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異世界最強の翻訳家  作者: 高田大輝
第一章 召喚と王国捜索
19/38

19.Limit break (限界突破)


 それは粉雪が舞う冬のこと。


あのトラウマを植え付けられてから、一年が経過した年の冬だ。


 少年は学校からの帰路を急いでいた。学校は、少年にとって忌避すべきものだが、それも一つ年上の幼馴染によって少しはその忌避感が和らいでいた。


 そんな少年がたった一人で帰路についているのには、事情がある。


 それは、件の幼馴染が、少し早い時期のインフルエンザに罹っていたからだ。少年は毎日幼馴染と一緒に登校していたが、この日ばかりはそうもいかず、また幼馴染を心配させたくなかったので、勇気を振り絞り一人で登校していたのだ。


 幸いだったのが、この日はもう直ぐ冬休みということで午前日課だったことだろう。


 お陰で大して辛い思いをすることなく学校で過ごすことが出来た。


 学校生活が終わってから帰路を急いでいるのは、幼馴染の容体を確認しに行きたいと言う素直な気持ちと、自分が早く会いたいと言う邪な欲求から来ていた。


 一年ほど家に引き籠っていたことですっかりなくなった体力を恨みながら、少年はいつもは使うことの無いショートカットが出来る公園を横切ろうとしていた。


 少年が公園を横断し終えようとした、まさにその時。


「――クゥーン……」


 風切り音と自身の吐息に足音しか聞こえてこなかった少年の耳に、別の聞きなれない音が聞こえた。


 音の方へ歩んでみれば、そこには一枚の薄い布を敷いただけの耐寒性なんて皆無な段ボールに入れられた二匹の子犬が、寒さで震えていた。


 本来は灰色の体毛を持っていたのだろうが、霜が降りており全体的に白みがかっている。


 一匹がもう一匹に覆いかぶさるように乗っかっており、その様子は自信を捨ててでももう一匹を守りたい、という確固たる意志が感じられた。


 確かに、二人で身を寄せ合えば多少は暖かくなるだろう。だがそれは、いくら雪が当たらないベンチの下でも、気温が氷点下に近いこの気温ではあまり意味がない。


 今ここで手を差し伸べなければ、二つの命が失われる。それは、少年にも理解できた。


 だが、この時、少年の内心は揺れていた。


 この場を立ち去り、幼馴染の容体を確認しに行くか、この子犬たちを助け、少し遅れてから幼馴染の家に行くか。


 本来ならば、思考するまでもなく後者を選んでいただろうが、いまは自分を心の闇から救ってくれた幼馴染の病状が心配なのだ。


 だが――


 少年はダンボールに近寄ると自身が付けていたマフラーを子犬に掛ける。上着も脱いでダンボールを覆うように被せる。そして、先程よりも速いスピードで少年は帰路を急ぐ。






 結果から言うと、子犬たちは助からなかった。動物病院に連れて行き、獣医にそう言われた。


 少年が見つけた時には、既に手遅れで、ここまで持ったのが奇跡と言える状態だったそうだ。


 だがまだ幼い少年は、自分を叱咤した。


 あの時迷わなければ、救えていたのではないか。小さな、小さな命を、守れたのではないか。


 何度も後悔し、何度も懺悔し、もう届くことの無い謝罪を、何度も、何度も、した。


 少年は二匹の為のお墓を建てた。


 少しでも、彼らが報われるように。少しでも、安らかに眠れるように。


 そして願うなら、次に生まれてくるときは、少年のような優柔不断な人間ではなく、もっといい人に出会えるように――




 * * * * * * * * * *




 狐型の魔物は、狼の魔物を視界に入れると、その口元をニヤァと歪め、嗤う。


 その反応は強者が弱者に向けるもので、その瞳は獲物を狩る側のそれで。


