第二十五話 近所の飯屋
翌朝。異世界に来て11日目。
田中は目を覚ますと、収納袋へ手を入れた。
【田中真司】
レベル:8
HP:781/853
MP:976/976
筋力:719
耐久:375
敏捷:451
器用:334
「満タンやな」
100を残し、876MPを換金する。8,760円。所持金は4,036,206円から4,044,966円になった。
【田中真司】
レベル:8
HP:781/853
MP:100/976
筋力:719
耐久:375
敏捷:451
器用:334
「HPはまだ全快ちゃうか」
翻訳魔道具を首へ掛け、魔力を流す。中央の魔石の周囲に淡い光が灯った。
「これ付けっぱなしでええんやんな?」
『問題ない』
「ほんま便利なったな」
1階へ下りる。
「……爺さん」
『なんだ』
「これ昨日より増えてへん?」
床にも机にも、分解された魔道具や金属部品が並んでいる。玄関まで辛うじて細い通路が残っているだけだった。
『増えていない』
「絶対増えてるやろ」
『場所を変えた』
「それ余計あかんやつや」
田中は足元の部品を避けながら進む。
「ほんまこれどうにかならん?」
『何がだ』
「足の踏み場や」
『ある』
「この幅だけやんけ」
『通れる』
「普通に歩きたいねん」
『置く場所がない』
「帰ってきたらちゃんと話すわ。腹減った。飯は?」
『ない』
「そっちは即答やな」
『外で食べればいい』
昨日までなら、一人で店へ入っても注文すら苦労した。だが今は翻訳魔道具がある。
「まあ、もう一人で行けるか」
『そうしろ』
「爺さんも来る?」
『行かない』
「聞く前から決めてたやろ」
ガルドはすでに作業へ戻っていた。
◇
家を出て大通りへ向かう。通りを行き交う人間の声が、普通に意味の分かる言葉として耳へ入ってきた。
『荷車そっちだ』
『今日は魚が少ないぞ』
『北から来る荷が遅れているらしい』
「ほんまに全部聞こえるな」
文字は相変わらず読めない。店の看板も壁に貼られた紙も意味不明のままだ。それでも会話が通じるだけで不便さは大きく減った。
大通りへ出る少し手前で、肉を焼く匂いが流れてきた。
「ここ近いやん」
開いた扉の向こうでは、何人かが朝食を食べている。田中はそのまま店へ入った。
『いらっしゃい。一人か?』
四十代ほどの店主が奥から出てくる。
「一人」
『そこ空いてるぞ』
壁際の席へ座る。
『何にする?』
「肉ある?」
『ある』
「多めで頼むわ」
『朝からか?』
「腹減ってんねん」
しばらくして、焼いた肉とパン、野菜の入った汁物が運ばれてきた。
「ええやん」
一口食べる。
「うま」
『そうか』
「もうちょい嬉しそうにせえへん?」
『食え』
「愛想ないな」
だが味は悪くない。量も十分だった。
田中は全部食べ終える。
『大銅貨2枚だ』
「はいよ」
大銅貨2枚を渡した。2,000円。所持金は4,044,966円から4,042,966円になった。
「ごっそさん。また来るわ」
『好きにしろ』
「家から近いし、ほんまに来るで」
『そうか』
「最後まで愛想ないな」
田中は店を出た。
◇
「せっかく普通に喋れるようなったし、ギルド寄るか」
特に売る物はない。ただ、これまでは翻訳魔道具かガルドがいなければ、受付とまともに会話もできなかった。
冒険者ギルドへ入る。何人かの視線が田中へ向いた。
『昨日の奴だ』
『また来たぞ』
『あの収納袋……』
「聞こえるようなったら、今まで何言われてたか分かってまうな」
受付を見る。登録した時から何度も対応している受付嬢がいた。
「お、ねーちゃんおるやん」
列が途切れるのを待って前へ行く。受付嬢が田中を見ると、少し驚いた顔をした。
『あら、話せるようになったの?』
「昨日からな」
田中は首元の翻訳魔道具を摘まむ。
「爺さんが弄って、持ち歩けるようになってん」
『それは良かったわね。今まで本当に何を言っても通じなかったもの』
「俺も何言われても分からんかったからな」
『今日は売却?』
「いや。今日は何も持ってきてへん」
『じゃあ、どうしたの?』
「別に用事ないけど、普通に喋れるようなったから寄っただけや」
『……そうなの』
「今まで爺さんおらんかったら何も聞かれへんかったしな」
その会話を聞いていたのか、少し離れた席から男の声が飛んできた。
『お前、何ランクだ?』
