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異世界最強の翻訳家  作者: 高田大輝
第一章 召喚と王国捜索
6/38

6.The first day (初日)

秋分の日の祝日投稿です。

過去最長(約一万三千文字強)ですので、時間には十分注意して下さい。


 遅めの昼食を取るべく葵とアルテナが図書室を退出してから一時間後。二人は召喚者とその侍女に与えられた部屋にいた。


 中は二人部屋にしては少し広めの大きさになっている。一人用の大きめなベッドが二つと、学校の授業で使う机の倍の面積はある机が二人分。広めの洗面所も付属している。


 壁には細かな装飾が施されており、床は全面絨毯だ。床で寝転がっても痛さを感じることはないであろうふわふわな絨毯。一見して明らかな、豪華な造りの部屋だ。


 そんな部屋で二人は黙々と読書に励んでいる。


 葵は昼食をとった後、再び図書室を訪れていた。そこで目についた本、気になる本を片っ端から借りた。司書さんの一人にこの量を今日中に読めるの? と心配された。


 それに対し葵は、今日では読み切れませんが明日には返却します、と返していた。いくら速読に長けている葵でも、十冊以上の本を今日中に読めるわけがない。


 ではなぜ読み切れない量を借りたのか、という疑問は、一言で片づけられる。即ち“徹夜”である。葵は徹夜を苦だとは思っていない。寧ろ時間効率のいいことだと考えている。


 眠気で集中力が阻害されるなんてことは、葵にとって有り得ないことなのだから。翌日は少し眠気が強くなりはするが、それだけだ。


 司書さんに告げた言葉の真意は「今日中に読み切れなくとも、明日の朝には返却することが出来る」である。意地の悪い言い回しだと、我ながら感じている。


 ちなみにアルテナが本を読んでいるのは、葵の指令があるまで動こうとしなかったアルテナに、何かすることを進めたからだ。ただただ突っ立って待っているのは時間の無駄である。


 ならば、何でもいいから行動をする方が良い! と言うのが葵の見解だ。


 結果的に葵が指令した感じになったが、まぁ問題はないだろう。


 ページを捲る時に起こる紙が擦れる音しか聞こえない部屋に、ふと鐘の音が響いた。タイミング良く、休憩を挟んでいた葵は何事だ? と静かに慌てる。


 その疑問は、葵の変化を見逃さなかったアルテナによって解消された。


「この鐘の音は、時計塔から聞こえる鐘の音です」

「時計塔?」

「はい。あちらに見えるのが時計塔になります」


 アルテナの差す方向を見れば、窓の向こうに正しく時計塔があった。ビッグ・ベ○と言えば、イメージし易いだろうか。


「時計の仕組みはご存知ですか?」

「うん。知ってる」

「ではその説明は省きます。日の替わりの夜を零時とし、一の刻と呼びます。短針長針が一番上で重なった瞬間ですね。そして二の刻は三時、三の刻は六時と、三時間に一度鐘が鳴り、最後の鐘が夜の九時の八の刻になります」

「……てことは、図書室で説明を聞いてた時も鳴ってたってことか?」

「はい。図書室は壁が厚いので聞き取りづらかったかもしれませんが、しっかりと」


 窓からもう一度時計を見る。短針は三時の位置を指していることから、これが六の刻だと分かる。昼食が終わった時に給仕の人から、夕食は六時から取れると聞いていた。つまりあと三時間は自由な時間がある。


 ならば、とアルテナに説明の礼を言って本を開く。今の俺に出来る準備は、これしかないのだ。明日からはルディアンの言っていた説明があるので、今日ほど自由に時間が使えるわけではないだろう。だから今のうちに知識を入れておこうと、再び本の世界にのめり込むのだった。






 鐘の音の説明から三時間が経ち、アルテナに先導され夕食を取るべく食堂に向かっていた。食堂は騎士団や魔道師団が食事を取る場所で、かなり広い造りになっている。そもそも王城の中の部屋で、既知の部屋より狭いものなどないので今更だ。


 葵は部屋に比例する形で大きく長い通路を歩きながら、先程まで読んでいた本の内容についての気になったことを考える。


 その本とは、人間と魔人との戦争――人魔大戦の歴史についてのものだった。そこに書かれていた内容で、この世界は、一番最初にできた王国の建国年を始まりとした暦が採用されていた。


 そして、その本に載っていた最初の人魔大戦がその歴で言う、三千六十八年だった。つまり王国が建国され三千年と少しの年月が経った頃に、唐突としてその大戦が始まったのだ。


