四 ~ ……まさか、だよな。 ~ (10)
引くよね……。
こんな現実味のないことを実際に見ちゃうとさ……。
8
動揺する僕を制した姫香は、おもむろにシャツの裾をめくり、傷口をさらした。
露わになった白い肌に、ついドキッと息が詰まった。脇の辺りに、男に切られた傷が二本あった。肌が裂け、肉がめくれて血が滲んでいる。
咄嗟に唇を噛んで目を逸らした。
「……お願い、見てて……」
力ない声に、心配しながらも恐る恐る戻す。
それでも目を背けたくなっていると、僕は目を疑った。
そらは、まるで逆再生の映像を見ているように、傷が塞がっていくのである。
ゆっくり、ゆっくり、と。
それまで溢れるように出ていた血でさえも、勢いが収まっていく。
凄まじい勢いで傷が自然治療されていた。
「ね、大丈夫でしょ」
これも、吸血鬼としての力なのだろうか。
驚く僕をよそに、数分もしないうちに、姫香の傷は完治してしまい、姫香は立ち上がる。
それでも、かなりの体力を消耗したらしく、体をふらつかせていた。
すぐに体を支え、そばにあったベンチに腰を下ろした。
「驚いたでしょ。私、医者いらずなんだよ」
僕の肩に凭れ、強がりなのか冗談気味に呟く姫香。ただ息は上がったままでつらそうであり、僕は何も言い返せない。
「でも参ったなぁ。誰だろ、あれ…… なんで、私襲われちゃうんだろ…… 手も変だったし……」
「知り合いじゃないのか?」
姫香はかぶりを振る。
「全然、知らない人。でも多分、あの人も吸血鬼だよ」
吸血鬼と聞いて、心臓を鷲掴みにされたような痛みが走った。
以前、聡から同時期に複数の吸血鬼が現れることもある、と言っていたのを思い出したが、信じられず、目が泳いでしまう。
「ちょっと前から、変な感じはしていたからなぁ。この前もそうだし…… あの人のことだったのかな」
それはここが狩り場だから、吸血鬼が集まってしまうのだろうか。
顎に手を当て考え込む姫香に、聞くことはできなかった。どこか体が震えていて。
痛みに耐えて震えて震えているのではなく、恐怖に怯えているように、見えてしまったから。
「それより、大丈夫なのかよ」
「うん。まだ痛いけど、傷はもう塞がってきたから」
脇を擦りながら答える姫香。それでも表情はつらそうである。
ーーでも。
「まぁ、傷を治すのに体力は使っちゃうからね。それで疲れちゃってるだけだから。もうちょっと休んでおけば、うん」
そこで姫香は目を瞑り、眠るようにより体を僕に預けてくる。
確かに先ほどよりも呼吸は落ち着いてはいたが、それでも顔色は悪い。
このままずっと寝てしまうんじゃないか、と不安も抱いてしまう。
ふと、夜空を見上げた。
月が僕らを見下ろしている。
正直言って、僕もまだ体がだるく、首筋にかけて痛みが残っている。それでも姫香よりかはましで、意識もしっかりとしている。
こいつの体力を回復させるには……。
自問したあと、ふた息を吐いた。
「ーーんっ」
僕は右肩をスッと動かし、姫香の体を揺らす。
目を閉じていた姫香は、何事かと目を開き、まばたきをして呆然としていた。
そこに僕は右腕を差し出した。
シャツの袖をめくり、腕の内側を見せる。
状況が掴めない姫香は唖然として僕を見ている。僕は何も言わずに小さく腕を揺らした。
姫香の体力を回復させるのに、一番効率のいいこと。それは……。
「……いいの?」
事態を把握した姫香が、戸惑いながら弱々しく聞いてくる。
僕は顔を逸らしたまま、何も答えなかった。黙ったまま顎をしゃくる。
それは姫香がこれまで望んでいたこと……。
姫香は優しく腕に触れた。
手はものすごく冷たい。
「……ありがと」
ありがと……。




