第3話 暴君ルビーアイ 後編 終
「遅いッッッ、このウスノロバカマヌケめッ。ヘタレニンゲンの分際で、このわらわを待たせるとは一体全体どーゆう了見じゃッ」
案の定、暴君少女はご立腹だった。肩を怒らせながら地団駄を踏んでいる。
だが今の聡樹にはそんな罵倒すら耳に心地よい。そんなことを言っていられるのも、この揚げたてコロッケを食べるまでなのだから。
「ごめんごめん。でも喜んでよ、さっきのやつよりずっと美味しいコロッケが手に入ったんだ」
「なにっ、それは本当か? でかしたぞサトキ、褒めてつかわす」
今までの剣幕はどこへやら。天晴れと書かれた扇子でも取り出しそうな勢いで、ルビーアイは紅い瞳を輝かせた。
聡樹はフフンと得意顔になる。
「いやー苦労したんだぜ? 店まで行ったらもう売り切れててさぁ、おばちゃんに頼んで」
「えぇい、ごたくなどよいわっ。早うコロッケをよこすのじゃ」
ルビーアイはもう待ちきれない様子だ。今にもヨダレがナイヤガラのごとくあふれ出しそうだった。
聡樹は含み笑いを漏らしつつ、ルビーアイの前に仰々しくひざまずき、コロッケてんこ盛りの紙袋を差し出す。
「どうぞ、ご存分にお召し上がりくださいませ」
「うむぅ、それでは、いただきますなのじゃ」
ルビーアイは揚げたてのコロッケを一つ、ひょいっとつまんでパクッと口に放り込んだ。
「どう? やっぱり揚げたてアツアツは」
「うお熱っちゃあああッッッ! 熱、熱、熱いひいぃぃッッ」
「サイコーだろ? ……あれ?」
聡樹は目の前でのたうち転げ回って悶絶するルビーアイを、ボーゼンと眺めていた。
しばらく地べたで熱い熱いと喚いた後、ルビーアイは飛び跳ねるように起き上がって、聡樹の胸ぐらを掴み引き絞る。
「汝ぇぇッ、わらわを謀りおったなぁぁッ? めちゃんこ熱いではないかッッ」
「い、いや、揚げたてだから熱いのは当然で……てゆうか、もしかしてきみ、猫舌なの?」
「にゃにっ!? わらわは誇り高きドラゴンであるぞッ、断じて猫などではないわッ」
あ、この子もそこに反応するんだ。と、聡樹は妙に感心してしまった。
「と、とにかく悪かったよ。許してくれ」
「許しが欲しくば、今すぐこのコロッケをわらわが食べやすいようにせよッ」
「食べやすいようにって?」
ルビーアイは聡樹を突き飛ばすようにして解放する。聡樹は尻餅をつくが、コロッケの紙袋はなんとか落とさずに済んだ。
ルビーアイは聡樹を見下ろし、ズバァッと人差し指を突きつけてくる。
「ふーふーしろ」
「え?」
「汝がふーふーして冷ますのじゃ」
「それくらい自分でやればいいんじゃ」
ギロリッ。深紅の瞳が禍々しい光を放つ。
「わらわに逆らうのか?」
「いえいえ滅相もございません、是非ふーふーさせていただきたい所存にございます」
どうしてもルビーアイには逆らえない聡樹だった。
あの他者を見下しきった目で見られると、自分がとてもちっぽけな存在になった気がして、目の前の尊大な態度の少女に媚びへつらいたくなってしまうのだ。
仕方がないので、聡樹はコロッケを一つ取って、ふーふーと息を吹きかけた。
すぐ傍ではルビーアイがベンチにふんぞり返って見張っている。地面に着かない足が、ぶらぶらと揺れていた。
ふーふーふーふーして、そろそろいいかなと思い、片膝をついてルビーアイにコロッケを差し出す。
「どうぞ、冷ましたてのコロッケにございます」
「うむぅ、大義であった」
ルビーアイは大仰にうなずくとコロッケを受け取り、一口かじる。
するとその大きな目はたちまちトロンととろけ、ぷにぷにのほっぺたはゆるゆるになって、だらしなくほころんだ。
「ああ、なんという美味じゃ。よもやこの世界にこれほど美味なる食べ物があったとは。ニンゲンは生かすに値しない存在だと思っておったが、このコロッケを作り出したニンゲンだけはわらわの重臣として取り立てるとしよう」
なにやら物騒なことをのたまいつつ、ルビーアイは幸せそうにコロッケを頬張る。
そのとろけきった顔に支配者の威厳はなく、年齢相応の少女の可愛らしさがあった。
聡樹は幸せそうなドラゴン少女の顔を、ほっこりとした気持ちで眺める。
「あ、こらサトキ。なにをボヘ~ッとしておるか。さっさと次のコロッケをふーふーせぬかたわけめっ」
怒られてしまった。
聡樹は苦笑いしながらルビーアイの隣に腰をおろし、二つ目のコロッケをふーふーする。
陽はすっかり沈みきり、ベンチの真上にある外灯が白熱の光を円錐状に降らせ、二人を照らす。
周囲に人影は無く、公園は静かな夜闇に包まれていた。