 その部分に、何かが引っ掛かった。何故突然戦争が始まったのか。何故三千年もの間、魔人と言う存在に気が付けなかったのか。そもそも魔人は、何故唐突に戦争を始めたのか。


 アニメや小説の読み過ぎで、少し過剰になっているだけかもしれないが、何かが引っ掛かったのだ。結局、どれだけ考えても答えは出なかったので、後回しにすることにした。


 気分転換に夕食はどんなメニューだろうか、と軽く予想を立ててみる。因みに昼は肉が沢山入っているシチューと色とりどりのサラダ、そして柔らかいパンだった。


 異世界と言えば硬い黒パンと言う定番を壊して、地球にあったような柔らかい白色のパンだ。


 近年、トゥラスピース共和国が開発した最新のパンらしい。一般の人に普及するほど生産が出来ているわけではなく、今は王族や一部の貴族だけがこのパンを食べられるらしい。


 希少価値の高いものだったようだ。そうとは知らずに、十数個食べてしまった葵は、あとでそれを知った時に、白パンが出てきたときくらい驚いた。


 王族の人達は別室にて食事を取っているらしい。騎士団と王族が同じ食卓を囲み、礼儀正しく食事をしている姿など想像もできないので納得できる判断だろう。


 数分かけて食堂に着くとアルテナが扉を開け、葵の通り道を確保する。未だ慣れない扱いに、むず痒い感覚を味わいながら食堂に立ち入る。


 そこでは既にクラスメイトが談話していた。よくよく見てみればクラスメイトの中に王女が紛れていた。普段着なのか昼に見たドレスではなく、周りの普段着と然程変わらなかったので気づくのが遅れた。


 王族は別室で食事を摂る、と言う決まりは、早速覆されたようだ。


 クラスメイトの視線が葵に突き刺さる。数時間前にクラスメイトに対し、少し痛烈なことを言っていたので顔を合わせづらいと言えばそうなのだが、別段気にすることでもないか、とルディアンの忠告を忘れ、給仕の女性に二人分の食事を頼む。


 クラスメイトからなるべく離れた場所に座り、これからの行動を最適化するべく計画を練っていく。とは言え、明日の予定はルディアンの説明次第で変動するし、今日はこの夕食が終わり次第本に没頭し続けるだけなので、計画も何もないことに気が付いた葵はアルテナから常識に関する話を聞くことにした。


 夕食が給仕されるまでの間、クラスメイトからしばしば向けられる視線を感じながらも、アルテナの話をしっかりを聞いていく。視線に対して敏感にさせた原因に今度謝ってもらおうと、ここには居ない人へ想いを馳せる。


 しばらくして夕食が運ばれた。どうやら献立は海鮮系のようで、海藻のサラダと焼き魚、そして()()()()()()()。思わず白米を二度見してしまった。まさか召喚初日で白米にお目にかかることになるとは夢にも思わなかったので、当然の反応だろう。


 これでは懐かしい故郷の味(白米)はしばらくお預けだな、と定番のくだりが出来ないことを残念に思いつつも、ご飯を作ってくれた人に感謝し、頂きますと呟いて夕食を口に運ぶ。


 後に聞いた話では、白米はトゥラスピース共和国が原産のようだ。これは行かねばなるまい、と密かに心に決めた。既に食べ終わっているのか、話し声が聞こえるクラスメイトとは違い、夕食を黙々と口に運んでいく二人。


 食べ終わったならどうでもいい話などしてないで、実利のあることをすればいいのに、と内心ぼやく。結局、あの時の言葉はクラスメイトには響いてなかったことを、言外に知らされた。


 三十分もかからず夕食を食べ終わった二人(アルテナの方が早かった)は、「ごちそうさまでした」と手を合わせ席を立った。


 因みに料理はとても美味しかった。流石、王城と言うべきだろうか。食べ終わった皿は、給仕の係が片付けてくれるらしいので、本当に何処までも高待遇だ。


 葵が食堂に来る前から居たクラスメイト達は、未だ雑談に花を咲かせた様子だ。確かに異世界召喚と言う尽きないネタはあるが、いい加減飽きないものだろうか、と呆れた感情を抱きながら、部屋に戻ろうと食堂の扉に向かって歩みを進めていた。


 その進路上に一人の男が立ち塞がった。葵のトラウマの原因の中村隼人が、葵を見下す形で視線を向けてくる。高校一年生男児の平均身長は170に満たない程度なので、葵の172cmが低い訳ではない。