田中が振り向く。男が3人、こちらを見ている。
「ランク?」
『冒険者なんだろ』
「せやけど」
『だから何ランクだって聞いてる』
「……俺、なんぼやったっけ?」
田中は受付嬢を見る。
「ねーちゃん、俺ランクなんぼ?」
『Fよ』
「ああ、Fやったんか」
一瞬の間。3人が笑った。
『F?』
『こいつFなのかよ』
『昨日あれだけ金を受け取ってた奴だろ?』
「何がおもろいん?」
先頭の男が立ち上がる。
『もっと上だと思ってたんだよ』
「そうなん?」
『Fなら大したことないな』
「何でそうなるん?」
『昨日の獲物も、どうせ運良く拾ったか誰かのおこぼれだろ』
「自分で狩ったで」
『Fが?』
「せや」
また笑い声が上がる。少し離れた席には、以前このギルドで乱闘になった時、田中と直接やり合った冒険者もいた。その男だけは笑っていない。田中へ近づいていく3人を止めることもなく、黙って見ている。田中はそちらへ一度目を向けたが、特に反応しなかった。
先頭の男が目の前まで来る。
『昨日は随分な金額だったな』
「そうやったな」
男の視線が田中の収納袋へ落ちる。
『その袋も良さそうだ』
「あかんで」
『何がだ?』
「触んなよ」
『まだ触ってないだろ』
「先言うといた方がええやろ」
周囲から小さな笑いが漏れた。男の顔が歪む。
『Fのくせに偉そうだな』
「ランクで偉いとかあるん?」
『少し立場ってものを教えてやる』
「いらんで」
男が田中の肩へ手を伸ばす。田中はその手を払った。
『てめえ』
「触んな言うたやろ」
拳が飛ぶ。田中は首をずらして避け、そのまま腹へ拳を入れた。
『ぐっ……!』
男が腹を押さえて崩れる。
『この野郎!』
2人目が横から殴りかかった。田中は伸びてきた腕を掴み、引きながら足を掛ける。
『うわっ!』
男が床へ転がる。残った1人が足を止めた。
「来るん?」
『……』
「来んのやったら終わりな」
田中は受付へ向き直る。
「ねーちゃん、こんなんばっかりなん?」
『あなたが来ると増える気はするわね』
「俺のせいちゃうやろ」
『先に殴ってないのは見てたわ』
「ほなええやん」
職員が倒れた男たちのところへ向かっていく。少し離れた場所では、以前田中と戦った男がまだこちらを見ていた。2人が一瞬で倒されても、表情は変わらない。田中はその存在を気にも留めなかった。
「ほな、また何か売るもんあったら来るわ」
『今来たばかりでしょう』
「今日は用事ないし」
『本当に何しに来たのよ』
「喋れるか試しに来ただけやって」
『……そう』
田中は手を振って受付を離れた。
◇
田中がギルドを出てしばらくしたあと、2人の男も外へ出た。どちらも昨日、田中が高額の硬貨を受け取るところを見ている。
『本当にFだったな』
『ああ』
『昨日の金、まだ持ってると思うか?』
『あの収納袋なら入れてるだろ』
1人が先ほどの喧嘩を思い出す。
『でも、さっき2人一瞬だったぞ』
『素手で真正面から行くからだ』
『それでも速かった』
『こっちは武器がある。相手はFだぞ』
『……まあな』
『あの袋だけでもかなりする』
2人は距離を空け、少し先を歩く田中の後を追った。
◇
田中は道を2度曲がったところで後ろを見る。同じ2人がいる。さらに曲がる。まだいる。
「またか」
昨日とは違う顔だった。田中は人通りの少ない細い道へ入った。後ろの足音が速くなる。
『止まれ』
「やっぱ来たんか」
振り返る。片方が短剣を抜いた。もう片方も片手剣を抜く。
『その収納袋を置いていけ』
「嫌や」
『昨日の金も入ってるんだろ』
「入ってるけど」
『なら出せ』
「さっきギルドにおったやろ?」
『いた』
「俺、2人倒してたやん」
『素手の喧嘩だろ』
「せやな」
『こっちは違う』
片手剣を持つ男が笑う。
『Fのくせに調子に乗るからだ』
「ああ、それで来たんか」
田中は収納袋へ手を入れる。
「俺も武器あるで」
金テコを取り出した。
『……何だそれ』
「武器」
『ふざけてるのか?』
「割と強いで、これ」
短剣の男が先に踏み込んだ。田中は横へずれ、手首へ金テコを軽く当てる。
『ぐあっ!』
短剣が地面へ落ちる。続けて片手剣が振られた。
田中は一歩下がってかわし、相手が振り切ったところへ踏み込む。
「ほい」
胸へ金テコを当てる。
『がっ!』
男が後ろへ飛び、地面を転がった。短剣を落とした男が固まる。