 対して二匹の狼は、狐を前にしてその対応が二つに分かれた。


 横たわっていた一匹は、懸命に立ち上がろうとしているが足に力が入らないのか、なかなか立ち上がれずにいる。昼食を奪った方は、狐に向かい牙を剥いて威嚇している。


 尤も、狼の威嚇など、蟷螂が人間に対して威嚇するような些事だと言えた。それを示すように、狐は女将の威嚇を全く意に反していない。


 力量差は明白。


 このまま戦端が開かれれば、狼が確実に敗北するだろう。


 そんなギリギリの状況だと言うのに、アオイは二匹の狼を見て昔を思い出していた。


 あの時、迷わなければ助けられていたかもしれない、二つの命。


 アオイが即断しなかったから、その所為で失われた、二つの命。


 経験があった。


 過去に全く違うが、似たような場面に出会った。


 だからこそ、少年は――綾乃葵(アヤノアオイ)は決断する。


「アルテナ、援護頼む」

「了解しました」


 アオイがたった一言、そう言葉足らずに告げるだけでその意図を汲み取り、動いてくれるアルテナ。


 この時、アオイが動いた理由は、分からない。


 もしかすれば、アオイが助けられなかった二匹の面影を感じた狼を助けることで、あの時の二匹への贖罪を果たそうとしたのかもしれない。


 だがそんな理由などどうでもいい。


 この世界が、残酷なのは知っている。その残酷さはアオイだけでなく、多くの人に平等だと言うことを、アオイはこの一ヶ月で知った。


 だから、アオイが見える範囲で、アオイが知り得る範囲で、そうはさせたくない。


 この世界に来て、多くの人と出会った。沢山の人と会話した。それらの人達は、アオイとは無関係ではない。少なからず、関わってしまった以上、少なくともアオイの見解ではそうなのだ。


 この狼達も、アオイ達から昼食を奪うという関わりを持った。それに、アオイの過去にあった出来事と似たような場面でもある。


 違うと言えば、敵が自然現象と捨てた人ではなく、狐であること。そしてもう一つは、アオイがその後に起こることを予知でき、それを回避するための力を持っているということだ。


 一瞬だけ“身体強化”。全力で脚に力を入れて、白い狐――白狐へと突進する。白狐は突然現れた矮小な存在に驚きほんの僅かな間、制止する。


 その一瞬でアオイは白狐の腹辺りまで進み、右手に持つ短剣を突き刺す。そのまま、魔力を流し込み、短剣に熱を持たせる。


「グオォオオアアアアアッッ!!!!!」


 巨大な図体に見合うような大きな声で発狂する狐を他所に、アオイは短剣を横に引き裂いてその場を離脱する。


 アオイが退いた次の瞬間には、アルテナが放った矢がアオイが傷を与えた部分に突き刺さる。


 狐はその痛みに更に咆哮を上げ、数歩後ろによろめいた。


 その隙を見て、アオイは突然の出来事に困惑して止まっている狼の傍に寄る。


 アオイが近づけば、狼は警戒を示すがアオイはそんなことを気にせず()()()()()


『お前らと敵対する気はない。あいつを倒すから、手伝ってくれ』


 アオイがそう告げると、狼は驚いたような表情をして固まるも、直ぐに持ち直し頷いた。


 よし、とアオイは狼に作戦を告げる。話しが通じる程度の頭脳は持っているという予想と違わずに助かった。


 作戦を告げた後、狼に確認を取ると、頷いて横たわっていた狼を木陰に隠した。少しでも戦闘の余波が無い場所へと移動させたのだろう。


 狼が戻ってきたタイミングでは、既に白狐はこちらに攻撃を繰り出していた。


 巨大な図体から繰り出される殴打は、その爪も相まって相当な威力を秘めている。だが、大きい故にあまり早くないその攻撃は、アオイとアルテナと狼にとって、避けることは然程難しくなかった。