 つまり葵より隼人の方が身長が高いということになる。隼人が若干顎を上げていることもあるだろう。


 隼人が葵の前に立ち塞がった瞬間、アルテナはサッと葵の左前方――即ち隼人の右からくる攻撃から葵を守れる位置へと素早く動いた。それを無視して隼人は葵に向けて口を開く。


「何か言うことがあるだろ」

「……部屋に戻りたいんだけど?」

「舐めてるのかてめぇ……?」


 隼人の質問に、今の葵の気持ちを素直に答えたところ、僅かに顔を怒りに歪めながら苛立ちを孕んだ声で返してきた。


 なるほど、素で会話をすると敵を作るか……と、冷静に分析している葵の反応が無視しているように見えたのか、今度ははっきりと怒りの感情を言葉に乗せて食堂全体に響く声を上げた。


「いい加減にしろよ…! 俺はお前の身勝手な行動について話してるんだ! お前の所為でどれだけ迷惑を被ったか……!」


 大袈裟な身振り手振りを混ぜ、さも葵が悪いかのように語る隼人。実際、身勝手に行動したことは認めるし、悪いことだとも思っているが、迷惑を掛けたことなんてあるだろうか? 疑問に思い尋ねた。


「迷惑を掛けたなら謝るよ。それで、どんな迷惑に対して俺は謝罪すればいいか、教えてくれないか?」


 煽る気の無い、素直な疑問。途中で、敵を作らない接し方を目標に設定したことを思いだし――と言うよりアルテナに進言され気づかされた葵は、純粋な気持ちで尋ねた。


 なにせ、心当たりが多すぎるのだ。王女に掴みかかったことや、王様に対して啖呵を切ったこと、そして現在、自由に行動していることなど、どれに対してのことを言っているのか分からなかった。


 この手合いは、自分の言っていることと違うことを言えば、面倒くさくなる性質(タチ)だ。だが素直に質問すれば、最悪こちらを煽るだけで面倒くさくはならない。


 その面倒を避けるために、先手を打つ。先手必勝とはよく言ったものだ。


 その質問が予想外だったのか隼人は口籠る。だがすぐに思い当たることがあったのか、声を大にして反論を披露した。


「召喚された直後、お前がソフィアに掴みかかったことだ! さっきも言ったが、あれは俺達を危険に晒す行動だった!」

「危険な行為だったことは認めるけど、迷惑はかけていないだろう?」

「それはあくまで結果だろう!」

「でもお前、“迷惑を被った”って言ったじゃないか。結果の話をしてるんじゃないのか?」


 隼人の言ったさっきとは召喚後の庭での出来事のことだったようだ。その返答に対し、思ったことを、あった事実を淡々と告げていく。


 それが的を射ていた為に、隼人はそれ以上何も言えなくなり、怒りを抑えるように歯を食いしばり、血が滲んでいるのではないかと思われるくらい強く握り締められた拳は、小刻みに震えている。


 一方葵は、敵を作らないを目標にしていたのに、隼人が怒りを抱いている現状に不満を感じていた。どうして敵を作っているのか? と。そこで葵ははたと気づく。


 俺は自分勝手なのだということに――


 そもそも、結愛の為に他のことを切り捨てると断言している時点で自己中なのは知っていたが、これはそう言う意味のものではなかった。今の回答は、全て自分の深層意識に因った復讐だったと分かったからだ。


 葵は昔、こいつに貶められている。その所為で一時的にだが、人を信じられなくなっていた。家族や結愛のお陰で立ち直ることが出来たが、それでも現状、自分と親しくない人と仲良くすることは出来ない。