「武器あっても一緒やったな」
『……』
「まだやる?」
男は首を横に振った。
「ほな帰り」
倒れた仲間を起こし、2人は逃げていった。
「Fってそんな弱い扱いなんやな」
金テコを収納袋へ戻す。
「まあええか」
◇
以前にも来た武器屋へ向かう。店へ入ると、大柄な店主が顔を上げた。
『いらっしゃ――お前か』
「覚えてんの?」
『忘れるか』
「何でやねん」
田中は店内を見る。壁の奥には、以前見た巨大な幅広剣がまだ掛かっていた。
「まだあるやん」
『簡単に売れる物ではない』
「金貨4枚やもんな」
『そこは覚えていたか』
「値段デカかったからな」
田中は剣を指差す。
「もう一回持たして」
店主が壁から外し、両手で差し出す。田中は片手で受け取った。
「やっぱ軽いな」
『前に持った時より余裕があるな』
「力上がってるからな」
持ち上げ、重さを確かめる。普通の剣より遥かに重い。だが今の田中には足りなかった。
「これ買うぐらいやったら、もっと重いの作ってもらった方がええな」
『これより重い物を使う気か?』
「せや」
『何と戦う』
「3mぐらいあるデカい人型とか、昨日倒したもっとデカいやつ」
『もっと大きい?』
「俺の倍以上あったで」
『それを何で倒した』
「これ」
田中は巨大剣を返し、収納袋から金テコを取り出した。店主が眉を寄せる。
『……何だそれ』
「金テコ」
『武器なのか?』
「俺は武器にしてる」
『それで倒したのか』
「せや。3mぐらいのやつ3匹相手した時は、一回曲がったけどな」
『曲がった?』
「もう直した」
『どうやって』
「秘密」
店主が田中を見る。
「そこは聞かんといて」
『……まあいい』
「もっと重くて、簡単に曲がらんやつ欲しいねん」
『なら特注だな』
「やっぱそうなる?」
『これ以上の物は普通に売る物ではない』
「材料俺が持ってきたら安なる?」
『材料?』
「鉄とか鋼とか。こっちで用意する」
『使える物なら、その分の材料費はいらない』
「加工代だけ?」
『基本はな』
「それやったらかなり安なるやん」
『使える材料なら、と言っただろ』
「鉄の塊適当に持ってきたらあかん?」
『先に鍛冶屋へ聞け』
「やっぱあかんか」
『何でも剣になると思うな』
「危な。先買うとこやったわ」
『どこで買うんだ』
「秘密」
『秘密が多い奴だな』
「知られたら面倒やねん」
田中は金テコを収納袋へ戻す。
「鍛冶屋どこ?」
『この近くだ』
「場所教えて」
店主から道順を聞く。
「助かったわ」
『変な物を持ち込むなよ』
「先に聞くって」
◇
昼を過ぎていた。田中は朝の飯屋へ戻る。扉を開けると、店主が顔を上げた。
『また来たのか』
「昼飯」
『本当に来たな』
「言うたやろ」
朝と同じ辺りの席へ座る。
「何ある?」
『煮込み』
「ほなそれとパン。多めで」
『分かった』
料理が運ばれてくる。田中は煮込みへパンを浸しながら食べた。
「これもうまいな」
『そうか』
「朝からずっとその反応やな」
『味が変わるわけじゃない』
「そらそうやけど」
食べ終える。
『大銅貨2枚だ』
「はいよ」
大銅貨2枚を渡した。2,000円。所持金は4,042,966円から4,040,966円になった。
「ごっそさん」
『夜も来るのか?』
「多分」
『そうか』
「もう慣れてるやん」
◇
午後。武器屋で教えてもらった鍛冶屋へ向かった。店の外まで金属を叩く音が響いている。田中が中へ入る。
『何だ?』
「剣作ってほしいねんけど」
『武器屋へ行け』
「そこからここ教えてもろた」
鍛冶屋が手を止める。
『何を作る』
「めちゃくちゃデカくて、重いやつ」
『どれくらいだ』
「そこから決めたい」
収納袋から金テコを出す。
「今これ12キロやねん」
『十二?』
「軽いねん」
鍛冶屋が手を出す。田中は金テコを渡した。
『……』
受け取った腕が少し下がる。
『これを片手で使うのか?』
「せや」
『どれほど重くしたい』
「分からん」
『分からない?』
「何キロまで普通に振れるか試したことないねん」
鍛冶屋が金テコを返す。
「鉄の塊とか持ってきて、重さ試したらええやろ?」
『重さを見るだけならそれでいい』
「ほな明日持ってくるわ」
『待て』
「何?」
『完成品の重さだけ決めても駄目だ。長さと幅で感覚は変わる』
「ああ、そらそうか」