そんな中で、聡樹はルビーアイのためにひたすらコロッケをふーふーして冷まし、ルビーアイは次から次へと冷めたコロッケを平らげていく。
聡樹はふと、昔を思い出していた。
それは魅麗がまだ小さかった頃の話だ。幼い魅麗は熱いものが食べられず、よく聡樹がふーふーして冷ましてあげたものだった。
今、聡樹の隣でニコニコとコロッケを頬張るルビーアイに、聡樹は幼き日の妹の姿を重ね合わせていた。
自然と口元がほころび、優しい気持ちになる。
「ムッ」
ルビーアイと目が合った。じっと横顔を眺めていたのがバレてしまったようだ。
「なにをニヤついておるのじゃ、サトキ。わらわをバカにしておるのか」
キッときつい目で睨んでくる。
「いやいや、違うって。なんてゆうか、かわいいなぁ、って」
「か、かわいっ!? いきなりなにを言い出すのじゃ汝はっっ」
しゅぽんっ、と頭から湯気を噴き出し、顔を真っ赤にして慌てふためくルビーアイ。その様子がなんともおかしくて、かわいらしい。
「アハハ。ほら、コロッケ冷めたぞ」
「ふ、ふんっ。ヘタレニンゲンの分際でっ」
笑いながらコロッケを差し出すと、ルビーアイはそれを引ったくってガツガツと食べる。その横顔はまだ少し赤かった。
それからしばらく時間が流れ――
コロッケを完食したルビーアイは、ぽっこりと膨らんだお腹を満足げになで回している。
あれだけの量を一人で食べきるとは。少女の姿をしていても、さすがはドラゴンだ。
ともあれ満足してくれたようでなによりだ。これでようやく解放されると聡樹は思った。
「それじゃあ、俺はもう帰らないといけないから」
ベンチから立ち上がって、その場から立ち去ろうとする。
「まて」
が、あえなく呼び止められる。聡樹は仕方なく振り返った。
ルビーアイは、よっ、とベンチから跳び上がるようにして降り、聡樹と向き合う。
「サトキよ、汝はもんすたぁマスターであろう」
「まあ、一応ね」
最初に出会ったときと同じ問答をする。
「契約しているもんすたぁはおらぬのであろう」
「うん、今のところはね」
ルビーアイはにやりと笑った。腕を組み、未発達な胸を反らす。
「よかろう。ならば誇り高きドラゴンであるこのわらわが、汝と『契約』を結んでやろうではないか」
「……、……?」
聡樹の思考が停止した。
ルビーアイの発した言葉の衝撃が、聡樹の脳内アブソーバーの耐久力を遙かに上回っていたのだ。
ややあって、錆び付いた歯車が動き出すように、ぎこちない音を立てて聡樹の脳みそが回転を始める。
ドラゴン+契約=聡樹の夢。
ルビーアイ=ドラゴン。
ルビーアイ+契約=聡樹の夢。
「夢が、叶う?」
聡樹は呆然と呟いた。
「夢じゃと? これは現実じゃうつけめ。サトキよ、わらわは汝が気に入ったのじゃ。汝ならば、わらわの野望の一助となろう。拒否は許さぬ。わらわと契約を結び、わらわの配下となり、わらわのために尽くすがよい」
赤い目が、威圧的にギラリと光る。
「俺が、ドラゴンと契約できる?」
「そうじゃ。誇り高きドラゴンと契約できる汝は、選ばれしニンゲンじゃ。わらわはな、本当はもんすたぁ協会へ行きマスターを探す予定だったのじゃ。だが、もんすたぁ協会は見つからなかった。なぜか? わらわは考えた。そして、これはきっと運命に違いないと思ったのじゃ。わらわは汝と契約し、汝を従える運命にあったのじゃ。なれば、もんすたぁ協会が見つからなかったのにも納得がいく。すべては運命の導きなのじゃ」
なんというポジティブシンキングか。わずかにでも自分が方向音痴である可能性を疑わないその誇り高さに、聡樹は敬服すら覚える。
「そして汝は、出会ったばかりのわらわに対して見事天晴れな忠節を示した。それは汝がわらわに仕えるために生まれてきた証拠じゃ」
「た、確かに」
確かに、聡樹はルビーアイの命令に逆らえなかった。
だがしかし、それは単に聡樹が女の言うことに逆らえないヘタレ属性持ちなだけであるということは言わずもがな。
それでも今の聡樹の沸騰しきった脳みそでは、ルビーアイのトンデモ理論を論理的に否定することができない。
「さあ、この指に契約の指輪を通せ。そしてわらわに絶対の忠誠を誓うのじゃ」
ルビーアイが、その小さな手を聡樹に向かって伸ばしてくる。
ドラゴンとの契約。何度も、何度も夢に見た瞬間。
聡樹はなにかに憑かれたように、その小さな手を取ろうとして――
「やっぱり、ダメだ」
「なぜじゃ。汝もわらわとは契約できぬと申すのか、サトキ」
ルビーアイの顔が険しくなる。しかしその声には、わずかな憂いを含んでいるように思えた。