 他人に対して必要以上に心を開かないのは、自分も、他人も傷つけない為に、無意識的に制限していたからだった。


 今の葵を作った原因となった一人が目の前にいて、且つ、謁見の間でのやり取りで隼人(こいつ)を格下だと把握した。把握してしまったからこそ、復讐に走ってしまった。


 もうあの時を振り返らないと決めていたはずなのにな……と、自分の弱さに呆れ、改めて心に、気持ちに、本心に、そっと鍵をする。


 そうしなければ、今この状況を抜けることも、これから敵を作らないで結愛を捜索することも不可能だと判断した。――結愛を探すのに、その感情は要らない。


 胸に手を当て、鍵がかかったことを確認し、葵は行動に移る。敵を増やさない為に、なるべく最善の策を――――


「えっと、皆さんにお話があります」


 クラスメイトに向けて、隼人怒りを孕んだ大声とはベクトルの違う大きな声で視線を集める。それが一番手っ取り早い。


 葵のいきなりな発言にクラスメイトはほぼ全員がこちらに意識を向ける。もともと葵と隼人の論争を殆どの人が見ていたので、今の発言はそれ以外の一部に向けたものだ。


 全員の視線が集まったことを確認し、言葉を選びながら続ける。


「今日は、俺の身勝手な行動で、多少なりとも心配をかけたと思います。すみませんでした。これからは皆さんになるべく迷惑を掛けないよう行動する予定で居ます」


 葵が喋ってる間も、喋り終えた今も、クラスメイトの殆どは驚きの表情で固まっている。クラスメイトの葵に対する評価は、自ら喋ることは稀で質問に対して答える程度の寡黙な人間だというものだった。


 それがたった今、この一瞬で崩壊し、饒舌になったことに皆が一様に驚きを示していた。それがこの現状である。


 他人から見える自分をなんとなく理解していた葵は、「ま、そんなもんだよな」と他人事のように呟きながら最後の一押しを行う。


「俺は用事が終わり次第、ここを出ていくつもりです。なので、皆さんに迷惑を掛けることは減るかと思います。今までのことはどうか、それで水に流してくれると嬉しいです」


 頭を下げ、葵は言った。少々他人行儀が過ぎたかもしれない。クラスメイトは聞いているのか、いないのか。はっきりとは分からないが伝わっているだろうと勝手な予測で、頭を上げる。


 結愛を探すために王城を出るつもりでいたので、それを伝える手間が省けたと考えれば、言い訳を込みで一石二鳥だろう。


 最後に未だ下を向き、顔を上げない隼人を一瞥して食堂を出た。退出は入室よりも遥かに静かだった。


 行きとは逆に、葵が先頭で部屋に戻る道を歩く。


王城(ここ)を出ていくと言うのは、本当のことですか?」


 道中後ろを歩くアルテナにそう問われた。その声は、どこか心配しているようなもので、それに疑問を抱くも葵は即答する。


「うん。最初からそのつもり。結愛を探しに行くからね。……結愛は凄い人だけど、どこか抜けてるところあるから、早く見つけてあげなきゃ」


 即答した葵の声は、不安を悲しさが混じり合っていた。それを聞いたアルテナは、ルディアンから聞いていた葵と、今の葵に違いがあることに気がついた。


 だからこそ、見極めるために葵に付いて行くことにした。アルテナは葵の独り言のような返答に返事せず、無言で葵の背中を追った。






 部屋に着いた葵は、読書を開始する前に窓から外を、外にある満月を眺めた。その世界の月は地球と変わらず一つだけだ。ファンタジー世界のような、複数個の月は無いようである。


 窓の外の空だけ見れば、地球かと錯覚しそうな満ちた月を眺め、葵は決意に満ちた表情(かお)をする。


 必ず見つけ出す。例えどんな目に遭おうとも、救い出してみせる。それが、俺の生きてきた意味だから――――――




 * * * * * * * * * *




「クソがッ!!」


 窓から差し込む月明かりのみで照らされた暗い部屋に、声は明瞭に響いた。中村隼人は手当たり次第、部屋にある手頃な物に八つ当たりを開始する。部屋には召喚時に身に着けていた制服や、制服のポケットに入っていた携帯や財布などしかなく、八つ当たりは机やベッドなどの部屋に元からあった物に絞られていた。


 しばらくの間、叫びながら八つ当たりを繰り返していたが、落ち着いたのかベッドにドカッと座ると、頭を抱えた。時折、思い出したかのように自身の拳をベッドに打ち付けていた。


 (何なんだアイツは!? 昔っから調子に乗りやがって……。今日に至っては俺を辱めやがってよぉ……。ホントにむかつくなっ!)


 隼人は部屋に帰ってきてからずっと、葵に対する怒りを思い出しては物に八つ当たる行為を繰り返していた。


 隼人は生まれてから今までの人生、とても恵まれていた。父親は国家公務員でお金に困ることはなく、欲しいものは何でも手に入れてきた。


 母親は優しい人で、常に隼人を甘やかしてくれた。最低限として、勉強と運動はやらされていたが、親の期待に応えるのは悪い気はしなかった。


 小学校に上がるころには、既に傲慢で狡賢い隼人が居た。幼い頃からやっていた勉学のお陰で、学年トップをキープしており、生まれながらの才能でメジャースポーツ程度なら負けなしだった。


