第3話 暴君ルビーアイ 後編
「また会ったな、サトキとやら」
その厳つい外見に不釣り合いな可愛らしい少女の声で、そのドラゴンは言った。
「また、って?」
聡樹にドラゴンの知り合いはいない。だがその声は、確かに聞き覚えがあった。
「ふむぅ。この姿ではわからぬのも無理はないか。待っておれ」
ドラゴンはその場で、器用にくるりとターンをした。
すると一瞬で、ドラゴンの姿が人間の少女へと変わる。
「あ」
聡樹はまた思わず声を漏らした。
結い上げた無数の金髪縦ロールに、赤いゴスロリドレス。頭に角のような飾りを乗っけて、ルビーをはめ込んだような赤い瞳をした少女。外見年齢は小学校の低学年。
間違いなく、先ほど商店街で聡樹にぶつかってきたあの少女だ。
「ドラゴン、だったんだ」
「なんじゃ、今更気付いたのか。鈍いヤツじゃのぅ。わらわの全身から滲み出す王者のオーラに気付かんかったとは」
ドラゴン少女は呆れたように言った。
確かに、何様だってくらいに尊大な態度だった。
「きみ、確か。ルビーアイ、だっけ」
「うむぅ。名は覚えておったようじゃな。まあ、かような気高き名はそう簡単に忘れられるものでもなかろうがのぅ」
ドラゴン少女、ルビーアイは今度は満足そうに真っ赤な目を細めて言った。
「それで一体、俺になんの用が?」
憧れの存在を目の前にして、若干震える声で聡樹は尋ねる。
ルビーアイは「ふむぅ」と大仰に頷き、腕を組んだ。
「実はじゃな――」
ぐきゅるるるぅ~。
なんの音? オバケの音でないのは確かだ。
見れば、ルビーアイの顔が少しだけ赤くなっている。聡樹を見つめていた深紅の瞳がつつーっとスライドした。
「……というワケじゃ」
ってどーゆうワケだよ、なんて聞き返すほど、聡樹もデリカシーがないわけじゃない。
聡樹は手にしていた、半分食べかけの冷めたコロッケをルビーアイに差し出した。
「俺の食べかけだけど、よかったら食べるか?」
「よ、よいのか?」
ルビーアイのルビーのような目が文字通りキラキラと輝く。少女の姿をしているので、ドラゴンと言うよりはまるで子犬のようだ。
ここで「やっぱダメ」なんて言うほど聡樹はいじわるじゃない。まあ少しくらいは反応を見てみたいという邪心もないわけじゃないが、子供とはいえ誇り高きドラゴンのプライドを傷つけるわけにはいかないので我慢だ。
聡樹はにっこり笑顔で答える。
「もちろん」
「ふむぅ。汝、なかなかわかっておるな。では、わらわに対する献上品じゃ、エンリョなくいただくぞ」
ルビーアイは食べかけの冷めたコロッケを受け取ると、サクッと一口かじった。
すると次の瞬間、ルビーアイのルビーアイがカッと見開かれる。
聡樹は彼女の背後にイナズマのエフェクトを見た気がした。
「こっ、これは……ッッ? うっ……」
「ど、どうしたんだっ? もしかして、口に合わなかっ」
「うまいッッッ」
テーレッテレー。
「……え?」
「なんじゃこの食べ物はッ? 外側はサックリと歯触りが良く、中身はマッタリと舌の上でとろける、二重の食感のハーモニー! ほのかな甘みと凝縮された旨みが口の中で渾然一体となり、究極や至高すらも凌駕する奇跡の味を織りなしておるッッ」
「は、はあ?」
身体が打ち震えるほど熱く力説するルビーアイの背後には、無限の宇宙空間が広がり、きらめく星々と共に無数のコロッケが乱舞しているという、奇妙奇天烈な光景が聡樹には見えた気がした。
ルビーアイはコロッケの残りを一口で平らげると、聡樹に向かってずびしぃっ! と人差し指を突きつけた。
「おいサトキとやら、この食べ物はなんというッ?」
「こ、コロッケだけど」
「コロッケ……おお、コロッケか……なんと気高く麗しき名か」
ウットリとした恍惚の表情でコロッケの名を賛美するルビーアイ。
どうやら、ドラゴン少女はコロッケをいたくお気に召した様子だった。
「気に入ってもらえてよかったよ。じゃ、俺はこれで……」
そそくさと退散しようと、踵を返した聡樹のブレザーの裾をルビーアイがはっしと掴む。
「まて。わらわはコロッケをもっと食べたいのじゃ。どうすればいい」
「えーと、商店街にあるフーズ大森ってお店に行けば買えるぜ」
「よし、では手に入れてこい。今すぐにじゃ」
「えーッ、俺がッ?」
「なんじゃ汝、ヘタレニンゲンの分際でドラゴンであるわらわに逆らうのか?」
ルビーアイの赤い目が剣呑な輝きを帯びる。
その瞬間、この少女に逆らってはいけないと、聡樹の女難センサーがビンビンに警告を発していた。
「わ、わかった、今すぐ買ってくるから」
「うむぅ、素直で大変よい。では行って参れ。わらわはここで待っておる」
ルビーアイは傍のベンチにちょこんと腰掛ける。