 ただし当たれば一撃死もあり得るので、決して余裕がある訳ではない。避けすぎて白狐の気が逸れるのも避けたいので、毎回紙一重で躱さねばならないから尚更だ。


 また、こちらの攻撃が大して効かないということもあり、少しばかり困った状況だ。


 何もしないよりはいいので、攻撃を掻い潜りながら、短剣で地道に体毛を削っていく。白狐が警戒心を強めた所為で、短剣を突き刺すということが難しくなってしまったのが、痛かった。


 ともあれ、アオイと狼で白狐の意識を逸らしつつ、アルテナの矢で攻撃を繰り返しているが、致命打にはならず、じり貧となってくる。


 アオイもアルテナも、強力な魔法は使えない。そもそも魔法自体使うのが難しく、アルテナのような天才でも、非戦闘職である以上それは同条件なのだ。


 “身体強化”を使えば、可能性はあるかもしれないが、この戦闘中に非戦闘職が使えるような代物ではない。


 こちらは、攻撃を回避するのに手いっぱいでジリジリと体力が削られているのに対し、向こうは腕を振るっているだけなので、どっちが先に限界を迎えるかは明白だ。


 アオイの予想よりも狼がタフで三十分以上も戦闘が続いていたが、いずれこのままではアオイ達が敗北する。


 (埒が明かないな……)


 少し焦りを孕んだ思考でそう結論付けたアオイは、一か八かの攻勢に出ることにした。


 狼にはこのまま白狐の撹乱を、アルテナにはなるべく高威力の攻撃の準備をお願いし、アオイは木陰に身を潜める。


 やることは、最初の奇襲と同じく、“身体強化”で突っ込むだけ。


 ただし狙うのは目だ。


 視覚を潰され、白狐がどう出るかは分からないが、僅かにできるであろう隙をついて全員で攻勢に出れば可能性はある。少なくとも、このまま体力を消耗するよりはいいのではないかと考えた。


 アルテナと狼に作戦を告げ、了承を得る。


 白狐はアオイが居なくなったことに疑問を抱いたように動きを止めたが、直ぐに目標を切り替えて狼への攻撃を続行した。


 狼は、アオイがタイミングを見つけるまでの間、今までアオイと二人で注意を引いていた攻撃をたった一匹で回避し続けていた。


 身体能力は人間とは比べ物にならないのかもしれない。


 縦横無尽に繰り出される攻撃を避け続けているのを木陰から見続け、アオイは一瞬を逃さない為に意識を張り巡らせる。


 そして、視線が完全にアオイの居る位置からはずれたその一瞬で、アオイは白狐の顔面めがけて突進する。


 アオイの気配に気がついた白狐が、振り向く。だがそれは、アオイの計算通りだ。


 振り向いたことで視線が、目がアオイの方へ晒される。全身に掛けた“身体強化”に意識を向けながら、狙いを定める。


 二つのことに意識を向けるのは苦手だが、それでもやらなければならないと言う使命感からこの場だけはそれが自然と出来た。


 スピードと体重が加えられたれたその威力を、両手で握っている短剣に込めてぶつかるタイミングで白狐の目へと突きだす。


 アオイの予想違わず、短剣は白狐の右目へと直撃した。


 あまりの痛みに白狐が最初の一撃とは比べ物にならない程の絶叫を放つ。


 至近距離にいたアオイの鼓膜は破け血が流れるが、それよりも白狐の動きが止まった一瞬を逃してはならない。その為の作戦だ。


 アルテナが風の刃を纏わせた矢を放ち、狼は咆哮を衝撃波として放ち、白狐に攻撃をしていた。アオイも暴れる白狐の足元に密着し、血が流れ痛む耳を無視して魔力を通した短剣を突き刺す。


