、照れてるだけですわ」
「恥ずかしがってますのよ」
わたしは邪魔だから帰れとわたしにはそう聞こえた。これは、レオンハルトの所とは違う厄介さを持ち合わせてるわ。本人に言ってもらった方が良いかしら。
「クラウス様、この方達をどう思ってらっしゃいますの?」
「……僕が何言っても退いてくれない、頑固で怖い人達」
「…………」
少し震えた声でのクラウスの訴えはかなり効果的だった。衝撃を受けたらしい令嬢達は大人しく散っていった。
「ありがとう姉様」
「どういたしまして。それと、お昼はレオンと一緒にわたし達の所にいらっしゃい。一緒に食べましょう」
「………うん!」
クラウスが笑顔になった所で、わたしはわたしの教室に向かう事にした。