(うう、どうしてこうなった)
心の中でぼやきつつ、女の子に対しては年下にすら逆らえないヘタレニンゲン聡樹は走り出す。
公園を出たところでブレザーのポケットからケータイを取り出して時刻を確認すると、午後六時十分前。
(まずい、フーズ大森は六時閉店だったはずだぞ)
かなりきついが、全力で走ればギリギリ間に合う。
スポーツの趣味もなく、部活動にも所属しないで、認定試験の勉強ばかりしていた聡樹の体力が果たしてもつのかどうかは疑問であるが。
聡樹はルビーアイの、あの赤い目を思い出す。
あのルビーのような目は、他者の都合などまるで意に介さない、まさしく支配者の威光を宿していた。
もしコロッケが手に入らなかったら、あの小さな暴君はなにをしでかすかわからない。
聡樹は早くも悲鳴を上げ始めた心臓を掻きむしるように抑えながらも、決して足を止めようとはしなかった。
そんな聡樹の必死の努力が功を奏して、午後五時五九分、フーズ大森に到着。ちょうど、おばちゃんが店のシャッターを下ろそうと表に出てきたのと同じタイミングだった。
「おやまぁ聡樹ちゃん、どうしたの? そんなに息せき切って。なにか買い忘れでもしたのかい?」
おばちゃんが驚き顔で尋ねてくる。
聡樹は炉心溶融を起こしそうな心臓を必死になだめつつ、息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。
「おばっ……コッ、ッケッ、ハァッ、ロッケッ……ッ」
「え、コケコッコーがなんだって?」
ニワトリかっつーの。
聡樹はつばを飲んで干上がった喉を潤し、荒れに荒れた呼吸を整えてからもう一度言う。
「お、おばちゃん。こ、コロッケ、ください」
「コロッケかい? 悪いけど、今日の分は全部売り切れちまったよ」
ガーン! 聡樹の顔にブラインドが落ちる。
売り切れ。それは死刑宣告とイコールで結ばれる言葉だった。
聡樹の脳内を最悪の予想が駆け巡る。ルビーアイの怒りのドラゴンブレスで、黒コゲのコロッケみたくなった自分の姿が目に浮かんだ。
一瞬、コンビニでコロッケを買おうかとも考える。だがルビーアイが気に入ったのはフーズ大森のコロッケなのだ。正直、コンビニの冷凍コロッケなどとは格が違う。もはや別の食べ物というレベルだ。
聡樹は絶望のあまり、その場に膝から崩れ落ちた。
「ありゃっ、聡樹ちゃん大丈夫かい? そんなにコロッケが欲しいのかい? いいよ、聡樹ちゃんのためなら、コロッケくらいすぐ揚げてあげるからねぇ」
その一言で死刑判決は一気に覆った。今の聡樹には、おばちゃんがどんな不利な裁判でも華麗に逆転させる伝説の凄腕弁護士に見えていた。
「本当にいいの? おばちゃん、ホントにありがとう」
「いいんだよ、聡樹ちゃんには昔っからご贔屓にしてもらってるからねぇ。それじゃあ、ちょっと待っておいでよ。サクッと揚げてきちまうからねぇ」
人懐こい笑顔を浮かべながら、おばちゃんは店の奥に入っていく。
聡樹はその頼もしい後ろ姿を、自然と敬礼の形で見送っていた。
そして待つことしばし。
「はいよ、揚げたてアツアツだよ」
「ありがとうおばちゃ――って、うおッ? 山盛りッ?」
おばちゃんが差し出してきたのは、大きめの紙袋にはみ出さんばかりに詰め込まれた、大量のコロッケだった。
「え、えーと、全部でいくらですか?」
「お代はサービスだよ。これはおばちゃんから聡樹ちゃんへの、もんすたぁマスターおめでとう祝いだからねぇ」
にっこりと笑うおばちゃん。
聡樹は鼻の奥がつーんとなった。
「お、おばちゃん……うっ、うぅ」
「おやおや、聡樹ちゃんたらまぁ、泣き虫なのは相変わらずねぇ」
ボロボロと涙を流す聡樹を見て、おばちゃんは苦笑する。
確かに男の子は、悲しいときには泣いてはいけない。でも、嬉しいときには泣いたっていいじゃあないか。
聡樹は感激のるつぼで心の汗を流した後、差し出された山盛りコロッケの紙袋を受け取った。これが地味に熱い。
「それじゃあ聡樹ちゃん、気を付けておいでよ」
「うん、おばちゃん、ありがとうございましたっ」
心を込めて頭を下げ、おばちゃんの笑顔に見送られながら、聡樹は公園で待つルビーアイの元に急ぐ。
思ったより遅くなってしまって、ルビーアイはきっとご立腹だろう。しかし、その甲斐あって揚げたてのアツアツが手に入ったのだ。時間が経って冷めてしまったものより遙かに美味しいはずだ。
聡樹は目を輝かせて喜ぶルビーアイの姿を想像し、思わず顔がにやけた。自分が好きなものを他人が喜んでくれるというのはやはり嬉しい。
それを思えば紙袋の熱さや、帰りの全力ダッシュも屁のカッパだ。
むしろ行きよりも幾分軽やかな足取りで聡樹は公園に舞い戻った。




