第7話 アリス・イン・ネバーランド
ゲーム内の、初めて飲んだお酒の味は苦かった。まるでこの資本主義社会を象徴するようだという感想が頭に浮かぶと、私は思わず苦笑してしまう。
「――なんか面白い話題でもあったのか?」
「いや、なんでもないさ」
酔わない、ただ味だけ再現されたそれをもう一口。鎧が使い物にならなくなったため、拠点で私服に着替えてくると言っていたランディが、今ようやく帰ってきた。
このゲームでは、アバターの外見はほぼ現実に則しているのだそうだ。メンテナンス終了後の最初のログイン時にスキャンするらしい。だから、痩せたければ現実でも痩せなければならないし、背を伸ばしたければ……まぁ、成長期に期待するしかない。
その中で唯一カスタマイズが許されているのが、目の色、肌の色、髪の色や形程度だ。通常は面倒くさいために、誰も彼もデフォルトのままで使用している。
初めて見るランディの素顔は――黒髪黒目、調理師を目指しているためか、髪は短く、どこか角刈りのような印象さえある。
造形は別に好みと言うわけでもなく、そしてクラスに一人ぐらいは居そうな――そんな顔だった。
「それが君の素顔かい」
「アバターは弄れねぇからな」
「しかし素顔でやってくるとは珍しい」
「まぁ、そろそろ顔出しぐらい大丈夫だろうな、と。町の様子で判断しただけだよ」
テーブルの対角線上に座る――ちなみにクロウは私の隣だ。
「どういうことだい?」
「まぁ、色々とあるのだ。ゲームとはいえ、人間の思いは魔導の道より複雑怪奇ゆえ。そも、色々あって朋友はギルドを転々としている。故に、今では朋友の素顔は店ぐらいでしか見ることがないのだよ」
「多方面から恨みでも買っているのかい?」
「勝手に恨まれてたりすることもあるんだよ。特に、最初にちやほやされてきたやつほどな」
寄生が嫌いだ、と言っていた理由はそこから来ているらしい、苦々しく語ってくれた。
「どうせゲームだから何でもしていい、って考えるバカがいるんだよ。プレイヤーはリアルの人間が入ってるんだから、んなわけねぇのにさ」
「最近は司法ギルドを立ち上げようと言う声が上がっていたな。言っているのは現役裁判官たちだったか」
「今のところは、そういう悪いやつらは暗殺者ギルドが粛清してるからな。あそこはあそこで短絡的すぎるけど、鉄の掟だか血の契約だかでガッチガチだからある意味では必要悪だ」
「マフィアみたいだ、怖いところだね……」
「暗殺者ギルドは治安維持にPKって手段用いてるだけで、性根はいいヤツらだから。後ろ暗いことさえなければ何にもしてこねぇよ」
「まぁ、反りの合わない人間とはあまりお付き合いしないことが懸命だな。悪い人にはついていかないことだ」
「あとは、悪いことしたら素直にごめんなさいすること」
「なんだか、小学校みたいだね」
「その小学校で習うことすらできない輩が犯罪を犯すのだ。幼稚園児からやり直してきて欲しいものだな」
たかがゲームだと思っていたが、私はVRMMOという存在の認識を大きく改めなければならないようだ。
「ま、湿っぽいっつーか暗い話はもうコレぐらいにしとこうぜ。どうせ俺らはテレビに出るような見識者じゃねぇし」
「そうだね。それにせっかく、リアルを忘れてゲームを楽しむんだから、リアルの政治の話なんて無意味だと私は思うよ」
「正論であるな」
「政治の話は荒れるしな~……じゃぁ野球とサッカーも禁止で」
「待て、野球はゲーム内チームがある、それぐらいは話題にしてもいいだろう!?」
「黙れ、お前がシルバーヴァルキリーズ押しなのは分かってる。だが俺はサイクロプススレイヤーズのファンだ。言い合ってたらガチで不毛な争いしか生まねぇぞ?」
「よく分からないけど……野球が、あるんだ?」
「あるのだよ、弟子よ……フフフ、シルバーヴァルキリーズはいいぞぉ、今年の注目選手は――」
「だからやめろっ! なんか他の客まで反応し始めてる! ヘタしたらギルドからの粛清対象だからな!?」
「……チッ、仕方あるまい。この話題は今後一切禁止だ」
野球と政治とサッカーと……どこまでリアルなんだろうね、この世界は。
「うー……ただいまぁ」
酒場の扉を開いたのは、百五十にも満たないような小柄な少女――髪と目の色こそ変わっているが、その声、聞き間違えるはずが無い!