 激痛から、白狐が大気を震わす咆哮を上げる。狼の放つ衝撃波は、白狐が震わす大気の所為で威力が軽減されている。


 アルテナの矢も若干威力が落ちているが、二発目三発目と連続して番える矢には空気抵抗を減らし、貫通力を上げる魔法を編み出して穿っていた。


 これが、現状アオイ達が出せる全力。


 これで倒れてくれなければ、打つ手が無くなる。だが咆哮という名の悲鳴は若干薄れていき、次第に動きが静止していく。


 生物は死に際が一番恐ろしいと聞く。


 だからこそ、油断すること無く、アオイ達は攻撃を続ける。白狐が完全に動きを止めるまで、何度でもこちらが果てるまで。


 数分か、数秒か。必死に短剣に魔力を注ぎ続けていたアオイは、白狐の動きが完全に静止し、地響きを立てて地面に倒れる。


「やった……のか?」


 魔力がごっそりと減り、枯渇状態前の疲労感がどっと襲ってくる。戦闘の余波で雪が吹き飛ばされた地面に尻餅を着きながら、白狐から視線を外して辺りを見回し状況を確認する。


 アルテナもアオイと似たような状態になっている。アオイと違い、アルテナは魔法を使っていたので、精神的にも疲労しているはずだ。その証明に、地面に腰を着いてしまっている。


 狼は若干足元がふらついているが、それでもしっかりと大地に立っている。


 誰も欠けること無く、この世界に来てから初めて“身体強化”を使わねば勝てなかった魔物を倒せたことに、僅かな嬉しさを感じながら、取り敢えずアルテナ達を労う為に腰を上げた。