 更に整った容姿をしており、女子からは常にキャーキャーと黄色い声援を浴びていた。


 持ち前の傲慢さとずる賢い部分は隠し、同性の友達も順調にできていた。その頃の評判は、誰に対しても優しい文武両道な最強な人として、崇められていた。


 表面上だけ見れば、主人公ルート待ったなしである。ともあれ、隼人は生まれてこの方一度も苦労すること無くその人生を過ごしてきた。


 だが一度だけ、叶わなかった恋があった。今までは一度恋した相手は全て叶えてきた隼人は、思い通りにならないことに憤慨した。


 幾度となくアプローチしたのだが、その悉くを撥ね除けられた。そんな彼女は、毎朝同じクラスの男子と一緒に登校してきており、そのこは隼人の怒りをさらに加速させた。


 そんなある日、隼人はとある人に恋愛相談を受けた。当時から女子にモテていた隼人は、幾度となく恋愛をしており、巷では恋愛マスターとも呼ばれていた。


 そんな隼人に恋愛相談をする者も多く、その日の相手もその有象無象の一人だと思っていた。


 だが今回の相談相手は葵で、その想い人は隼人の幼馴染だった。隼人と同じく猫被りの女生徒、布施沙紀だった。


 その話を聞いた途端、隼人はいけ好かない奴で、自分に害を為す可能性がある危険分子で、同時に叶わぬ恋をしていた彼女が一緒に登校していた男を排除する作戦を思い付いた。


 隼人は傲慢で強欲だが、持ち前の狡賢さでそれを隠してきた。だが葵は、そんな隼人の本質を見抜いたことが一度だけある。


 既に友達が沢山できており、周りの評価も高かったことから、葵の言葉は何でもないことだと判断されたが、その時から隼人の中では自身の皮を剥がし得る危険人物としてリストアップされていた。


 そんな危険人物を排除する機会が来たのだと、沙紀にそのことを話し、裏で口を合わせて葵の恋愛と並行して、葵は告白の、隼人は陥れる為の準備を着々と進めていった。


 結果から言えば、排除には成功したと言っていいだろう。思惑通り、葵を嵌めその心を壊せた。結局、初めて恋をした女性を落とすことは出来なかったが、そこからの隼人は今まで通り、順風満帆な生活を過ごしていた。


 中学は祖父の容体が悪いとのことで、少し地域を離れ別の学校になったが、高校入学前に育った地へと戻ってきた。


 そして高校に入学し、隼人は唯一落とすことの出来なかった女子と再開することが出来た。再開と言っても、向こうは隼人のことを欠片も気に留めていなかったが。


 その女子とは、板垣結愛。この学校の生徒会長で、容姿端麗、頭脳明晰、友達も多く先生の評判もいい、まさに俺の為にいる女だと、隼人は思っていた。


 だが現実はそうではなかった。隼人の恋路を邪魔したのは、あの日あの時隼人が自ら手を下した葵だったのだ。葵からすれば結愛に絡まれているだけで、邪魔をしているつもりはないのだが傍から見れば、そう感じられるのだろう。


 更に今までずっとキープしてきた学年トップの座を、隼人は獲れなくなっていた。どんなに努力をしても、期末の二位が最高。全教科95以上を叩き出したにも拘らず、二位ということは事実上一位を取ることは厳しいものがある。


 何もかも上手く行かないのは、葵の所為だと全ての責任を葵に押し付け、再び排除することを心に決めたが、如何せん葵は自身の手を明かさない。そもそも喋ることすら稀になっているので、情報の仕入れが無理だった。


 自分が話しかけたことがあるが、その時葵から向けられた視線は、絶対の拒絶だった。まるで、俺の周囲に関わるなと言っているかのような威圧感を感じた。


 昔には感じられなかったその覇気に、怯えに似た感情を抱いてしまった自分が不甲斐無く、葵への怒りを募らせていった。


 そんな時に起きた、異世界召喚。


 そこで葵は自身の弱い部分や、醜態を晒した。隼人は再び葵を陥れられると、悪い笑みを浮かべていたが、その悉くを葵は正面から打ち壊した。結局葵を貶めるどころか、自分が恥をかくと言う醜態を晒した。


 だからこそ、隼人の心情はこんなに荒れている。この感情を抑えることが出来ないことは、自分が一番よく分かっている。だからこそ、爆発させきろうとしていた。


「……隼人様」


 突然、隼人に声が掛けられた。それは隼人が声を荒げ暴れている間も、すっと静観していた隼人の侍女。名をセクリス・オプリメス。今回の召喚に際し派遣された侍女商会(メイドギルド)の侍女だ。今回の召喚者に付いている侍女の殆どが、この侍女商会(メイドギルド)から選ばれた。


