四 ~ ……まさか、だよな。 ~ (8)
こんなことがあるとは思ってもいなかった。
発作?
7
不思議な感覚になっていた。
海に浮いてしまっているような浮遊感から、全身に力が入らない。
しかも、関節を縛られたみたいに痛み、身動きが取れない。
目を開こうにも、目蓋が重く、開いてくれない。それでいて、聴覚だけははっきりとしていたのである。
そこで聞こえてくるのは声。この声は姫香。
「まったく、これも発作の症状なのっ。ったく、本当にすばしっこいんだからっ」
何を言っているんだ?
「もう、なんで襲われなきゃいけないのよ」
襲う?
「あんた、古川くんを襲うつもり?」
何を言っているんだ。僕を襲おうとしたのは、お前じゃないか。そんなこと言って……。
妙に話の噛み合わない姫香の声に疑問を抱いていると、重たかった目蓋が開く。
掠れる視界に飛び込んできたのは、自分の足元であった。どこかに座っているのだろうか。
まばたきをしていると、手の感覚も戻ってくる。チクチクとするなかも、柔らかい感触。足元に写るのは緑。
頬を撫でる風に視界が晴れていき、自分が芝生の上に座っているのだと気づいたとき、そこが公園であったことを把握した。
「まったく、なんだって言うのよ」
どこかから、姫香の声が響くと、朦朧としていた意識が戻る。
姫香はどこにいる、と顔を上げようとしたとき、首筋に激痛が走り、思わず奥歯を噛んで擦ってしまう。
また意識が飛んでしまいそうな痛みに、眉をひそめていると、状況を把握する。
さっき公園の広場に出て、姫香の冗談につき合わされているとき、誰かの声が聞こえた。
聞き覚えのない男の声。
そしてその直後、首筋に痛みが。そこで意識が途絶えた。
気絶したのか?
眉をひそめながら、前方に視線を動かした。
すると、目の前に二人の影が飛び込んだ。
一人は姫香。
もう一人は誰だ?
覚えのない人影。
月明かりに照らされた芝生の広場に、姫香ともう一人が対峙していた。互いに睨み合いながら。
姫香は前にいる人物は、グレーのパーカーにジーンズとラフな格好でいた。
パーカーのフードを深く被っているので、性別まではわからないが、姫香よりも頭一つ以上背が高い体格からして男…… それにさっきの声…… 男?
僕は目を剥いた。目の前にいた男は、さっき、石畳の上ですれ違った男なら、僕を気絶させたのも……。
なんで? と戸惑うなか、目を疑う。
向かい合う二人は、どこか争っているように見える。言い争いじゃなく、格闘ゲームみたいにファイティングポーズを取っているように見える。
しかも、姫香は脇を抱えている。足元がおぼつかない。まるで……。
「……血?」
制服の紺のセーターが滲み、白いシャツの袖口も汚れている。周りが暗くても、赤いのはわかる。
ケガをしている? なんで?
「あんた、なんなのよ。なんで、あんたが私を襲うのよ。なんで……」
襲う?
姫香が襲われている? そのとき、倒れるように片膝を着いた。
汗をかいて肩で息をしている。痛いのか。
男に視線を移す。前屈みになって立っている男。まるで猿みたいに。
パーカーの袖をめくった腕が赤く汚れている。それだけじゃない。やけに手の指が長い。
「私を襲って何する気?」
「……吸血鬼に必要なのは……」
強がる姫香に男がこぼした声に、息を呑んだ。
「あんた、なんで私の……」
「……血がほしいだけ。求めるのは血だけ……」
「あんた、何者? なんで私をーー」
刹那、男かま右腕を振り上げた。長がく見えた指先が、月明かりに照らされる。
ーー爪?
なんで、あんなに変な…… って、まさか、あの爪で姫香を。
なんで? なら今、姫香を殺そうとしてるってことなのか。
「ーー今田っ」
まったく……。
ムカつく。
なんで襲われなくちゃいけないの?