 そして、背後から尋常ではない気配を感じる。


 全身から鳥肌が立つのを感じながら、アオイは全力で飛びずさる。


 だが迫りくる剛腕を避けることが出来ず、腕でガードするも振り抜かれた勢いそのまま木の幹へと直撃する。消化器官が破壊されたのか、空気と一緒に血が口から洩れる。


 そのまま地面へと倒れ込み、朦朧とする意識の中、攻撃した主を確認するべく視線を動かす。


 上げた視線の先には、アオイの予想通り白狐が立っていた。だが、その白い体には赤色の線が奔っており、漆黒に染まった強膜は、黄蘗色に輝く瞳孔を強調していた。


 だが、アオイの痛みを忘れさせるほど驚愕せしめたのは、アオイが潰した目や、アルテナ達が長い時間を掛け与えた傷が、修復されていたことだ。


 倒れてからアオイに攻撃を仕掛けるまでの間は、一分と経っていない。


 そんな僅かな間に傷を回復されたのなら、地道な攻撃を繰り返しダメージを蓄積させるしかできないアオイ達では勝てなくなってしまう。


 白狐はアオイを弾き、ゆっくりと立ち上がると、咆哮を上げる。痛みによる辛さの咆哮ではなく、喜びに打ちひしがれる咆哮だ。


「葵様ッッ!!」


 復活した白狐に驚き、動きを止めていたアルテナがようやく現実を認識し、攻撃の対象にされたアオイを心配する声を上げる。


 アオイを介抱しようと腰を上げたが、まだ足に力が入らないのと、白狐に睨まれ立ち竦んでしまう。


 「逃げろ」と口にしようとしたが、声が上手く出ずに空気が漏れる。


 白狐は動けないアルテナ(えもの)を逃がすほど甘くはなく、アルテナに殴打を見舞おうと腕を引いた。


 予備動作たっぷりの余裕で避けられる攻撃だ。だがそれは、万全であったならの話。


 今のアルテナは魔力が枯渇気味で、且つ今までにない程の長時間の戦闘と、魔法を使った際の反動で精神的疲労により動くことが難しい。


 相当な威力を内包した拳が、アルテナに迫る。そのスピードは、自分が食らった時は分からなかったが、先の戦闘時よりも数段速くなっている。


 直撃すれば、まず間違いなく致命傷になる。致命傷まで行かなかったとしても、大怪我を負うことは間違いない。


 それはさせないと、アオイは“身体強化”を全身に施す。


 ――が、痛みと朦朧とした意識下では魔力の操作などままならず、失敗に終わる。


 そんなことをしている間に、拳はアルテナへと真っ直ぐ進む。


 やめろ! と白狐の気を引く言葉すら、アオイの口から出せない。


 そして、アルテナに当たる手前で先程アオイ達と共闘した狼が拳に体当たりし、その軌道を逸らす。


 拳が纏う風圧で体の傍を掠めたアルテナは後方へ飛ばされ、アオイと同じく木の幹に直撃する。体当たりした狼も弾き飛ばされ、動きを止めている。


 一方、ただ拳を振るっただけの白狐は、拳を開き幹にもたれ掛り、動くことが出来ないアルテナを捕まえる。


 その握力は、きっと常人を遥かに凌ぐだろう。それはアルテナが苦悶の表情を浮かべ、抑えているものの漏れ出ている悲痛な声が物語っている。


 それを、アオイは安全圏なら眺めていた。


 なぜ白狐は立ち上がったのか。どうすればアルテナを助けられるのか。どうすれば、白狐を倒せるのか。


 不思議なくらいすっきりとした思考の中、更に深い所までアオイは潜っていく。


 自分より優れた人間を守るには、自分より強い相手にも劣っていてはいけないと、門下生と日々鍛錬に励んだ。結愛が同じ道場に入門してからは、なお一層力を入れて努力した。


 だがアオイは、結愛を守りきれなかった。


 この世界に召喚されるとき、結愛の傍に居ることが出来なかった。


 もう二度とそんな怠慢は許さないと、制限が掛かる“身体強化”も迷わず使ってきた。幸いアオイには“魔力操作”の才能があり、他の非戦闘職よりは動けているらしいが、そんな程度では意味がない。


 現状、アオイは地に伏し、仲間が攻撃されているのを眺めている。


 アオイは自身に問う。


 もう二度と失いたくないと、大切な人を救いたいと言っている奴が、仲間一人守れず、挙句失うなんてなことがあっていいのか?