「随分とご乱心の様子ですが……」

「……ああ。少し苛立っていてな……。女の子は傷つけたくねぇから――――」


 自分を感情を抑えているのか、丁寧な物言いでセクリスにそう告げる。不自然に切られた最後の言葉は、暗に近づくなと言っていた。


 それに気がつかないセクリスではなかったが、敢えて無視し近寄ると、正面からそっと抱きしめた。


 突然の出来事に目を剥く隼人にセクリスは、少し頬を紅潮させ、僅かに荒くなった吐息のまま耳元で囁く。


「もし怒りが収まらないのであれば、どうぞ私にお出しください。私は受け入れます」


 よく見てみれば、服が少し肌蹴ている。着崩れた(不可抗力)と言うより、着崩した(意図的)の方が表現として正しいだろう。それがどういう意味を持つのか理解した隼人は驚きのままセクリスの顔を見つめる。


「……どういうことだ?」


 隼人には、数多の噂があった。中学時代は派手に遊んでいたとか、毎夜毎夜寝ずに過ごしたとか、その手の噂が絶えず流れていたが、それは全くのデマだった。


 確かに、隼人は多くの女性と付き合っては分かれ手を繰り返していたが、決して遊んでいたわけではない。というより、中学以降になってから、思い通りにいくことが少なくなっていったのだ。


 普通であればそれが当たり前なのだが、隼人にとって普通ではなかった。


 一応、女性と付き合うまでは行くのだが、その先から発展しない。それは高校になっても同じだった。故に、隼人は噂こそ膨大にあるものの、夜の経験は全くなかった。


 そんな隼人だから、反応に困る。


 どうにかして絞り出した声は、少しだけ掠れ、震えていた。


「……良いんだな?」

「はい」


 隼人の疑問にノータイムで応える。隼人の感情は爆発し、セクリスに注がれた。


 月明かりだけで照らされる薄暗い部屋で、二つの陰が何度も重なった。


 漏れるセクリスの甘い吐息と、激しく打ちつけられる腰の音は、厚く丈夫な部屋の壁に阻まれ、終ぞ誰にも聞かれることはなかった。




 * * * * * * * * * *




「――――……どこ? ここ……?」


 着地時に失敗し、僅かに痛む臀部を擦りながら立ち上がると、結愛はそう呟いた。確か、HR前の予鈴が鳴ったので教室から出ようとしたら、突然床が光り、眩しさに目を閉じたらこんなところに……と、この場所にいる理由を、先程まで見ていた光景を思い出しながら考えていた。


 木々の間から優しく照らす陽光と爽やかな微風に当てられながら、顎に手を当てしばらく考えていたが、やはりあの時教室に現れた、葵の持つラノベや一緒にやっていたゲームなどで見知った魔方陣が原因だと推測した。あの状況で魔方陣(それ)以外に原因があるとは思えなかった。


 あくまで仮定として、もしこの場所が過去に葵に借りて読んだことある娯楽小説に出てくる異世界だとするならば、まず行うべきは安全確認だ。その手の小説では、見知らぬ場所にいきなり飛ばされ、凶悪そうな生き物に襲われピンチ! なんて描写もあったはずだ。


 その為にもここがどのような場所なのかを把握しておきたい。そう考え、少し腰を屈めていつでも逃走できるように準備しながら、改めて周りを見渡した。


 まず目に付くのは、田舎ですらあまり見かけない木々の集まり。見渡す限り一面にある木がうっそうと生い茂る場所、つまり森だ。見える木の大きさは日本にもある範疇の大きさだが、幹の色が灰色だ。地球で言う所の、白樺と似ているかも知れない。


 結愛は木に詳しい訳ではないのでパッと見だが、色以外に違和感は感じない。強いて言えば、どこか不思議な力を感じる程度だろう。森林浴なんて言葉があるくらいだし、マイナスイオンやフィトンチッドなんてものを感じているのかもしれない。


 しかし、その幹の上にある枝や針葉樹の特徴を持つ葉までもが灰色なのには、かなり驚愕させられた。灰色の葉っぱなど聞いたことがないし見たこともない。下に視線を向ければ、そこには灰色の地面がある。砂利というにはサラサラしすぎているし、砂と言うには色素が薄すぎる。灰色の砂なんて見たことが無いので、葉と同じで違和感を感じた。