「あ、クソ幼女」
「おお、マスター。先に始めていたよ」
「アリスじゃないか!」
「あ、お姉ちゃん!」
思わず立ち上がってしまう。アリスも、現実のあんな弱々しい体からは想像もできないくらい、元気に私の胸に飛び込んでくる。
「こんなところにいたんだね! ちょっと探しちゃったよ!」
「私も、連絡がつかないと聞いていて心配していたところだったよ」
障害者への配慮なのか、体は、健康的なものに補正されている。もしもあの交通事故が無ければ、従妹はきっと、こんなふうに元気な体で走り回っていたんだろう……なんだか、嬉しくて、涙が出てきそうだ。
「つーかテメェ、連絡ぐらいよこせよ」
「うるさいガラン! こっちは、愛護団体が出てきて大変だったんだからね!」
「愛護団体!?」
「こっちPKスキルないのに、向こうは持ってるし、もう十数人に囲まれながら大立ち回り! 私の≪ブラスターレイ≫に耐性のある装備してたみたいで、苦戦したのなんのって……八人ぐらいかなぁ、全裸に剥いてやったのがドラゴンに食われたの。まぁそこでMPもポーションもスクロールも切れちゃって、そのままキルされちゃって」
アリスは、面白おかしいように語る。
「時計とジェムと装備買いなおすために銀行と時計屋とジェム屋と知り合いのショップ往復してた!」
「だからずっと留守電だったのかよ!」
「ガランには関係ないでしょっ!」
時計はロスト直前の設定を次の時計に引き継ぐ仕様らしい。留守電にしたままロストすると、買いなおすまで留守電設定というわけだ。
「今日で五Mつかっちったよ~」
「メガ?」
「ゲームスラングで、単位だな。コンマで区切った部分を省略するわけだ」
「つまり、ミリオン、ビリオンみたいなものかい?」
「まぁそうだな。念のために説明すると一Kは千、一Mは百万だ」
「大金じゃないか!?」
「マスターは服にこだわりがあるからして、高級なオーダーメイドは必然であろうな。それと、強力な魔法のスクロールはそれだけで高い。ポーションもおそらく最高級品を持っていったのだろう……しかも時計まで高級なものを購入したな?」
「えへへ~」
「たったの五百万で済んでよかったと言うべきだろう」
「いっちゃん安い十万ので十分だと思うんだよな、俺」
機能は変わらないし、と付け加える。
「乙女心がわかってないな~。やっぱり可愛いのがほしいじゃん! ほら、タヌキだよタヌキ! もこもこしててさわり心地はいいし、おなかのところがパカって開くの! しかもカバーの開閉音がぽんぽこりんってなるんだよ!」
実際に目の前でカバーを開閉してみせる。少し離れたところにいたが、私にもぽんぽこ、ぽんぽことという可愛らしい音が聞こえてきた。
「うわっ、すげぇ!? でも技術の無駄遣いだな!!」
「ガランは黙ってて」
まぁ、確かに、可愛いとは思うが……懐中時計としてみたとき、どうだろう? 時計部分のサイズが変わらないだけに、全体的に大きくなっている。
これでは懐中時計と言うより、既に小さなぬいぐるみサイズだ。
「無駄に凝っているのだな、最近の時計というものは」
「おかげで、今までの貯金、半分になっちゃったよ~。死んじゃうなんて久しぶりだったな」
腰にタヌキのぬいぐるみ――ではなくて、時計をぶら下げる。
「それで、お姉ちゃん――えっと、なんて呼べばいい?」
「ああ、レンだ」
「えっ……リアルネームつけたの……?」
「は?」
「おいおい、マジか」
何か問題があったのだろうか? 私は首をかしげる。
「まぁ、バレなきゃいいんだけど……ゲームとはいえ個人情報になりそうな名前とか垂れ流してると、リアルで襲われることあるから注意な?」
「ただでさえ外見がリアルであるからな」
「ごめんね、お姉ちゃん。言っておくべきだった……」
なんということだ……! 私は思わず天を仰いでしまう。
「まぁ、軍曹とお父さんに話しとけばなんとかなるんじゃねぇのかな?」
「自衛官と警察のコンボであるか。敵に回したくないものであるな……」
「システムアシストなしに強い人ってずるいと思うー! でも頼りになるから許すけど!」
「ええっと……軍曹とお父さん、とはアリスのギルドの人でまちがいなかったかな? 現実でも頼りになるのかい?」
「いや、本人達くっそ強いの。さすが現役、伊達じゃねぇわ。しかも自分らの職業も公表してるもんだから、下手にアレの知り合いに手を出したらどうなるかわからないっつー、なんつーのかな?」
「威光か? 権威とも言うな」
「それそれ、その権威を傘に着るっつーのは……好きじゃねぇけど。リアルの身の安全考えるなら、使えるもんは使わんとな」
「た、頼もしいね……」
果たして、本人達はどれだけ恐れられているのか……現実にも影響を与える強さと権力は、さすがと言っておこう、そうしよう。
私の精神衛生上、そうしておくことに越したことはない。
「まぁ、というわけでお姉ちゃんには、身の安全のためにウチのギルドに入ってもらいます!」
「あ、ああ……安全を確保できるのなら、お願いしたいところだね」
「元から入れるつもりだったろうに……」
「ガランうるさい」
そうして私の目の前に、一枚の書類が出される――こういったシステム的なものは解読が無くとも内容を理解することが出来る――ギルド加入申請用紙、だ。
「筆記の説明はされてる?」
「署名程度ならば問題ないことは聞いているね」
「ガランもたまには役に立つね」
「黙れクソ幼女」
「ふん――じゃ、お姉ちゃん。ここに署名お願いね! ……ガランも、サブマスの承認がいるんだからさっさと書いてよね」
「へぇへぇ、リーダーの仰るとおりにしますよ」
アリスとランディは、どうやら仲が悪いようだ。互いにどこか刺々しい口調でやり取りしている――だが、嫌っているような関係ではないことだけは、なんとなく分かった。なので、そんなに気にする必要はないだろう。
私は、さらさらとその書類に署名をした。そしてアリスと、ランディも同じく連名する。
「じゃ、ガラン、これ酒場のおじさんに渡してきて」
「俺かよっ! ったく……」
酒場のNPCに提出すればギルド加入の手続きはそこで終了するらしい。ランディはしぶしぶといった様子で、書類をカウンターの向こうにいるNPCのところへと持っていった。
「それじゃ、まだ全員と会ってないけど……ようこそ、私のギルド『アリス・イン・ネバーランド』へ!」
表情一つ変えることの出来ない現実のアリスからは想像できない、満面の笑みを浮かべて、彼女は私を歓迎してくれた。