『まず持てる重さを見て、そのあと形を決める』
「ええで」
『何を相手に使う』
「3mぐらいあるデカい人型とか、もっとデカいやつ」
『その棒で倒しているのか?』
「今はな」
『なら普通の剣では足りないか』
「せやろ?」
『お前が言うな』
田中は笑う。
「材料も俺が持ってきてええんやろ?」
『使える物ならな』
「その分安なる?」
『材料費はいらない。加工賃は必要だ』
「それでええ」
『何を持ってくるつもりだ』
「まだ決めてへん。せやから何使うか教えて」
『先に重さと形を決める。それから材質だ』
「了解」
『勝手に買うなよ』
「武器屋にも同じこと言われたわ」
『なら二度言わせるな』
「はいはい」
『店の中で重さを試すな』
「外でやるって」
田中は金テコを収納袋へ戻す。
「ほな明日また来るわ」
『好きにしろ』
◇
夕方。田中はまた朝の飯屋へ寄った。扉を開ける。
『三回目だな』
「数えてるやん」
『朝から同じ奴が3回来たら覚える』
「もう常連やな」
『一日で常連になる奴はいない』
「明日も来るで」
『そうか』
「今日は肉。多め」
『分かった』
「注文まで覚えたやん」
『3回とも多めだからな』
「ええ店見つけたわ」
田中は朝と同じ席へ座った。
『その席が好きなのか?』
「空いてるから座ってるだけ」
『そうか』
「そのうち俺の席にしといて」
『しない』
「即答かい」
料理が運ばれてくる。食べ終えると、大銅貨2枚を渡した。2,000円。所持金は4,040,966円から4,038,966円になった。
「また明日」
『本当に来るんだろうな』
「来る言うてるやろ」
◇
家へ戻る。
「ただいま」
『遅かったな』
「武器見て、鍛冶屋行ってきた」
『そうか』
「あと、俺Fランクやったわ」
ガルドが手を止める。
『知らなかったのか?』
「忘れてた」
『馬鹿なのか?』
「奴隷が主人に馬鹿言うな」
田中は一歩進み、すぐに止まった。
右に部品。
左にも部品。
正面には分解された魔道具。
「……爺さん」
『なんだ』
「朝も言うたけど、これほんま何とかせえへん?」
『何をだ』
「足の踏み場や!」
『ある』
「この一本だけやんけ!」
床に残された細い通路を指差す。
「毎回こんなん避けながら歩くん嫌やねん」
『踏まなければいい』
「せやから踏みそうや言うてんねん」
『気をつけろ』
「俺が気をつける話ちゃうやろ」
ガルドが周囲を見る。
『置く場所がない』
「2階か3階に置いたらええやん」
『使う物だ』
「全部?」
『全部』
「ほんまか?」
『たぶん』
「たぶん言うたやん」
田中は床を見回した。分解された魔道具だけならまだしも、小さな金属片や線まで散らばっている。
「せめて片付けろや」
『使っている』
「使い終わったやつは?」
『また使う』
「いつ?」
『分からない』
「それ片付けてええやつやろ!」
ガルドは返事をせず、また部品へ手を伸ばした。
「待て待て。まだ広げんな」
『作業中だ』
「これ以上増えたらほんま歩かれへんぞ」
『まだ置ける』
「どこにや!」
ガルドが部屋の隅を指差した。
『あそこ』
「そこまで埋める気かい!」
田中はため息をつく。
「掃除せなあかんな」
床一面の魔道具を見る。自分で片付けるにしても、どれをどこへ動かしていいのか分からない。
「俺がこれ触ってええん?」
『駄目だ』
「ほらな」
『壊す』
「ほな爺さんが片付けろや」
『忙しい』
「散らかした本人が言うな」
ガルドは完全に作業へ戻った。
「……これ毎日増えるんやろ?」
『たぶん』
「またたぶん言うた」
田中は椅子へ座り、部屋を見回す。掃除だけなら自分でもできる。だがガルドの部品を勝手に触れないなら、どこへ何を置くか指示を聞きながら片付ける人間が必要になる。
「飯作ったり、掃除したりする奴おった方が楽やな」
ガルドは反応しない。
「爺さん」
『なんだ』
「掃除する奴、欲しない?」
『私はいらない』
「俺が要るねん!」
『なら雇えばいい』
「雇うか……」
田中は少し考えた。この世界で、住み込みで家事をしてくれる人間を探す方法なら、心当たりが一つある。
「……まあ、明日考えるか」
ガルドはもう聞いていなかった。
「これ以上散らかすなよ」
『無理だ』
「即答すんな!」
異世界に来て11日目が終わった。
所持金は4,038,966円だった。




