55-I 小さな不安
わたしは再び大きく伸びをした。ああ、やっと実技試験まで終わったわ!実技試験は筆記試験よりも断然簡単で、ほとんど夏の試験と同じ内容だったわ。それよりも、試験が終わったという事は、暫くは皆に指導する事もないという事よね。
「これでやっと自由なのね!」
「あははっ、リリー、お疲れ様」
横で楽しそうに笑うシリウス。わたしも微笑みを返した。
「疲れてるでしょ?」
シリウスに肩を抱き寄せられる。シリウスに凭れる形になった。そのままシリウスの肩に頭を乗せる。目を閉じれば、カタンコトンと揺れと音が感じられてきた。
そう、わたし達は学院から馬車に乗って王宮へ向かっているの。ただ、実技試験が終わるやいなや馬車に乗り込んだので、座って一息ついた所で一気に疲れがきた。
疲れた身体に馬車の揺れとシリウスの温もりが気持ち良い。そのおかげで、今から国王陛下とシリウスの弟王子に会いにいく事にあまり緊張はなかった。どんな方なんだろう。仲良くなれるかしら。小さな不安と共に、馬車は王宮へと入っていく。
馬車を降りると、シリウスとは別々に侍女達に部屋に案内される。そこで着替えるようね。学院で試験を受けて、その足で来たのでわたしもシリウスも制服のまま。それを丁寧に脱がされ、新しくドレスを着付ける。
「アイリーナ様、どちらのお召し物が宜しいでしょうか」
「そうね、それではあの黄色いドレスにしようかしら」
「まあ!」
「流石でございます!」
「そちらをお選びになるとは!」
「どうしたの?何か変だったかしら。あのドレスだと合わないかしら?」
色とりどり並ぶドレスの中でも一際華やかで、大人っぽさの中にかわいらしさが覗く、優しい黄色のドレスを選ぶと、侍女達が騒ぎ出した。何だろう、合わない物を選んでしまったかしら?
侍女達は騒ぎながらも手際良くドレスを手に取り、わたしの方に持ってくる。
「いいえ、とんでもございません。とても良くお似合いです」
早速そのドレスを身に着けさせてもらっている間に、侍女の一人が答えた。
「それなら、なぜ……」
「実を申しますと、そちらのお召し物は王妃様が嘗てお召しになられていた物なのでございます」
王妃様が?道理で華やかなわけね。ふんわりとしたスカートにはいくつか花が刺繍されていて、かわいらしさを引き立てる。しかしそれとは対照的に、大きく開いた胸元や、キュッと締まった腰のラインが大人の色香を醸し出している。
驚く事に、ドレスはまるであつらえたかのようにわたしの身体に合った。加えて髪も整えてもらう。だけれど、こんな見事なドレス、わたしに似合っているのかしら。また一つ不安になる。侍女達は似合うと言ってくれたけれど……
「アイリーナ様、お待たせ致しました。こちらへお越しください」
わたしは洗練された動きで案内する侍女について部屋を移動した。
通された部屋には既にシリウスが待っていた。王子の正装である白いタキシード姿に身を包み、ソファに座って優雅に紅茶を飲んでいたシリウスは、わたしを見るなり目を見開いて動きを止めた。手にしていたカップを落としそうになり、慌てて横の小さな机に置く。その拍子に手に少し紅茶がかかってしまったらしく、熱っと言って手を引っ込める。
その慌て方と、その正しく王子というような風貌があまりにも違い過ぎて、座りながら正面から見ていたわたしは小さく吹き出した。それに手を押さえながらもシリウスが文句を言ってくる。
「わ、笑うなリリー、ああもうっ」
「うふふ、だって、真面目そうな格好良い王子様が、カップを落としそうになるくらい慌てるなんて、イメージがなかったのよ」
顔を覆って深く項垂れたシリウスはわたしの言葉を聞いて呻いた。暫しぶつぶつ呟いていたと思うと、ふと何かに気づいたように顔を上げた。
「ねえリリー、今何て言った?」
「え?ええと、『真面目そうな格好良い王子様が、カップを……』」
「『真面目そうな格好良い王子様』?」
「シルの事よ?いつも思っているけど、今日はいつにも増して格好良いわ。流石は王子様……」
「……っ!!」
分かっていないのかと思って改めて説明していると、途中でシリウスがいきなり立ち上がった。その勢いに思わず声を出すのも忘れてシリウスを見つめる。つかつかとわたしの方に来たシリウスは、徐にわたしの肩を掴んだ。
「リリー、本当に、僕が格好良いと思う?」
不安気に問うてくるシリウス。何でそんな事を聞いてくるのだろう。そんな事、答えは決まってるじゃない。
「当たり前よ。いつも格好良いと思ってるわ」
シリウスを見上げながら言った途端、シリウスが肩にかけていた手を離した。次の瞬間には抱きしめられる。突然の事に驚いて、わたしは声を上げそうになった。
「……っ、シ、シル?どうしたの?」
「………」
シリウスは何も言わなかったけど、鼓動は伝わってくる。トクトクと脈打つそれは、わたし自身の物より速かった。それに、シリウスの匂いもする。いつも抱きしめられる度にする爽やかな香りに混じって、ほんのりと優しい香りがした。シリウスの匂い、とても落ち着くわ。
「……リリーも、いつもより綺麗でかわいい」
耳元でそっと囁かれたその言葉に嬉しくなる。良かった、嘗て王妃様の物だったドレス、本当にわたしに似合うか心配だったのよ。シリウスはそんな不安を取ってくれた。
「ありがとう」
そっと囁き返すと、シリウスが小さく笑った。背中に回されていた手が離れていく。だけれど、シリウスの温もりと匂いは微かに残っていた。




