四 ~ ……まさか、だよな。 ~ (9)
これは現実?
吸血鬼のことを考えると、今さらだが……。
本当に現実なのか?
僕の声が出たのと同時であった。男の腕が振り下ろされたのは。
咄嗟に目を逸らそうとすると、姫香は直前で受け流した。
それからは信じられない光景が広がった。
まさに、格闘ゲームを見ているみたいに……。
自分の爪を武器みたいに風を切って振り回し、それを体に触れる寸前、ダンスを踊るみたいにかわす姫香。
月夜に照らされ、髪をなびかせる姿はどこか妖艶で、綺麗に見え、僕は呼吸を忘れて魅入ってしまった。
助けないと、という感情を忘れて。
しかし、姫香の表情は険しく、つらそうに見えてしまう。
「あんた、何が目的なのよ。本当にもうっ」
姫香の叫び声に、僕は我に返る。
助けなければ、と心は焦るのに、体が自由にならない。正直、怯えてしまっていた。
二人の現実離れした動きに圧倒され、動けない。僕が入れば、逆に邪魔をしてしまうと、ブレーキがかかる。
「止めろよっ、お前っ」
どうにか気を紛れさせたかったが何もできず、苦し紛れに、手元に落ちていた石を、男に投げつけた。
石は無念にも男に届かなかった。
僕の余力さを表すように、男の足元に落ちてしまう。
それでも男の注意は逸れ、こちらに体の向きを変えた。
フードのせいで影となって顔は見えない。しかし、異様な空気は漂っており、悪寒が全身を支配する。
「お、お前っ。こっち、来いよっ」
喉の奥に石を詰められたような、息苦しさに耐えつつ怒鳴った。男はゆっくりと歩を進める。
男がこちらを見て、右腕を横に上げ、長い爪を揺らす。
鋭利な爪が刺されば確実に殺される。
と直感した。
怖いはずなのに、奇妙なことに、僕は笑ってしまう。
ダメだ。気持ちがおかしくなっている。
男はゆっくりと歩を進め、僕との距離を縮める。
それでいい。姫香から離れてくれれば。
男との距離。それが僕の命の時間なんだと悟り、息を呑む。
「ちょっ、古川くん、逃げて」
姫香も体力が限界なのか、また片膝を着いた。必死で叫んではいるが、僕の体も動きそうにない。
男の伸びた影が足元に重なったとき、ふと影が止まる。不審な動きに顔を上げると、男は僕を見ていた。
表情は読めないが、引き込まれるよいに僕も睨み返したとき、男は急に踵を返す。
標的を姫香に戻した、と直感して重たい体を、立ち上がらせようと膝に力を入れる。
おぼつかないまま立ち上がると、その音に男は動きを止める。
「……お前はなんだ?」
静寂した空間に、男の声が響く。
突然の問いに戸惑っていると、男の体が揺れた。恐怖に身構える。
風が頬を切ったとき、男は急に走り出した。
僕でも、姫香の方でもなく、誰もいない石畳の方へと体を進めた。さらには、石畳の奥の木々の影へと体を進め、そのまま逃げていった。
何が起きたのか理解はできない。ただ、男がいなくなった。
助かったのか、と目で追っているときである。
ドカッと鈍い音がした。
急に姫香が倒れたのだ。
「ーー今田っ」
叫ぶのと同時に、体の自由が戻った。
すぐさま駆け寄ると、体を丸めて倒れる姫香に、僕は青ざめてしまう。
やはり脇から血が滲んでいる。顔も冷や汗が浮かび、血の気がない。
「早く、救急車っ」
「ーー待って」
すぐさまスマホを取り出そうとすると、姫香は僕の右腕を掴む。
「ダメ、呼ばなくていい」
「でも、この傷早くしないと」
「……大丈夫、すぐ…… 治るから」
大丈夫?
何が大丈夫なんだ?
どこが?




