第120話
「思ったよりも元気そうで安心した。で、いつ帰ってきたんだ?」
電話口から聞こえてくる神崎の事の他元気そうな声に安心し、日本を離れて渡米したことが間違っていなかったのだろうとはっきりした。どうやらあちらですっきりしてきたようだ。
俺の隣で聞き耳を立てている祖母も普段「盗み聞きははしたないからやめなさい」と言っているのにも関わらず、今日ばかりはそれを守ろうとはしないらしい。
と言うよりも、べったりと俺にくっついていて、最早盗み聞きというよりも完全に聞きの体制に入っているが。まあ短い期間にすっかり祖母の心を掴んだ神崎の心配を誰よりもしていたのだから、こればっかりは仕方ないだろう。
『えっと、昨日です。て言っても、昨日はマンション寄ったり実家に帰ったりでいろいろとバタバタしてたので時間が取れなかったので今日になっちゃったんですけど…明日のお墓参りの時間のことで相談したくて珠緒さんに連絡しました。ほら、私先生の連絡先知らないんですよ。で、どうしたもんかなって考えた時に珠緒さんの携帯を思い出して。今日土曜日だから学校も休みだし。』
「ああ、今実家に帰って来てたからちょうどよかった。それよりも、墓参り行っていいのか?昨日帰ってきたばかりなら、まだゆっくりしてた方が。」
『大丈夫ですよ。あっちでゆっくり過ぎるほどゆっくりしてきましたから。』
「…そうか。」
気にしてないような神崎に安心しつつも、そう簡単に暴行未遂のことは忘れられないだろうと思ったのと同時に、まだその事に触れない方がいいのかもしれないとも思った。
日本に戻って来たと言う事は、こちらの学校に通う可能性は高い。勿論転校しないとは限らないし、そのまま今の学校に元通り通ってもおかしくない。
ただ、今の学校に再び通うと言う事は否応無く吉川の件に関して、遅かれ早かれこの子の耳に届くはず。自分の犠牲になって美奈が『カサブランカ』のコレクションから外されたという事実は、きっとこの子を傷付ける。
そこまで心配する義理はないと思いつつも、結局は頭の根底に残るあの稚い『唯』が大きくなった現在の彼女が悲しむのは見たくないなと、やけに親身になっている自分に驚く。
その自分を誤魔化すかのように、明日の細かい時間設定をしようと話を持ちかけた。
「それで、明日は何時に行けばいいんだ。」
『えっとですね、お父さんのお墓は都内にあるんですけど、お母さんの墓地があるのって横浜なんです。だから朝の十時ぐらい。それでも大丈夫ですか?』
「ああ、平気だ。横浜か、横浜のどの辺だ?」
神崎が言う地名を頭で思い浮かべ、それだったら高速を降りてああ行ってこう行って…と考えていると、「先生?」と言う声がしたのでそれに返事を返す。
「祥子さんの墓地って横浜市内なのか?」
『はい。共同墓地なんですけど、お母さんってアメリカ生まれのアメリカ育ちなのに、神様信じてない人で。一応パパの宗派でお葬式はやって遺影とか仏壇はあるんですけど、お墓は共同墓地でいいわ~って言ってた人だったんです。で、なんかいろいろと大変、と言うかなんと言うか…』
「そうか…。千歳先生の墓地は都内なら、先に横浜に行った方がいいかもな。翼にもそう言っておく。それで、お前どうする?」
『?どうするって?』
「俺が迎えに行くけど、マンションにいるのか?」
『いえ、今はマンションじゃなく実家に……』
「じゃあ、そっちだな。明日十時に家に迎えに行くから、ちゃんと準備してろよ。」
「明日は寒いって言ってたから、唯さんしっかり防寒なさいね!」
話を終えようとしていたところに、今まで黙って俺に張り付いて話を聞いていた祖母が急に大きな声を出したのに驚いて目線を下げると、あら。とでも言うように口許に手を当てて照れ笑いしている祖母と目が合った。
俺としてはするべき話は終わったし、後は話をしたくてうずうずしている祖母に代わってもいいだろう。
苦笑しながら携帯を手渡すと、いそいそと嬉しそうに電話へ出ていた。
「ごめんなさいねぇ、唯さんと話したくて亨に電話を代わってもらっちゃったわ。…ええ、そう。そうね、今度また遊びにいらっしゃい。あら、そんな固い事言わなくてもいいのよ。雅さんだって会いたいはずだもの、ね?そうそう、愁清さんだって唯さんのことを気にかけてたから、是非顔を見せるだけでもいいのよ。」
…また無茶な事を言って神崎を困らせているなと、「おばあ様」と声をかけようとしたところで、急に祖母が口ごもった。
「え?い、いいえ、ちゃんと編んでいるわよ?どこまで出来たって…ええと、は、半分くらいかしら。う、うふふふ。頑張っているでしょう!」
「おばあ様………いいんですか、そんな事言って。」
「しっ!頑張っているのは本当だもの!…え?いいえ。何でもないわ、唯さん。それじゃあ、明日翼と亨をよろしくお願いしますね。あら、いいのよ。好きなだけ使ってちょうだいな。今度遊びに来る時は、うちの料理長に美味しいお料理を用意して置くように言っておくわ。彼も唯さんの事、気にかけてたのよ。だから安心させるためにも、是非いらっしゃいね。待っているわね!ええ、じゃあ、お休みなさい。」
電話を切った祖母は満足そうにほくほくしていたが、俺はじっと祖母も顔を見ていた。
「神崎が言ってたのって、あのマフ「亨、どうしましょうー!!私やっぱり編み物苦手なのよぉ!!」……もう正直に言った方がよかったんじゃ。」
「だって、だって!あれを唯さんに見せるなんて出来ないものー!」
俺に泣き付いている祖母の背中をさする中、先程父とチェスをしている最中に見てしまったソファに置かれた毛糸の残骸を思い出す。もはやあれは絡まった毛糸以外の何者でもなく、いや、絡まっている分毛糸以下だとも言える代物だった。
確か神崎が来て教えていた時にはあれははっきりとマフラーの原型を留めていたのに、どこをどうやったら毛玉以下になるのだろう。
「見せないほうがいいのでは…」
「その方がいいのかしら…」
しょぼんと沈んでしまった祖母も肩をそっと叩くしかない俺だった。