 さぁーっと葉を揺らす微風のお陰で、木々の隙間から太陽の光が差し込んだ。その光は、日本と変わらないことに安堵する。気候は教室にいた時より少しだけ過ごしやすいくらいだろうか。吹く風も、どこか心地いいものがある。


 何にせよ、この場所に留まっていても何も起こらない。しかし行く宛もないので、取り敢えず近くに落ちていた木の棒を地面に垂直に立たせ、手を離し倒れた方向へと向かった。歩きながら現在の持ち物を確認する。スカートのポケットに入っていたスマホと財布。服装は学校指定のブレザーに、左手首に付けてある腕時計。


 そして、結愛にとって最も大切な持ち物である、誓いのペンダント。


 ――食料はおろか、水の一滴もなかった。


 飲まず食わずだと、人は三日ほどしか生きることが出来ないらしいので、水源を探すべきだと判断する。だが、この世界の水質基準が悪かった場合、水源を探し出したところで飲めないと言う可能性もある。


 ならば、水源を探しつつ、人に会えるような目印や人工物を探せるようにする方が良い、と瞬時に思考を纏める。一縷の望みをかけて、スマホの電源を入れるが、やはり方位も、時間も役には立ってくれなかった。


 もとより、その手の小説では役に立たないことの方が多いので、大きな落胆はない。スマホをポケットにしまって、軽く準備体操をした結愛は、体力を温存しつつ森の中を早足で歩いて行く。




 * * * * * * * * * *




 歩き始めてから、かれこれ数時間は経過した。


 太陽は既に上にはなく、辺りも暗くなり始めていた。昼間は優しい雰囲気のあった森だが、一転して恐怖を齎す暗闇と、視界を狭める霧が発生していた。太陽の代わりに空に現れた月は、その光の殆どを木々の葉に遮られ結愛の歩む大地には届いていない。月に被る雲が、それを助長させていた。


 幸いスマホのライト機能のお陰で地面は見えるものの、まさに“一寸先は闇”の状態で三十分は歩き続けていただろうか。また太陽の光が失われたことで、夏用制服だった結愛は若干の肌寒さを覚えている。


 歩くことで体温の上昇を促し、寒さを忘れているが、立ち止まれば寒さで震えてしまうことも、歩き続けなければいけない理由の一つだ。暗い場所は本能的に恐怖を彷彿とさせるので、ひたすらに地面を照らすライトの光だけを見て歩いていた、というのもある。前が見えないので、下を向いていても然程支障が無いのが救いだろうか。


 このまま何事もなく順調に歩いて行けると思っていた矢先、結愛の目にある物が入った。


 それは今までと変わらない、灰色の地面。それだけならばスルーで来ていたが、問題はその灰色の地面に大きな獣の足跡が残っていることだった。その足跡の大きさは目算で一メートルを超えている。


 即ちこの森には、足の大きさだけで一メートル弱の生き物がいるという証拠だ。地球にも巨大な動物や生物はいる。シロナガスクジラやアフリカゾウなどは有名だろう。それと同等以上の巨体を有する生物が、この森の、少なくともこの近辺にいた。


 それは歩けど歩けど森を抜けられないことに対する焦燥と、歩き続けたことによる疲労と、そして暗闇による精神的な恐怖と相まって、結愛をさらに深い恐怖へと叩き落とした。何度も深呼吸を繰り返し、頭の中にある負の想像を別の何かで打ち消そうと試みる。


 目を瞑り、スマホを持っていない左手で胸に掛かっているペンダントを取り出すと、それを無意識的に握った。その様は図らずして、神に祈っているようだった。丁度そのタイミングで、月光を遮っていた雲が流れていった。


 光が差し込むことで霧が若干薄れ、ライト無しで地面が見えるほどの明るさになったことで、心を覆っていた不安の雲も自然と晴れていった。


 ――――そして有り得ないモノを見た。


 まだ十メートルほど距離があるが、その視線はしっかりと結愛を捉えている。その視線のの主は、結愛が先ほど見た巨大な足跡の持ち主だった。実際に足跡を照合したわけではないが、体の大きさで恐らくそうなのだと理解した。