 否だ。


 そんなことはあってはならない。


 “救う”ということは、“守れなかった”ことの証明だ。否応無しに、そう判断されるだろう。


 ならば、アオイは今、こんなところで横たわっている場合ではない。今直ぐにでも、アルテナを守る為に動かなければならないだろう。


 痛みは消えた。思考も纏まった。


 (アオイ)は静かに、白狐を見据えた――




 * * * * * * * * * *




 白狐の手の内に握られ、じわじわと圧迫される痛みの中、アルテナは必死に声を抑え、痛みに耐えていた。


 声を出してしまえば、主人(アオイ)が無謀でも駆けつけて来てしまうだろうから。


 最初はアオイに対して負のイメージしかなく、こんな人に仕えるのかと自身の運命を恨みもしたが、王城で過ごしていた一週間でその認識は改めた。


 それはソフィアの口添えもあったからだが、何より自身が見てきたアオイと言う人物が、アルテナの思っていた人物像と違ったからだ。


 アオイは結愛を第一に考えると言っていた。それはアオイの行動を見ていれば一目瞭然だったが、同時に、アオイには優しさがあった。


 結愛を第一に考えるのは当然だったが、情が湧いた相手には、本人の無意識下で優しくしてしまうきらいがあった。


 本人が気がついていないのだから、そこを突っ込むのは藪蛇だと感じている。


 だからアルテナは、声を堪える。


 今のアオイの状況は、誰が見ても瀕死そのものだ。動けば死の可能性が限りなく近づいてしまう。


 アオイが結愛を助けたいと、心の底から願いその為にどれ程努力してきたかは、一番傍にいたアルテナが知っている。


 だから、その努力を無駄にせずに願いを叶えさせたいと、その為の手伝いをしたいと、侍女としても一人の人間としても思った。


 アルテナは、もう数瞬でやってくるであろう現世との別れの時に、瞼を閉じて待つ。


 既にアルテナの限界を超えた痛みは、もはや痛いとすら感じられなくなっていたが、もう待つだけとなったアルテナにはちょうど良かった。


 段々と体が締め付けられるのを感じながら、今までのことをが走馬灯のように頭に流れ込んできた。


「――ごめんなさい」


 誰に向けての言葉か、アルテナはそう呟いて命を散らす――予定だった。


 突然、握られていた拳が開かれ、アルテナは宙に放り出される。予想外の感覚に、アルテナは目を開け、目の前の光景を目にして唖然とする。


 そこには、何故か魔力を放出しているアオイと、血が流れる拳を抑え、アオイを恨みがましく睨みつける白狐だった。


 アオイはアルテナの生存を確認すると、風の()()でアルテナの落下を保護する。


 アルテナが地面に着くのも他所に、白狐に向き直って脚に力を入れる。地面に亀裂を入れながら、垂直に跳び、一瞬で白狐の顔面を殴り上げる。


 五メートルある白狐が、殴打の威力に耐えかねて宙に浮く。


 アオイは()()()()、浮き上がった白狐を再び殴りつけ地面に叩きつける。


 大地を揺るがすほどの地響きを鳴らし、大地を揺らした白狐は起き上がろうとするが、その前に再度宙を蹴ったアオイが、地面に仰向けになる白狐に弾丸の如く突っ込む。


 そして、三度目、いやアルテナが見ていない時の一発も加え、四発目の殴打を繰り出す。


 その打撃は白狐の深く頑丈な体毛はおろか、表皮まで貫通し、白狐の体内に手が届いたアオイは、体外魔力操作を応用して、白狐の体内魔力を乱す。更に、なけなしの魔力を圧縮し、最大火力で放出する。


 今までにない威力の殴打を喰らい、体内の魔力が乱され、波長の合わない魔力を注がれた白狐は、最初は苦しむように暴れていたものの、次第に大人しくなり、今度こそ、その生命活動を終えた。


 同時、力を使い果たしたアオイも、白狐の上から意識の無いまま倒れる。


 横たわっているとは言え、ある程度の高さがある場所から無意識のまま落下すれば、アオイとてただでは済まない。


 アルテナはそれをいち早く察知して、アオイが戦っていた時間で回復させた魔力を惜しまず使い、風の魔法で落下速度を低減させる。非戦闘職の制限でかなり精神力が削られるが、構わず続ける。


 あくまで低減なので、変わらず落下してくるアオイを、体に負担を掛けないようにそっと受け止める。


 そして、なるべく雪の積もらなそうな木陰にアオイと狼を移動させ、その意識を闇に任せた。




 * * * * * * * * * *




「あーーー! ファイブが……ファイブが死んじまった!」

「……いきなり大声あげるから何かと思えば……。犬の捜索に向かわせた白い狐のこと?」


 木の切り株に腰掛けて、狼の魔物に手を翳していた少年が前触れもなくそう言った。


 あまりに唐突だったので、傍にいた女が呆れたように男に返す。それを受け、男は女にその反応は何だ! と言い返す。


「そうだよそうだよ! ファイブならこの辺りの魔物になんて遅れは取らないと思って使いを任したのに……」

「ま、予想外のことが起きたってことだね。諦めな」


 女は右手を右目付近に持っていき、そちらに意識を向けながら男に淡々と告げる。若干、厨二チックな構えだが、その言葉は態度とは違い、まるで白狐の命などどうでもいいと思っているかのような発言だ。