「俺は、約束をしてるんだ。スライムと、ゴーレム。この二人のうちどちらかを選んで、契約するって。だからルビーアイ、きみとは」
「ならぬ。汝はわらわと契約を結ぶのじゃ。これは命令であり、運命じゃ。逆らうことは許さぬ、許されぬ」
「でも、俺は。もう、夢は……ドラゴンは諦めたんだよ。今更、約束を破ってまで」
「諦めた、じゃと? 汝は、野望を諦めたというのか? 汝は天井知らずのうつけじゃな。諦めたら、叶う野望も叶わぬではないか」
耳が痛かった。
夢は、諦めなければ必ず叶う。そう、信じていたはずなのに。夢を諦めた自分には、もう夢を叶える資格がない。
聡樹はうつむいて握り拳を固めた。
ルビーアイは諸手を挙げ、やれやれと首を振る。
「ふむぅ。ヘタレだとは思っておったが、まさかこれほどとはのぅ。ならばわらわが、その憂いを断ってやるとしよう」
「え? 憂いを断つって、どーゆう意味だよ」
「よいかサトキ。約束とは、相手がいて初めて果たすことができるものじゃ。わかるな?」
邪笑を浮かべるルビーアイの言葉に、聡樹は全身のうぶ毛が逆立った。
「まさか、ライムと真理をッ……?」
「フフフフ、ハーッハッハッハッハ! スライム? ゴーレム? 笑わせるではないかッ。もんすたぁの王であるドラゴンが、かようなザコもんすたぁ共に後れを取ることなどあってはならぬのじゃッ」
「ふ、二人になにかしたら許さないぞッ」
「フフフ、声が震えておるぞヘタレ? わらわが恐ろしいならば、大人しくこの場で契約に応じるのじゃ。そうすればなにもせぬ」
「そんな」
悪魔の要求だった。
のめばライムと真理との約束を破ることになり、のまなければ二人に危険が及ぶ。
聡樹は薄ら笑いを浮かべるルビーアイの目を見た。赤い宝石のようなその瞳は、氷のように冷たい輝きを湛えている。まるで、脅しではないぞ、と言っているようだった。
「さあ、どうするのじゃ。是か、非か。まあどちらにせよ、汝はわらわと契約することに変わりはないのじゃがな」
ルビーアイは勝ち誇ったように笑う。
確かに、この状況は将棋で言えば『詰み』の状態だ。次の相手の一手で、こちらの敗北は決定する。
でも、裏を返せば『まだ』敗北はしていない。勝負はなにも盤上の駒だけで行われているわけじゃない。これは聡樹とルビーアイの勝負なのだ。だとするならば、まだ打つ手はある。
聡樹は片手を水平に持ち上げた。そして、掌をルビーアイに向ける。
それから一か八か、口を開いた。
「待った」
「ム?」
思った通り、ルビーアイは怪訝そうに眉を顰める。
「どういうことじゃ。説明せぬか」
「契約を待って欲しいんだ。せめて、二人に事情を話して納得してもらってからにしたい。次の日曜日まででいいんだ」
「汝にそんな権限があると思うか?」
「お願いだよ、ルビーアイ」
聡樹は真摯な気持ちを精一杯込めて、ルビーアイの深紅の瞳を見つめる。
その真意を見極めるかのように、ルビーアイもじっと見返してくる。
しばらく続く、真剣顔のにらめっこ。
先に笑ったのは、ルビーアイだった。
「フッ、よかろう。わらわはドラゴンであり、悪魔ではないからな」
聡樹は内心ホッと息を吐いた。
待ったなし、と言われていたら終わりだった。
「ありがとう、ルビーアイ」
「その代わり『約束』をしろ。然る後、必ずわらわと契約を結ぶのじゃ」
「そ、それは」
さすがに彼女も放し飼いをするつもりはないようだ。『約束』という首輪を着けにきた。
だがここは、なんとしても時間を稼がなければならない。
「約束ができぬのか? 汝は、わらわを騙すつもりなのか?」
「……。わかった。約束する」
ルビーアイはにやりと笑った。虫を捕まえた子供のような、無邪気で、愉悦に満ちた、酷薄な笑みだった。
「フフフ、よかろう。確かに約束したぞ? 汝は約束にはこだわる男のようだからな、わらわも安心して信じることができる。さあ、では行くのじゃ。スライムとゴーレムとの約束を『取り消してこい』」
破るのではなく、取り消す。
ルビーアイはなにがなんでも聡樹に約束を守らせるつもりだ。
さすがはドラゴン。さすがは支配者。容易く人心を掌握するその術は、天賦のものなのだろうか。
聡樹は無言でルビーアイに背を向ける。そして走り出した。
自分は本当に、ルビーアイと契約することになるのか。
ライムと真理に、なんて説明をすればいいのか。
自分は一体、どうするべきなのか。
考えが頭の中をめちゃくちゃに駆け巡り、脳みそを高速で回転させる。
カラカラカラカラカラカラ――。
それでも聡樹の脳みそは、虚しく空回りをするだけだった。