 そして同時に、ここが異世界だと理解する。目の前にいる熊を、地球では見たことが無かったからだ。


 結愛は熊の愛好家でもないから、熊について知るつくしているわけではないが、それにしてもこの大きさで、この色の熊など結愛の知る所ではなかった。


 灰色の巨体を持ち、爪は鋭く光り、瞳は狂乱の赤に染まっている。一歩たりとも動いていないのに、向ける視線だけで結愛を怯ませていた。


 結愛は晴れたと油断した間隙を突かれ、一時的に思考が止まる。直ぐに気を取り直し、熊から逃れる方法を実践した。


 まず音を出す。言葉が通じれば和解の可能性もあったかもしれないが、それはないと判断し音を出すことに専念した。


 まずは小さく、段々と大きくしていく。感情をぶつけずにあくまでも冷静に、淡々と音量を上げていく。


 捕食目的でない熊は大抵がこれで去っていくらしい。地球での知識が異世界で通じるかは分からないが、今はそれに縋るしか選択肢はなかった。


 声をだしながら、ペンダントを握り心を落ち着かせ、すぐに逃げられるような体勢を取る。


 数十秒か、数分か。熊はジッと見るのに飽きたのか、行動を開始した。まずこちらに向けていた視線をフイッと逸らし、体を反転させる。そして、ゆっくりとした動作で霧が立ち込める森の闇へ消えていった。


 完全に暗闇の向こうへ消えたのを見届け、ホッと一息と吐く。これではこの森で野宿など自殺行為だと悟った結愛は、どうするべきか思考を巡らせる。


 ――――その所為で、周りの変化に気がつかなかった


 気がついたのは視認が可能な範囲に入ってから。即ち、先程の熊がその巨体からは想像もできない速さで、大地を揺らし迫っている姿だった。


 結愛に攻撃が届く範囲まで肉迫すると特徴的な爪を振り翳し、結愛へと振るった。それを間一髪のところで避けると、熊の姿を追わず全力で左右に揺れながら駆けだした。


 もしあの熊が直線的に速いのであれば、ジグザグに移動することでその速さを軽減できるのでは? と考えた。幸いここは気が生い茂る森の中で、障害物は沢山ある。


 少しでも時間は稼げるだろうとふみ、思考をもう一度巡らせる。


 だがその思惑は根本から崩される。


 熊は木々を薙ぎ払い、直線的に駆け抜けてきた。木はよく切れる包丁で野菜を切るように、スパッスパッと斬れていく。


 重力に従い地面に倒れる度、ズゥンと大きな音を立てる。そんなことはお構いなしに、こちらへ走り抜ける熊。


 再び紙一重の所で横へ転がり躱すと、地面を何回か回ったところで流れるように立ち上がり、また駆ける。熊は爪で斬り損ねたことを理解すると、去る時の動作がまるで嘘だったかのような、機敏な動作で反転し結愛を追った。


 このままでは体力勝負になり、結愛が圧倒的に不利になってしまう。が、全力で逃げることに思考を全て奪われ、それ以外の方法が考えられず、走るだけになった結愛は、時折躱し、走り、また躱すを繰り返していた。


 息が切れ、走るのが辛くなってきたが、止まれば待つのは死である。それは避けねばならない、と走っていたが、とうとう足が縺れ(もつれ)地面にヘッドスライディングする。


 体力も限界に近かったがそれよりも先に、朝から歩き続けた足が先に限界を迎えた。立ち上がろうと足に力を入れようとするも、自分の足ではないかのように力が入らない。腕の力で何とか座ることが出来たが、結局立ち上がることは出来なかった。


 そこへ追い詰めた得物を嬲るように熊は結愛のことを見つめる。既に勝ちを確信しているのか走ってはいない。ゆっくりとした動きで、結愛の方に近づいて来ている。


 結愛はもう助からないと悟った。ゆっくりと垂れているペンダントを両手で包み込み、胸の前に持ってくると、瞳を閉じ祈った。


 ――――他人である私を、本当の家族のように扱ってくれたかけがえのない綾乃一家(たいせつなひとたち)が、幸せに過ごせるように。――――せめてもの幸福があらんことを……


 死ぬ直前というものは思考が無駄に早くなるのか、それとも熊が殺しを楽しんでいるのかは分からないが、妙に長く感じられた時間の中で、未だにどこかにいるであろう異界の両親へ向けて、「ごめんね。先に逝くよ」と、哀愁漂う掠れた声で呟く。


 そして最後に、祈りでも、願いでもなく、誰にも届かない、家族への想いを囁く――――






 ――――ありがとう。大好きだよ











 その日――――通称、グレイフォッグ森林で一つの命が天に召された。




 背を向け、しっかりとした足取りで、灰色の巨体はゆっくりとその場から遠ざかる。






 月光が照らす灰色の大地に残ったのは、黒くなりゆく(あか)の染みと、染みと同じ体液で一部が濡れたペンダントだけだった。


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