第21話 誰の判断だったんですか
「誰の判断だったんですか」
七月二十八日、午前十時。株式会社天穹の一階ロビーに、椅子が六十脚並べられた。前列にカメラが十二台。
梶原篤は、机の中央に座っている。両脇に法務と広報。
「昨日の撤去は、日本坑管理協会が受理した正規の手続きです。当社は申請をしたにすぎません」
「その申請をしたのは、どなたですか」
「私です」
ざわめきは起きなかった。誰も驚かなかったからだ。署名は公告に載っている。
「第四十層の遠征隊八名について、現在の状況は」
「昨日午前十一時の定時交信以降、応答がありません。当社の隊員が五名、協力クランから三名です」
「救助は」
「協会と合同で、救援隊が本日六時に入坑しました。第三十層より下は通信がないため、伝令方式になります」
「伝令方式というのは」
「人が走って伝えるということです」
部屋の後ろのほうで、誰かがペンを落とした。
「第四十層まで、走って何時間かかりますか」
「片道で、およそ十六時間と聞いています」
「往復で三十二時間」
「はい」
「では、いま第四十層で何が起きているかを、地上が知る手段は」
「……ありません」
「撤去申請の際に、一台外すと第三十層以下が全部圏外になることは、把握していましたか」
梶原は手元の紙を見た。想定問答集の三ページ目に、この質問がある。答えは書いてある。
「……その点については、協会の技術的判断に委ねております」
「委ねていた、ということは、御社では検討していないということですか」
「撤去の可否は協会の権限です。当社が判断する立場にありません」
「申請書には、撤去後の代替設置の計画が書かれていませんが」
「正規の手続きで、外注業者に設置させる予定でした」
「予定というのは、日程が決まっていなかったということですか」
「許可の申請から受理まで二週間かかります。そのあと日程を組みます」
「では、少なくとも三週間は圏外になると分かっていた、ということでよろしいですか」
梶原は、その質問を想定していなかった。
「では、伺い方を変えます」
中列の記者が立ち上がった。
「梶原さんは、中継機が一台で何階層をカバーするか、ご存じですか」
梶原は口を開いた。
数字は覚えている。彼は数字を覚えるのが仕事だ。年間四千二百万円。一日二百四十万円。第二十層以深が売上の四割弱。撤去と正規化で三百万円弱。
中継機が一台で何階層をカバーするか。
その数字を、彼は一度も見たことがなかった。
「確認して、後ほど回答します」
シャッターの音が、まとめて鳴った。
◇
同日午後、日本坑管理協会 記録管理部。
電話が鳴り続けている。報道からの問い合わせが四十件を越えて、部署の代表番号は転送設定に切り替えられた。
「受理は適法です」
早見総一は、その一言を九回繰り返した。
「無許可構造物の撤去申請について、協会は書式と権限の要件を審査します。技術的影響の評価は、審査項目に含まれておりません」
『含まれていないのは、なぜですか』
「規程がそうなっているためです」
受話器を置いた。九回目も同じ言葉だった。言い回しを変えていない。変えると、変えた理由を聞かれる。
窓の外は晴れている。庁舎の四階から、湾岸のクレーンが二基見える。
部下が資料を持って立っていた。若い男で、朝から一度も座っていない。
「部長、施設管理課から確認が来ています」
「はい」
「執行前に、設置者本人と思われる方から、代表電話に着信があったそうです」
早見は顔を上げた。
「いつですか」
「七月十八日の夜から二十日にかけて。代表番号と、施設管理課の直通と、こちらの部署の直通に、合計で」
部下が紙を見た。
「十七回です」
時計の針の音が、聞こえた気がした。この部屋に秒針のある時計はない。
「記録に残っていますか」
「代表電話の着信履歴に残っています。留守番応答の録音はありません。設定が切れていたようです」
「わかりました」
部下が出ていった。
十七回。
土曜の夜と、日曜と、月曜の朝。誰も出なかった。出る係の人間がいなかった。時間外の自動応答が流れて、そこで終わった。
もし誰かが出ていたら、あの男は何と言っただろうか。
第三十層を外すと、そこから下が全部圏外になります、と言ったはずだ。第四十層に人がいたら連絡がつかなくなります、とも言ったはずだ。
七月一日の面談室で、あの男はほとんど同じことを喋っている。十七台の話をして、二週間おきに落ちていく話をして、最後に、すみません長くなりました、と言った。
あのとき早見は、確認されておりません、と答えた。
出ていても、同じことを答えた。
そう考えて、早見は自分がそう考えたことに気づいた。
彼は机の隅に手を伸ばした。
四つに折って皺を伸ばした、花の包装紙。三月から、そこにある。
引き出しを開けて、しまった。
◇
その夜、三十三階の役員室に、資料が積まれた。
梶原は上着を脱いで、ネクタイを緩めていた。もう十一時を回っている。
技術資料。設備課が十五年ぶんに作った台帳と、協会の様式集と、坑内通信の基礎という五十ページの冊子。
彼がこれを読むのは初めてだった。
冊子の三ページ目に、答えが書いてあった。
中継機一台の有効範囲は、一階層から二階層。深度が増すほど狭くなる。第三十層以深は原則一階層。
次のページ。
節点の位置は地形と魔素濃度で決まり、豊洲第三坑では第一層から第五十層までに五十一か所が想定される。
次。
中継は直列である。上位ノードを一台でも失うと、以下の全階層が到達不能になる。
直列。
梶原はその二文字の上で、指を止めた。
彼が扱ってきた資産は、並列だった。店舗を一つ閉めても他が回る。人を五人減らしても業務は続く。減らしたぶんだけ費用が減って、その分だけ効率が上がる。
直列に並んでいるものを、彼はいままで一つも切ったことがなかった。
冊子には、もう一行あった。
節点は戦闘に適さない地形に多く、設置には非戦闘員の長時間の単独作業を伴う。このため民間事業者による深層区間の常時保守は、実務上きわめて困難である。
二〇一二年に協会が作った冊子だ。十四年前から、そう書いてある。
誰も読んでいない。彼も、昨日まで読んでいなかった。
台帳を開いた。
現在稼働中の中継機、四百七十四台。
うち、設置記録の実施者欄に「株式会社天穹 設備課」と書かれているもの、四百七十三台。
残る一台は、二〇〇九年に協会が直営で据えたもので、第二層にある。
「……四百七十三」
彼は声に出した。
設備課の人件費は、五人で年間四千二百万円。一人あたり八百四十万円。十五年で六億三千万円。
その六億三千万円で、四百七十三台が坑の中に据えられた。
一台あたり十三万円。うち八万円は機材の実費だ。残り五万円が、人が降りて据えた分になる。
第四十七層まで往復四十時間の作業が、五万円。
梶原は電卓を置いた。
彼が削ったのは、年間四千二百万円ではない。
直列に並んだ四百七十三台を、誰かが定期的に見に行く仕組みそのものを、彼は削った。
窓に自分の顔が映っている。三十三階から見る湾岸は、この時間、船の灯りしかない。
六月一日、この階の会議室で、作業服の男が通知を二つ折りにして胸のポケットに入れた。何か意見はと聞いたら、まあ、そうですね、と言った。
あのとき、あの男は何か言いかけていたかもしれない。梶原は資料をめくっていて、顔を見ていない。
彼は内線を取った。人事部の夜間当番が出た。
「設備課の在籍者リストを。過去十五年ぶん、全部だ」
少し置いて、彼はこう続けた。
「顔写真のあるものを」