「だけどさだけどさ、ファイブには秘術を与えてたんだよ?」

「確か、生命力が十分の一を切ったら体力を糧にして腕力と敏捷を底上げする……だったっけ?」

「そうそう! あれなら、僕たちともそこそこいい勝負できるくらいには強くなるはずだよ!」


 少年が声高にその有用性を述べているが、女は変わらず素っ気ない態度で少年と応対する。


「あれ程度では、届いても精々少佐クラスだろう? 到底、私達には敵わんだろうさ」

「でもでも、僕とはいい勝負したよ?」

「あんたといい勝負してる時点でその実力はお察しさ。あんたは前に出て戦うのは本分じゃないだろう」

「……それもそうだね!」


 少年は女に言い包められ、白狐のことからすっかり立ち直り、目の前の狼に手を翳して作業を再開する。


 しばらく無言が続いたが、突然、女が感心したような声を上げる。


「……ほぅ」

「――どうかしたのかい?」


 その声を拾ったのは、先程の少年ではなかった。女はその声を聞いた途端、腰掛けていた切り株から立ち上がり、敬礼する。


 木の陰から現れたのは、どこか狼に手を翳す少年の面影がある青年だった。男は敬礼する女に軽い口調で話しかける。


「大将――」

「堅苦しいのはよせ。それより、先程何か調べていたようだが?」


 女が敬礼し、お疲れ様です、と言おうとしたのを、男は止めて、挨拶も程々に女が上げた声の理由を尋ねた。


 男の言葉に、女は少しだけ態度を崩しながら報告する。


「はい。先程、少将の配下である白狐が死亡したとの報告を受けたので、状況の確認をしておりましたところ、面白いものを発見したもので」

「なるほど。面白いものとは何かな?」

「それが、白狐の死体とその死因らしきものを見つけまして……。ですが、その死因と言うのが、滅多にないものでしたので」


 女が使っていたのは、エクストラスキルの“遠隔監視”だ。その名の通り、遠方を見るためのスキルで、鍛えれば感覚を共有することが出来る。女はその域に達しており、“魔力感知”を共有していた。


 そのお陰で分かったのが――


「――白狐は、体内魔力を暴走させられていました。また、白狐の周辺に膨大な量の魔力の残滓が漂っていましたので、恐らく体内魔力を暴走させるような魔法を使われたのだと推測します」

「……なるほど。他に気がついたことなどはあるか?」

「私が気が付けたのはここまでです。周辺に、その魔力の主が居たと思われ、逆探知される前にスキルを切り上げたので」

「良い判断ですね。あれを倒すとなると、なかなかの手練れでしょうから」


 男は話を聞いて、少し考える素振りを見せてから女の判断を褒める。


 それを聞いて、女は気を良くしたのか質問する。


「一ついいでしょうか?」

「構いませんよ」

「白狐を倒した人間は、どうなさるおつもりですか?」

「そうですね……」


 女の質問に、男は顎に手を当て考える。この動作は、男にとって癖のようなものだ。


 数瞬の思考の後、男は答えを述べる。


「放置でよいでしょう。もう少し力をつけるまで、様子を見ましょう」

「……はい」


 男が出した答えに、少し残念そうな余韻を残しながら、女は頷いた。


「おや? 気に入りませんでしたか?」

「いえっ、そんなことは! ただ、こちらに来てからあまり発散できていないもので」

「それは私も同じです。ですが――」


 女は恐れること無く上官である男に意見を言う。これは長年一緒に行動してきた故の信頼関係からくるものだ。決して、男を舐めているわけではない。


 だからこそ、女は意見を述べたのだが、男の返答に少しだけ背筋がゾッとする感覚を味わう。


「――もう少し力を蓄えてからの方が、役に立つでしょう?」


 何故なら、男が返答と同時に浮かべた笑みが、酷く歪んでいて恐ろしかったからだ。


 部下に対しても敬語で接する彼には慣れたが、いつ見ても、この好戦的になったラウドの笑みには慣れない。


 もとより反論する気などなく、また男の意見に納得した女は、その言葉に従う。


 女の反応を見た男は、少年の方に歩み寄る。それを眺めながら、男に負けず劣らずの歪んだ笑みを、女は見せた。


【次回予告】

白狐との戦闘が終わったアオイ達は、狼と対話を試みる。

対話に成功し、話を聞いていくと、どうやら一匹の狼の容体が悪いらしい。

アオイは狼の呪いを解呪することになる!?

次回「解呪」

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